地下部屋暮らしの竜チェルシー(1/2)
その日から、私はデートプラン考案のために聖域内をあちこち回るようになった。ツアーガイド役を買って出てくれたのは住民の皆だ。
彼らの提案をメモし、実際に現地まで足を運び、本番もそこへ行くか決める。そんなことを何度も繰り返した。
こうしてどうにか計画が固まる頃には、一ヶ月以上が経っている。空中庭園にもすっかり次の季節がやって来て、私も出かける時にはコートを着用するようになり、マフラーや耳当ても手放せなくなった。
住民の中には冬眠する者もいるようだ。商店街の食料品店は、冬ごもりのための食べ物を大量に買い込む人たちで、連日のように賑わうようになる。
守り人も冬祭りの準備に本腰を入れ始めた。
「今年の出し物について確認だ。氷の城に隠されたアイテムを見つける宝探し。チーム対抗で行う雪合戦。そして、参加者たちに特別な夢を授けるデイドリーム。……どれも毎年恒例だな」
居間に集まった私たちは、冬祭りに向けた会議をしていた。
「皆、各イベントの担当者に準備の進捗確認をしておいて欲しい。完了したら、私のところに報告に来ること」
その後の話し合いで、私の受け持ちはデイドリームとなることが決まった。イベント担当者は白霧島にいる夢魔。前にアイザックさんが言っていた、夢集めが趣味の住民である。
会議が終わった後、私は早速彼を訪ねることにした。
守り人の館を出て外を歩いていると、後ろから何やら慌ただしい足音がする。振り返る間もなく走ってきたアイザックさんが私を追い越し、近くの植え込みの中に飛び込んだ。
「オフィリアさん……。ワタクシは植え込みの精です……」
アイザックさんが植え込みの中から話しかけてくる。私は「アイザックさん、普通に話せばよくない?」と返した。
「ワタクシはアイザックではありません……。アイザックは、オフィリアさんと直接言葉を交わすと心臓がドキドキして空に飛んでいってしまいそうなのです……。なので、植え込みの精が代理でお話しをします……」
「分かったわ。それで、用件は何?」
アイザックさんが植え込みに隠れるのを見るのは、これで何度目になるやら。そこ、そんなに居心地がいいのかしら?
「これからオフィリアさんは白霧島に行こうとしていると思います……。ですが、用心するのです……」
「用心って? 危険な生き物でもいるとか?」
デートコースを考えるために色々な島を巡った私だったけど、白霧島にはまだ行ったことがなかった。身を固くしていると、アイザックさんは「違います……」と言う。
「白霧島は、人を惑わすことがあるのです……。あそこはいつも霧が出ている場所……。その霧が、思わぬ出会いをもたらしたり、意外な場所に連れて行ったりすることもあるのです……」
「迷子になるってこと?」
「ある意味ではそうかもしれません……。どうか霧がオフィリアさんを気に入りますように……」
植え込みからガサゴソ音がして、人の気配がなくなる。意味深な言葉を残して、アイザックさんは去っていったようだ。
どうやら、これから私が足を運ぼうとしているのは一筋縄じゃいかないところみたいだ。それでも、守り人のお仕事のためには行かなきゃならない。
……大丈夫。そんなに危ない場所なら、私一人で訪問しろなんてことになるはずないもの。
アイザックさんが単独で送り出してくれたのも、白霧島が危険とは無縁の場所っていうことの証明みたいなものだ。ただちょっと不思議なことが起きる。それだけの話なんだろう。
そんな風に自分を納得させつつも、心のどこかでは警戒の気持ちを抱きながら私は本島と白霧島を繋ぐ空中橋を渡る。
その橋を半分ほど行った辺りから、うっすらとだが視界がぼやけ始めた。周囲に霧が充満してきたんだ。その霧は段々と濃くなっていき、お陰で目的地に着いたこともすぐには気付かなかったほどである。
霧の中でも見えやすくするためなのか、白霧島の建物や道はカラフルなレンガでできており、街灯もたくさん設置されていた。
それでも前方から人が来ることが分からず、ぶつかって始めてその存在を知る、なんてことはしょっちゅうだった。
「今日は特に濃いですなあ」
私と正面衝突しかけた妖精が、ひらりと身をかわしながらそう言った。
「これは、何か起こりそうな予感ですよ!」
どうやら霧が人を惑わすかは、濃度に関係があるようだ。でも、妖精は特に怖がってはいないようだし、やっぱりここはそんなに恐ろしい場所じゃないんだろう。
困ったのは、霧のせいですっかり道が分からなくなってしまったことだ。さっきの妖精に聞こうかとも思ったけど、すでにその姿は見えなくなっている。
どうしたものかと途方に暮れていると、近くで人の気配がした。
「開け 幸せの扉」
まるで水の底から聞こえてくるような、少しくぐもった声だった。
「カギを開けよ カギを開けよ」
その人が口ずさんでいるのは、私が秋祭りで歌った子守歌だった。きっと、あの場にいた住民だろう。私は「すみません」と、その歌い手がいると思われる方に向かって話しかける。
「ちょっと道を教えて欲しくて……」
「答えはあなたの手の中に」
声が段々と遠ざかっていく。私は「待って!」と反射的にその人を追いかけた。
「私、オフィリアです! 白霧島には、守り人のお仕事で来たのですが、迷ってしまって。ですから道を……」
「眠れる幸福 思い出してごらん 何度でも……。ねえ、この続きって何だっけ、お姉ちゃん?」
続きなんてないわ、と私は返そうとした。けれど、その質問に答えたのは別の声だった。
「忘れちゃったの? ダメねえ! お母さんから言われたでしょう? これはとっても大事な歌だから、ちゃんと覚えてないといけない、って」
他にも人がいたのかしら? 声の雰囲気からするに、幼い姉妹という印象だ。
「私たちだけじゃないのよ。私たちの子どもも、その子どもも、そのまた子どもも、ずーっと覚えていないといけないの。だって困るでしょう? 宝箱の開け方を忘れちゃったら……」
不意に、辺りの霧が晴れた。我に返った私は、周囲を見回して呆然となる。
ここ……どこ?
巨大な部屋だ。大きさは、守り人の館の玄関ホールを二倍にしたくらい。高さもかなりのもので、天井はずっと遠くにあった。
窓はどこにもなくて、壁一面が乳白色の石で覆われている。あちこちに置かれた照明が、その石の上に複雑な光の模様を描き出していた。
部屋には机や椅子などの家具があり、私の身長くらいの長さの暖炉には火が入れてあるものの、あまり生活感はない。
私……知らない内にポーターにでも乗っちゃったのかしら? あれって、瞬間移動したい場所を思い浮かべながら使わないと、変なところへ連れて行かれるらしいし……。
当惑していた私は、ふと、他にも人がいると気付いた。
部屋の中心にある巨大なベッド。その薄い布地の天蓋に人影が映っていたんだ。
「あの……?」
ベッドに近づき、声をかける。
「ちょっとお尋ねしたいんですが……」
返ってきたのは寝息だけだ。どうやらお休み中のようである。
少し躊躇いを覚えつつも、私はベッドについていた紐を引っ張って、天蓋をそっと上げた。
寝ているところを起こすのはよくないことだろうけど、このままじゃここがどこかも分からないんだもの。それに、黙って入ってきて黙って出て行くのもどうかと思うし……。
ベッドの上にいたのは、テオよりも幼い少女だった。量が多くて長い髪は深い緑色。そのところどころが、染めたようにピンクになっている。
肌はかなり蒼白くて、ちょっぴり不健康そうだ。着ているのは格調が高そうなローブ。丈が長いので、歩く時は裾を引きずらなければならないだろう。
少女は、耳からイヤリングをぶら下げ、首にはチョーカーをつけ、両手首に腕輪をはめていた。いずれも乳白色をしている。素材は壁を覆っているのと同じ石かしら?
服で隠れて見えないけど、足首にもアンクレットをしているのかもしれない。
少女が身じろぎをした。薄い瞼が開き、飴色をした瞳が覗く。その瞳孔は、は虫類のように縦に長いものだった。
「……っ!」
少女は私の姿を認めると、これ以上は無理だというくらい目を大きく見開いた。私は慌てて弁解を始める。
「あ、あのね、私、道に迷って……」
「ご主人様のお帰りじゃ!」
笑みをたたえた少女はベッドから跳ね起きると、何故か私に飛びついてきた。