ようこそ! 空中庭園へ!(2/3)
接客担当の妖精、パティちゃんは私をお客様用の湯殿へ連れていった。立派な館に隣接している白くて清潔感のある建物だ。
「ここのお風呂には、美肌の湯が使われているんですよ!」
パティちゃんは自慢げに言う。
「お客様がいない時は、住民が利用してもいいことになってるんです。おかげでアタシのお肌もつやつやに……! お客様は元から美人だけど、さらに美しくなりますよ!」
「ありがとう」
リップサービスだと思って、丁重にお礼を言っておく。パティちゃんは、るんるんと私の服を脱がせ始めた。それだけではなく、体も洗ってくれる気でいるらしい。
流石にそこまではしなくていいって言ったけど、まったく聞き入れてくれなかった。どうやら私のお世話ができるのが、嬉しくてしょうがないらしい。
「お客様はスタイルがいいですね~。髪も素敵な巻き毛です。美容には気を使ってらっしゃいますか?」
「……あんまり」
体付きなんて、気にしたこともなかった。だって、私が持っている服は色気なんかあったものじゃない質素なワンピースだけだし。そんな衣装じゃ、体型がどうこうなんて考えるだけ無駄だ。
それに体は毎日洗っていたけど、お世辞にも肌も髪も綺麗な状態とは言いがたかった。
特に髪なんて呆れるぐらいバサバサだ。「淑女は髪を伸ばすもの」というおばあ様の教えがなかったら、ばっさりと切ってしまいたいほどである。
そう言うと、パティちゃんは「せっかくここまで伸ばしたのに、そんなのもったいないです!」と首を激しく横に振った。
「アタシが何とかします! お客様を最高に磨き上げてみせますよ!」
気合いの入ったパティちゃんに、私は泡だらけにされてしまった。彼女は鼻歌を歌っている。
「これが終わったら、マッサージなんかもしましょうね~。それで、髪を整えてお化粧をして、ドレスアップです! 今、他の子たちがお祭りに相応しいお召し物を選んでくれていると思いますから! ふふふ……アイザックさんもさらにメロメロですね~」
「アイザックさん?」
「ほら、離発着場でお客様と熱心に見つめ合っていた……あれ? テオさんから何も聞いてないんですか?」
「まあね」
私が認めると、パティちゃんは「あらら」と言って、額に手を当てた。
「あの子、そういうところあるんですよね~。先走りしすぎるっていうんですか? でも、悪気はないから叱らないであげてくださいね」
「別に怒ってないわよ。ただ驚いてるだけ。まさか空の上にこんな場所があったなんて……。空中庭園っていうんだっけ?」
「そこからですか……。これは本格的に色々と説明しないといけませんね」
パティちゃんは私の体の泡を落とし、今度は髪に洗髪料をつけはじめた。清潔で清々しい匂い。それに、地肌に当たる指の感触が気持ちいい。
「おっしゃるとおり、ここは空中庭園。別名は聖域……サンクチュアリですね」
「サンクチュアリ……」
その響きに、私は言いようのない親近感を覚える。この場所にこうしてやって来たのは、偶然ではない……それこそ運命的な力が働いているような気さえした。
「ここには、地上ではまず見かけないような人たちがいるんです。アタシみたいな妖精でしょう? 後はドワーフにペガサス……」
「でも、人間もいるわよね? テオとか……アイザックさんとか」
何だか彼の名前を出すのが気恥ずかしかった。彼が私を特別視しているのは間違いないだろうけど……私の方も似たようなものだから。
「今、聖域にいる人間は四人だけですよ。テオさんとアイザックさん兄弟、それに彼らの両親。守り人一家です」
「守り人……聖域を守ってるってこと?」
「ええ、そのとおりです。この聖域を統べるご主人様の命を受けて、空中庭園の管理をしているんですよ」
「この聖域には、王様みたいな人がいるのね。……ああ、どうしましょう! まだご挨拶してないわ! きっととんでもない礼儀知らずだと思われてるわよ! こんなところでのんびりしている場合じゃないわ! 」
私は慌てて湯殿から出ようとしたけど、パティちゃんは「平気ですよ」と落ち着いた声を出す。
「ご主人様は今はいませんから、挨拶なんてする必要ないです」
「ああ、お留守なのね。でも、それならそれで不在中に無礼にも押しかけたってことになるんじゃ……」
「そんな心配もありませんよ。なにせ、守り人が直接招いたんですから。それにしても、お客様は本当に礼儀正しいですね~。育ちのよさが伝わってきます!」
「そうかしら?」
と言いつつも微笑んでしまう。自分だけじゃなくて、私を養育してくれたおばあ様のことも褒められたような気がしたから。
「この空中庭園は、ずっと昔にご主人様の祖先が作ったものなんです。元は地上にあった土地を、魔法の力で浮遊させたとか。その際、たくさんの魔法の種族も一緒にここへ来たんですって。皆、本能で分かってたんでしょうね。どこが自分にとって住みやすいのかを」
ここは楽園なんです、とパティちゃんは付け足す。
「お客様もきっと気に入りますよ!」
「ええ、私もそう思うわ」
社交辞令ではなく、本心からそう答えた。私はこの地に一歩足踏み入れただけで、ここが好きになってしまったのだから。
丁寧に体を洗われた後は全身のマッサージを受け、私はすっかりリラックスしていた。バスローブを羽織って、次に通されたのはパウダールームだ。
眩しいくらいに明かりがついていて、壁のほとんどは鏡張りになっている。体中余すところなくチェックができるようにとのことなんだろう。
どこを見ても私の赤紫の瞳が見つめ返してくる光景は、何だか面白い。でも、それ以上に興味を引かれたのは、壁際のスタンドにかけられた服だった。
丈の長いベアトップのドレスだ。着心地のよさそうな布地は紺色から鮮やかな群青色にグラデーションしており、ところどころに金色のラメが散らされていた。
それだけだとシックな雰囲気だけど、ふんわりと広がった裾には柔らかなモスリンのレースがふんだんにあしらわれており、みずみずしい華やかさを演出している。
「素敵なドレス……」
「お客様のために用意したんですよ!」
パティちゃんが鏡台の椅子を引きながら言った。
「新品じゃないのが申し訳ないんですけど……。でも、これが一番似合いそうだと思ったんです!」
「これ、私の衣装だったの?」
椅子に腰掛けつつ、改めてドレスを眺めた。
「私、こういう服は今まで着たことがないの。本当に似合うかしら……?」
「それはすぐに分かりますよ!」
パティちゃんが私の顔に白粉をはたいていく。
「お客様は大人っぽい雰囲気ですからね~。お化粧も落ち着いた感じにしましょう。まなじりの辺りには差し色を入れましょうね。綺麗な目を強調するんです! すごく華やかに見えますよ!」
「目を強調? 私、ただでさえちょっと目元がきついと思うけど……」
「そうですか? お客様の凜とした美しさに花を添えていると思いますよ?」
パティちゃんのお化粧が終わると、鏡の向こうからは見たこともない私がこちらを覗き込んでいた。
パティちゃん、とってもメイクが上手だ。今の私、びっくりするくらい垢抜けてるわ。目元も心配したほどどぎつくないし。それどころか、パティちゃんの言うように「すごく華やか」な仕上がりだった。
「次は髪ですね~」
パティちゃんがヘアブラシで私の髪を梳いていく。いつもはギシギシの長髪は、しっかりと手入れされたお陰で艶やかな光を放っていた。
「色々とヘアアレンジも楽しみたいところですが、このままでも充分ですね。このハチミツ色の髪が風になびいているところを想像するだけで、キュンとしちゃいますもん!」
パティちゃんは私の髪を念入りにくしけずっただけで、それ以上手を加えようとはしなかった。ドレスに着替え、私たちはパウダールームを後にする。
建物の外に続く出口の近くで、私はパティちゃんと別れた。
「支度は終わった、オフィリアさん?」
屋外で待ち構えていたのはテオだった。私の姿を上から下まで眺め回し、「すごい!」と頬を上気させる。
「輝いてるって感じだよ! 夏祭りにぴったり! お兄ちゃんもそう思うよね?」
え、アイザックさんもいたの? 一体どこに?
と思っていたら、近くの植え込みの中から声がした。
「輝きすぎてるだろ。直視したらダメなタイプの光じゃないか」
「……アイザックさん?」
「綺麗な人が僕の名前を呼んでいる!? 幻聴か!?」
「幻聴じゃないよ! ほら、いつまでも動揺してそんなところに隠れてない!」
テオに無理やり手を引かれ、アイザックさんが植え込みから出てきた。涙目で私を見つめながら、口元に手を当てる。
「美……」
私の姿をまともに見たアイザックさんは、感動のあまり一言しか発することができないようだった。ハンカチを目元に当てながら、もう少し何か言おうと必死になっている。
「綺麗な人……美……美……」
結局、語彙力は戻って来なかったみたいだ。テオが肩を竦めながら「ごめんね」と謝った。
「普段はもう少しまともなんだよ。でも、お兄ちゃんってクールそうに見えて、意外と情熱的っていうか感受性が強いからさ」
「気にしてないわ。後、私の名前はオフィリアよ」
最後の自己紹介はアイザックさんに向けて言ったんだけど、結果は彼のセリフが「オフィリアさん……美……美……」に変わっただけだった。
「お兄ちゃん……もっとちゃんと話せるようにならないと、オフィリアさんに愛想尽かされちゃうよ」
テオが指笛を吹くと、向こうから一頭のペガサスが走り寄ってくる。テオはその背にひょいと飛び乗った。
「じゃあ、ボクは先にお祭りの会場に行ってるから! 二人は後からゆっくり来てね!」
「待ってくれ、テオ! 実はさっきから胸が苦しいんだ! 病気かもしれない! 医者を呼んできてくれ!」
「そういう病気はお医者さんじゃ治せないよ」
テオはそれだけ言い残すと、飛び去ってしまった。アイザックさんは「うう……」と唸る。
「僕は不治の病にかかってしまったのか……?」
「……そんなに心配しなくてもいいと思うわ。さあ、案内して」
「わ、わかっ……分かった、オフィリアさん……」
テオの忠告が効いたのか、アイザックさんは懸命に普通に話そうとしているようだった。
「会場……中央の広場……広い……広場……」
すぐには上手くいかなかったけど、緑が生き生きとした小道を並んで歩きながら会話を重ねる内に、アイザックさんも段々と落ち着いてきたらしい。「ふう……」と大きく息を吐く。
「夏祭りでは色々な出し物が出るんだ。もちろん、たくさんの料理も。テオから聞いたよ。今朝からろくなものを口にしてないんだろう? 好きなだけ食べてくれ」
「わあ、嬉しい!」
私が歓声を上げると、アイザックさんは目を細める。
「オフィリアさん……僕に愛想が尽きてない……よな?」
「ないわよ」
「そうか。間に合ったな……」
どうやらアイザックさんは勝手に謎のタイムリミットを設定していたようだ。そんなに心配しなくてもいいのに。
でも、それだけアイザックさんは私に好意を抱いてくれているということなんだろう。その事実に、私は浮き立つような気持ちになった。