兼業は不可能ですか?(2/2)
「ご主人様、やっぱりアイザックは守り人の小さい方じゃったよ。まあ、ドラゴンのチェルシーから見れば誰でも小さくなるんじゃが。……それで、アイザック! チェルシーが何も知らぬとでも思ったか? おぬしじゃろう! 不遜にもご主人様を守り人に勧誘しおったのは!」
「だったらどうした」
「この痴れ者が! ご主人様はご主人様なんじゃぞ! それを下々の者に混じって立ち働かせるなど、言語道断じゃ!」
「そのことなんだけどね、チェルシー」
またケンカが再開しそうだったから、私は憤るチェルシーの話をすぐさま遮った。
「私、チェルシーに聞きたいことがあったのよ。聖域の主って、何をするの?」
「聖域を治めるんじゃ」
何を分かりきったことを、とでも言いたげに返される。私は「それはそうなんだけど……」と首を振った。
「もっと具体的なことが知りたいのよ。普段は何をしていたの? 祖先たちはどんな日常を送っていたのかしら?」
「皆散歩が好きじゃったぞ!」
チェルシーの返事に、私は肩を落とさずにはいられない。これじゃあ、あの資料室に保管されていた文献以上のことは何も分からないに等しいじゃない。
もしかして、聖域の主ってすごく暇なんだろうか? 皆、散歩が好きだったんじゃなくて、暇だから歩いてたとか?
「まだ実感は湧かないけれど、私が主ってことは百歩譲って認めてもいいわ。でも、これからも守り人のお仕事は手伝うわね。せっかく慣れてきたのに、こんなところで辞めたくないし……。言ってみれば、兼業ね」
「兼業ぉ!?」
チェルシーは素っ頓狂な声を上げた。
「ご主人様、何てことを言うんじゃ! ご主人様はご主人様なんじゃから、下働きなどしなくていいのじゃ! ご主人様の祖先の内、そんなことをした者は誰もおらんかったぞ!」
「オフィリアさんは彼らとは違うんだよ」
アイザックさんが私の肩を抱いた。
「助かるよ、オフィリアさん。冬祭りの支度で忙しかったから、人手が欲しかったんだ。早速だけど、やって欲しいことが……」
「ならぬならぬ!」
チェルシーは髪を振り乱しながら、ぴょこんと飛び上がってアイザックさんの手を私の肩から払いのけた。
「アイザックの阿呆! おぬしだって知っておるじゃろう! 聖域の主には大切な役目があったことを! そのために地上に降りて……」
「ストップ!」
アイザックさんはチェルシーの口を手のひらで塞いだ。
「それはまだダメだ! 守り人研修プログラムの六ヶ月目に教える内容だから!」
「むがー! ががっ!」
「オフィリアさんはもう守り人じゃないから関係ないって? そんなことない! 彼女の話を聞いていなかったのか!? オフィリアさんはまだ守り人だ!」
「むが! むががむが!」
「そっちが認めなくても、本人がその気なんだよ! 諦めろ!」
アイザックさん、何でチェルシーの言ってることが分かるんだろう? チェルシーはどうにかアイザックさんの手を自分の口から引き剥がすと、呼吸を乱しながら文句を続けた。
「兼業なんぞやっておる者は、この聖域のどこにもおらんわ! 背負う役目は一つだけ。そういうものなんじゃ!」
「じゃあ、チェルシーにも何か役目があるの?」
ご機嫌斜めの彼女の気分をどうにか和らげようと、私は話を逸らした。
「私の執事のトッドが言っていたの。空中庭園に住んでる人は、生まれた時に自分の仕事が決められる、って。チェルシーのお仕事は何なの?」
「チェルシーの仕事は聖域の主の話し相手じゃった。まあ、昔の話じゃが。今は……」
チェルシーはアイザックさんの方をチラリと見て不機嫌そうな顔になる。そして、「部屋にいることじゃ」と返した。
「部屋にいること? それだけ? 随分変わった役目なのね」
「でも、重要な仕事なんだよ」
アイザックさんが言った。さっきまでチェルシーと反目していたはずなのに、何故か彼女に同情的な口調だった。
「もうチェルシーは行くからのう。……アイザック、ご主人様をこき使うでないぞ!」
チェルシーはドラゴンになって飛んでいく。私はその姿を見つめた後、アイザックさんに視線を移した。
「ねえ、私に何か、隠してることない?」
「か、隠してること!?」
アイザックさんは顔を真っ赤にした。
「え……ええと……。いつも夜寝る前と朝起きた時に、部屋に飾ってあるオフィリアさんの肖像画にキスしてるけど……」
「……もっと他のは? 守り人としての私に言ってないことがあるでしょう? 確か宝物庫に初めて入った時も、テオが研修プログラムの六ヶ月目の話をしていたわ。千年前、ブライスっていう主が地上へ降りた理由と関係あるんでしょう?」
「テオがそんなことを言ったのか? お喋りなんだから、まったく……」
アイザックさんは軽く首を振った。
「そうだよ。ブライス様が地上へ行った理由は、守り人研修プログラムの六ヶ月目に教えるつもりだ。……でも、もう待てない?」
「六ヶ月目っていうと……冬祭りが終わってすぐくらいかしら」
それなら、そんなに先でもない。ここは妥協してもいいかと思い、私は「分かったわ」と返す。
「チェルシーとしては面白くないだろうけど、私は守り人のお仕事も途中で投げ出したくないし、研修は取り決めに則ってちゃんと決められた時期に受けるわ。……でも、聖域の主としての役目のことも、もっと彼女から聞きたかったわね。やっぱりもう少し話をしてくるわ」
「オフィリアさんは本当に真面目だね」
アイザックさんが笑った。
「分かった。送っていくよ」
「え? 平気なの? アイザックさん、高いところは苦手でしょう?」
「高いところ? 地下に行くんだよね?」
「そうだけど……。でも、そのためには空を飛ばないといけないでしょう?」
「ああ、あの穴か」
アイザックさんは本島の下側に空いている出入り口のことを思い出しているのか、苦り切った顔になった。
「あんなところからは行かないよ。あそこはドラゴン専用みたいなものだ。僕はもっと人間的な入り口を使わせてもらう」
どうやら、チェルシーの部屋まで行く方法は他にもあるらしい。私はアイザックさんと並んで歩いた。
道中、私たちはポツリポツリと話をする。秋祭り以来、アイザックさんと二人きりの穏やかな時間を過ごすのは、これが初めてかもしれない。
「アイザックさん、最近は守り人のお仕事にもどうにか身が入るようになってきたみたいね。私とも直接話せるようになってるし」
あのキャンドルウォークでの衝撃を一ヶ月以上引きずった彼だったけど、どうにか立ち直りつつあるようだった。「使い物にならない」ってテオが愚痴をこぼしてたから、一安心だ。
「私……アイザックさんとのデートを考えてたのよ。ショック療法っていうの? さらに私と過ごす時間を重ねれば、普通に戻れるかもと思って。でも、必要なかったみたいね」
「オフィリアさんとデート!」
アイザックさんは私の話を半分しか聞いていなかったようだ。嬉しそうにその辺を跳ね回っている。
「噂は本当だったんだな! オフィリアさんが僕とどこかへ行きたがっているというのは! で、どこに行く? 何をする? まさかもう一回、キ、キ、キス……とか……」
「そんなに照れること? だって、毎日二回、朝と夜にしてるんでしょう?」
「でも、肖像画のオフィリアさんの唇は硬いんだよ! それに引き換え実物は……」
アイザックさんが夢見心地の顔になる。私の唇がどんな風だったかをつらつら語られるのも恥ずかしいので、絶句してくれて助かった。
「誘ってくれるなら僕はもちろん『行く!』って言うよ。今から楽しみになってきたなあ……」
「ふふ、本当? じゃあ、アイザックさん。私とデート……」
「行く!」
アイザックさんは食い気味で返事した。これで決まりだ。私も釣られて笑顔になる。
デートの約束を取り付けたところで、目的地に到着だ。意外なことに、中央広場にある時計塔である。
私たちはドアを開け、塔の内部へ入る。いつもの螺旋階段が設置されている部屋がそこにはあった。
ふと、今まで気にしたことがなかった事実に気付く。この螺旋階段、ここが始まりじゃない。地下にも続いている。
「もしかして、この階段を降りていったらチェルシーの部屋に着くってこと?」
「大正解」
アイザックさんが拍手した。
「ここから先は、もう迷わないで行けると思うよ」
「ありがとう、アイザックさん」
私は礼を言って、アイザックさんと別れた。
上にしか登ったことのない階段を、今度は下る。しばらくすると、終わりが見えてきた。たどり着いたのは、岩をくりぬいて作られた小部屋だ。
その空間に一つだけあったドアを開けると、チェルシーの部屋に繋がっていた。部屋の主は、私が初めて来た時と同様にまたベッドで寝ている。
チェルシーって、そんなに眠るのが好きなのかしら? それとも、冬眠の時期だからとか? ほら、ドラゴンっては虫類だし……。
私がベッドの端に腰掛けると、チェルシーが薄目を開けて、むにゃむにゃと何かを呟いた。
「ご主人様じゃ……。チェルシーは夢を見ておるのか……?」
「夢じゃないわよ」
「うーん……?」
チェルシーが私にすり寄ってきた。
「ご主人様は暖かいのう。気持ちがよいぞ」
私が深緑とピンクの髪を撫でてやると、チェルシーはうとうとした顔になった。また寝入ってしまう前に本題に入る。
「私ね、チェルシーに聞きたいことがあるの」
「おお、チェルシーにもあるぞ」
チェルシーは飴色の瞳でじっと私を見つめた。
「皆遠慮しておるのか、まだ誰も質問しておらんようじゃから、チェルシーが尋ねるのじゃ。……ご主人様は、何故この聖域に帰ってきたのじゃ?」
「え……?」
まさかの質問に、私は戸惑った。
「何故って言われても……。偶然、かしら。……運命かもしれないけど」
「運命……。……地上での任務をまっとうしたから帰ってきたわけではないのじゃな?」
「地上での任務? 一体どういうこと?」
私の問いかけに、チェルシーは「分からないのか……」と小さな声で呟いた。
「その様子では、ご主人様は何も知らないんじゃな。それで、任務のことなど忘れ去り、ここへ戻ってきた……」
チェルシーの口調は真剣だった。私が何か大事な役目を放棄したってこと? しかも……チェルシーの話しぶりからするに、聖域の主としての役目を。
「やるべきことがあるなら、そうするわ」
元々私がここへ来たのは、主の役割について詳しい話を聞くためだった。図らずもその目的に適う方向に話が進みそうだ。
「私、何かをしないといけないのね? 言ってみて。必要とあらば、また地上へ行くから」
「ダメじゃ!」
チェルシーが勢いよく起き上がって、私に抱きついてきた。驚いたことに涙声になっている。
「ダメじゃ、絶対にダメじゃ! チェルシーは一生地下暮らしでも構わぬ! だから、もう二度とどこかへ行くなどと言うでない!」
「チェルシー? 何を言っているの? どうして私が地上へ行くことと、チェルシーが地下で暮らしていることが関係あるの?」
「関係があるからじゃ!」
チェルシーはすっかり取り乱していて、きちんとした返事なんてできそうもなかった。
「この地下は、楽しくも何ともない場所じゃ! それでも、チェルシーにはご主人様がずっと空中庭園にいてくれる方が何倍も嬉しいのじゃ! チェルシーはそれに気付くのが千年遅かった! じゃが、もう判断を誤ったりはせぬぞ! 絶対に、絶対に!」
チェルシーは毛布を被って丸くなってしまった。私が「チェルシー?」と名前を呼んで揺すってみても、何の反応もない。その内にまた寝息が聞こえてきた。
今の彼女は混乱している。話を聞くなら、時間を置いてからの方がいいだろう。
そう考えて、とりあえずはこの場を後にすることとした。