鹿しのォフイリァちん、かんぼわ! 後、テ(1/1)
嵐の翌日、聖域には青空が戻っていた。
大変な一日は過ぎたけれど、守り人の仕事はまだ終わっていない。風で飛ばされてきた枝を片付けたり、壊れてしまった建物を直したりしないといけないから。
「オフィリアちゃん、大活躍だったんですってねえ!」
「もう期待の新人なんて呼べないね。これからは伝説の守り人って言わないと!」
私は自分の功績を触れ回ったりしなかったけど、何故か昨日のことは聖域中の皆が知っていた。……いや、「何故か」なんて言うのはおかしいかもしれないけど。
「オフィリアさんを次代の守り人に勧誘した時から、僕はきちんと分かっていたよ。彼女は最高の才能を持っていると!」
「でさ、オフィリアが長い棒を持ってきたんだ! それをこんな風にはめ込んで……」
「飛行部隊を指揮していた時の姿、あんたたちにも見せたかったなあ。淡い金の髪がぶわっと広がって、後光みたいになってたんだぜ!」
「リィィン!」
どうやら二つの事件の関係者が、会う人会う人に昨日のことを喋り倒していたらしい。聞き手の皆は感心したように「ほほう……」と口を半開きにしている。
「オフィリアさんを最初にお世話したのはアタシなんですよ!」
聴衆の中には接客係の妖精、パティちゃんの姿もあった。元気いっぱいの彼女に、私は驚きを隠せない。
「思ったより落ち込んでないのね、パティちゃん。橋を壊した罰として、秋祭りで行われる競飛の出場資格を剥奪されたって聞いたけど」
ちなみにコーチのジルさんも、「誰彼構わず勧誘しないこと」と厳重注意されたらしい。パティちゃんは「ふふん」と胸をそびやかした。
「まだ来年がありますから! 練習時間が増えたと思えばいいんですよ!」
パティちゃんって、随分前向きなのね。何で得意そうな顔なのかは謎のままだけど。
嵐の後の片付けはいつも一週間はかかるらしいけど、今回は三日で終わってしまった。おばさま曰く、「住民の皆が『オフィリアちゃんのお仕事を手伝いたい』って協力してくれたからよ!」らしい。
こうして天災の名残がすっかり消え去った聖域だけど、今度は別の意味で忙しくなる時期がやって来た。秋祭りの本格的な準備だ。
「もう秋祭りまで二ヶ月を切っているからな」
居間に集まったおばさまとテオ、それに私に向けて、おじさまが激励の言葉を飛ばす。
「守り人の仕事の一つに、季節の祭りの運営がある。今年の秋祭りも、去年に負けず劣らず素晴らしいものにしようではないか! では……」
「すまない! もう始まってるか!?」
肩で息をしながらアイザックさんが居間に飛び込んできた。おじさまが「二十分遅刻だ」と厳しい声を出す。
「アイザック……お前が会議に遅れてくるのは今回で三度目だぞ。一体どこで何をしていたんだ」
「ちょっと……色々……あって……」
アイザックさんがぜえぜえ言いながら、私の向かいの席に座る。置いてあったポットからグラスに水を注ぎ、がぶりと一気飲みした。汗で銀色の髪が額に張り付いている。
おじさまがアイザックさんの乱入で中断していた会議を再開する。今回の議題は、秋祭りで行われるイベント企画の進捗確認だった。私はその中でも、競飛のコースの見回りを任される。
「アイザックさん、大丈夫?」
会議が終わった後、私はアイザックさんに声をかけた。
「おじさまの言うとおり、最近遅刻が多いわよ。アイザックさんって、こんなに時間にルーズじゃなかったはずでしょう? 何か困ってることがあるなら、相談に乗るけど」
「優しいんだな、オフィリアさん。でも、大丈夫だ。……さあ、僕も行かないと! キャンドルウォークで使うロウソクの在庫確認があるからね!」
アイザックさんは足早に居間を出ていった。
何か引っかかるものを感じたけど、本人が大丈夫って言うんだから、ここはそっとしておく方がいいかしら?
仮にトラブルに巻き込まれていたとしたら、その内私の耳にも入るだろうし。この空中庭園では、大抵の噂話は雷と同じ速度で広まっていくんだから。
守り人の館の外に出ると、爽やかな秋風が頬を撫でる。最近では日差しも和らいできて、もうすぐ半袖の服の出番は終わりを向えそうだ。
清風島へ行くと、ジルさんがちょうど競飛のコース調整のために出かけるところだったから、同行させてもらうことにした。相棒のおーちゃんを呼んできて、その背中にまたがる。
「お嬢さん、最近忙しいのかね?」
空飛ぶ石臼に乗ったジルさんがそう聞いてきた。
「前は毎日競飛の練習をしていたのに、最近では二日に一回しか来ないじゃないか」
「すみません。秋祭りで配るプレゼントの準備がありまして」
「ほほう? 誰に渡すつもりだね」
「この聖域の皆に」
「ほっほっほ。それは随分大きく出たね!」
ジルさんはおかしそうに笑った。バカにしているというよりも、感心しているような声だった。
ジルさんの解説を聞きながら、私はコースの見回りをしていく。どうやら、本島の周りをぐるりと飛ぶ形になるらしい。客たちは、空に設置された浮遊する観客席から試合を見るとのことだった。
「あんたも知ってのとおり、本島の周りには空中橋や島とも呼べないくらいの小さい岩がたくさんある。当たっても失格にはならないけど、大幅なタイムロスに繋がるから注意しなよ」
清風島と本島を繋ぐ空中橋から「おーい!」と呼び声がした。こっちに手を振っているのは整備係の職人さんたちだ。
「橋の修理はどうですか?」
「今度こそ大丈夫だ! 秋祭りまでにはバッチリ直ってるよ!」
橋のたもとにいたペガサスが「ヒヒン!」と鳴いた。空中橋は通行止めになっているので、二つの島の行き来は飛行生物に頼っていたのだ。
「頑張ってくださいね!」
職人さんたちを励まし、私はコースの確認に戻る。嵐の日の橋崩落事件を思い出しているのか、ジルさんは「特に、空中橋にだけは絶対にぶつかるんじゃないよ」と念押しした。
「サンダーバードは体が大きい分小回りが利かないから、障害物があってもすぐには避けられないからね。まあ、あんたは大丈夫だと思うが……。次にあんなことがあったら、今後空中庭園で競飛は禁止になっちまうよ!」
ジルさんはぶるりと身震いした後、「……あ、そうそう」と何かを思い出したような口調になった。
「競飛の出場者たちが着るユニフォームがそろそろ出来上がるよ。本番はそれを着用しておくれ」
「ユニフォームなんてあるんですか……。本格的な試合って感じですね!」
コースにも問題はなかったし、本日の守り人のお仕事はこれで終了だ。館に帰った私は報告を済ませると、自室へ向かった。
机の上に裁縫道具を並べ、せっせと針仕事をしていく。
秋祭りに向けて、守り人の任務以外にも私は色々なことをしていた。競飛の練習に贈り物の準備、そして晴れ着の作成。
夏祭りで着た素敵なドレスを、私はどうしても忘れられなかった。あの時みたいな綺麗な服を着て、またお祭りに行きたかったのだ。だから、衣装を自作することにしたのである。
幸いにも針仕事は得意だったので、デザインさえ決まれば作業はスムーズに進められた。
「ふ、ぁああ……」
没頭すること数時間。外はすっかり暗くなっていた。体の強ばりを解すため、そして渇いた喉を潤すために、一階まで水を飲みに行こうと部屋のドアを開けた。
その途端、鼻が濃厚な香りをかぎつける。お腹がぐぅと鳴った。今夜はシチューね!
予想は大当たりで、台所では料理当番のおじさまが鍋をかき回し、助っ人のおばさまがサラダ用の葉野菜を切っていた。
「もうすぐできますからな」
おじさまがシチューの味見をしながら言った。
「息子たちにもそのつもりでいるように言っておいてくれませんか? 居間にいるはずです。出来上がってから呼ぶと『今キリが悪いから後で!』と返され、いつまで経っても台所へ来そうにありませんから」
キリが悪い? 二人で何かしてるのかしら?
疑問に思いつつも居間へ行く。そこでは、とてつもなく長い布を膝の上に乗せたアイザックさんがソファーに座り、テオが背もたれの後ろから兄の手元を見ていた。
「お兄ちゃん、これだと布が足りなくなるよ! 途中で文字が切れちゃう!」
「……本当だな。いや、それ以前に色々と問題がある気もするが……」
兄弟は難しい顔で議論をしていた。私は「二人とも、どうしたの?」と質問をする。そして、「それ、何?」とアイザックさんが持っている布を指差した。
「横断幕だよ」
アイザックさんが自慢げに言った。テオがテーブルの上に置いてあった完成図を見せてくれる。
『麗しのオフィリアさん、がんばれ! 後、テオも!』
紙の上の横断幕にはそう書いてあった。アイザックさんが「競飛の時に使うんだ」と説明する。
「私のために用意してくれたの? ありがとう! だけど、『後、テオも!』っていう部分は……」
「最初は『麗しのオフィリアさん、がんばれ!』だけにするつもりだったんだけど、テオが『僕の応援はしてくれないの?』と聞いてきたから追加しておいたんだ」
それでこんな、いかにも後から入れました、って感じになったのね。
テオは気を悪くしてるんじゃないかと思ったけど、嬉々として兄を手伝っているから、その辺は心配しなくてもよさそうだった。
「……作業、あんまり上手くいってないみたいね」
今アイザックさんが持っている横断幕には、
『鹿しのォフイリァちん、かんぼわ! 後、テ』
と書かれていた。「オも!」の部分は布が足りなくて書き切れなかったらしい。
文字は、白い布に黒い糸で刺繍されていた。アイザックさんの近くに針山が置いてあることから考えるに、彼がやったのだろう。
「商店街で買ってきた魔法の針だよ」
アイザックさんが言った。
「頭に思い浮かべるだけで、好きな刺繍が完成するんだ。……ただし、その出来は使用者の裁縫の技術に左右されるけど」
アイザックさんが言うなり、裁縫箱から糸のついた針がいくつも飛び出し、布の端っこに「右左ちわろけと゜」と刺繍した。どうやら、アイザックさんはお裁縫が得意じゃないみたいだ。
「これは初めからやり直しだな」
「後、布も足りないし……」
兄弟はげんなりしながら刺繍を解いていく。困り果てている二人を見た私は「ちょっと待ってて!」と言って、二階の自室へ向かった。白い布を持って急いで戻る。
「これ使って! ちょうど余ってたの!」
私の部屋にはたくさん布があった。以前に服飾工房のヘルプに入った時にもらったものだ。だからアイザックさんたちに布を分けてあげても、秋祭りの衣装作りに支障を来すことはなかった。
「魔法の針は私が使ってみるわ。それと平行してミシンも使用しましょう。そうすれば早く作業ができると思うし」
「オフィリアさん、助けてくれるの? それなら百人力だね! ミシンって足踏みペダルがついてる機械のことだったよね? 確か物置にあったと思うから見てくるよ!」
テオが弾んだ足取りで部屋から出て行く。それとは対照的に、アイザックさんは渋い顔だ。
「これはオフィリアさんを応援するための横断幕だ。それをあなたに手伝ってもらうのは……」
「テオには協力してもらってるじゃない。だったら、そんなこと気にしないでいいと思うけど。……さあ、アイザックさんも一緒に作業しましょう。お裁縫のことなら教えてあげられるから。まずは針に糸を通して……」
「い、いきなり難しいな。指が震える……」
「そんなに緊張しないで。ほら……」
私はアイザックさんの手の上に自分の手を重ねた。アイザックさんの指の震えは止まったけど、同時に心臓も停止してしまったみたいだ。苦しそうに胸を押さえる。
「オフィリアさん……魔法の針を使うのはやめよう。その代わり、手取り足取り僕を指導してくれ……」
アイザックさんが陶然と囁く。私は体温が上昇するのを感じた。
「……全部手作業でやってたら、本番までに完成しないわよ」
おじさまが居間にやって来て、「夕食の支度ができたぞ」と知らせてくれる。
でも、見つめ合うのに忙しかった私たちは、「今キリが悪いから後で!」と無意識の内に返していたのだった。