主の宝物庫(1/1)
いよいよ秋も深まってきて、空中庭園の木々が赤やオレンジのカラフルな色に染まり出す。
お祭りまで後三週間ほど。会場となる中央広場は封鎖され、大工道具を抱えた職人さんたちが出入りするようになる。人々の興奮も否が応でも高まってきていた。
私がテオに呼び出されたのはそんな折のことだった。
初めは会場設営でトラブルでも起きたのかと思ったけど、どうもそうじゃないらしい。彼は「守り人研修プログラムのステップ二だよ」と説明した。
「これ、本当は三ヶ月目にする内容なんだけどね。オフィリアさんは優秀だから、皆で話し合って早めに受けてもらうことにしたんだ」
そういえば仕事始めの時に研修プログラムの一環として、本島の案内と業務内容の説明を受けたっけ。あの時はアイザックさんが担当してくれたのよね。
あの嵐の日以来私を新人呼びする人は誰もいなくなったから、こういう場を設けられると、経験日数の浅さを再認識する思いだった。
「実は、今回もお兄ちゃんに頼もうかと思ってたけど、どこ行っちゃったのか分からなくて。だから僕が指導役をすることになったんだ。後で知ったら、お兄ちゃん悔しがるだろうなあ」
「アイザックさん、またどこか行ってるの?」
相変わらず会議に遅刻してくることも多いし、最近のアイザックさんの行動には謎が多かった。テオは「うーん……」と唸る。
「前に偶然見た時は、白霧島の空中橋の近くにいたよ。ひょっとしたら、別の島にいるのかもね」
「白霧島?」
「一年中霧に覆われている島だよ。まあ、今はお兄ちゃんのことは置いておこう。それより、オフィリアさんの研修だよ」
「そうだったわね。頑張るわ。どんなことをするの?」
「そんなに張り切らなくてもいいよ。ただ、知っておいて欲しいことがあるっていうだけだから」
テオに案内されてやって来たのは、本島の北東にある森だった。私がまだ行ったことのない場所だ。
あちこちの木陰から、森の精霊たちがこちらを興味津々に見ている。彼らは川の精霊と同じ鈴が鳴るような声で、仲間と熱心に囁きを交わしていた。
「着いたよ」
テオは森の中にある洞窟の前で足を止めた。暗くて中はよく見えない。
「ここって本当は、守り人でも許可がないと入れないんだ。でも、今回は特別。研修だからね」
よく分からないけど、とても重要な場所らしい。私は緊張で体が硬くなるのを感じながら、テオに続いて洞窟内に足を踏み入れた。
真っ暗だった洞窟は、人の気配を感じた途端に明るくなった。頭上の大きなシャンデリアのような装飾が、ひとりでに点灯したのだ。
明るい光の中で見ると、洞窟内の様子がよく見えた。広さは私の部屋の半分くらい。天井もそこまで高くないので、どこか圧迫感のようなものを覚えずにはいられない。
そして、何故か洞窟の壁は穴だらけだった。大から小まで様々な大きさで、辺り一面、どこを見渡してもでこぼこしている。
最奥の壁には、奇妙な模様が彫られていた。何となくだけど、文字のようにも見える。
『ここは幸福と邂逅する場所』
そんな言葉が頭に浮かんでくる。一体どういう意味だろう?
「この洞窟はね、宝物庫って呼ばれてるんだ」
テオの声に現実に引き戻される。大事な研修の最中だったと思い出し、慌てて背筋を伸ばした。
「宝物庫ってことはお宝があるの? ……どこに?」
私は辺りを見回したけど、金貨や宝石のような価値がありそうなものはどこにもない。天井のシャンデリアは高価そうに見えるけど、宝物をわざわざ照明器具に使ったりはしないだろう。
「お宝の在処は僕も分からないよ。知ってるのはこの聖域の主だけなんだ」
「聖域の主……」
そう言えば、この空中庭園には主人と言うべき存在がいると教えてもらったことがある。でも、私はまだその人に一度も会ったことがなかった。
「聖域の主人はまだお留守なの? 随分長いこと出かけてるのね」
「ざっと千年ほどね」
テオの返事に私は言葉を失う。千年も不在にしてるですって?
「千年前、主は地上へ降りていったんだ。で、それ以来戻ってないんだよ」
「この空中庭園を捨てて地上へ!?」
私は愕然となった。こんな天国みたいな場所を離れる人の気持ちが理解できなかったんだ。
するとテオは、「別に捨てたんじゃないよ!」と慌てる。
「ブライス様は、いつか戻ってくるつもりで発ったんだ! 捨てるなんてとんでもない!」
「ブライス様?」
「千年前の主の名前だよ」
「……そう」
奇妙な感覚を覚えずにはいられない。この感じ、どこかで体験したような……。
……ああ、そうだ。この空中庭園が「聖域」とも言うのだと教えてもらった時だ。
サンクチュアリにブライス。面白い偶然もあったものね。
私が物思いにふけっているとは気付かず、テオは一人で喋っていた。
「ブライス様が地上へ行ったのにはちゃんと訳が……あっ! これはまだ話しちゃダメなことだった! 続きは、守り人研修プログラムの六ヶ月目の内容でね。とにかく、今の段階でオフィリアさんに知っておいて欲しいのは、この聖域には宝物庫っていう大事な場所があるってことなんだ」
「……分かったわ」
私的にはこんな穴だらけの洞窟なんかより、聖域の主の話の方が気になったけど、いつかは教えてもらえるみたいだ。だから、この場で問いただすのはやめにしておこう。
「それで、主人はここに何を隠したの?」
「それも知らない」
テオが首を振る。
「謎が多いんだよ、この場所は。主が帰ってきたら教えてくれるかもしれないけどね」
「でも、千年前の人でしょう? とっくに亡くなってると思うけど……」
「それでも、血に宿る記憶と意思は消えないよ」
テオはにっこりと笑った。
「大丈夫、いつか必ず帰ってくるよ。主の帰還を待つことも、ボクたち守り人の大事な勤めだからね。……ううん、一番大事な勤め、かな」
「テオ……」
私の体を強い衝撃が貫いた。気付いた時には、彼の細身の体をぎゅっと抱きしめている。
「オフィリアさん?」
「ごめんね……。何だかよく分からないけど、どうしてもこうしてあげたくて……」
私はテオの柔らかな銀髪を撫でた。あまりにも健気だ。一体これまで何人の守り人が、帰ることのない主人を待ちながらその生涯を終えたんだろう。
「もう待たなくていいわよ、テオ。主なんかいなくても、聖域はずっと上手くやって来られたんでしょう? それか、あなたたち守り人が主人になっちゃえばいいんだわ」
「それじゃあ裏切りになっちゃうよ」
テオは苦笑いした。まったく、忠誠心の厚いことだ。
「……もし私の生きている内に主が帰還することがあれば、歴代の守り人に代わって一発平手打ちしておいてあげるわ」
もっとも、それで充分とは思わなかったけれど。テオは浅緑の目を丸くする。
「オフィリアさんって、そんなに武闘派だったっけ?」
テオだけではなく、私もちょっとびっくりしていた。こんな乱暴な考えが浮かんできたのは初めてだったからだ。おばあ様が聞いたら、「淑女ともあろうにはしたないですよ、レディ」と叱るに違いない。
「この洞窟って、やっぱり特別なところなのかもね」
謎の敵意は、この場所のせいってことにしておこう。主を見かけたらガツンと言ってやろうと心に決め、私はテオと共に宝物庫を後にした。