竜を救え、聖域を守れ、種を植えよ(1/1)
視界が急に晴れる。気が付けば、私は時計塔の鐘の傍に立っていた。
「それからもう一つ」
すぐ近くには私に背を向ける格好でアイザックさんが立っている。床から伸びる音声収集の装置に向かって、終わったと思っていた演説の続きをしていた。
「オ゛フ゛ィ゛リ゛ア゛さ゛ん゛、は゛や゛く゛か゛え゛っ゛て゛き゛て゛ぇ゛!」
「アイザック、後ろ後ろ!」
「と゛こ゛へ゛と゛は゛さ゛れ゛た゛の゛か゛、し゛ん゛は゛い゛て゛し゛ん゛は゛い゛て゛ぇ゛!」
「だから後ろだってば!」
すっかり泣き濡れているアイザックさんには、中央広場に集まった住民たちの声なんか届いていないようだった。
さっき格好よく「団結せよ!」とか言っていた人と同一人物とはとても思えない。……まあ、アイザックさんらしいと言えばらしいけど。
「オ゛フ゛ィ゛リ゛ア゛さ゛ぁ゛ん゛! お゛つ゛れ゛の゛か゛た゛か゛、と゛け゛い゛と゛う゛て゛お゛ま゛ち゛て゛す゛ぅ゛!」
「はいはい」
私はアイザックさんの肩にぽんと手を置いた。振り返った彼の顔は予想通り涙でびしょびしょだ。
「これ使って? せっかくの美形が台無しよ?」
「オフィリアさん! オフィリアさんだ!」
アイザックさんは私が手渡したハンカチで急いで顔を拭きながら、さっきまでの憂鬱を一瞬で吹き飛ばしていた。
「皆、オフィリアさんが帰ってきたぞ!」
アイザックさんは群衆に向かってガッツポーズをした。でも、私の存在などとっくに察していた皆は苦笑するしかないようだ。
冬祭りの片付けはまだ終わっていないらしいけど、眼下には守り人たちの姿もある。
一家は、作業の手を止めてアイザックさんの演説を聞いていたみたいだ。でも、彼のひどい泣き顔は見るに耐えないと思ったのか、視線は明後日の方向を向いている。
「アイザックさん、分かったのよ。聖域の危機を回避する方法が! ……チェルシー、いる!? 今から、あなたの部屋に入るからね!」
集音装置に向かって叫ぶと、私は時計塔の階段を降りた。アイザックさんがそれに続く。
いや、アイザックさんだけじゃなかった。地上へ続く扉が開き、そこから広場に集まっていた人たちが塔の中に入ってくる。彼らも私に着いてきてくれたのだ。
皆は約束を違えなかった。聖域のため、そして私のために、早くも行動を起こしてくれているんだ。
「ご主人様、チェルシーの部屋で何をするつもりじゃ?」
チェルシーが後ろから追いついてくる。私は彼女に笑いかけた。
「引っ越し先、考えておく方いいわよ」
私たちは地下部屋に入室した。
どこが適当かしらと思ったけど、無難に部屋の中心にするべきだろう。私は力がありそうな住民に頼み、ベッドを退けてもらった。
でも、まだ問題がある。床の絨毯だ。私は「これ、剥がして!」と指示を出した。
「ご主人様! 何故チェルシーの部屋を壊すのじゃ!?」
「ここが未来を開く扉に繋がっているからよ」
――全てが始まった場所に種を植えろ。
ブライスはそう言っていた。全ての始まり。この聖域を空の楽園として成り立たせている場所。それがここだ。
ここは、昔は飛行の魔法石の保管場所だった。そして今は、空中庭園に魔力を供給している竜の住処なのだから。
絨毯の一部が剥がされ、硬い土の地面が覗いた。私はそこに穴を掘る。そして、指輪の台座から琥珀色の種を強引に外した。
その種を穴に入れ、土をかけて埋める。
まるでこの瞬間を待っていたかのように、変化は瞬く間に起こった。
ぴょこん、と音が出そうな勢いで土から芽が出る。芽はあっという間に成長し、私の膝くらいまでの高さの低木になった。
茂っているのは青々とした葉。私が近くのテーブルに置いてあった水差しの中身をかけてあげると、みずみずしいその葉はさらに生き生きとしたように見えた。
「ご主人様、この植物、妙じゃぞ!」
チェルシーが怪訝な声を上げる。
「こやつ、魔力を放出しておる! しかも、かなりの量じゃ!」
「魔力を?」
「ほうほう、これはこれは……」
私とチェルシーの会話に割って入ってきたのは、植物研究所の職員さんだった。木によく分からない装置を当てながら、好奇心に溢れた顔をしている。
「この木は周囲の様々なエネルギーを使って、別のものを合成しているようです。チェルシーさんの分析通りなら、魔力を作り出しているようですな!」
「魔法を生み出す植物……」
私は口元に手を当てた。
「じゃあ、この木の力を借りれば……」
「ダメじゃ、ご主人様。確かにこの木は多量の魔力を放出してはおるが、チェルシーが普段から供給している量と比べればまだまだじゃ」
「じゃあ、もっと植えたらいいんじゃない?」
テオが葉の間から何かをもいだ。琥珀色の物体だ。もしかして種? いいえ、木の実って言うべきかしら?
どちらにせよ、指輪にはまっていた飾りと同じようなものが、枝からたくさんぶら下がっているのが見えた。
私は住民と協力し、部屋の絨毯を全て剥がしてその種を植えていく。作業が終わると、辺りは小さな森のようになった。
チェルシーが呆然と呟く。
「なんという魔力量じゃ……。ただの木のくせに、ドラゴンのチェルシーよりも多くの魔力を発散するなど生意気な……」
「チェルシーが発散している魔力量よりも多い?」
私は彼女のセリフをオウム返しにする。不意に、チェルシーは何が起こったのかを呑み込めたようだ。その小さな体が震え始める。
「ご主人様……チェルシーは……」
「もう聖域に魔力を供給しなくてもいいってことよ!」
私は彼女を抱きしめた。
「チェルシーが魔力を注ぎ込まなくても、もう空中庭園は地上に落下なんてしない! 私たち、やったのよ!」
チェルシーはわっと泣き出した。
「ご主人様、チェ、チェルシーは……本当は地下でなど暮らしたくなかったのじゃ! じゃが、この空中庭園を守れるのはチェルシーだけ……。だから……」
「分かってる、分かってるわよ」
初めて吐露したチェルシーの本心を、私は柔らかく受け止めた。
チェルシーはまだ泣いていた。けれど、それは悲しみによるものではなかった。
彼女の歓喜は、周囲にも伝播していく。
「俺たち、やったのか?」
「聖域を救ったんだ!」
「オフィリアさんが希望だった! 本当に本当に希望だったんだ!」
健闘を讃え合いながら、地上に出る。
太陽はすでに落ちていた。街灯の光が聖域を照らし、闇の中に幻想的な陰影を作り出している。
時計塔の鐘が鳴った。それが聖域中に時を告げ、同時に魔力を供給する。もしかしたらその中には、もうあの魔法の植物が作り出した力も含まれているのかもしれない。
「のう、ご主人様」
チェルシーが私の服を引っ張る。まだ涙の跡は残っていたものの、その顔には笑みが浮かんでいた。
「チェルシーの新しい仕事、見つけてくれんか?」
その言葉に対し、私は「もちろんよ」と返したのだった。