君じゃなきゃダメだったんだよ(1/1)
しかし、花影島の研究所の職員さんに精霊が描いてくれたイラストを見せても、思ったほどの反応はなかった。岩窟島の魔法石研究所でも言われた「一度持ち帰って調査いたします」をここでも聞くことになってしまう。
「……もっと別の手段を考える必要があるな」
本島に戻る途中、空中橋を歩きながらアイザックさんが言った。
「別の手段って? 研究所の職員さんに聞いても分からなかったのに……」
「専門家だってたまには何か見落としたりすることもあるだろう? こういう時は人海戦術だよ」
「つまり、聖域の住民に問題の植物を見ませんでしたか、って聞くってこと?」
「そのとおり。研究者じゃなくても、植物に詳しい人もいるからね」
なるほどね。地道な手段だけど、今はそれくらいしか採れる方法がないか……。
と思ったけれど、アイザックさんのセリフに何か引っかかるものを感じる。研究者じゃなくても、詳しい人……?
「詳しい人、おばあ様……?」
私は、指輪の石の正体を突きとめる方法は、精霊に話を聞くことだけだと思い込んでいた。でも、まだ手はある。
前の指輪の持ち主……おばあ様なら何か知ってるんじゃないかしら?
「アイザックさんは皆に話を通しておいて!」
ぶち当たった壁を乗り越える方法を見出し、私の心は浮き立っていた。
「私、ちょっと宝物庫まで行ってくるから! そこでおばあ様に……」
「オフィリアさん! 足元!」
アイザックさんが叫ぶのと同時に、私の体がぐらりと揺れる。この感触、前にも味わったことがある。神出鬼没の瞬間移動魔法、ポーターだ!
気付いた時には、辺りの風景は一変していた。前も後ろも右も左も真っ白。どこか空気も湿っている。
どうやら私は霧の中にいるようだった。
「……白霧島?」
ポーターは行き先をしっかり頭に思い浮かべ、なおかつ口に出さないと目的地まで連れて行ってくれない。
私がポーターを踏んだ時に考えていたのは宝物庫のことだったけど、転送の条件を満たしていなかったせいで、おかしなところへ飛ばされてしまったらしい。
まあ、知っている場所でよかったと思うべきかしら。さて、のんびり油を売ってないで、さっさと本島に帰らないと!
でも、ここって白霧島のどの辺りかしら? 霧が濃すぎて、辺りの様子が全然見えないわ……。
その場に立ち尽くしていると、不意に歌が聞こえてきた。
「開け 幸せの扉
カギを開けよ カギを開けよ
答えはあなたの手の中に
眠れる幸福 思い出してごらん 何度でも」
おばあ様の子守歌だ。そうだ。前に白霧島を訪れた時も、この歌を聞いたんだった。
――あの霧が人を惑わすなら、それは目的あってのことじゃ。
チェルシーはそう言っていた。
この声は、恐らく霧が作り出した幻だ。でも、霧は意味もなくそんなことをしているわけじゃない。チェルシーの言うとおりならば、何かを私に伝えようとしているんだ。
前に霧の中で歌っていたのは女の子だったけど、今回は男性だ。鼓膜に絡みつくような低くて甘い掠れた声。こんな霧の中より、劇場で聞く方がよほどぴったりだと思えるような美声だ。
幻の歌声はまだ続く。
「開け 未来への扉
種を植えよ 種を植えよ
答えはあなたの手の中に
空の楽園 きっと帰る場所 いつの日か」
これって……もしかして子守歌の続きの歌詞? この歌、二番があったの? 今初めて知ったわ。
私は声が聞こえてきた方に一歩踏み出す。すると、岩に腰掛けている人影が霧の中に浮かび上がってきた。
無精ヒゲを生やした四十歳くらいの男性だ。癖のある黒髪が目元に優雅な影を作っている。垂れ目でどことなく気怠そうな雰囲気を放っているけれど、それがかえって彼の色っぽさを引き立たせていた。
「アンコールはいかがかな?」
さっき歌っていた人と同じ声だった。私は「あなたは誰?」と尋ねる。
「知ってるくせに。おじさんは君の一部だよ」
くくく、と男性は笑う。私は彼の正体を直感的に悟った。
「あなたはブライスね? 千年前の聖域の主の……」
「君はオフィリアだね。現在の聖域の主人だ」
ブライスの口元に優しい笑みが浮かぶ。孫を見る老人のような表情だった。
「あなた、歌が上手なのね。この子守歌に二番の歌詞があったなんて知らなかったわ」
「ありがとう。音楽、好きなんだ」
ブライスは軽くハミングした。
「二番の歌詞は私のもっと後の世代の者が作ったものだよ。なのに、どうしておじさんが知っているのか疑問に思うかい?」
「思わないわ。あなたは幻の存在だもの」
「そのとおり。オフィリアは物分かりのいい子だね。おじさんは、地上に降りて以降の主人たち全員の代表でここにいるんだよ。彼らの代弁者みたいなものかな」
「じゃあ教えて。この指輪の石のこと」
私は形見の指輪を見せる。
「それに、子守歌の二番の歌詞は何なの?」
「質問には一個ずつ答えていくね」
ブライスはウインクした。
「まずは歌について。あれは、重要なことを忘れないために、元からあった子守歌に付け足す形で作ったんだ。それなのに、受け継がれなかったのは少し残念だね。まあ、元の歌だけでも伝わってよかったかな。一番の歌詞、オフィリアは何を意味していると思う?」
「宝物庫の開け方でしょう?」
「正解。自力でそこまで分かったのなら、二番の歌詞についても推測できるんじゃないかな?」
「……あなたって意地悪なのね」
私は思わずむくれてしまった。
『開け 未来への扉
種を植えよ 種を植えよ
答えはあなたの手の中に
空の楽園 きっと帰る場所 いつの日か』
私は先ほど知ったばかりの歌を思い出す。
「未来への扉……。未来って誰の? 主人の未来?」
「もしくは聖域の未来かも」
「種を植えよ、ねえ……。一体何の種かしら?」
「未来への扉を開く種かもよ」
「答えは私が握っているの?」
「というより、つまんでいるね」
「最後の歌詞は、私たちが聖域の主の血筋だってことと、任務を忘れないで、ってことね」
「当たり。君は頭がいいね」
意地悪とか言ってしまったけど、蓋を開けてみればブライスは激甘だった。ほとんど自分で答えを喋ってしまっている。
それにしても、「答えは私がつまんでいる」ってどういうこと? 今私が持っているのは形見の指輪だけよ?
「オフィリア、前言撤回。質問には一つずつ答えていくって言ったけど、まとめて回答した方が早そうだ。この子守歌は、二番も一番と同じで指輪について歌ってるんだよ」
「じゃあ……この指輪が未来を切り開くってこと? そのための種? ……どういうこと? ……あっ。ちょっと待って……」
私は目を瞑り、額を押さえた。脳が目まぐるしく回転しているのが分かる。
「指輪の石は石じゃない。もしかして、種……?」
私は木の精霊が描いてくれたイラストをポケットから取り出した。
土の精霊は、これは魔法石ではないと言った。でも、木の精霊に言わせれば特別なものらしい。
魔法石は、地上の人は存在すら知らない品。でも空中庭園の住民だって、全ての魔法のアイテムを把握しているわけじゃない。
だったら、私の祖先が地上にいる間に新しく見つけた魔法具があっても、おかしくはないんじゃないだろうか?
例えば、この指輪の石がそうだったりするとか。
「この石は種。魔法の種。これが聖域の未来を切り開く。それはつまり、この空中庭園をいつまでも空の楽園にしておけるということ。要するに……これは飛行の魔法石に代わる品! 代替品だわ!」
私は動悸が速くなるのを感じていた。
「精霊が言いたかったのは、何か植物を探して来いってことじゃなかったのよ! これは植物の種だと伝えたかったんだわ! 『種を植えよ』よ!」
私は興奮のままにまくし立てていたけれど、ふと疑問が湧いてくる。
「でも、どうしてこの種が魔法石の代わりになるのかしら? これを植えたらどうなるの?」
「それは試してみてのお楽しみ」
ブライスは愉快そうに言った。
「もうおじさんが教えることは何もないよ。知っていることは全て話したから……」
「皆、守り人のアイザックだ。この空中庭園に住まう全ての住民に話したいことがある」
不意に、辺りに大きな声が響いてきた。これは……アイザックさんが時計塔から聖域全体にアナウンスを流しているのね。
「あなた方は、今オフィリアさんが何に立ち向かっているかをご存知だろうか? 彼女は空中庭園の危機に救いの手を差し伸べようとしている。皆も知ってのとおり、この聖域は何の犠牲も払わずに存続しているわけではない。放っておけば、この空の楽園はやがて地上へ落下してしまう。それを回避するため、人身御供として捧げられたのは幼い竜の少女だった」
私もブライスもアイザックさんの演説に聴き入っている。
確か、アイザックさんは人海戦術をとればいいと提案していた。
私には、「植物に詳しい人だけに話をしてみる」って言っていた気がするけど……。気が変わったのか、その対象を空中庭園の住民全員にまで拡大するなんて、随分と大胆な手段に出たものだ。
「そのことを知りながら、千年間も我々はこの歪みを放置していた。それは何故か? 聖域の主がいつか全てを何とかしてくれると楽観視していたからだ。だが、もうそのような他人任せはやめにするべきだ。立ち上がるのなら今だ。団結せよ、行動を起こせ。我々の未来は己の手でつかむのだ。我らの主であり隣人であるオフィリアさんの元に集え。彼女こそが希望だ。我々が千年待って、ようやくつかんだ希望なのだ!」
アイザックさんの力強い演説は終了した。けれど、放送はまだ終わっていない。ざわめきが聞こえ、やがてそれが明瞭な声となる。
「オフィリアさんが手助けして欲しいっていうのなら、そうするよ!」
「私なんかに空中庭園の危機は救えない……。……で、でも、オフィリアさんのお手伝いくらいなら!」
「何でも言ってよ、オフィリアちゃん!」
流れてきたのは、住民からの意思表示の声だった。もしかして、中央広場に集まった人たちのもの? 皆、私を助けてくれようとしているの?
「これは驚いたな」
ブライスは目を見張っていた。
「この空中庭園の住民は、いつからこんな気概を身につけたんだ? 千年も経てば、人は変わるのかねえ……。……それとも、相手がオフィリアだからかな? 君は一体何者なんだい?」
「私は私よ」
胸を熱くしながら、私は自信たっぷりにそう言い切った。
「貧民の出身であり、守り人であり、聖域の主。今まで経験したその全てが、私を私でいさせてくれるの。無駄なことなんて何にもない。私はオフィリア。それが全てよ」
「なるほど。道理でここに帰って来られたわけだ」
ブライスは目を細めた。
「私も、オフィリアがいなければここに戻ることはできなかっただろう。君は君自身だけではなく、ついに故郷を見ることが叶わなかった歴代の主人全てをこの場所に連れてきてくれたんだよ。その血に宿る記憶と意思を通じてね」
私の周りに、モヤのような多数の人影が現われる。一瞬で消えてしまったけれど、私にはそれがブライスの言った「故郷を見ることが叶わなかった歴代の主人」なのだと分かった。
「ただの主では、この聖域は救えなかった。君じゃなきゃダメだったんだよ。……さあ、行くんだ、オフィリア。全てが始まった場所に種を植えろ。未来の扉を開いて来い!」
「もちろんよ!」
私は霧の中を駆け出した。