竜のお仕事と私の使命(1/2)
それからの雪合戦は、皆が飛行生物に乗っての乱戦となった。
にわかに始まった新ルールでの勝負に、冬祭りの参加者の目は釘付けとなる。
ちゃっかりしているジルさんは、試合を見に来た人たちに「あんた、競飛に興味はないかね?」と片っ端から声をかけまくっていた。
パティちゃんが橋を壊した一件のせいで、「誰彼構わず勧誘しないこと」って注意されてたと思うんだけど……。そんなの、都合よく忘れているみたいだ。
連戦を重ねたお陰で、私はすっかり汗だくになっている。もうクタクタだ。とてもじゃないけど、これ以上飛び回る気にはなれない。
「ありがとう、おーちゃん」
私は相棒にお礼を言って、息を弾ませながらその背中から降りた。競飛とも違うハードな競技に彼もくたびれたらしく、雪の上に座って羽休めをしている。
「チェルシー、私ちょっと休むわね。……チェルシー?」
てっきりその辺にいると思って呼びかけたけど、返事がない。辺りを見渡しても、どこにも姿は見えなかった。
「チェルシー? 少し前に見たけど? ……あれ、いない」
近くにいた人に聞いてみたけど、チェルシーの行方は分からなかった。さっきまで試合に参加してたはずなのに、どこへ行ったのかしら?
「チェルシー? どこなの?」
雪合戦ブースを出て、今度は会場内の別の場所を探す。けれど、返事はなかった。迷子にでもなったのかしら? これは会場中にアナウンスして探す方がいいかも……。
なんて考えながら時計塔に向かった私は、もしかして、と思う。そして、塔の階段を上ではなく下へと降りた。
時報の鐘が正午を告げる。それと同時に、私はチェルシーの部屋に足を踏み入れた。
予想したとおり、チェルシーは自分の部屋に帰っていた。いつもと同じように、巨大なベッドで寝ている。私のコートは折りたたまれ、サイドテーブルの上に置かれていた。
私はコートを回収し、彼女の傍らに腰掛ける。
チェルシーは容易には起きる気配はない。きっとたくさん遊んで相当疲れていたんだろう。もう少し気遣ってあげるべきだった、と思わずにはいられなかった。
でも、部屋へ戻ること、一言くらいは言ってくれてもよかったのに。チェルシーが行方不明になったと思って、すごく焦ったから。
そんなことを考えながら彼女の深緑とピンクの髪を撫でてあげる。チェルシーの寝顔を見ている内に私もウトウトしてきたけれど、その頃になると彼女の目も覚めていた。
「ご主人様……? 冬祭りはいいのか?」
「あなたを探してたのよ。勝手に会場からいなくなったりしたら、心配するでしょう?」
「すまんのう。じゃが、ご主人様はチェルシーを帰したくないようじゃったから……」
チェルシーは大あくびをする。目覚めてはいるけれど、まだ眠いらしい。
「確かに私はあなたに一日中お祭りを楽しんで欲しいと思っていたわ。でも、くたびれているチェルシーを無理矢理引きずって遊ばせたりはしないわよ。疲れたって言ってくれれば、きちんと休む時間だって取ったわ。冬祭りの会場にだって、休憩スペースはあるもの」
「チェルシーは休むならここの方がいいんじゃ」
「そんなにこの地下の部屋が気に入ってるの?」
私は小首を傾げる。
「前は『楽しくも何ともない場所』って言ってたと思うけど」
「チェルシーは楽しいからここに帰ってきたわけではないのじゃ」
さっきまで眠たげだったチェルシーの飴色の目は、今やはっきりと見開かれていた。
「チェルシーには役目がある。だからここにいるのじゃ」
「またチェルシーのお仕事の話? でも、さっきだってあなたは寝ていたじゃない。何かしているようには見えなかったけど」
「それでいいのじゃ。チェルシーの仕事は寝ていてもできるからのう」
チェルシーはベッドの端に腰掛け、私の隣で脚をブラブラさせる。私はそんな彼女の様子をじっと見ていた。
やがて、チェルシーが問いかけてくる。
「知りたいのか?」
チェルシーの声は、風のない日の湖のように静かだった。
「チェルシーの仕事をどうしてもご主人様は知りたいのか?」
「……ええ」
私は頷いた。
チェルシーによれば、これは放っておいても守り人研修プログラムで教えられる内容らしい。
でも、私はこのことをチェルシーの口から直接聞かなくてはならない。ふと、そんな気がしたんだ。
「……そうじゃな。ご主人様は本当にこの空中庭園を愛しておる。だったら、意地を張らずに話してしまった方がよいかもしれんのう。研修を台無しにしたとなれば、アイザックの鼻を明かせるかもしれんしな!」
チェルシーはちょっとニヤニヤしていた。でも、急に真面目な顔になる。
「チェルシーの仕事はな、この聖域に魔力を送り込むことなんじゃ」
「聖域に魔力を?」
思ってもみなかったことだ。私はしばしきょとんとなる。
「それってどうやるの?」
「簡単じゃ。あいつらが何とかしてくれる」
チェルシーは壁を覆う乳白色の石を指差した。
「あれは魔法石と呼ばれている石じゃ。チェルシーが魔力を放出すると、あの魔法石がそれを受け止める。そして、今度は特別な仕掛けによって、その魔力は地上にある時計塔に送られるのじゃ。あの時計塔は鐘が鳴る度に溜め込んだ魔力を外に送り出すようになっておる。つまり、時報はただ時を告げているだけではないのじゃ。音と共にチェルシーの力を聖域の隅々まで届けているのじゃよ」
空中庭園のどこにいても聞こえる鐘の音。その裏側にこんな秘密があったなんて驚きだ。聖域は、一時間ごとにチェルシーから魔力を受け取っていたということか。
「チェルシーがずっと地下で過ごさないといけないのはそのためなの? この部屋にいないと魔法石に魔力を注げないから? でも、あなたがしているアクセサリーって……」
チェルシーがつけているイヤリングや腕輪は、壁の魔法石と同じ素材だ。きっと、これも魔力を吸収する効果があるに違いない。
だったら、ずっとこの部屋にいる必要はないんじゃないの?
そんな私の考えを読んだように、チェルシーは「これは万が一の備えじゃ」と乳白色のイヤリングを指先で弾いてみせた。
「これは携帯用じゃから、一度にたくさんの魔力は溜められないのじゃ。じゃから、この部屋で魔力を発散するのが一番効率がいいのじゃよ」
チェルシーは目元を軽くこすった。
「ご主人様、魔力を放出するという作業はとても疲れるのじゃ。しかも、チェルシーは一日中そんなことをしているわけじゃからな。チェルシーが眠ってばかりいるのはそのせいじゃ。こうでもしないと体が持たないんじゃよ」
「じゃあ、時々は休みましょうよ」
私はチェルシーを不憫に思わずにはいられなかった。守り人の仕事にだってお休みはあるのに、彼女にはそれがないんだもの。一年中、しかも二十四時間フル稼働だなんてあんまりだ。
「魔力なんてしばらく送らなくても別に平気でしょう? 一日に何時間かこの部屋で魔力を放出して、後は地上で暮らせばいいわ」
「そうもいかぬのじゃ」
チェルシーは重々しく首を振った。そして、耳を疑うようなセリフを続ける。
「この空中庭園はチェルシーの力で浮遊しておる。チェルシーが魔力を送るのを止めたら、この聖域は地上に墜落するのじゃ」
「……墜落?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。チェルシーは淡々と続ける。
「チェルシーがこの部屋を離れていられるのは半日が限度じゃ。それ以上は石に溜められている余剰の魔力が尽きる。魔力がすっからかんになってしもうたら……先ほど言ったとおりじゃ」
知らなかった。
チェルシーが限られた時間を使って私に会いに来てくれていたことを。平和で豊かな空中庭園の生活を影で守っていたことを。世間から隔絶されてもなお、自分の役目を必死に果たしていたことを……。
「どうしたのじゃ、ご主人様。そんな暗い表情になって」
チェルシーが小さく笑った。
「せっかくの可愛い顔が台無しじゃ。ほれ、笑うのじゃ」
「チェルシー……私……」
「そう気に病むでない。チェルシーの一番の不幸は、ご主人様がいないことなのじゃ。ご主人様がこの聖域で暮らして、時々はチェルシーのところへ来てくれる。それか、チェルシーが勝手に押しかける。そのどっちかさえできていれば、チェルシーはそれで満足なんじゃよ」
チェルシーは私の膝の上に寝転がった。
「つまらぬ話をしていたら、眠くなってきたのう……。少し遊びすぎたからかもしれん。……ご主人様、チェルシーは……少し休む……ぞ……。今日は……たのし……かっ……」
チェルシーは安らかな寝息を立て、夢の世界に入っていった。