聖域は私が守ります(1/2)
チェルシーの日常を犠牲にしなければ、空中庭園は存続できない。
そんな現状をどうにかすべく、冬祭りの翌日に私が向かったのは主の館だった。
「千年前の主……ブライス様は聖域の危機について色々と調べていたと思う。その成果物があるとしたら、やっぱり主の館だろうな」
アイザックさんにそうアドバイスされたのだ。
執事のトッドに館の管理をしている者を連れてきてもらい、話を聞く。彼によると、大事な書類なんかは全部書斎に集められているとのことだった。
私がかつて主の館で暮らしていたのはほんの二日ほどのことだったので、まだこの建物の全てを知り尽くしていたわけではない。書斎も初めて足を踏み入れる場所だった。
私はそこで、あっさりと目的のものを見つけた。
まず、壁際にかかっている地上の地図。そして、背の高い棚にずらっと並んだ魔法石や特殊な魔術についての本。
丸一日かけて家捜ししても何の成果も上げられないくらいのことは覚悟していただけに、この結果には拍子抜けだ。私は壁に掛けられた地図を観察する。
「これは……西部地方のもの……?」
おばあ様は私の祖先は西方に住んでいたと言っていた。そのことと関係あるのかしら?
私はさらにじっくりと地図を眺める。すると、そこに様々な書き込みがしてあることに気付いた。
どれもこれも、魔法石がありそうな場所に関する考察だ。その記述に目を通す内に、私はいつの間にか祖先のことに想いを馳せている。
地上へと降りた私の祖先のブライスは、魔法石を探すため採掘事業を始めた。けれど求めるものは中々見つからず、時間だけが過ぎてゆく。
空中庭園から持参した資金を使い果たし、だからといって魔法石が見つかっていないのに帰るわけにもいかず、ブライスは地上に留まり続けた。そして、その寿命が尽きる。
悲劇的なことに、世代を経るごとに当初の目的は忘れ去られてしまった。それだけではなく、空中庭園のことも、そこに住む主の帰りを待つ者たちのことさえも、歴史の彼方に消えてしまう。
残ったのは「サンクチュアリ」の家名とブライスの名前、それに自分たちは尊い血統の持ち主だというプライドだけ。それ以外は後の世代にほとんど何も伝わらなかった。
……これはあくまで私の推測だ。でも、当たらずとも遠からずじゃないかしら?
私は椅子に腰掛ける。視線はまだ地図の上をさ迷っていた。
祖先は飛行の魔法石を見つけられたんだろうか?
恐らく、答えは否だろう。だって、探し当てていたらその時点で聖域に帰っていたはずだから。それとも、何か戻れない事情でもあったんだろうか?
「オフィリアさん、捗っているかい?」
声をかけられて物思いから覚める。書斎の入り口にアイザックさんが立っていた。
「冬祭りの会場の片付け、もう終わったの?」
「まだだよ。ちょっと抜け出してきたんだ。オフィリアさんの様子が気になったから」
本当なら私も、守り人として会場で皆を手伝わないといけない。でも、おじさまたちに許しをもらって別行動を取ることにしたんだ。
――結果が出なくても気を落とさないでね。オフィリアちゃんが悪いんじゃないんだから。
おばさまはそう言って私を送り出してくれた。そのセリフを聞いた私は、やっぱり聖域を救えるのは自分しかいないんだと決意を固くする。
だって、おばさまの口調にはぼんやりとした諦めが漂っていたから。私の思ったとおりだ。この空中庭園の住民は、まともな方法で聖域を存続させる方法なんかないと思い込んでいるんだ。
「調子はどう? 何か事態を解決できそうなヒントはあった?」
「これというほどのものは、まだ」
私は首を横に振る。
「今ね、祖先のことを考えていたの。ブライスは魔法石を見つけられたんだろうか、って。……多分見つけてないわよね。目的を達成したのに、地上にいつまでも留まっているいわれはないもの」
「それは……どうなんだろうね」
アイザックさんは難しい顔になった。
「オフィリアさん、テオが地上で作った笛のことは聞いたよね? テオは、あの笛は好きな場所に声を届けられる魔法石でできている、と言っていた。でも、あの表現は正確じゃないんだ。正しくは、『見知った場所ならどこにでも声を届けられる』なんだよ。要するに、知らない土地にいる相手とは意思疎通ができないんだ」
「じゃあ、ブライスの後の世代の人がもし魔法石を見つけたとしても、聖域には帰って来られなかったってこと?」
「その可能性はあるかもね。でも、飛行の魔法石が手元にあるんだから、それを使えばいい気もするし……」
「確かに魔法石を使えば空は飛べるわよね。でも、石は消耗品なんでしょう? そんなことで貴重な力を使いたくなかったんじゃないの?」
「だからといって、帰って来られなくなったら本末転倒だよ」
私たちは顔を見合わせて「うーん……」と唸る。当時の祖先は何を考えていたんだろう?
「……まあ、この話は一旦置いておこう」
アイザックさんがかぶりを振った。
「重要なのは、オフィリアさんの祖先が飛行の魔法石を発見できたかどうか、だ。仮に見つけていたとするよ。でも、何か訳があってそれを空中庭園まで持って帰ることができなかった。こういう時、祖先はどうするだろう?」
「自分で持ち帰るのが無理なら、他の人に頼むしかないわね」
私は腕組みする。
「でも、祖先は空中庭園の存在を公にはしたくなかったと思うわ。ここが理想郷なのって、知る人ぞ知る場所だからだと思うし……。そうなった場合、頼れるのは身内かしら。聖域の主人って世襲制よね? だったら、主の座を継ぐ自分の子どもに、『この魔法石をいつか聖域に持ち帰ってくれ』って託すと思うわ」
「同感だ」
アイザックさんは私の意見に賛成してくれた。
「そういうことが何代にも渡って続いたとする。その継承が現代に至るまで途切れていなかったら……」
「私が先祖伝来の飛行の魔法石を持ってるってこと?」
私は少し面食らってしまった。
「そんなもの受け継いでないわよ。大体、飛行の魔法石ってどんな見た目なの?」
「ええとね……」
アイザックさんは棚の本をしばらく検分した後、『魔法石全集』という分厚い事典を取り出した。
パラパラとページをめくり、問題のものを見せてくれる。飛行の魔法石は、青地に所々白い霞のような模様がついた鉱物だった。
「見たことないわね」
私は頬に手を当てる。
説明書きには、希少度は最高ランクと記されていた。でも、この空中庭園ができた時には地下の部屋いっぱいに保管されていたのよね?
もしかして、こういうことかしら? 空中庭園を作るために魔法石を採掘しすぎた結果、資源が枯渇してしまった……。
飛行の魔法石はとても貴重。そして、私はそんなものを相続していない。
これらから導き出される結論は一つだ。
「ブライスもその子孫も、魔法石を見つけられなかった。彼らは任務に失敗したのね。そして、いつしか自分たちに課せられた役目自体も忘れてしまった……」
「……もう少しこの部屋を探してみよう? 何か役立つ情報があるかもしれないよ」
アイザックさんが話を打ち切った。私の口調に、どこか棘を感じたからだろう。聖域の住民にとって、主は絶対の存在。たとえずっと昔の人だとしても、責められるのは嫌なのかもしれない。
でも、私が批判したいのは祖先というより自分自身だった。私は悪くないというのは頭では分かっている。でも、大事な仕事を放棄していたという責任のようなものを、どうしても感じずにはいられなかったんだ。
けれど、自己嫌悪に浸っていても何にもならない。アイザックさんの言うとおり、行動する方がよっぽど建設的だ。
ふと、私は不思議なことに気付いた。
「アイザックさんは自分から進んで私を手伝ってくれるのね。この聖域の人って、もっと他力本願だと思っていたわ」
そんな性格の者ばかりだからこそ、千年経っても空中庭園の危機は解決しなかったのに。
私の指摘に、アイザックさんは「それは、相手がオフィリアさんだからね」と返した。ただでさえ輝いているライトグリーンの瞳は、愛情を湛えていつもより熱っぽくきらめいている。
「オフィリアさんは特別なんだよ。だから、手助けしてあげたくなるんだ」
「私が特別……」
そういえば、前にもアイザックさんはそんなことを言っていたわね。
あの時はノロケ話を聞かされたっけ。っていうことは今回も……。
ちょっと恥ずかしくなって、私は壁際の本棚に顔を向けて、資料探しに夢中なふりをすることにした。
でも、アイザックさんが続けたのは予想外のセリフだった。
「チェルシーから聞いたことがある。代々の聖域の主は危機的状況の時は立ち上がるけど、平時には何もしないような人たちだったらしい。でも、オフィリアさんは違う。普段から空中庭園を駆け回って皆と一緒に悩み、笑って、少しでもここを良くしようとしてくれている。そういう人は助けてあげたくなるじゃないか」
目を見張らずにはいられなかった。
私のそういう面は、チェルシーに散々「聖域の主らしくない」と苦言を呈されていたところだ。
でも、常日頃の私の行動がアイザックさんを味方につけた。主人らしくないからこそ、アイザックさんは力を貸してくれたんだ。
秋祭りの贈り物をもらった時も、アイザックさんは言っていたっけ。私の頑張りを見ていたからこそ、自分も地上へ行く気力を振り絞れたんだ、って。
今まで私がしてきたことに無駄なんかない。そう気付かされた気分だった。
「ありがとう。チェルシーの苦情を受け付けなかった甲斐があったわ」
私はこの聖域の住民の誰とも違う。そして、歴代の主人とも。
アイザックさんの言うとおり、私は特別なのかもしれない。
だからこそ、私なら事件を解決できる。
そんな予感めいたものが心を震わせる。大丈夫。きっと何とかなるはずだ。いいえ、私が何とかしてみせるんだ。