守り人のお仕事、入門編(1/1)
昨日は地上と空中庭園の往復だけで一日が終わってしまったので、私の本格的な聖域での暮らしは翌日からとなった。
「嬉しいわ~! 娘ができたみたいで!」
守り人たちの住む館へ向かうと、おばさまが笑顔で出迎えてくれた。
「ほら、うちって男ばかりじゃない? むさ苦しいったらありゃしない! でも、これでこの家も少しは華やかになるってものよ!」
おほほほと笑いながら、おばさまは軽快な足取りで階段を上がる。
守り人の館は、管理人の家と言うには贅沢すぎるほど大きい。それだけ、この聖域では彼らの地位は高いってことなのかしら?
そんな仕事をする資格があると思われたのが誇らしいのと同時に、身が引き締まるような思いがした。
「部屋は昨日の内に整えておいたわ。足りないものがあれば言ってね」
二階の廊下にずらっと並ぶドア。その内の一つをおばさまが開ける。扉の先には、今日から私が寝起きすることになる居室があった。
広さは地上で住んでいた家と同じくらい。机と椅子、それに真っ白なシーツが張られたベッドなど、基本的な家具が揃っている。
窓にかかった薄紫色の花柄のカーテンを開けると、清涼な風が吹き込んできた。思わず深呼吸する。空中庭園は空気がとても美味しい。緑が濃いからかしら?
「素敵なお部屋で嬉しいです」
隙間風に震え、傷んだ床がギシギシ鳴るのが日常茶飯事の家で暮らしていた私にとっては、ここは天国も同然だった。おばさまがクローゼットを開ける。
「お洋服もいくつか用意しておいたわ。好みに合うといいんだけれど」
ハンガーにかかっていたのは、ギンガムチェックや水玉模様の可愛らしいエプロンドレスばかり。これ、本当に私が着ていいの?
「オフィリアちゃんなら、もっと大人な服も似合うかと思ったけど、やっぱり若い子でしょう? こういうのも悪くないかと思ってね」
「何から何まで、ありがとうございます……!」
感動で泣きそうだった。こんなに豊かな生活を送るなんて、生まれて初めてだ。おばさまは「本当に素直な子ね」と優しい顔になる。
「じゃあ、お着替えと用意が済んだら下に来てちょうだい。まずは、この辺りの案内からよ。ついでに、どんな仕事をするのかも教えるわね。守り人研修プログラムでは、入ったばかりの子にはそうするようにってなってるから」
「はい!」
元気よく返事する。おばさまが出て行った後、私はぼろ切れのようなワンピースを脱いで、クローゼットにかかっていたレモンイエローの服に着替えた。
壁際の鏡に自分の姿を映してみる。袖の辺りはふんわりと膨らみ、ストライプ模様が夏らしくて爽やかだ。丈は膝下くらい。エプロンの裾には乙女心をくすぐるようなフリルがついている。靴は長めの編み上げブーツを合わせようかしら。
髪も邪魔にならないように頭の両サイドでお団子にしておく。肩からはテオが持っているのと同じようなデザインのポシェットを下げ、必要になりそうなものを色々と詰めていった。
よし、完成!
夏祭りでもらったペンダントはアクセサリー箱にしまっておいた。これは特別なものだ。なくさないように気を付けないと。
一昨日アイザックさんと過ごした時のことを考えながら浮ついた気持ちになっていると、階下で彼と鉢合わせることになった。
「あなたの案内役ができるなんて光栄だ」
どうやら、私の指導はアイザックさんがしてくれるらしい。お祭りの時は降ろしていた髪を後ろで一つ結びにしているのが、いかにもお仕事モードという感じだ。
でも全然堅苦しい雰囲気ではなく、彼がわくわくしているのが私にも伝わってくる。
どうやら楽しい研修になりそうだ。
おばさまに見送られ、私たちは守り人の館を出る。
「この聖域にはいくつもの島がある。その中央に位置しているのがここだ。僕たちは本島と呼んでいるよ」
「他にはどんな場所が?」
「色々だね。岩だらけの島とか、いつも霧に覆われている島とか。その内行く機会もあると思うよ」
歩きながら、アイザックさんは北の方にある森のような場所を指差した。
「あの森の中に、聖域の主人の館があるんだ。主人が留守の間、空中庭園を預かるのは守り人の役目だけど、あそこの手入れはまた別の人がやるからね。あんまり気にしなくていいよ。主人の身の回りの世話は、守り人の管轄外だから」
アイザックさんの口ぶりからするに、どうやら聖域の主人はまだ帰ってきていないらしい。正式に守り人になったんだし、帰宅したらきちんと挨拶しておこうと私は心に留めておいた。
「守り人の主な仕事は聖域の管理。見回りをしたりだとか、住民の困り事を解決したりだとか。後、祭りの主催だね」
「この間の夏祭りみたいなイベントがまたあるの?」
「聖域は祭りだらけだよ。三ヶ月に一度、季節の宴をするんだ。それぞれにテーマがあってね。夏祭りは『輝き』だ」
私はランタンや花火で照らされていた会場を思い出す。確かにあの光景は「輝き」の名を冠するに相応しい。
「次は秋祭り。テーマは『感謝』だよ。夏祭りとはまた違った雰囲気だから、楽しみにしておいてくれ」
「運営の仕事も頑張るわね」
私は張り切って言った。
守り人の館の他にも、本島には色々な施設があった。それら全てを見て回ると、とても一日じゃ足りないだろう。
それでも少しでも多くの場所に案内しようとしてくれたようで、アイザックさんは屋根のない馬車を手配していた。引いているのはユニコーンだ。相変わらず御者はいないけど、アイザックさん曰く聖域の生き物は賢いから問題ないらしい。
「もっと時間短縮したいなら、『ポーター』を使う手もあるけどね」
アイザックさんは、地面から出ている虹色の湯気みたいなものを指差した。
「あれに乗ると、好きなところへ一瞬で移動できるんだ。ただし、行き先をはっきり頭の中に思い浮かべて、しっかりと声に出さないといけないけどね。そうじゃないと、どこに連れて行かれるか分からない」
「つまり、一度行った場所にしか行けないってこと? ……あ、消えちゃったわ!」
不意にポーターが消滅したので、私は狼狽する。アイザックさんは「あれは神出鬼没なんだよ」と言った。
新しい環境に入るのは、いつだって緊張するものだ。でも、私は驚くほどにすんなりとこの場所に馴染めそうだという予感があった。
それは多分、ここの住民が私を気持ちよく受け入れてくれたからというのも大きいだろう。
「あの子、新しい守り人だそうよ! 期待の新人って感じね!」
「この間のお客様じゃない! 私、彼女もここで暮らせばいいのに、って初めから思ってたの!」
すれ違う住民がそんなことを言っているのが聞こえる。中には手を振ってくる者もいた。それに応えてやりながら、私は胸をなで下ろす。
「空中庭園に住んでいる人は、皆懐が広いのね。誰も『このよそ者が!』とか言わないもの」
「オフィリアさんだからだよ。あなたは特別なんだ」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。僕は一目見た瞬間から、あなたが他の人とは違うと分かった。なにせオフィリアさんは、綺麗で可憐で清楚で慎ましやかで上品で……」
ただのノロケだったわ。褒められるのは嬉しいけど、アイザックさんはいつもちょっと大げさだ。