ようこそ! 空中庭園へ!(3/3)
夏祭りの会場の中央広場に近づくにつれ、軽やかな音楽が聞こえてくる。自然と楽しい気分になるような音色だ。
「あっ、噂のお客さんだ!」
「素敵な方~!」
どうやら私の訪問はすっかり広まっているらしく、すれ違う人たちから次々に声をかけられる。誰もが好意的に私を迎えようとしてくれているようだった。
「ここの人にとって、お客さんは特別な存在なの?」
「まあね。地上の人たちは、この空中庭園のことなんて知らないだろう? だから誰も遊びに来たりしない。つまり、お客さんって珍しいものなんだよ」
「それなのに、接客係を置いてるのね」
「念のためだよ。現にこうして役に立ったし。……さあ、到着だ」
カラッとした夏の陽気に汗を浮かべつつ、アイザックさんが広場を手のひらで指す。
そこには、賑やかな光景が広がっていた。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 自由に見ていってね~」
「冷凍フルーツ、まだまだありますよ!」
「お次は人魚たちによる合唱です!」
屋台には見たこともない珍しい品々が並び、冷たい飲み物と食べ物が配られ、水辺では個性的なショーが行われている。
星形のオブジェが空に浮かぶ会場は、活気に溢れ、いかにもお祭りらしい非日常で満ちていた。ビタミンカラーの服で着飾った子どもたちが、笑い声を上げながら走り回っている。
「いい雰囲気ね。皆、とても盛り上がってるわ」
「オフィリアさんも楽しんでいってね」
アイザックさんが近くのテーブルから、冷製スープをグラスに入れて渡してくる。私はそれをほとんど一口で飲み干した。
あちこちに設置されたテーブルから様々な食べ物を調達しつつ、会場を見て回る。アイザックさんが屋台に置いてあったペンダントを手に取って、私の首にかけてくれた。
「似合うよ。チャームの宝石があなたの瞳みたいだ」
「残念ね。お金があれば買えるんだけど」
私は首からペンダントを外し、お店に返そうとした。でも、アイザックさんがそれを制止する。
「そんなものはいらないよ。好きなものを好きなだけ持って行っていいんだ」
「えっ……。この屋台の商品、皆タダってこと!?」
私は目を丸くする。
「お祭りだからって太っ腹すぎない?」
「別にお祭り限定の話でもないよ。……ところで店主。何か困り事は?」
「実は、昨日から庭の柵が壊れてしまってね……」
「分かった。明日にでも直しに行こう」
アイザックさんは私を連れてその場を離れた。なるほど、物々交換みたいなものなのね。
「ごめんなさい。私のせいで余計な手間をかけさせちゃったわね」
「あなたのためなら、荒ぶるワイバーンを乗りこなせと言われたってそうするよ」
アイザックさんは気にしたふうもない。私はくすぐったい気持ちで「ありがとう」と言い、もらったペンダントをじっくり眺めた。
チャームについているのは美しい紫水晶だ。アイザックさんには、私の瞳がこんな綺麗な色に見えてるのね。
ドキドキと鳴る胸を、私はペンダントごとそっと両手で包む。この短時間で、アイザックさんは私を喜ばせることばかりしていた。
「皆様、お待たせいたしました」
食事をしながらお祭りを見て回る内に、お腹もいっぱいになってくる。そんな折、会場全体に響くアナウンスが流れてきた。
「設備の不具合により閉鎖しておりましたステージの修復が完了しました。つきましては、ただ今よりステージを開放いたします」
「ステージ? 何か見世物でもするの?」
「いや、参加者たちが自由に踊るんだよ。行ってみようか」
アイザックさんに誘われるままに、会場の中心部に移動する。そこにあったのは時計塔だった。すっかり日が傾いて赤く染まった空を射抜くように、どっしりと建っている。
「あの塔の鐘が時報を鳴らしてるんだよ」
アイザックさんが説明してくれた。
その時計塔を囲むように音楽隊が陣取って、軽やかな舞踏用の曲を奏でている。
彼らの外側に設置されているのが、アナウンスで言っていた「ステージ」だろう。円の形をしており、水路や噴水に囲まれている。吹き上げられる水が夕陽に照らされてキラキラと輝いていた。
早くも何人かの参加者たちは踊り始めている。右の手に何か柔らかいものが触れる感触がした。視線をやると、私の手を握ったテオがいる。
「オフィリアさん、踊ろう! ちょっと借りていくからね、お兄ちゃん」
テオは兄の返事を待たずに、私をステージの上に誘った。最初は戸惑ったけど皆が踊っている中でぼんやり立っているわけにもいかないので、テオの手を取りながら周りの人たちの動きを見よう見まねで模倣する。
「上手い上手い!」
テオがくるりとターンしながら褒めてくれる。
「ダンスもおばあ様に習ったの?」
「もう少し大人しいのならね」
跳ね回るテオの動きに頑張ってついていきながら返事をする。
「こういう元気がいいのは初めてだわ!」
どうやらこのダンスは、次々と相手を変えていく趣向らしい。テオの次に私のパートナーになったのは、中年の女性だった。
「あなたがオフィリアちゃんね! 息子がお世話になっています」
「息子……?」
私は女性の美しい顔立ちを見てはっとなる。彼女の緑の目はアイザックさんとテオにそっくりだ。
「守り人一家の奥様ですか?」
「あらやだ! こんなおばちゃんに『奥様』だなんて!」
女性は年頃の娘のようにクスクスと笑った。どちらかと言えばテオに近い、溌剌とした性格をしているらしい。
「そのドレス、すっかり着こなしてるわね。踊る度に裾が揺れて、とっても綺麗よ。実はね、それ、私が若い頃に着ていたものなの」
「まあ、奥様が?」
「もう、その呼び方はやめてちょうだい! 『おばちゃん』で充分よ。それから……あら、パートナー交代の時間ね。続きは主人から聞いてちょうだい。彼のことも、『おじちゃん』って呼んであげてね」
私のダンスの相手が中年男性に変わった。まるで卵から手足が生えてきたような丸々とした見た目だ。頭の上には、銀髪が鳥の巣みたいにもじゃもじゃと生えている。
「礼を欠いた妻ですみません」
男性はもしゃもしゃの頭を申し訳なさそうに振った。
「テオからオフィリア殿の話は聞きました。親切にも、あの子をここへ送り届ける手伝いをしてくれたとか」
「特別なことはしていませんよ、おじさま」
「いえいえ、我々は感謝しているのです。本当はもっと早くお礼を言うべきだったのですが、このステージにちょっとした不備が見つかりまして。妻共々修理に駆り出されていたのです。その代わり、上の息子を使いにやりましたが……」
「アイザックさんが私のところへ来たのは、感謝を伝えるためだったんですか?」
「その様子では、あの子は自分の役目をすっかり忘れてしまったようですな。もっとしっかりしているかと思っていましたが、あれもまだまだのようです。それとも、用件を忘れるくらいの出来事でもあったのか……」
「……多分、後者の方だと思います」
苦笑せざるを得ない。「美」しか言えないんじゃ、お礼なんかできるはずもないわよね。
「では、今からでも任務を遂行してもらいましょう」
呆れながら、おじさまがダンスの相手を次の人に譲る。私の手を取ったのは、アイザックさんだった。
「オフィリアさんはダンスもできるんだな……」
アイザックさんは恍惚となっていた。
「この会場で、あなたが一番輝いているよ……」
アイザックさんは魂を持って行かれたような顔で私を見つめている。どうやら、お父様から任された仕事は頭からすっぽ抜けてしまっているようだ。
ちょうど音楽が止み、私たちはダンスを終える。ステージの外からは拍手や口笛が聞こえてきた。
「ちょっと休もうか」
「ええ」
すっかり息が上がっていた私は、ステージから降りて近くのベンチに座る。テオは踊り足りないらしく、まだ舞台の上にいた。
食べ物の乗ったテーブルから拝借してきたかき氷を一口含む。汗がすうっと引いていった。シロップの甘さと氷の冷たさが、火照った体を癒やしていく。
すでに夜になっていた。宙に浮かぶ星形のオブジェがランタンのように蒼白く光り、会場を闇の中から明るく照らし出す。その光景に見入っていると、ヒュゥゥ……と笛の音が聞こえてきた。
ドン!
大きな音がして、夜空にオレンジの光が舞う。花火だ!
ドン!
ドン!
いくつもいくつも輝く花が咲く。その度に、お祭りの会場はどんな明かりよりも美しく照らし出されるのだった。
「この聖域は本当に素敵なところね」
私は隣に座るアイザックさんに微笑みかける。
「私、ここに来られてよかったわ」
もらったペンダントを指先でいじりながら、私は花火を、ステージを、会場を、そしてアイザックさんの姿を目に焼き付ける。
時報の役目をしている鐘が二十回鳴った。
でも、もう初めに聞いた時のような怯えは感じない。私はこの鐘の音も、空中庭園の情景の一部として受け入れることができたのだ。
「行きましょう、アイザックさん。私、まだまだ見たいものがあるの」
ベンチから立ち上がり、はしゃぎ回る人々の間を歩く。この幸せな時間が、永遠に終わらなければいいのにと思いながら――。