優勝争いは私のもの(1/1)
会場にアナウンスが流れた。
「ご来場の皆様にお知らせです。競飛の開催時刻まで、一時間となりました。ただ今より観客席を開放いたします。チケットの場所にお座りください。なお、選手の方々におかれましては、速やかにロッカールームで着替えを済ませ、控え室に集合してくださいますようお願いいたします」
私の心臓が喉元までせり上がってきた。テオが「オフィリアさんへのプレゼント渡し会場」にいた人々に向かって、お知らせをする。
「プレゼント渡しは中断いたします。では皆様、次は競飛の会場にてお会いいたしましょう!」
行こう、とテオに目配せされる。会場を中抜けする私に対し、お客さんたちが「ファイト!」と声援を送ってくれるのが聞こえた。
中央広場の外に設置されたロッカールームへ行くと、すでに何人かは着替えを始めているところだった。
私も自分のロッカーに置いてあったユニフォームを身につける。色は皆お揃いの赤。騎乗しやすいようにパンツスタイルで、伸縮性のある素材が使われている。
背中には「三十七番」と書かれたゼッケンが縫い付けられていた。これが私に割り振られた番号だ。ゴーグルも用意されているけれど、これは今すぐに身につける必要はないだろう。首からぶら下げておけばいいか。
着替えを済ませ控え室へ行くと、ちょうどテオも出てくるところだった。全員の集合を確認したコーチのジルさんが、「いよいよこの時がやって来たよ!」と手に持った杵で床をガンガン叩いた。
「あんたたちのこれまでの特訓の成果を見せてやるんだ! さあ、張り切って行くんだよ! 勝っても負けても楽しくやろうじゃないか!」
短いスピーチの後、私たちは馬車で移動する。向かった先は清風島と本島を繋ぐ空中橋だ。
整備係さんたちは宣言通り、秋祭りまでにきちんと橋を直してくれていた。修繕が終わった巨大な空中橋には、ずらりと魔法生物が並んでいる。皆、選手たちの相棒だった。競飛のスタート地点はここなのだ。
私も自分のスペースへ行くと、おーちゃんもちゃんとスタンバイしていた。本番を前に気が高ぶっているらしく、石に覆われた地面を足でカリカリと掻いている。
「調子はどう?」
「グルル!」
おーちゃんは私が背中に乗ると大きな声で鳴いた。コンディションは良好のようだ。私もゴーグルを身につけ、大きく深呼吸する。
やがて、全員の準備が完了した。空中橋にはしばしの間、魔法生物たちが小さく鳴く声と風の音だけが響く。
その静寂を破るように、時計塔の鐘が鳴る。この音が止んだ瞬間が、レース開始の合図だ。
ゴーン……。
鐘が最後の音を打つ。私はおーちゃんに「飛んで!」と指示を出した。
そうしたのは私だけじゃない。辺りからは相棒に合図を出す選手たちの声が次々に聞こえてきた。
私の言葉に従い、おーちゃんが晴れ渡る秋空へと身を躍らせた。
「さあ、今年も熱狂と興奮の一時がやって参りました!」
会場中に響くアナウンスが聞こえてくる。
「秋祭り名物、空の戦い競飛! 実況と解説はこのワシ、ジルがお送りいたします!」
おーちゃんはあちこちに浮遊している小岩をくるくると旋回しながら避けていく。私は手綱を強く握り、時には彼の首にしっかりとつかまりながら、その動きに対処していた。
そんな私のことをジルさんが話題にする。
「今回の注目選手はと言えば、やはり背番号三十七番のオフィリア選手でしょう。ご覧ください! 競飛を始めてまだ三ヶ月ほどしか経たないというのに、あの堂に入った試合運びを! 人鳥一体とはまさにこのことだ!」
宙に浮かぶ観客席に座っている人々が、わあっと盛り上がる。中には、選手と同じユニフォームを着ている人もいた。
「そして、忘れてはいけないのはやはりこの男! 一部のファンの間では銀の流星ともてはやされている、背番号六番のテオ選手! ですが、ワシならばもっとイカしたあだ名をつけるでしょう! たとえば……おおっと! 二十三番、岩に激突しました!」
私の左前を飛んでいた選手が、目の前の岩を避けきれずに正面衝突した。彼は相棒と一緒に落下していく。すかさず風の精霊たちが助けに入り、彼らを安全圏まで運んでいった。
「早速本試合一人目の脱落者が出ましたねえ。では、先ほどの事故をリプレイでどうぞ」
空のあちこちに浮かんでいる巨大な掲示板に、スタッフたちが素早く絵を描いていった。観客たちが「ああ~!」と痛そうな声を上げる。
障害物にぶつかっても失格にはならないとジルさんは言っていた。でも、当たったらやっぱり無事では済まないみたいだ。その結果、試合を続行できなくなってしまう。
つまり、勝ち残りたければ避けれるものは全部避けないといけないということだ。
「さあて、痛ましい事故はありつつも、早くも第一ポイントを通過した選手もいるようです! お馴染み、銀の流星テオ選手ですね。現在のトップは六番のテオ選手です! おおっと、それに続き、四十一番と十二番の選手も次々とポイント通過です!」
スタッフたちが慌ただしく掲示板に書かれた順位を更新していく。私が第一ポイントを通過した時点での順位は二十。今年の競飛の参加者は大体五十人くらいらしいから、真ん中辺りってところだろう。
「グルルル!」
そのことに気付き、おーちゃんが闘志に満ちた声を出す。トップスピードに入ろうとする彼を私はいさめた。
「まだよ、おーちゃん! こんなところで飛ばしたら、終わりまで持たないわ!」
「グルル……」
おーちゃんは不満そうな口調ながらも、私の忠言を聞き入れてくれた。間近に迫っていた障害物の空中橋をひらりと避ける。
一方、後ろの方からはゴン! ゴン! と嫌な音が聞こえてきた。
「こらあ! 橋が壊れるだろうがあ! ……おっと、失礼しました。四十九番と十八番の選手……それに二十五番の選手が失格となりました。皆さんも、空中橋にはくれぐれも注意しましょう」
観客席から失笑が漏れる。嵐の日の事件を皆思い出しているんだろう。
その後も試合は進み、選手たちは次々に脱落していく。岩にぶつかったり、飛んできた鳥と激突したり、急に魔法生物のコントロールが利かなくなったり……。
どうもこの競技、きちんとゴールできる選手の方が少ないらしかった。
「さあ、いよいよレースも中盤戦! 第五ポイントの通過順は、上から十九番、十二番、六番となっております!」
テオは少し順位を落として三番となっていた。それでも上位には違いない。だけど、私も負けていないと思う。第五ポイントを通過した時は、十一番手だったから。
「いいペースよ、おーちゃん。確実に追い上げてきてるわ」
第六ポイントが近づいてくる。その近くの観客席に、見覚えのある巨大な布が張られていた。
『麗しのオフィリアさん、がんばれ! 後、テオも!』
結局はほとんど私が作ることになった横断幕だ。
最前列にはおじさまとおばさま、それにアイザックさんがいた。彼はこちらに向かって声の限りに叫んでいる。
あいにく何を言っているのかはさっぱり聞こえなかったけど、その声援が私に力をくれた。姿勢を低くし、おーちゃんに指示を出す。
「そろそろ出し惜しみしてる場合じゃなくなってきたわね。……行くわよ!」
「グルル!」
この時を待っていたとばかりに、おーちゃんが速度を上げた。風景があっという間に後ろへと流れていく。冷たい秋風が激励するように私の頬を叩いた。
「三十七番オフィリア選手、これは大きく出ました! この段階でこのスピード! 彼女は恐れを知らないのか!? 二十九番、三十番、四十四番の選手をマンドラゴラ抜きだあー! まさに勝利への執念が垣間見える熱いプレーと言えましょう! そして、第六ポイントをただ今通過! 順位は、な、何と四位! これはすごい! 未だかつて、このような初心者は見たことがありません! そして、運命も彼女に味方した! 一位を独走していた十二番の選手が機体トラブルにより急遽離脱! 三十七番オフィリア選手、順位が繰り上がり三番手となりました!」
ジルさんが何だか熱烈な解説をしていたような気がするけれど、興奮状態の私の耳には半分も入っていなかった。
その後、第七、第八ポイントでは順位に変化はなかったけれど、第九ポイントまで残り半分のところで、ついに目の前の選手を追い抜いた。
ジルさんはすっかり舞い上がっており、甲高い声で試合状況をまくし立てている。
「今年の競飛が始まった時には、誰がこんな展開を予想していたでしょうか!? 優勝争いは、六番テオ選手と三十七番オフィリア選手の一騎打ちとなりそうです! 何故彼らは守り人をしているのか!? もはや職業変更を考えた方がよいのではないかと思わせる展開ですっ!」
観客席からも熱い声が聞こえてきた。私とテオは、時に前になり時に後ろになったりのデッドヒートを演じている。
「第九ポイント通過ぁー! 僅差でテオ選手が一位です! しかし、オフィリア選手にもまだまだチャンスは残されている! ゴールはもう目の前です! 皆様、瞬き厳禁で最後までお楽しみください!」
浮遊する小岩たちの群れを右に左にかわしながら、おーちゃんがラストスパートをかける。隣では、テオが相棒に同じことをするように指示を出していた。
ゴールテープが青空の向こうにうっすらと見える。私たちは相変わらず抜きつ抜かれつの接戦を繰り広げていた。
その時だ。ゴーグルの上を何かが滑ったのは。
これは……水の粒? その正体を理解するまで一秒とかからなかった。雨だ。
……いける!
「おーちゃん!」
「グルルル!」
もう限界まで速度を上げていたはずのおーちゃんが、さらに速く飛行した。ゴールテープが眼前に飛び込んでくる。
「優勝は……オフィリア選手!」
花火が次々に上がり、会場は割れるような拍手で包まれた。先ほどまで小ぶりだった雨は今ではすっかり本格な土砂降りになっていたけれど、誰もそんなことは気にしていない。
私にとっても、火照った体にこの冷たさはちょうどよかった。
「オフィリア! オフィリア!」
観客席のあらゆるところから私の名前を呼ぶ声が聞こえる。私が表彰台に立ち、優勝トロフィーをもらうまで、歓喜の声が止むことはなかった。