嵐が来ました。ちょっと橋の様子を見てきます。(1/1)
役割を終えて解散した捜索隊員と同様に、私も濡れた服を体にまとわりつかせながら守り人の館へ帰宅しようとする。
その最中、時計塔の鐘が十一回鳴るのが聞こえた。
アイザックさんの言うとおり、嵐でも時報は通常運転だ。今日も張り切って聖域中に時刻を告げている。
――あそこには拡散魔法が仕込まれていて、空中庭園の中なら好きな範囲に音を届けられるんだ。
ふとアイザックさんの言葉が蘇ってきた。
初めは、どうしてそのセリフが引っかかったのか分からなかった。
でも、すぐに気付く。空中庭園全域に音を届けられる。……これだ!
嵐のせいで昨日と今日はすっかりそれどころじゃなかったけど、私は秋祭りでお世話になった人に贈るものを考えていたんだ。
悩みどころは、私にとっての恩人が多すぎることだったけど……今閃いた。大切な人皆に贈り物を届ける方法が。
こうしちゃいられないわ! 早く帰って、もっと内容を詰めないと!
私は暴風雨の中で出せる最大限のスピードで帰宅しようとした。
けれど、今日は何かと事件が多発する日らしい。住民の男性が、泡を食った様子で「オフィリアさん!」と話しかけてきた。
「ああ、よかった! こんなところで守り人に会えるとは! 大変なんです!」
「トッドのことですか? それなら、もう見つかりましたよ」
「え、そうなんですか? それは一安心……と言いたいところですが、別の事件が起きました! は、はし……橋が……!」
橋と聞いて、私は真っ先に昨日修繕が終わったばかりの清風島の空中橋を思い出した。嫌な予感しかしなかったけど、男性は慌てているためか要領を得ない説明しかしてくれない。
じれったくなった私は、彼の案内で事件現場へ向かうことにした。
予想通り、彼が私を連れてきたのは清風島に続く空中橋のある場所だった。
いいえ、あった場所と表現する方がいいかしら?
空中橋は中程で崩落し、二つの島は簡単には行き来できないようになっていたのだ。
それは橋が壊れているからというだけじゃない。
吹き荒れる風に流され、清風島がどんどん本島から遠ざかっていたんだ。
トッドといる時地震のような揺れを感じたけど、その原因が分かった。あれは橋が崩壊して、清風島が本島から切り離された時の衝撃によるものだったんだ。
「そぉれ!」
「ダメだ! 届かない!」
本島の縁ギリギリのところに立っていたのは整備係の職人さんたちだ。彼らは手にカギ縄を持ち、清風島の橋に引っかけて二つの島が離れていかないようにしようと必死だった。
でも、縄の先端はどこにも引っかからずに虚しく下に落ちていくだけ。風で狙いが狂ってしまっているからだろう。それに、距離が開きすぎているのも原因かもしれない。
「おお、来てくれたか、守り人さん!」
私の姿を認めると、職人さんたちは安堵の表情を浮かべた。
「見てのとおりだ。えらいことになっちゃまった!」
「空中橋の応急処置は昨日済ませたはずでは?」
「そのつもりだったんだけどよお……」
職人さんたちは面目なさそうな顔になる。
「あの時はもう夜で真っ暗になってたせいか、見落としがあったらしい。そんでこのザマだ!」
「このまま放っておいたら、清風島がどっかへ行っちまうぜ! で、最後には地上に落っこちちまう!」
清風島が!? 私はあの場所で過ごした数多くの時間を思い出して震え上がった。
清風島だって私の大切な聖域の一部なのに。このままだと、それが永久に失われてしまう。
それに、あの島には住民も住んでいるんだ。もし島が地上へ落下したら、彼らは無事では済まないだろう。
「こういう時って、普段はどうしてるんですか?」
「あんまり事例がねえからな……。でも、マニュアルには島をどうにかして繋ぎ止めておいて、その間に処置をしろ、って書いてあったぜ」
「だけどあんな手順書、ご覧のとおり全然役に立ってねえんだよ!」
整備係の職人さんの投げたカギ縄は、またしても向こう側へ届かなかった。
「そんな縄なんかで、島を繋いでおけるものなんですか? 切れたりしません?」
「これは魔法生物の毛で作られてるからな。見た目よりも丈夫なんだよ」
「ただ、どんなにいい縄があってもこれじゃあどうしようもねえ!」
「こういう時頼りになるのは守り人だ。で、人を遣って呼びに行かせたってわけだ。どうすればいいか指示をくれ、オフィリアさん!」
職人さん全員からのすがるような視線を感じる。私はごくりと喉を動かした。
そんなことを言われても困る、なんて弱音を吐いている時間はなかった。私がどうにかしないといけないんだ。守り人として、大切な聖域を守らなければ……。
私は額を押さえながら事態解決のヒントを探して辺りを見回す。すると、雨でかすむ視界の先に、地面から発生する虹色の湯気のようなものが見えた。
「ポーター……」
確か、守り人になった第一日目にアイザックさんから説明してもらったことがある。あれに乗れば、一度行った場所へ一瞬で移動できるとか……。
ポーターの揺らめきが強くなり、その存在が消滅しかかる。私はとっさにそこに飛び乗った。頭の中に円形の巨大な建物をしっかりと思い浮かべる。
「清風島のアリーナへ!」
そう叫んだのと同時に、脳を強くかき乱される感覚に襲われた。少し気分が悪くなってよろめく。
その時、私は周囲の光景が変わっていることに気付いた。
膨大な数の観客席と土でできたグラウンド。私がいつも競飛の練習で使用しているアリーナだ。
私は大急ぎでアリーナに併設されている鳥舎に向かった。様々な魔法生物の鳴く声がする。
「おーちゃん!」
「グルルル!」
私が呼びかけると、相棒は嬉しそうに天井の空いた屋根から空に舞い上がった。空に光る雷が、その大きなシルエットを神々しく照らす。
今日のおーちゃんはいつもとは違って見えた。普段の十倍は元気そうで、羽も艶やかに光っている。コーチのジルさんが言っていたとおりだ。サンダーバードは悪天候でこそ強くなる生物なんだ。
「グルル!」
鳥舎の地面に降り立ったおーちゃんは、嬉しそうに私に甘えてくる。私は彼の頭を撫ででやりながらも「悪いけど、遊びに来たわけじゃないのよ」と言ってその背に鞍をつけた。
「清風島が大変なの。力を貸してくれるわよね?」
「グルルルル!」
お安いご用だと言わんばかりに、おーちゃんは私をくちばしでつまみ上げて鞍の上に乗せた。そのまま外へ羽ばたいていく。
「空中橋まで行って欲しいの。……あっ、その前に牧場にもね!」
あることを思い付き、私はおーちゃんへの指示内容を変えた。おーちゃんは軽々と方向転換すると、目的地に着地する。
「皆、いる!?」
この天気だから仕方ないけど、牧場には生き物の気配が全くなかった。魔法生物たちも住民と同じように安全な場所にこもっているらしい。
だけど、事件を解決するには彼らの助力が必要だ。私はもう一度呼びかけた。
「清風島が危ないの! お願い、私に力を貸して!」
私が口を閉ざすと、辺りに響くのは雨と風の音だけになった。やっぱり、こんな嵐じゃ姿を見せてくれるわけはないか。
そう思って諦めようとした時のこと。風の音に混じって「キィ……」と鳴く声がした。
向こうの木立から、グリフォンが駆け寄ってくる。続いてペガサスが、フェニックスが……。
初めて牧場へ来た時と同じだ。私はあっという間に魔法生物たちに囲まれていた。
「あなたたちの助けが必要だわ」
私はおーちゃんの背中から呼びかけた。
「皆、私についてきて!」
魔法生物たちが一斉に鳴き声を上げる。足の下でおーちゃんの体の筋肉が強ばったかと思うと一気に弛緩し、荒れ模様の空へと飛び立った。
おーちゃんの最高速度は前に一度経験したことがあると思っていたけど、今回はそれとは比べものにならないくらいの高速飛行だ。私が競飛の訓練を何度も積んでいなかったら、とてもじゃないけど耐えられなかっただろう。
雨が針のように肌を打ち、風が耳元でうなりを上げる。私は姿勢を低くしながら、手綱をしっかりと握りしめた。
その少々きつい態勢を続けることしばらくして、私とおーちゃんは空中橋のある場所へたどり着いた。
先ほど見た時よりも、清風島は本島からさらに遠ざかっている。整備係の職人さんたちなんて、もう豆粒のような点にしか見えない。
おーちゃんがスピードを緩め、本島へと近づいていった。職人さんたちの姿が段々と大きくなってくる。
彼らはまだカギ縄を清風島に引っかけようと虚しい努力をしていた。空を切る縄を私はつかむ。
「私がこの先端を清風島の地面に刺してきます!」
私はおーちゃんに清風島に戻るように指示した。カギ縄の先の金属の部分を、清風島の地面にしっかりとめり込ませる。
その頃になって、遅れてきた魔法生物たちも現場に到着した。賢い彼らは私がしていることを見て、自分たちの仕事を理解したらしい。職人さんの方へ飛んでいく。
あるものは口で、またあるものは尻尾でカギ縄をつかむ。そして、縄の先を清風島に突き刺した。
手持ちの縄が底をつく頃、職人さんたちが「次行くぞ!」と叫んだ。
「皆、力一杯引っ張れ!」
「オーエス、オーエス!」
かけ声に合わせ、職人さんたちが懸命に縄を引く。おーちゃんや他の魔法生物たちもそれに力を貸した。
それでも、島一つを動かすというのは並大抵のことじゃない。雨で縄が滑るせいもあって、清風島がこちらに近づいてくる気配は中々なかった。
「誰か、力自慢はいないんですか!?」
私は職人さんたちに向けて問いかける。すると一人が、「いるぜ!」と返事した。
「ちょうどこの近くに住んでるんだ! 今連れてくるぞ!」
一旦その場を抜けた職人さんは、すぐに助っ人をぞろぞろと連れて戻ってきた。私の背丈の二倍はありそうなオークたちだ。
「オフィリア、こまってる、きいた」
「なわ、ひく?」
「ええ! 助けてちょうだい!」
「わかった!」
オークたちは玄関マット並みに大きな手で縄をがっしりとつかむ。何とも頼もしい光景だ。
「さあ、やるぞ!」
「オーエス、オーエス!」
「おーえす、おーえす!」
「ギャアアン、ギャアアン!」
職人さんたちの声にオークの低く唸るような声が混じり合う。そこに魔法生物の鳴き声も加わって、激しい嵐をしのぐほどの熱狂が辺りに渦巻いた。
ゆっくりと、それでも確実に清風島は本島の方へ近づいてくる。皆の「オーエス!」というかけ声がどんどん大きくなる。
そしてついに、清風島は元あった場所へと戻ってきた。
「今だ! 橋の補強開始!」
職人さんが次々と壊れた空中橋へ向かっていく。ここまで来れば、もう私の助けは必要ないだろう。
私は力を貸してくれた魔法生物たちにお礼を言った。
「皆、ありがとう。疲れたでしょう? 後はゆっくり休んで!」
解散を言い渡すと、魔法生物たちはそれぞれ鳴き声を上げながら清風島へと帰っていく。
もし島が流されたままだったら、もう彼らと会うこともなかったかもしれないんだ。
そう思うと、事件が解決したことを心の底から喜ばずにはいられない気持ちだった。
「おーちゃんもお疲れ様。今日の飛びっぷり、とってもよかったわよ」
「グルル!」
嬉しそうに鳴いて、おーちゃんは鳥舎へ帰っていった。
その後ろ姿を見送っていると、職人さんがわっと駆け寄ってくる。
「オフィリアさん! やっぱりあんたはすごいよ!」
「もう一人前の守り人だな!」
「一人前……私が!?」
驚いてしまったけど、皆は「当たり前だろ!」と手を叩いた。
「橋が壊れた原因を突きとめたのもオフィリアさん。清風島が流されないように尽力したのもオフィリアさん。どこをどう見たって敏腕の守り人だよ!」
「本当にな! オフィリアさんがこの聖域に来てくれてよかったぜ!」
あまりに嬉しい言葉に泣きそうになってしまった。
この空中庭園は私にとってかけがえのない場所だ。でもそれだけじゃなくて、この場所にとっても私は必要な存在なんだと言ってもらえた。そのことに強く胸が揺さぶられる。
「ありがとう……。私、私……」
言葉が出なくなった私の背中をオークがさすってくれる。「オフィリア、まだ、こまってる?」と心配そうに聞いてきた。
「違うの」
私はかぶりを振った。
「ただ、喜んでいただけよ」
急ピッチで進められていた補強工事が終わり、交代制で見張りを立てることが決められ今日のところは解散となった。
こうして嵐の日の二度目の、そして最後の事件は幕を閉じたのである。