聖域は私が守ります(2/2)
そう思ったからこそ、その後の調査の進展が特になくても、私は落ち込んだりしなかった。それはアイザックさんも同様のようだ。
「心配しなくても、オフィリアさんならいつかは解決の糸口をつかめるよ。あなたは前にも聖域の危機を救ってくれたんだ。嵐の日のこと、覚えてるよね? オフィリアさんのお陰で清風島は墜落せずに済んだ。今回は、あの時の事件の規模がさらに大きくなっただけ。だから、絶対に平気だ」
「それに、アイザックさんが手伝ってくれるものね」
気になった資料をいくつか持って、十二回鳴る時報の鐘を聞きながら、私たちは昼食を取りに一旦守り人の館へ帰還する。
おじさまたちはまだ冬祭りの片付けが終わっていないらしく、帰宅していなかった。アイザックさんと二人で簡単な料理を作り、食卓につく。
「魔法石って、本当に色々な種類があるんだな」
アイザックさんは食事をしながら私が持ってきた『魔法石全集』に目を通していた。
あんまりお行儀はよくないけど、私の手伝いの一環だろうから大目に見ることにしよう。
「前に魔法石の研究をしている住民が教えてくれたことがある。僕たちが把握している魔法石の種類は、全体のほんの一部に過ぎない、と。地上の人たちなんて、魔法石の存在すら知らないくらいだしね」
「初めて空中庭園に来た時、ここってなんて不思議なところなんだろうって思ったけど、地上も案外似たり寄ったりなのかもね。違いは、そこに住んでる人がそのことに気付いているかどうかっていうだけで」
私はじっと考え込む。
「私、ずっと考えていたの。飛行の魔法石は地上にしかない。しかも消耗品。だったら、私の祖先がそれを見つけたとしても、空中庭園で使う内にいつかはなくなってしまうわ。そうなった場合、また地上まで取りに行かないといけない。でも、この石は貴重なものだから手に入れるのはとても苦労する……」
私は『魔法石全集』に視線をやった。
「だったら、他のもっと手に入りやすい魔法石の中から、代替品を探す方がいいんじゃないかしら?」
「代替品か……」
アイザックさんは感心したように呟いた。
「悪くない考えだね。よし、魔法石の研究者に話を聞いてみよう。研究所の場所はどこだったかな……調べておかないと」
昼食を終えた後、アイザックさんは地図を取りに行った。手持ち無沙汰になった私は、『魔法石全集』をパラパラとめくる。
アイザックさんの言うように、確かに魔法石には色々な種類があった。見た目も様々だ。一見しただけでは特殊な力があるなんて分からないものもたくさんある。
「あっ……」
背筋に電流が走ったような衝撃を覚えた。私は本を抱えて二階に上がり、自室へと転がり込む。
そして、アクセサリー箱からおばあ様の形見の指輪を取り出した。
これは私が祖先から受け継いだ数少ないものの内の一つだ。この指輪には、宝物庫のカギをしまっておくという隠れた役割があった。
でも、それだけではないとしたら? まだ私の知らない使い方があるんじゃないだろうか?
私は猛烈な勢いで『魔法石全集』のページをめくる。思考が過熱していたせいで、アイザックさんがドアをノックしてもすぐには気付かなかったくらいだ。
「オフィリアさん、入るよ? 研究所は岩窟島にあるみたいだ。……何してるんだい?」
「指輪よ!」
私の声は興奮で高くなっていた。
「おばあ様の指輪! ここに石がついているでしょう? これが魔法石じゃないかと思って!」
「指輪の石が魔法石……?」
「祖先も私と同じことを考えたのよ! 飛行の魔法石は貴重品! だから、もっとありふれた魔法石を使おう、って! この石がきっとそうなんだわ!」
私は『魔法石全集』を閉じる。ここには指輪の石と似たものは載っていなかった。
「アイザックさん! 早く研究所へ行きましょう! 岩窟島だったわね!?」
「う、うん、そうだよ」
私の勢いに気圧されているアイザックさんを連れ、目的の場所に向かう。
客間に通され、ベテランっぽい職員さんに石を見せた。
職員さんはそれを虫眼鏡で覗いたり、光にかざしたりする。私はドキドキしながらその様子を眺めていた。
けれど、彼の鑑定結果は私の期待を裏切るものだった。
「これは魔法石ではありませんね」
職員さんは丁重な仕草で指輪を返す。肩透かしを食らった私は、「ええっ!?」と大声を上げてしまった。
「魔法石じゃない!? じゃあ何なんですか!?」
「専門外ですので分かりかねます」
職員さんは申し訳なさそうに言った。
「とにかく、魔法石ではないということは確かですよ。石のことなら、土の精霊に聞くのがよろしいかと」
「土の精霊ってどこにいるんですか?」
「それに関しても門外漢ですので……」
職員さんはペコペコ頭を下げる。
それならばと、彼の専門の方に話を移すことにした。飛行の魔法石の代替品についてだ。
「それは……難しい問題です」
職員さんは慎重な口調になる。
「一度持ち帰って調査いたしますので、お返事は後日ということでよろしいでしょうか」
「分かりました」
多分だけど、あまり期待しないで待つ方がいいだろう。私とアイザックさんは研究所を出た。
「今度は、土の精霊に話を聞きに行きましょう。アイザックさん、彼らがいる場所分かる?」
魔法石ではないようだけど、私はまだ指輪の石が特別なものかもしれないという希望を捨てていなかった。
アイザックさんは「そうだな……」と困った顔になる。
「精霊は空中庭園の住民の中でも自然に近い存在だからね。決まった住所がない者も多いんだよ」
「ご主人様ぁー!」
大声と共に、チェルシーが私に突進してきて腰にまとわりついた。生き生きとした顔をしている。
「冬祭りの片付けを手伝わなかったんじゃな! ご主人様もようやっと己の本分に目覚めたというわけか! それでこそ聖域の主じゃ! 今は散歩中か? ああ、こんなにも立派に主らしくなって! チェルシーも供をするぞ!」
チェルシーの喜びようときたら、赤ちゃんが初めて立った瞬間に居合わせた親のようだった。
すっかり有頂天になっているチェルシーに本当のことを言うのは何だか申し訳ないけど……、勘違いされたままの方がよくないわよね。ここは正直に話してしまおう。
「私たちね、これから土の精霊に会いに行くところなのよ」
「土の精霊? 何のためじゃ?」
「お前のためだよ」
アイザックさんがチェルシーを顎でしゃくった。
「オフィリアさんはお前を助けようとしてるんだ。感謝しろよ?」
「チェルシーを助ける? どういうことじゃ?」
「私、あなたにもっとまともな日常を送って欲しいの」
私はチェルシーの頭を撫でてあげる。
「チェルシーは一日の大半をあの地下部屋で眠りながら過ごしている。でも、本当はそんなことを望んでいないんでしょう? だったら、私はそれを何とかしてあげたい。あなたの力を借りなくても、聖域を存続させる方法を見つけたいの」
「ご主人様、まさかブライスと同じことをしようとしているのか? 地上へ行こうと考えている?」
「そうしないといけないならね」
チェルシーの顔が青ざめた。私は彼女の不安を和らげようと「そんなに心配しないで」と言う。
「私ね、もしかしたら飛行の魔法石の代わりになるものを見つけたかもしれないの。おばあ様がくれた指輪の石よ。これには特殊な力があるかもしれない。そのことを確かめるために、石に詳しい土の精霊に話を聞きに行こうと思っているの」
「その指輪の石が何もかも解決してくれると分かれば、ご主人様は地上へ行かないんじゃな? 何があっても行かないんじゃな?」
チェルシーが私の服をぎゅっとつかんだ。
「チェルシーはご主人様がいなくなってしまうのは嫌じゃ。どうしても嫌なのじゃ」
「チェルシーは私だけじゃなくて、歴代の主人のことも大好きだったのね」
私は膝を折り、チェルシーと目線の高さを合わせた。
「だから、どこかに行ってしまうと落ち着かなくなる。私も同じよ。チェルシーがいないと寂しいの」
「チェルシーはどこにも行きはしないぞ。ずっと地下におる」
「あそこは空中庭園の日常とは隔絶された場所よ。チェルシーも言っていたじゃない。『楽しくも何ともない場所』って」
「……」
「ひとりぼっちってどういうことだか、私にはよく分かるわ。祖母が亡くなった時や、主の館に住んでいる時に味わったあの感覚。この世界から切り離されたような疎外感。辛いわよね、本当に。もしチェルシーがあの時の私と同じように感じているとしたら、どうにかしてあげたいのよ。私なら、きっとそれができるから」
「ご主人様……チェルシーは……」
チェルシーは飴色の瞳を伏せた。
「聖域の危機を救うのはご主人様の務めじゃ。だから、それはチェルシーには止められぬ。じゃが……」
「チェルシーが何を言おうと、私は自分のしたいようにするわよ」
私はわざと暴君のような口調で言った。
「分かるでしょう? 私は何度チェルシーに守り人の仕事をするなって注意されても、言うことを聞かなかった。それと同じよ。地上へ行かないといけないのなら行くわ。どんなに反対されてもね」
「……ご主人様は本当にきかん坊じゃ」
チェルシーは口をすぼめた。
「歴代の誰よりも頑固で自由で魅力的で皆に愛されて……とてもではないが、チェルシーの手には負えんわい」
チェルシーは私に道を譲るように横に退いた。
「もしご主人様が地上へ行こうとしたら、チェルシーはドラゴンになって追いかけて連れ戻すからな」
「それは無理よ。私、逃げ切る自信があるもの。競飛チャンピオンを甘く見ちゃダメよ?」
軽口を叩き、私はその場を後にする。アイザックさんは「オフィリアさんの気概には驚かされてばかりだよ」と瞠目していた。
「地上へ行ってもいいって、本当に思っているのかい?」
「最終手段だけどね」
この聖域を離れるのは私だって避けたい。それに伴う様々な別れのことなんか考えたくもないから。
だけど、その悲しみに向き合わなくちゃならない時が来たら、きちんと受け入れるつもりだ。
それに、私はブライスとは違う。行ったきり帰って来ないなんてこと、絶対にしない。必ず目的は達成して、この第二のふるさとへ戻るんだ。
……でも、それはもしも時の話だ。今は、この空中庭園でできることをしないと。
「土の精霊を見つけなきゃいけないのよね」
私はやるべきことを再確認しながら、指輪を手のひらの上で転がした。
「でも、居場所が分からない、と。どうしようかしら……」
「精霊のことなら同族に聞くのが一番かもね。でも、精霊に知り合いなんて……」
「いるわ!」
私は声を弾ませると急いで主の館へ戻った。執事のトッドを呼び出す。
「リィィィン」
トッドは今日も川の精霊と一緒だ。「何があったんだよ」と目を白黒させるトッドにアイザックさんが事情を説明する傍ら、私は精霊に交渉を持ちかける。
「あなたの力を借りたいの。知り合いに土の精霊はいる? もしいたら、この指輪の石について教えて欲しいのよ」
「リィィン!」
精霊は小さな首をコクコクと動かすと、窓を開けて外へ出て行った。帰ってきたのは、それから三十分くらいしてからのことだった。
「これはまた随分と協力者が増えたもんだな」
トッドが呆気にとられている。川の精霊は十人以上の仲間を連れてきたんだ。
「土の精霊だけじゃなくて、火の精霊に風の精霊に雲の精霊……。知り合いを片っ端から集めてきたのか?」
「リィィン!」
アイザックさんの言葉に、川の精霊はニコリと笑った。私は「皆、来てくれてありがとう」と感謝を伝え、問題の指輪をテーブルに乗せる。
「これがどういう石なのか知りたいのよ」
精霊たちは指輪の周りに円を描くようにして群がりながら、盛んに議論を交わし始めた。
「リィン!」
「リィン、リィィン……!」
「リ、リィィィン!?」
「リン! リン、リィィン! ……リィン?」
あいにくと何を言っているのかさっぱり分からなかったけど、白熱した話し合いの末、彼らは結論を出したようだった。
「リィィン」
土の精霊が前に出てきて、指輪の石を指しながら首を横に振った。私は「どういうこと?」と顎に手を当てる。
「リィン、リィィン!」
「リィィン!」
土の精霊が仲間たちに向かって手招きする。すると、一匹の精霊が前に出てきた。
「リィィン!」
「木の精霊だな」
アイザックさんが解説してくれた。木の精霊は指輪の石をぺしぺし叩きながら、熱心な身振り手振りで何かを伝えようとしている。
「……誰か、精霊の言葉分かる人いる?」
トッドもアイザックさんもかぶりを振った。私はうなだれたけど、アイザックさんが「『はい』か『いいえ』で答えられる質問をすればいいんじゃないか?」と思い付く。
「例えば……土の精霊、質問だ。この指輪の石は魔法石なのか?」
土の精霊は首を横に振った。答えは「いいえ」だ。アイザックさん、冴えてるわね!
「でも、特別な石なのよね?」
私もそれに便乗し、土の精霊に質問した。
けれど、精霊はまたしても首を横に振った。
「え……じゃあ、何の変哲もない飾りってこと?」
私は一瞬ショックを受けかけたけど、この質問に答えたのは木の精霊だった。首を横に振っている。
「つまり……魔法石じゃないけど、木の精霊から見れば特別なものってこと?」
土の精霊と木の精霊が同時に首を縦に振った。私とアイザックさんは顔を見合わせる。精霊たちは一体何が言いたいんだろう?
「これ、使えば?」
トッドが机の引き出しを開けて、紙とペンを取り出した。
木の精霊は我が意を得たとばかりに自分の体より大きなペンを手にし、紙の上に絵を描いていく。
「これは木かしら?」
「こっちは花だろうな」
「これが指輪の石と関係してるって?」
「リィィン!」
トッドの質問に、精霊は首を縦に振る。
私は精霊が描いてくれたイラストをじっくり眺めた。
味わいのある絵だから特徴を挙げるのが難しいけど……あえて言うならこんな感じかしら。
デフォルメされている木と花。どこにでもありそうな植物。その証拠に、私がトッドとアイザックさんに「こういうの、どこかで見たことある?」と聞いても、二人は困惑するだけだった。
「何だかよく分からないけど、この木と花がカギを握ってるってことね」
この指輪の石はただの飾りじゃないというお墨付きはもらっているんだ。だったら、やることは一つだけだ。
「植物について調べたいなら、花影島に研究所があるよ」
アイザックさんが私の考えを先読みした。また研究所か。でも、今度こそ手がかりが見つかるに違いない。
そんな期待を込め、私は集合してくれた精霊たちに礼を言って、主の館を出た。