「幸福」がご主人様を待っておるぞ!(1/3)
とはいったものの、どこに宝なんてあるんだろう? 洞窟は前に来た時と同じだ。窮屈なくらい狭くて、壁一面には穴が空いている。変わったものはどこにもない。
強いて言うなら、最奥の『ここは幸福と邂逅する場所』と読める奇妙な模様くらいだろうか? でも、これがお宝とどう関係しているんだろう?
一旦はそう思ってみたけれど、何かが引っかかる。そして、思い出した。さっき私を送り出してくれた時のチェルシーのセリフだ。
――『幸福』がご主人様を待っておるぞ!
幸福が待っている。確かにチェルシーはそう言った。チェルシーはこの模様のことを知っているんだ。
ということは、やっぱりこれはヒントなのかもしれない。私は模様の周辺の壁に顔を近づけたり、手のひらを押し当ててみたりした。
けれど、特に変化は起きない。しばらく宝物庫内をグルグル歩き回った末、私はチェルシーに助けを求めることにした。
外に出ると、チェルシーは地面に寝転んで気持ちよさそうにうたた寝をしている。そういえばお昼寝の途中で起こしちゃったのよね。それにしても、こんな時期に野外で寝て寒くないのかしら?
「ふああ……。あ、ご主人様。宝は見つかったか?」
起こそうかどうか迷っている内に、チェルシーは私の気配に気付いて目を覚ました。私は「まだよ」と首を振る。
「さっきチェルシーは、『幸福が私を待っている』って言ったでしょう? だから、一番奥の文字の辺りが怪しいんじゃないかと思ったんだけど……。そこで行き詰まっちゃったわ」
「文字? そんなものがあるのか?」
「もしかして、入ったことないの? じゃあ、今から一緒に来て」
「それは無理じゃよ。ご主人様の祖先たちは……」
「私は彼らとは違うわ。それに、ちょっと覗くだけならどうってことないわよ」
どうにかチェルシーを丸め込み、宝物庫に入ってもらう。案の定、ここに来るのは初めてだったらしく、チェルシーは辺りを見渡して「ほう……」と声を漏らしていた。
「大して居心地がいいとも言えんようなところじゃのう。これなら、チェルシーの部屋の方が快適じゃ。何故ご主人様の祖先の中には、こんなところに足繁く通った者もいるのやら……」
「それだけ隠されているお宝が素晴らしいってことなんでしょうね。……さあ、チェルシー。あなたの知っていること、皆話してちょうだい」
「そう言われてものう……」
チェルシーの声は尻すぼみになる。
「チェルシーは何も知らぬのじゃ。ここはご主人様の秘密の場所じゃからのう。いくらチェルシーが、ご主人様の右腕であり、左腕であり、左右の足であり、翼であっても、知らぬものは知らぬのじゃ」
「でも、あなたはここに『幸福』があるってことは分かっていたわ」
「それは、ご主人様の祖先がそう表現していたことがあったからじゃ。……そういえば、先ほどご主人様は文字がどうとか言ってなかったか?」
「これのことよ」
私は宝物庫の奥の壁に彫られている模様を指差した。チェルシーが目を細める。
「なるほど……。ご主人様には、これが文字に見えるのか。チェルシーにはさっぱり読めないがのう。これは暗号じゃな。特定の者にしか解読できないように、魔法がかかっているのじゃ」
「特定の者って?」
「ここは宝物庫じゃからの。『特定の者』とは、聖域の主の血を引く者と考えるのが打倒じゃろうな。まあ、これはチェルシーの推測じゃ。ご主人様の血統を確かめるには、やはりお宝を見つけるのが確実じゃと思うぞ」
「そう……」
思わぬところから私の出自の手がかりになりそうな話が出てきて、我知らず緊張を覚える。やっぱり私には、特別な血が流れているのかしら?
「主たちは、宝物庫のことで他に何か言ってなかったの?」
「そうじゃな……。特に何もなかった気が……ああ、そうじゃ! 確か、カギがどうとか言っておったな!」
「カギ?」
「ええと……カギをしょっちゅうなくすからちょっとした工夫が必要だ。そう言っておったぞ」
「カギをなくす……」
宝物庫は大事な場所。そんな大事な場所のカギなのに、適当な管理しかしてないの? それとも、なくしやすいのには理由があるとか?
「カギに足が生えてるから……とかじゃないわよね?」
私は必死で考える。
「透明だから? カギっぽくない見た目だから? それとも……すごく小さいから?」
そう言った瞬間に、私の目は壁に開いている無数の穴に吸い寄せられる。頭の中で何かが繋がった気がした。
「もしかして……これ、カギ穴なの?」
私は一つ一つをじっくりと見回す。
「だとしたら、ここに差し込むカギもとても小さいはずよ。小さいカギ。だからなくしやすい! 私の推理、どうかしら!?」
私は期待しながらチェルシーの方を見たけど、彼女はこっくりこっくりと船を漕いで、夢の世界に入っていくところだった。寝言のように何かを呟いている。
「開け 幸せの扉……」
おばあ様の子守歌だ。チェルシーも秋祭りに来ていたのかしら?
「カギを開けよ カギを開けよ
答えはあなたの手の中に
眠れる幸福 思い出してごらん 何度でも……」
最後まで歌を聴いていた私だけど、あることに気付いて居ても立ってもいられなくなり、チェルシーの肩を揺さぶる。チェルシーはぎょっとしたように飴色の瞳を見開いた。
「な、何じゃ!?」
「その歌!」
押さえようと思っても、声が大きくなるのを止められなかった。私はもっと強くチェルシーの肩を揺する。
「『幸せの扉』に『カギを開けよ』って、この宝物庫のことを言ってるんじゃないの!? だって、ここは『幸福と邂逅する場所』なんだもの! ねえ、そうでしょう!?」
「え、あ……歌とは、子守歌のことか? 『開け、幸せの扉』から始まる……」
どうやら自分が寝言を言っていたとは気付いていないチェルシーが、目を白黒させながら返す。
「その歌なら、チェルシーがまだ卵から孵ったばかりの頃に、ご主人様の祖先がよく歌ってくれたぞ。チェルシーは今でこそ大人の色気漂う妖艶な美女じゃが、雛竜の時期もあったんじゃよ」
「この歌、そんなに歴史があるものだったのね……」
チェルシーが大人の色気漂う妖艶な美女かは置いておくとして、この歌に関する発見は結構重要なことかもしれない。
「その歌はね、おばあ様が私に教えてくれたものなの。おばあ様は言っていたわ。『これは我が家に代々伝わる子守歌なのですよ、レディ』って」
「そういえば、ちょっと前にも部屋で寝ている時に夢うつつで聞いた気がするぞ。気のせいかのう?」
「多分、秋祭りの日のことじゃない? 私、皆の前で歌を歌ったから。確か、白霧島に行った時にも聞いたわね。誰かが霧の中で歌っていたみたい。……あ、そうだ! その人が言っていたわ! 大事なものを忘れたら困る、って! もしかして、この歌と宝の関係を知っている人なのかも! 捜し出して、情報提供してもらった方がいいかしら?」
「どうかのう……。霧が見せた幻かもしれん。だとしたら、どこを探し回ってもその者は見つからんぞ」
「……そうね」
チェルシーが正しいかもしれない。存在しない住民よりも、目の前のどこかにあるカギ穴を探す方が問題解決の手段として妥当だろう。それか、カギを見つけるかだ。
「チェルシーはカギのある場所なんて知らないわよね?」
「いや、知っておるぞ」
ダメ元で聞いたのに、チェルシーはあっさりとそう言ってのけた。
「ご主人様の祖先は、いつも肌身離さず身につけていると言っておった。もっとも、チェルシーも実物は見たことがないがのう」
「……なるほどね」
身を乗り出して聞いていた私だったけど、あまり参考になりそうもない答えにがっくりする。
こうなったら、非常手段を取るしかないようだ。
私はポシェットの中を漁り、針金とペンキ、それに筆を取り出した。チェルシーは「そんなもの、何に使うんじゃ?」と聞いてくる。
「こうするのよ」
私は針金を手近な穴に突っ込んだ。そのままグリグリと回してみる。……手応えなし。私はその穴の上にペンキを浸した筆で小さな×印を描いた。
「これでいつかは当たりを引くでしょ」
「なんとまあ……。ご主人様は根気のあるお人じゃのう!」
チェルシーは宝物庫内の穴の多さを見て、感心したような顔になっている。
「そんなことをせずとも、ご主人様なら正解にたどり着けると思うがのう。血が教えてくれるのじゃ」
「残念だけど、今のところその気はないみたいよ」
どれも同じに見える穴を眺めながらかぶりを振った。
「私の血がやる気を出してくれるまで、少し粘ってみるわ。それがいつになるかは分からないけどね」
「早いに越したことはないのう」
まったくそのとおりだ、と思いながら、私は次の穴に針金を突っ込んだ。……ここもハズレ。×印を描いて次に向かう。
作業に没頭していた私は、時が経つのを忘れてしまった。それだけではなく、近くにチェルシーがいたことすらも頭からすっぽ抜けてしまう。
その存在を思い出したのは、彼女が「ああっ!」と大声を出したからだった。
「今何時じゃ!?」
どうやらチェルシーはまた眠っていたらしい。あたふたしながら聞いてくる。私は懐中時計で時間を調べようとしたけど、疑問に答えてくれたのは時計塔の鐘だった。
ゴーン、と鐘が鳴り響いた回数は十九回。つまり、今は夜の七時だ。
「まずい!」
チェルシーは天井まで飛び上がりそうなほど驚いていた。
「ご主人様、チェルシーはもう帰るぞ! ご主人様は一人でも平気か!? 送っていく方がよいか!?」
チェルシーはすっかり慌てふためいていた。この後、予定でもあるのかしら? 私は「大丈夫よ」と返す。
「ここには前に一度来たことがあるし、ちゃんと一人で戻れるわ」
「それなら安心じゃな! では、また会おうぞ!」
チェルシーは駆け足で宝物庫から出ていく。見送ろうとした私が外に出る頃には、彼女はドラゴンに変身して、夜空の彼方を飛んでいくところだった。
まったく、嵐のような子だ。いきなり目の前に現われて、いきなり去っていく。それに、私への好意の強さも並々ならぬものを感じた。
まあ、嫌われるよりはよっぽどいいけど。誰かに好かれるというのは、やっぱり嬉しいものがあるから。