大好きよ、アイザックさん(1/1)
簡易迷路は、園路を刈り込んで作られていた。入り口で燭台に乗ったロウソクを受け取り、中へ進む。足元にオレンジ色に光るランタンが等間隔で置かれているお陰で、場内はムードたっぷりだ。
でも私の周囲は賑やかすぎて、情緒の欠片もない感じになってしまっている。
「オフィリアさん、いつもありがとう! さあ、皆も一緒に! せーの……」
「ありがとー!」
大声ではしゃぐ取り巻きたちに、向こうを歩いていた夫婦らしい二人組がぎょっとしたような顔になる。
私は「しっー!」と人差し指を唇に当てた。
「確かにキャンドルウォークは感謝を伝える企画よ。でも、他の人の邪魔しちゃダメでしょう?」
このイベントは初参加だけど、会場の雰囲気からするに、キャンドルウォークは本来ならもっと静かな催し物なんだろう。
迷路を歩きながら、ロウソクとランタンの光の中で相手に日頃お世話になっているお礼をする……って感じの。
でも私の周りにいるのは、感謝の気持ちだけじゃなくて元気も有り余っているような人たちばかりだ。そのせいで、目指すものとは全く違う方向性になっている。
ロウソクの乗った燭台を振り回してキャアキャア騒いでいるから、今にも火事が起きるんじゃないかとヒヤヒヤせずにはいられない。
「すいません! でもあたしたち、オフィリアさんと回れてひゃっはー! って気分で!」
「よし! 今から皆で、オフィリアさんにしてもらって嬉しかったことを一人百個ずつ挙げていこうぜ!」
「朝まで盛り上がっていくぞー!」
ダメだ……。時間が経つごとにどんどんうるさくなっていく……。皆、無駄にハイテンションすぎない? 好かれてるのは嬉しいけど……。
「オフィリアさん」
ふと、すぐ近くの植え込みの中から声がした。アイザックさんだ。声でも判別はつくけど、こんなところから話しかけてくる人なんて彼くらいしかいないもの。
「オフィリアさんの右手の園路に、丸く盛り上がっているところがあるだろう? それは取っ手なんだ。回しながら押してみてくれ」
アイザックさんが何をしようとしているのか分からないけど、好奇心を覚えた私は言われたとおりにした。
すると、園路の一部が割れて、隠されていた小さなドアが現われる。私は腰を屈めてそこを潜った。
ドアの向こうにも緑の道が広がっている。その先にアイザックさんがいた。
「この迷路には、色々なところに隠しドアや隠し通路があるんだ」
アイザックさんが説明してくれる。彼はキャンドルウォークの運営に携わっていたから、どこに何があるのか詳しいんだろう。
「ちょっと抜け出さないか? あなたと歩きたかったのに、このままじゃ叶いそうもないから」
「……分かったわ」
私はドアを隔てたところでまだ盛り上がっている取り巻きたちに視線をやり、少し考えた後で彼の申し出を受け入れた。私がいなくなれば彼らも多少は静かになってくれるだろう。
それに、せっかくのアイザックさんのお誘いを断りたくなかったんだ。だってこの会場、とてもロマンチックなんだもの。どうせなら、その雰囲気を分かち合いたい人と一緒がいいじゃない?
燭台を片手に、私たちは園路の間を歩く。隠し通路の中だからなのか誰ともすれ違わず、完全な二人きりだ。
足元のランタンとロウソクの炎が、私たちの影を伸ばしたり縮めたりする。秋風に木の葉が揺れる音がした。
「いつもありがとう」
辺りに広がる静謐をしばらく堪能した後、このイベントの趣旨を思い出した私はアイザックさんにお礼を言った。
「アイザックさんに守り人に誘われていなかったら、私は今ここにいなかったわ。あなたには感謝してもしきれないわね」
「僕もあなたを守り人に任命して、本当によかったと思っているよ」
アイザックさんは優しい声で返した。
「オフィリアさんはすごくこの聖域を愛してくれているんだって、日々実感することばかりだ。特に、この間の嵐の時なんかね。身の危険も顧みずに人捜しをして、清風島の危機まで救ってくれた。あなたは本当に勇気があるよ。それに、困難にもめげないくらい気丈だ。……僕も、そんなあなたを見習わないとって思うくらい、オフィリアさんは素晴らしい人だよ」
アイザックさんは懐から小さな箱を取り出した。リングケースだ。二ヶ月以上前、彼と交わした会話を思い出し、私の心臓が大きく跳ねた。
まさか……そんなことってあるの?
「秋祭りの贈り物だ。開けてみてくれ」
私は震える手で箱を受け取り、蓋を開けた。中に入っていたのは、琥珀色に輝く石がついた指輪だった。
私は掠れた声で囁く。
「これ、おばあ様の形見の……」
視界がにじんでいく。瞬きすると、まつげの上に涙の粒が乗るのを感じた。
「どうやって探したの? だって私、王都にあるお店ってことしか言わなかったわ!」
「それだけ分かれば充分だよ」
アイザックさんは笑った。
「本島の北に、白霧島っていう場所があるんだ。そこには面白い住民が住んでいてね。夢のコレクションをしているんだよ」
夢って夜に見る? この聖域にいるのは、本当に面白い住人ばかりね。
「その人は珍しいことに、地上に住む人間の夢も持っているんだ。僕は彼に会いに行って、その夢を覗き見させてもらったんだよ」
夢を捕まえられるだけではなく他人の夢を覗けるというのにも驚いたが、話の腰を折りたくなかったので黙っておいた。アイザックさんが続ける。
「その夢の内容は、王都をくまなく散歩するというものだった。だから、僕は空中庭園に居ながらにして首都の様子を知ることができたんだ。その過程で、めぼしそうなお店にも当たりをつけた」
「もしかして、ここしばらくアイザックさんの姿が見えなかったり、会議に遅れてきたりしたのはそのためだったの? 夢の中で王都のお店を探してた? ……でも、それだけじゃ指輪は手に入らないわよね? まさか……アイザックさん、地上へ行ったの?」
「もちろん」
アイザックさんは当然とばかりに頷いた。
「十軒くらい回って、ようやく見つけたよ。でも、運が悪いことにすでに他の人に買われた後でね。その相手を探すのにまた時間を食って……」
「一体いつの間にそんなことをしていたの? だってここから王都までは、往復で一日の大半が終わっちゃうくらい遠いのに」
「秋祭りの準備の追い込みのためって言って、僕が何日か家を空けていた時があっただろう? 実はあの間に……あっ、父さんには言わないでくれ! サボってたのがバレたら、三時間くらいお説教されるに決まってるから!」
「……言わないわ」
私はリングケースごと指輪を抱きしめた。
手間暇かけてお店を探し、地上は嫌いなのに王都へ行って指輪を探してくれた。私を想う気持ちが、彼にそんな行動を取らせたのだ。
おばあ様の形見の指輪が戻ってきたことももちろん嬉しかったけど、アイザックさんの思いやりが何よりも私の心を震わせていた。
「大好きよ、アイザックさん」
感謝の言葉を伝えようと思ったのに、口をついて出たのは自分でも思ってもいなかった言葉だった。でも、これは彼の望みのセリフだったから別にいいか。
……だけど、まさかアイザックさんも、こんなことまでは起こるとは思ってなかったんじゃないかしら?
私はアイザックさんにそっと近づき、背伸びをする。
「……オフィリアさん?」
しばらくの間、何が起きたのかアイザックさんには分からなかったみたいだ。自分の唇を押さえ、ぽかんとしている。
「今の……え、え……?」
「さあ、行きましょう?」
私はイタズラっぽい表情を作ると、アイザックさんを先導するように歩き出す。
こんな大胆な真似ができるなんて自分でも意外だけれど、戸惑いはまるでなく、幸福な気持ちだけが胸を満たしていた。