魅了使いの悪女は、愛の果てに復讐を誓う
ロゼリア・ハイネスは公爵家の次女である。公爵を父にもち、裕福な家庭で育ち、お金に不自由することはなかったが幸せだとは言えなかった。何をやらせても優秀な姉に敵わず、不出来なロゼリアを両親は早々に見放し、姉を溺愛した。そんな姉はロゼリアを散々見下し、馬鹿にした。家族から疎まれ蔑ろにされ続けた結果、ロゼリアは使用人からも雑な扱いを受けるようになった。
公爵令嬢でありながら、ロゼリアを敬うような人間は誰一人いなかった。
そんな不幸な日々を送っていたロゼリアだったが、彼女が十三歳になったときそれは唐突に終わりを迎えた。
彼女が魅了魔法の才能を開花させたからだ。
昨日まで自分に罵詈雑言を浴びせてきた人間達が打って変わって、自分を溺愛し虜になっていく様はそれはそれは気味が悪いものだった。今更家族に愛情など求めていなかったロゼリアは自身の魅了に嫌気が差したが、あるとき使用人たちの前で姉の愚痴を零し、周囲が激怒したことをきっかけにこの魅了に一つの可能性があることに気がついた。
「お父様、お母様。お姉様が私に意地悪してくるのです」
ロゼリアが上目遣いでそう言うと両親は激昂し、あれほど可愛がっていた姉に暴言を浴びせて彼女を別館に閉じ込めてしまった。それを見てロゼリアは、魅了には周囲の人間を精神誘導できる能力があることを確信した。
それからは面白いくらいにロゼリアの思い通りに事が運んだ。
「お姉様が怖いから別館に閉じ込めて下さい」
そう言えば、両親は姉を別館に監禁してくれた。
「反省が足りないようだから、お姉様は昼食抜きでいいわ」
そう言えば、使用人は姉に食事を運ぶのを辞めた。
「離れにいる女を私の前に連れてきなさい。お仕置きが必要だわ」
そう言えば、使用人達は痩せ細った姉を引き摺るようにしてロゼリアの目の前に連れ出し、彼女に暴力を振るった。使用人達に殴られ悲鳴を上げる姉だが、それでもロゼリアの魅了にかかっているのか、姉は血と涙でまみれた顔で媚びを売るようにロゼリアに笑みを向けてきた。その表情には生意気にロゼリアを蔑み、自信に満ち溢れた昔の姉の面影はなかった。
「そんな汚い顔で私を見ないでちょうだい」
そう言えば、使用人の拳が容赦なく姉の顔面を叩き潰した。そしてもう一人の使用人がその顔に蝋燭の火を放ち、あっという間に姉の顔は焼け爛れて醜くなった。
ロゼリアは泣き喚き暴れ狂う無様な姉の姿に声をあげて嘲笑した。
それからしばらくの間、ロゼリアは自分を見下した屋敷の人間たちに対して拷問を繰り返した。手足の骨の髄まで釘を打ち込んでみたり、歯を抜いた歯茎の穴にネジを差し込んで直接神経を刺してみたり……しかしやがて無表情のまますっかり反応が鈍くなってしまった玩具にロゼリアは退屈した。
「つまらないの……そうだわ、気晴らしに舞踏会にでも行ってみようかしら」
出来の悪いロゼリアは、公爵家の恥晒しになるからと舞踏会やパーティーに参加することを禁じられていた。けれど魅了によって支配された今の公爵家で、ロゼリアを止める者は最早いなかった。
それに十五歳になった彼女はそろそろ婚約者を決めなければならず、出会いの場に行く必要があったのだ。公爵家の次女であるロゼリアは、婚約者に次期公爵を選ばなければならない姉とは違い、比較的自由に婚約者を決めることができる。まあ醜女に成り果てた姉に政略結婚の利用価値があるかどうか知ったことではないが。
こうして社交界デビューすることになったロゼリアだが、彼女は舞踏会でたちまち噂の公爵令嬢となった。ロゼリアは見かけは美しく可憐な令嬢であり、淡い金髪にエメラルド色の瞳は人目を惹きつけた。そして魅了の魔法まで兼ね備えた彼女は舞踏会ではまさに敵なしだった。あっという間にロゼリアは社交界の高嶺の花となり、数多くの令息達に言い寄られ、令嬢達の憧れの存在になった。魅了魔法にかかった人々の称賛とはいえ、ロゼリアはすっかりそれに気を良くし、たびたび社交場に足を運んでは令息達の恋心を弄び、令嬢達との会話を楽しんだ。
「君が噂のはしたない魅了魔法で場を掻き乱す不届き者か」
だから舞踏会でそのような冷たい言葉を投げられたとき、ロゼリアは酷く動揺した。
「……王太子殿下」
彼の名はアルバート・コーデン・ローレンス。この国の第一王子で、王太子殿下だ。ロゼリアは平静を装いながらカーテシーをして口上を述べようとしたが、アルバートが手をあげて遮った。
「ハイネス公爵令嬢、君に話がある。こちらに」
そう言ってアルバートはロゼリアに踵を返す。そんな二人の姿に周囲は騒ついた。
「王太子殿下もハイネス公爵令嬢狙いなのか」
「堅物そうなのにやるなあ」
「これは意外な組み合わせですわね」
噂が飛び交うなか、ロゼリアはアルバートの後をおとなしく追う。やがてたどり着いた場所は、人の気配がない夜の静けさに包まれたバルコニーだった。
向かい合ったアルバートの銀髪が月明かりの光を受けて鈍く輝いた。そしてサファイアブルーの彼の瞳が、夜の闇よりも一層深く暗い色をしているようにロゼリアには見えた。
「ハイネス公爵令嬢。この国で魅了魔法の使用が重罪なのは分かっているのか?」
アルバートの言葉にロゼリアは心臓が縮み上がった。けれど今度こそ動揺を悟られないように咄嗟に微笑を浮かべた。
「さすが王太子殿下。私が魅了持ちだと見抜かれたのは貴方様が初めてですわ。皆、私を目の前にすれば魅了魔法にかかって思考力を奪われるというのに」
「その口振りだと魅了が精神干渉系の魔法だということも知っているようだな。この国で精神干渉系の魔法保持者は、投獄または処刑するのが決まりだ」
そしてアルバートは、一瞬ロゼリアに同情するような視線を送った。
「……魅了は使用者の意思とは関係なく発動してしまう魔法だと聞く。君に悪気はないかもしれないが、人の精神を危うくする恐ろしいものに変わりない。どうかここで大人しく捕まってくれ」
アルバートの言動にロゼリアは内心焦ったが、ふと周りを見てバルコニーに自分と彼以外の人間がいないことを確認した……アルバートは単独でロゼリアを捕縛しようとしているのだ。
その意味を素早く察して、ロゼリアは口角を吊り上げたが、すぐに扇で隠した。
「歴史上で数多の国を傾けた魅了保持者を捕縛するというのに、騎士団どころか従者一人もお見えにならないのですね」
「……何が言いたい」
「いいえ、ただ疑問に思いまして……ああ、元第二王子であった貴方様には騎士団を動かす権限すらないということでしょうか?」
ロゼリアの言葉にアルバートの表情が険しくなった。
以前、社交場でロゼリアは目の前の王太子の噂を耳にしたことがあった。アルバートは現在、王太子殿下という身分ではあったが、元は王位継承権を持たない世間から忘れ去られた第二王子という存在であった。しかし数年前、第一王子が病死し第二王子であったアルバートが急遽第一王子となり、王位継承権を手にした。けれど王宮ではアルバートが王位に就くことを反対する声が多く上がっている。何故なら彼は王妃の子供ではなく、没落した側室の子供だったからだ。王族は血統を重んじる。没落貴族の母をもつアルバートには王宮での後ろ盾がなく、恐らく彼に付き従う側近すらいないのが現状なのだろう。
それを確信して、ロゼリアは内心勝ち誇ったように笑ったが、表面上ではしおらしさを装って首を傾げてみせた。
「味方一人も連れて来られない王太子殿下など、世界中探しても貴方様だけではありませんか?」
「っ……黙って聞いていれば貴様、無礼だぞ!」
「いいえ、私はただ貴方様を除いた王宮の全ての方々が愚かだと思っただけですわ」
そう言った瞬間、怒りをあらわにしていたアルバートが言葉を飲み込んだ。
「私の魅了を見抜かれたそのご慧眼、そして私のような者にまで憐れみの目を向けてくださった王太子殿下なら、いずれ聡明な国王になられることは間違いないでしょう。それなのに王宮の方々は、貴方様の出自ばかり気にして、排除しようと躍起になっていらっしゃるではありませんか。私はそれが残念でなりませんわ」
「……命乞いのつもりか」
「それは否定できませんが、私は貴方様にご提案があるのです」
ロゼリアはアルバートを見て、にっこりと笑った。
「王太子殿下、宜しければ私の婚約者になっていただけませんか?」
「……は?」
「私の家は公爵家です。私の婚約者となった暁には王太子殿下の後ろ盾となり支えます。それに私は魅了持ち。きっと王宮での貴方様の勢力を広げることに貢献できますわ」
「そんな目眩しが王宮で通じると思っているのか!?」
「ええ。私の魅了はほんの目眩しです。王太子殿下が王宮や社交界での人脈を着実に広げ、やがて魅了に頼らずとも周囲からの支持を得たそのときに王宮の舞踏会にて婚約破棄を言い渡すと同時に私を断罪すれば良いのです。そうすれば貴方様は晴れて国を救った英雄になり、その地位も確固たるものになるでしょう。私の力を借りてのし上がったという者がいれば、私を監視するため婚約者という名目でそばに置き、白日の下に晒す機会を伺っていたといえば誰もが納得するはずです」
アルバートは信じられないように首を振った。
「よくもそのような大それたことを……」
「もちろん決定権は王太子殿下にございますが、悪い話ではないと思います」
「……君の目的は何なんだ」
「私はここで受けるはずの断罪を先延ばしにして頂き、残された余生を謳歌する時間がただ欲しいだけですわ」
もちろんロゼリアは大人しく処刑されるつもりはなかった。けれど何故か自分の魅了が効かないこの男を下手に敵に回す訳にもいかない。
そうとなれば、魅了を使ってこの男の地位を確立させ、自分を気に入って貰うことでしか断罪を避ける方法はない。
しばらく二人の間に長い沈黙が流れた。やがて眉間に皺を寄せていたアルバートが溜息をついた。
「……たしか君の魅了を見破ったのは、僕が初めてだと言っていたな?」
「はい」
「ならばここで僕が君を王宮に突き出したところで大半の者が君の魅了にかかり、僕の言い分が通らない可能性の方が高いか……」
そう呟いたが、アルバートは「いや」と言って自嘲気味に笑った。
「そもそも君の魅了に関わらず、僕の話をまともに取り合ってくれる者がいるかどうかだな」
そしてアルバートは覚悟を決めたようにロゼリアを見つめた。
「……君の提案にのる。ただし一時だけだ」
こうして数日後、アルバートとロゼリアの婚約が正式に発表された。社交界では、王太子殿下が高嶺の花である公爵令嬢を射止めたと話題になったが、当人のアルバートはその反応に大きな吐息をついた。
「全く人の気も知らずに世間は勝手だな」
今日、ロゼリアは公爵家の御茶会にアルバートを招待していた。偽りの婚約とはいえ周りが違和感を持たない程度に仲良くしなければならない。しかしアルバートはそれさえ気が重たい様子だった。
一方、ロゼリアはというとこの状況を密かに楽しんでいた。いつも舞踏会やパーティーでおもてなしを受ける側だったため、公爵家に人を招待してもてなすのは新鮮味があり、意外にも心踊るものがあった。
「そういえば公爵と公爵夫人は挨拶にきたが、君の姉君は見当たらないな」
「申し訳ありません。姉はここしばらく体調が優れず塞ぎ込んでいますの」
拷問の末、姉は人前に出せる状態ではなかったため、大人しく離れに監禁させていた。挨拶に来た父と母も拷問の対象内ではあるが、人前に出ることが避けられないため、顔だけは、傷をつくらなかった。まあ顔から下は数えきれないほどの火傷や刺し傷があるのだが。
そんなことを考えているうちに、使用人たちがやってきてテーブルにティーセットやお菓子を手際よく準備していく。やがて用意が終わった彼らは一礼し、踵を返していった。
「それでは頂きましょう」
そう言いロゼリアはティーカップを手に取る。アルバートも同じようにティーカップを取ったが、どこか躊躇いがあるのかすぐに口をつけようとしなかった。
「殿下。毒見が必要でしたらまず私が飲んでみせましょうか?」
「……」
「それでは」
返事を待たずにロゼリアはまず紅茶の香りを確認し、それを一口含む。そして異常がないと分かると、次は皿に並べたチョコレートを手にし、紅茶同様に香りを確かめてからそれを口にした。その一連の動作はあまりに手際良く、そして淡々としていた。
最後のクッキーの毒見を終えたロゼリアは、アルバートに向かって微笑んだ。
「とても美味しいですよ。王太子殿下もどうぞ召し上がって下さい」
アルバートは「ああ」と小さく呟いたが、何故か複雑な表情を浮かべていた。
「いかが致しました?」
「君は、毒が恐ろしくないのか?」
アルバートの思いがけない問いにロゼリアは困惑した。彼の警戒を解くための行為だったが、逆に不信感を与えてしまったのだろうか。
「……私は毒に耐性があるので大丈夫です。公爵家では王妃を目指す教育の一環として、暗殺されないようにこういった毒見も教わりましたのよ」
本当のところは気まぐれに姉が面白がってロゼリアの食事に死なない程度の毒を入れたことがきっかけで、ロゼリアは自然と毒に耐性がついてしまったのだ。あの女はよく意地悪な笑顔を浮かべて平然と『王妃教育よ』などとほざき、毒で苦しむロゼリアを見下ろして『これでは王妃にはなれないわね』と嘲笑っていた。そういえばあの頃は常に食事が恐ろしくて仕方なかったが、毒に耐性がついたのか、あるいは感覚が麻痺したせいか、ロゼリアのなかでそういった恐怖心はいつの間にか薄らいでいた。
「公爵家ではそのような教育が施されているのか……気分が悪い」
一瞬毒を盛られたのかと思うほど、アルバートの顔色は悪かった。それを見てロゼリアはふと思い出した。
「そういえば、殿下のお母様は……」
遠い昔、アルバートの母である側室が、今は亡き第一王子派の者によって盛られた毒で亡くなったという噂を耳にしたことがあった。たしか彼女は食事中に命を落としてしまったときく。
「……母は、僕の毒見役だったからな」
どうやら食事に毒を仕込まれていたのは母親の方ではなく、アルバートの方だったらしい。
それっきりアルバートは口を閉ざしてしまった。
王子の実の母親が毒見役を務めなくてはならないほど、彼らの周りには味方がいなかったのだろう……けれどその役を買ってでも、母親はアルバートを守りたかったのだ。
「殿下のお母様はご立派な方でしたのね」
ロゼリアがそう呟けば、アルバートは一瞬目を見開き、やがて頷いた。
「ああ、自慢の母だったよ。いつだって僕の味方でいてくれた」
アルバートの表情はとても穏やかだった。
(この人は愛されていたのね)
ロゼリアはふと愛というものは、どのようなものだろうと思った。本来なら親兄弟から際限なく与えられるそれを、彼女は全く知らずに生きてきた。魅了にかけられた人達からの称賛の言葉さえ、愛に飢えたロゼリアにとっては甘美なものだったが、アルバートが母から受けた本物の愛情はその比ではないのだろう……ロゼリアはアルバートがほんの少しだけ羨ましかった。
それからしばらくは互いの家に行き来し、御茶会を繰り返すだけの逢瀬が続いた。ロゼリアは王宮に招かれた際、まず執事やメイドに魅了を使用して、自分の虜にさせた。これは難なくクリアした。そして次はその者達にアルバートの自慢をした。内容はアルバートが国王になるため日々研鑽を積んでいるということや婚約者に対しては紳士な対応で接して下さることなど、とにかくアルバートの自慢をし、私の婚約者は凄いでしょ!と執事やメイドにアピールした。ロゼリアの魅了にかかっていた彼らがその発言を無視する選択肢はない。ロゼリアの婚約者自慢はまことしやかに囁かれ、やがて噂となり王宮中に広まった。そして問題は、その噂どおりの姿をアルバートが見せられるかどうかだったが……それも杞憂に過ぎなかった。アルバートは実に勤勉家で任された公務の仕事を正確にこなして、社交場でのロゼリアのエスコートもばっちりと決めた。アルバートは噂以上の有能な姿を周囲に見せつけ、期待に応えてみせた。
それを見て、ロゼリアは自分の直感は正しかったのだと悟った。アルバートはやはり国王になる素質があり、その努力を怠ることはない。周囲の関心がこちらに向いてさえいれば、彼は皆からしっかりと評価されていたのだ。だが彼の唯一の不運は没落貴族の母のもとに生まれ、王宮で後ろ盾がないことにより、長い間無能な王子だという偏見を持たれていたことだった。しかし今やその汚名も払拭されつつある。
「ロゼリア、こちらに」
そしてその優秀さをロゼリアは、今目の当たりにしていた。
数日後の夜会パーティーで、アルバートとロゼリアは社交ダンスをお披露目することになっている。そして彼らは、王宮の一室でダンスの流れを確認していたのだが……。
「君のそれはステップなのか?」
ロゼリアのなんとも言えない足捌きを見て、アルバートは愕然とした。彼女は気品な顔に似合わず、ダンスが壊滅的センスだった。軽い流れ確認のはずが、ダンスの猛特訓をしなければならなくなった。
「ダンスなど踊って何になるというのでしょうか」
「これも淑女の嗜みの一つだ」
ダンスが苦手というより、そもそもダンスというものが身体に染み付いていないように見える。そんなロゼリアの動きに、アルバートは首を傾げた。
「……ロゼリア、君はダンスの経験は?」
「ありませんが?」
アルバートの驚いた表情を見て、ロゼリアは目を逸らした。
不出来だと親に見放され家庭教師がつかなかった公爵令嬢など、どこを探しても自分だけなのだろうと小さく溜息をもらした。
「……冗談です。ただダンスが苦手なだけ、で」
言ってるそばから、ロゼリアはアルバートの足を思いっきり踏んでしまった。
「申し訳ありません」
「……い、いや」
思っているより強く踏んでしまったのだろうか、痛みによりアルバートの表情が少し歪んだ。それを見てロゼリアは瞬きしたが、すぐに次のステップに進む。そして彼女はまたアルバートの足を踏んでしまった。
「痛いんだが!」
「……ふふ、すみません」
いつもは取り澄ました男の顔が苦痛に歪む。ロゼリアはそれが面白くて思わず笑いがこみ上げた。
「これでは君をリードしようにも、僕の格好がつかないじゃないか」
そう言いつつも、アルバートは優雅な身のこなしだった。
「さすがリードが慣れていらっしゃるのね」
「それなら良かった。色んな人の動きを見て盗んだ甲斐があったよ」
その言葉に、ロゼリアは首を傾げた。
「家庭教師から教わらなかったのですか?」
「僕は必要最低限の教養しか教えてもらえなかったんだ。だから社交ダンスはいつも舞踏会の隅で人が踊っているのを盗み見していたよ」
見て覚えただけだという彼のダンスの立ち振る舞いは、とても様になっている。彼の優秀さにロゼリアは感嘆した。
「……だから正直嬉しい気持ちもあるんだ。君のおかげで今こうして僕は表舞台に立って注目を浴びている」
彼は自嘲気味に笑った。
「君を断罪しようとしていたのにな」
そんなことを言われるとロゼリアは思っていなかったが、自身の力を認められたようで悪い気はしなかった。
「……私の魅了はほんの目眩しです。周囲に認められたのは、まさしく貴方様のお力ですわ」
そう言えば、アルバートは一瞬驚いた様子だった。
その後、練習は長時間に渡った。アルバートは時折、ロゼリアのダンスについて筋がいいところは褒めてくれたり、出来ないところは文句ひとつ言わずにロゼリアが出来るまで付き合ってくれた。
「そう、その調子だ」
アルバートが励ましてくれる度に、昔の出来の悪い自分まで励まされたようで、ロゼリアは小さく笑みを溢した。
そんな日々を過ごしているうちに、アルバートの勢力は着実に王宮内に広がっていく。一方でその状況を作り上げた張本人であるロゼリアは、それをまぶしい気持ちで眺めていた。自身の魅了を使って彼が周囲に認められていく姿を見たとき、彼女は今までにない多幸感を味わっていた。それは家族に復讐を果たしたときや魅了にかかった人々の称賛を浴びたときとは、比べられないほどの満ち足りた感情だった。
(……私はアルバート様を愛しているんだ)
そう、きっとこれが愛なのだと、彼女は自覚した。
その後、夜会パーティーを迎え、無事社交ダンスを披露し終えたロゼリアは、アルバートに公爵家まで送ってもらうため、彼の馬車に乗り込んだ。
「……ハハハッ!」
馬車に乗り込んだ直後、急にアルバートが笑い声を上げたので、ロゼリアはびっくりした。
「……どうかされました?」
「すまない、ただ君の最初のステップを思い出してしまって」
アルバートは謝りながらもなかなか笑いが止まらないのか手で口を抑えていた。
「練習よりも形にはなっていたでしょう?」
「そうは言っても歩きたての子鹿みたいだったぞ」
「まあ」
あんまりな言い草だ。少し怒ってみせれば、アルバートが宥めた。
「君だって散々僕の足を踏んで笑っていただろう? 仕返しだ」
邪気のない笑顔で言い返されたら怒る気が失せてしまった。
「でもそれ以外はとても上達していたよ、頑張ったね」
そんなことまで言われたらもう何も言えなくなってしまった。これも惚れた弱みかと思いながら、「ありがとうございます」とロゼリアは大人しく頭を下げた。
しばらく二人の間に沈黙が流れたが、やがて先に口を開いたのは、彼の方だった。
「……今日、初めてパーティーが楽しいと思ったよ」
アルバートは静かに呟いた。
「あんなに大勢の人に囲まれて、労いの言葉をかけて貰えるとは思いもしなかったんだ」
間違いなく今夜のパーティーの主役はロゼリアではなく、アルバートだった。彼は終始、パーティーの参加者たちに囲まれて落ち着かない様子だったが、それでも時折嬉しそうに微笑んでいたのが印象的だった。
「殿下のこれまでの頑張りが報われたのなら喜ばしいことですわ」
「……ありがとう」
本心からそう言えば、突然アルバートからお礼を言われてしまい、ロゼリアは目を見開いた。
「僕がここまで皆に認められるようになったのは、どんな形であれ君のおかげだ」
アルバートに真っ直ぐ見つめられて、ロゼリアの鼓動は高鳴った。
(……この方、だけだわ)
魅了使いのロゼリアに怒って、同情してくれたのも。
一緒にお茶会を開いてくれたのも。
ダンスの練習に付き合ってくれたのも。
婚約者として大事にしてくれたのも。
魅了に惑わされず、ロゼリアに真っ直ぐな言葉を届けてくれたのも、アルバートだけだった。
「……だからロゼリア」
ああ、きっと自分はまもなく断罪されるのだとロゼリアは察した。彼は優しいから最期にお礼を言ってくれたのだ。
けれど彼女は抵抗しようとしなかった。自身の魅了で彼の王座を揺るがないものにできるのなら、喜んで断罪を受け入れようとしていた。
「もう終わりにしよう。僕も君と一緒に罪を償うよ」
だからアルバートの思いがけない言葉に、ロゼリアは一瞬息が止まった。
「……え?」
「魅了を利用した時点で僕も同罪だ。だから王位継承権を放棄する」
「……なにを、言ってらっしゃるの!? 断罪されるのは私一人だけでよいではありませんか!」
「君の提案にのったときから決めていたことだ。それにね、ロゼリア……僕は心底疲れたんだ」
アルバートは淡々と話し始めた。
「幼いときから僕の人生は翻弄されっぱなしだ。唯一の味方だった母は殺されて、義兄が死んだことによって王位継承権争いが終わったと思ったら、僕を気に入らない連中が排除しようと動き出したりして……王宮のなかで一度も気が安らいだことはなかった。でもね」
アルバートの顔に一瞬、生気が戻った。
「君と出会ってからはとても楽しかったよ。皆に認められるなら、魅了でも何でもいいと提案にのったが、僕は君と婚約者になれて幸運だった。君は僕に国王の素質があると言ってくれた。亡き母を偲んでくれた。婚約者として僕を立ててくれた……感謝してもしきれないよ」
「ならば……尚のこと私をこのまま利用して下さい! そうすれば、アルバート様はいずれ国王の座につき、誰にも脅かされず、幸せになれます!」
ロゼリアの懇願にアルバートは首を横に振った。
「……きっとそれは無理だ。魅了は精神干渉の魔法で、やはり恐ろしいものには変わりない。そんなもので人や国を動かせばいつ破滅を迎えてもおかしくない。僕はもう満足だ、充分楽しませてもらったよ」
アルバートは微笑んで、ロゼリアの髪を優しく撫でた。
「夢のようなひと時をありがとう、ロゼリア」
ああ、この人はもう決めてしまったのだとロゼリアは実感した。きっと何を言っても、この人の決意は変わらない。
(……私はこんな結末のために、あなたに尽くしてきたわけじゃない)
最初は全て保身からの行動だった。けれど今は本気でアルバートに幸せになってほしいと願っていた。そのために行動してきたのに。
(憎い……全てが憎い……!)
ロゼリアは、ここまで愛するアルバートを追い詰め、生きる気力を根こそぎ奪った全てのものに憎悪し、そして全てのものに絶望した。
「……分かりました、アルバート様。終わりに致しましょう」
「分かってくれてありがとう」
「ただその前に、お見せしたいものがあるのです。お屋敷に寄っていただけないかしら?」
ロゼリアは口元に歪な笑みをたたえていた。
「ロゼリア、見せたいものとは何なんだ?」
その後、ロゼリアはアルバートと数人の使用人を引き連れて、公爵家の別館へと向かっていた。
「……もう夜も遅い。また日を改めて」
「アルバート様、見せたいものというのはこれです」
アルバートの言葉を遮り、ロゼリアは別館の扉を勢いよく開けた。使用人達が慣れた手つきで部屋のランプに火を灯していく。
「……この、人たちは?」
床に転がった負傷した人間たちを見てアルバートは怪訝な表情でロゼリアに問いかけた。彼女はそれに答えず、静かに控えている使用人達に命令した。
「拷問を始めなさい」
その一言で使用人達は隠し持っていた拷問器具を片手に、一斉に無抵抗な人間たちに向かってその凶器を振るった。
飛び散る血飛沫にアルバートは声を荒げた。
「やめろっ……!」
「その方を捕らえなさい」
ロゼリアの命令に使用人達がアルバートに飛びかかる。突然のことに彼は咄嗟に動くことができず、その身体は容赦なく床に打ちつけられ、拘束された。
「……ロゼリア、どういうつもりだ」
「ご無礼をお許し下さい、アルバート様。しかし魅了にかかったその者達は、このように私の命令ひとつで第一王子である貴方様を傷つけることも躊躇いません」
アルバートの表情が途端にこわばった。彼は悟ったかもしれないが、ロゼリアは敢えて言葉を続ける。
「アルバート様、魅了は何も相手の心を奪うだけの魔法ではありません。虜にした者を意のままに操ることもできます。この公爵家の者同様、私の魅了にかかった王宮の方々も、皆私の操り人形です」
「……何が言いたい」
「つまり、今の王宮は私の支配下にあるのです」
そしてロゼリアはアルバートに微笑みかけた。
「アルバート様。貴方がこの世に嫌気が差したと仰るなら、私が全て壊して、全て塗り替えて差し上げます。私にはその力が備わっています。貴方に盾突く愚か者は、皆ひとり残らず私が復讐いたしますわ」
「……復讐?」
「殺しはしません。優しい貴方は殺生は好まれないでしょう? 愛する貴方を絶望させた罪は、死をもって償うことすら許さない。生きたまま地獄に突き落としてやりましょう」
それこそ死を乞い願うほどの罰を与えてやるのだと、ロゼリアは彼に誓った。
「やめてくれ、ロゼリア! 僕はそんなこと望んではっ」
「その方を眠らせなさい」
多少手荒な真似をしても構わないと伝えれば、使用人はアルバートの首に手刀を叩きこんだ。次の瞬間、抵抗していた彼は眠るように意識を失くした。
そんなアルバートの寝顔を見ながら、ロゼリアは彼に向かって優しく囁いた。
「大丈夫よ、アルバート様。貴方が安心して幸せになれる世界を私が必ず作ってみせるわ」
それからロゼリアは数年に渡ってアルバート以外の王族を排斥し、王宮の支配者となり、国を牛耳った。彼女はその間、反勢力だった者たちに制裁を与えて、嬉々として彼らとその親族に至るまで私刑に処した。
アルバートは、最初ロゼリアの暴走を止めようと試みた。しかし彼女の数々の非情な行いを目の当たりにした彼は、やがて徐々に精神を病んでいき、心を閉ざすようになった。
彼が部屋に籠りがちになり、ほとんど表舞台に立つことがなくなっても、ロゼリアの精神操作によって支配された民衆たちの彼への称賛の声が止むことはなかった。この国はどこまでもアルバートのために作られた世界だった。
アルバートはそんなロゼリアをどう思っていたかは定かでない。しかし彼は時折、彼女を求めて抱くことがあった。その姿を見るたびに、ロゼリアは彼が自分の愛に応えてくれたのだと歓喜した。
そうしてロゼリアの支配は続いていくはずだった。
しかし王宮のなかで何かが少しずつ変わり始めていた。
まず、使用人達がロゼリアとアルバートを敬うことがなくなった。
そして徐々に周囲はロゼリアの命令に背くようになった。
ロゼリアを恐れるあまり泣き出す者が現れ、ロゼリアの行いを糾弾する者も現れ出した。
(……一体、何が起きているの? まさか魅了魔法がとけている?)
ロゼリアは必死に頭のなかで考えを巡らせるが、吐き気がして、思考が上手くまとまらない。
(……最近、体調が優れないわ)
そういえば月のものも暫くきていない……体調の変化が原因かもしれないと気付いたとき、彼女は背後から強い衝撃と激しい痛みに襲われた。
自分の身体から鮮血が舞う。その光景をロゼリアは、ぼんやりと見つめたまま座り込んだ。
「ロゼリア」
愛しい男の声がした。見上げれば、血だらけの短剣を持ったアルバートが静かにロゼリアを見下ろしていた。
「……アルバート、さま」
「最期に何か言い残すことはあるか?」
今のアルバートの目には、初めて会った夜に見せたロゼリアへの同情の色は一切なかった。
「なぜ、こんな、こと……みんな、しょうきなの、あなたの、しわざ?」
ロゼリアの問いに、アルバートは淡々と口を開いた。
「僕の魔法は、他人の魔法を無効化にできる。だから僕は君の前でも正気でいられた」
そしてアルバートは、ロゼリアと合わせていた視線をさらに下に落とした。
「……君のお腹にいる子供が僕のその力を受け継いで、君の魔力を止めてくれたんだね」
その言葉を聞いてロゼリアは愕然とした。やがて何を思ったのか、彼女は最後の力を振り絞り、両手で腹の子を庇うようにして身を縮こまらせた。
アルバートはそんなロゼリアを見て、一瞬躊躇いを見せたが、すぐに彼女に向かって短剣を振り下ろした。
長い間、アルバートは血の海のなかで動かなくなったロゼリアの身体を抱きかかえていた。
やがて彼はロゼリアのお腹にそっと手を当て囁いた。
「……生まれてきたかっただろうに、本当にすまない」
それは我が子への謝罪の言葉だった。この子がアルバートの魔法の才能を受け継ぎ、ロゼリアの魔法を体内から抑えてくれたおかげで、皆にかかっていた魅了魔法がとかれたのだ。今頃、王宮だけにとどまらず、国全体が混乱に陥っているかもしれない。けれどそれすらアルバートはもうどうでもよかった。
(僕があの日に彼女を捕らえていれば)
我が子の命を利用する非道な親になることもなく、こんな結末を迎えなかったかもしれない……けれどロゼリアをこの手で殺し暴走を止めたところで、今のアルバートには親を名乗る資格はなかった。
それでもアルバートは、ロゼリアと出会わなければ良かったと思わなかった……彼女と過ごした日々は、彼の人生のなかで何ものにも代え難い幸福の記憶だったからだ。
「……ロゼリア、愛しているよ」
アルバートは永遠の眠りについたロゼリアにそう囁いた後、血だらけの短剣を己に向けて、彼女の後を追った。
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