不思議な少年の故郷に招待されました(1/1)
ピィイイ……ピィイイ……
翌朝、私は空気を震わせるような高い音で目を覚ました。
おかしいわ。いつもならニワトリの声で起きるはずなのに……と思っていると、隣に知らない少年が寝そべっているのに気付きぎょっとなる。
でも、すぐに昨日のことを思い出して平静さを取り戻した。そうだった。おばあ様を埋葬した帰りに不思議な少年テオと出会い、そのまま家に泊めてあげたんだった。
ピィイイ……ピィイイ……
音は、テオのポシェットの中から鳴っていた。留め金代わりのボタンが外れ、外にはみ出しているのは昨日テオが吹いていた縦笛だ。
その青い笛は、誰も触れていないのに勝手に音を発していた。何とも奇妙な光景だけれど、ちょっと変わったところのあるテオの持ち物なんだから、この程度のことでは戸惑う気持ちにはならない。
「来たんだ!」
私が笛の様子を観察していると、テオが跳ね起きた。
「来たって何が?」
「お迎えだよ! オフィリアさん、一緒に昨日の丘に来て!」
テオはすっかりはしゃいでいた。私たちは朝の支度を調え、家を出る。といっても、また水を汲んできて顔を洗ったり口をゆすいだりしただけなんだけど。
私たちが街を歩く間も、笛はずっと鳴りっぱなしだった。幸いにも、まだ夜明け前のために街に人気はなく、怪訝な目で見られることはない。
「早く、早く!」
昨日からろくな食事を取っていないというのに、テオは活気に溢れていた。そんなに故郷へ帰れるのが嬉しいのかしら? とはいえ私も好奇心を覚えていたので、先を急ぐ彼に遅れないよう懸命に脚を動かした。
私たちが丘に着いたのは、ちょうど夜が明ける頃だった。丘には今日も爽やかな風が吹いている。
だけど、爽快な気分に浸っていられたのは一瞬のことだった。
風車の傍にとんでもないものを見つけてしまったのだ。
「思ったより早かったね!」
テオが嬉しそうに撫でているのは、真っ白な馬だった。でも、普通の白馬じゃない。その背中には羽が生えていたんだ。
「ペガサス……?」
嘘でしょう? おとぎ話の中にしかいないはずの生き物がどうしてこんな場所に? 夢でも見てるのかしら?
頬をつねると痛みを感じる。……現実だ。この羽の生えた馬は実在するんだ。
ペガサスは馬車を引いていた。テオの言っていた「お迎え」って、こういうことだったんだ。どうやら、彼はペガサスの馬車に乗ってふるさとへと帰るらしい。
今度こそ本当のお別れだ。
奇妙な生物を目の当たりにして高ぶっていた気持ちが静まり返っていく。
ダメね。昨日みたいに、またテオが私を引き留めてくれたらいいのに、って考えてしまうなんて。もう故郷へ帰る手はずは整ったんだもの。これ以上彼が私の傍にいる道理はないじゃない。
「オフィリアさん、今までありがとう」
テオがさよならの挨拶をする。彼も名残惜しそうな顔だった。
「ボクを助けてくれて嬉しかったよ。あなたに会えてよかった。何かお返しができればいいんだけど……」
「気にしないで。家族がいなくなってどうしようもなく寂しかった私の傍にいてくれた。お返しなら、それだけで充分よ」
「……オフィリアさんは、これからどうするの?」
「そうね……まずはお仕事を探さないと。……その前に、どこかのゴミ捨て場でも漁って朝食を取った方がいいかしら」
きゅるる、とお腹から空腹を訴える音がして、私は苦笑した。テオが愁いを帯びた顔になる。
「ボク、どうにかしてオフィリアさんの力になれないかな?」
「平気よ。テオにはきっと……私と違って、帰りを待っている家族もいるんでしょうし。さあ、ふるさとでの生活に戻る時が来たわよ」
「……そうだ!」
私の付け足した一言に、テオは何かを思い付いたようだ。私の手を取り、「乗って!」と馬車の方へ導こうとする。
「テオ?」
「オフィリアさんにどんなお礼をすればいいのか、分かったんだ! ボクなら、オフィリアさんが当分の生活に困らなくていいくらいのお金を用意できるよ!」
「お金の用意? どうやって?」
「ボクの故郷には何でもあるんだ!」
やっぱりテオってお坊ちゃまだったのね。私はペガサスをじっと見つめた。お金にものを言わせれば、羽の生えた馬も調達できるってこと?
「来てくれないの、オフィリアさん?」
テオの口元が歪む。
「大丈夫。変なところへ連れて行ったりはしないから。どんな場所かって言われたら、実際に見た方が早いって答えるしかないけど……。でも、オフィリアさんも好きになってくれると思うよ。それとも……家に帰る?」
「家に……」
空っぽで誰もいなくて薄暗い室内を想像し、私は寒々としたものを覚えた。
私にはやることがたくさんある。テオに言ったように、仕事探しとか、今日の食事の心配とか。
私はこれから、それら全てに一人で立ち向かわないといけない。
そう。たった一人で、だ。
今までも生活は楽じゃなかったけど、おばあ様がいたから頑張れた。「よくできましたね、レディ」って言ってくれる人がいると思うだけで、辛いことも乗り越えられたんだ。
今後待っているのは、そんな支えがなくなった生活だ。無事に乗り切れるのか不安でたまらないけど、嘆いていてもどうしようもない。
だけど……その前に少しだけ、英気を養うのは悪いことじゃないんじゃないかしら?
テオとの楽しい思い出を増やせば、それを励みにこれからもやっていけるかもしれないもの。
彼はお金を用意してくれると言ったけど、それよりも私には、テオと過ごす時間を重ねられることの方に魅力を感じていた。
「テオのふるさとの人たち、突然私が押しかけていったら迷惑だと思わないかしら?」
「大丈夫! むしろ皆歓迎するよ!」
私の気持ちが傾きかけているのを察して、テオの声が明るくなる。それに釣られ、私の心もふっと軽くなった。
「じゃあ……ちょっとだけお邪魔しようかしら」
テオが歓声を上げる。ぼやぼやして気が変わったらいけないと思ったのか、テオは私が馬車に乗り込むと、急いで出発を命じた。
こんな風にずるずるとお別れの時を引き伸ばすのはよくないことかもしれないけれど、不思議と後悔の気持ちは湧いてこない。
今はただ、テオと過ごせる時間を大切にしよう。そう思っていた。