その七(十一)
ようやく二人になることができたが僕はテーブルに突っ伏したままだった。呪いが続いていた。まだ息苦しく、体が重かった。そしてこれからしなければならない金貨集めを思うと余計に気が沈んだ。
「私も協力するから元気出してくれよ」
テルテの声に僕は返事しなかった。聞こえなかったわけではない。耳元で話しかけているのだからちゃんと聞こえていた。ただ、見なければならない現実を見たくなかった。今テルテを見つめればテルテであると断言できない精神状態だった。
テルテをてるてだと思ってしまうことは、これまでの自分の行いを否定するだけではなく、テルテそのものを否定しかねなかった。今ここにいるのがテルテなのかてるてなのか、それを頭で考えるだけで、teruteという音がてるてにもテルテにもなりうるために苦しまねばならなかった。思い切って別の名前にしておけばよかったと悔やんだ。
てるてとテルテを完全に分断しうる力を欲していた。感覚にヒビが入ってしまった今、否応なく側にいるのがテルテであると悟る術があればほしい。そのことをそのままテルテに伝えた。
「そういうことだったのか」
彼女は間を置いてから、僕の頭を両手で掴み、自分の顔に引き寄せた。僕の目はテルテの目を映していた。
「ほら、よく感じるんだ。私が誰なのかを。
君自身のネガティヴなヴィジョンに惑わされるな。私は君だけのものだ。私の存在意義となる人はほかに誰もいないんだ。君を知り尽くしているだけの淋しい女を、君はあの完全無欠な聖人に見えるのかい。やつらの声に踊らされるな。やつらのエゴに応えるな。君は君のエゴを抱きしめていればそれでいいんだ。ほら言ってごらん。私はどちらのテルテ(てるて)かな」
僕は唐突なテルテの顔と言葉の出現に軽いパニックになり、意味が呑み込めなかったが、テルテはそのまま次の行動に出たのだった。
トラブルばかり持ち込むテルテからのそれは思いがけない恵みだった。唇と唇が触れ合うだけの優しい口づけ。彼女からほのかな砂の香りが伝った。何かの手違いで てるて とキスすることがあったとしても、砂の香りがするはずがない。砂の香りに包まれながら、僕の中で自信が注ぎ込まれていくのを感じ、くすぐったかった。僕に内在するテルテへの愛情を確信した。
そうだ、これは僕の待ち焦がれていたことに他ならなかった!テルテから僕への贈り物。それもパズルのピースとピースがはまり合う高揚感。騙されているなら、このまま最期まで騙してほしいと体を預けたくなる欲求。一人での生活に一人が加わった違和感が望ましく変換されていく喜び。かつての恋人とは果たせなかった幻の場所への到達。壁を越えた先。盗みだの逃走だの重荷を持ち込まれたことすらもはや問題ではなく、軽くあしらう自信と勇気で満ち満ちていた。迷う必要などないのだ。
僕はテルテを手離すという選択肢を捨て去った。完全に捨て去った。二度と拾うことはないだろう。どんな目にあおうとも、どれほど敵を作ろうとも、彼女が側にいてくれる限り、僕はテルテと共に生きることを決意した。
呪いは消えた。唇が離れてすぐ僕はテルテに感謝を述べた。彼女はそれに満足しているらしく、顔を綻ばせてこう言った。
「なんたって私は理想の女だからね」
僕にまだまだ湧き上がる興奮があり、その場を歩き回った。その途中である考えを形成した。初めててるてを見た時から僕はてるてに惹かれているのだと思っていた。しかし、僕が本当に推していたのはてるてではなく、てるてを基に僕の妄想で造られたテルテだったのだ。そもそも僕はてるての何を知っているのだろう。少し目にした、噂を聞いたその程度ではないか。自分の主観に加えて他人の主観まで重ねがけされた情報がてるてとイコールで結ばれるはずがない。てるてへの評価を下げるに値する事実がそこには含まれていないだけで、実際にはあったとしても別段妙なことではないのだ。僕が、情報が、不都合な部分に目を閉じ、耳を塞いで、鼻を摘んでいるかもしれない。だが、そうした内容も含め、あらゆる情報が集結することで初めててるてを知ったと言える。現時点で僕はてるてを知っているとは言えない。畢竟知らないのであり、知らないものを信用するというのは空虚な真というだけである。てるてなど僕にはテルテを呼び起こす記号に過ぎない。テルテから匂う砂の香り、僕の唇に残ってザラつく砂の粒こそが確かな真実なのだ(この発想は時としてテルテまでにも及ぶ諸刃の剣であることを、このときの僕は考えもしなかった。)。
さて、今度は役人に金貨を十五枚も支払わなければならないということで悩んでいた。僕はやはり部屋中を歩き回りながら考えていた。決して集められない金額ではないものの、(金持ち相手ならさておき)一度に盗める金額ではないので、複数人を狙うことになろう。危険性は人が多い程増す。少ないに越したことはない。
役人との不愉快な関係が今回の支払いをもって終わればいいのだが、奴らの言うコミュニティの説明を聞かされることになっている時点でそれはない。つるみたくないから、いっそのこと村を出て逃げるのも手段として考えうる。テルテもそう考えたようで、
「逃げよう」
「あいつらを騙すってことになるぞ」
「気にしなくていいよ。なんせあいつらときたら紐で縛られているから安全ですって言ったくせに、その実いつでも抜け出せたんだ。先に騙したのはあいつらだよ。案外近くで見張っているかもしれん」
「でも喉元にナイフを突きつけるような真似はしなかったしなあ」
そこで僕は逃げるならどうなるかを考えた。この村を抜け、別の場所に移住することになる。しかし、そこにあの役人がいたらどうしよう。やつらのコミュニティとやらがあったらどうしよう。その事態を避ける確率を上げるにはどうすればいいかと悩んでいると、あることを閃いた。
「じゃあ逃げるでもいいが、その前にやっておきたいことがある」
「なんだい」
僕はテルテの耳元に口を寄せた。万が一ネーテか役人が盗み聞きされてしまうのを恐れたからである。
「覗きさ。役人たちにね」




