嵐に備えて(2/2)
私はトッドに風除けの布を渡した。
「これ、川幅が狭くなっている浅瀬の辺りにかけてあげてちょうだい。嵐の間、精霊たちにはそこに避難してもらいましょう。……はい、端っこ持って」
「任せとけ!」
トッドはズボンの裾をめくって川に入る。そして、じゃぶじゃぶと音を立てながら小川の向こう岸まで歩いていった。
「リィィン……!」
川の端と端に分かれて作業をしていると、精霊たちが水辺から上がってきた。髪の中に入ってくる彼らにトッドはくすぐったそうな顔をする。
「こら、やめろって! 俺は真面目に仕事してるんだよ!」
「ふふ、ありがとうって言ってるんじゃないの?」
トッドのお陰で思ったよりも早く作業は終わった。他の場所も手伝ってくれるかと聞くと、彼は二つ返事で了承する。
荷車の後ろをトッドに押してもらいながら移動する間、私たちの話題は自然と空中橋から聞こえる異音のことになっていた。
「職人さんは前にメンテナンスした時は何ともなかったって言ってたわ。だから今回もそんなに心配しなくていい、って。まあ、誰かが橋を乱暴に扱ってなければっていう条件付きらしいけど」
「橋を乱暴に、ってどうやんの?」
「それは私にもよく分からないわ」
不意に、上空から声がした。
「ひぎゃあああぁっ!」
甲高い悲鳴と共に、何かが落ちてくる。それは近くにあったベンチに衝突し、座席に大きな穴を開けた。
「ふいぃ~。ひどい目に遭いました~」
ベンチの下の地面にめり込んでいたのはパティちゃんだった。どうにか地上に這い出てきた彼女は、体中泥だらけだ。
「おい、パティ! びっくりしただろ! 次やったら、お前の羽、全部もいでやるからな!」
トッドはぷりぷりと文句を言う。パティちゃんは「ごめんなさ~い」と誤魔化すような笑いを浮かべた。
「また相棒から振り落とされたの?」
日も落ちかけた空を見れば、パティちゃんの愛騎のワイバーンが飛び去っていくところだった。
パティちゃん、接客の腕は中々なのに、競飛となると全然だ。このスポーツ、向き不向きが激しいのかしら?
それにしても、妖精って体が丈夫なのね。あの高さから落ちてもピンピンしてるなんて。パティちゃんが直撃したベンチには、あんなに大きな穴が空いてるっていうのに。
……うん? ベンチに穴?
「ああ! 行かないでください! じゃあ、またアリーナで会いましょうね、オフィリアさん!」
パティちゃんは相棒を追いかけて飛んでいってしまった。トッドが「ったくよぉ」と頬を膨らませる。
「一体どこのバカが、パティに『競飛に興味はないかね?』って言ったんだ? あんなのがいきなり上から落っこちてきたら、皆俺みたいにびっくりするに決まってるってのに……」
「……びっくりするだけならいいかもね」
胸騒ぎを覚えずにはいられない。トッドが「どういう意味だよ?」と聞いてくる。
「私たちね、しばらく前から野外での訓練を始めたの。その時、パティちゃんがいつもぶつかる障害物があるのよ」
「ふーん。何?」
「清風島の空中橋」
話半分で聞いていたトッドの顔色が変わる。彼は、パティちゃんが穴を開けたベンチに視線をやった。
「それさ……まずくねえ?」
「私もそう思うわ」
私はまだ少し残っていた仕事をトッドに任せ、工房へ向かった。そして、整備係の職人さんに事情を説明する。
「なるほど……。そうですな……」
職人さんは窓の外を見る。すでに夜と言ってもいい時間だった。
「そういうことならば今日中に点検しておきましょう。……野郎共! オフィリアさんの話は聞いたな!? 今日最後の仕事だ! ちゃっちゃと片付けちまうぞ!」
「よしきた!」
整備係さんたちは資材片手に工房から飛び出していく。
対する私は商店街の食料品店に行き、食材を買い込んだ。そして、事務所のキッチンを借りて簡単な夜食を作っておく。
職人さんたちが帰ってきたのは、その食事にまだ湯気が立っている頃のことだった。
「おお、食い物だ!」
「ありがてぇ!」
たくさん用意してきたはずの夜食があっという間に減っていく。私は目を丸くしつつも、皆の間を飛び回って給仕をした。
口の中いっぱいに詰め込んでいたものを飲み下し、職人さんのリーダーが話しかけてくる。
「オフィリアさん、ご明察ですよ」
リーダーは黒板に簡単な橋の絵を描き、その中程に×印をつけた。
「見えにくいところですが……ここに亀裂がありました。外側から、何度も衝撃が加わったことによるものでしょうね。橋自体が古くなっていたこともあって、余計にダメージが大きかったようです」
「でも、直してくれたんですね?」
「ええ、もちろん。といっても、応急処置を済ませただけですが。でも、これでしばらくは持ちますよ。いやあ、危ないところでした。あんな状態で嵐が来ていたらと思うとぞっとします。オフィリアさんのお陰で、重大な事故が発生せずに済みました」
オフィリアさん、バンザイ! とあちこちから聞こえてくる。私は「よしてくださいよ」と軽く手を振った。
「私はただ、守り人として依頼人の困り事を解決したっていうだけですから。それに、橋がおかしいことに真っ先に気付いたのはトッドなんですよ」
ああ、そうだ。彼にもこのことを教えてあげないと! それに、お仕事を代わってくれたお礼も言いたいし。
事務所を後にした私は、早速トッドの家に寄った。これでもう、彼が父親に理解されないと嘆くこともなくなるだろう。
やっと守り人の館へ帰ったのは、夜も遅い時間だった。
私が中々帰宅しないことを、守り人一家はとても心配していたらしい。居間に顔を出した私を見て、彼らは安堵の表情になった。
「オフィリアちゃん、今度から遅くなるなら連絡してね。おばさまとの約束よ?」
「よ゛、よ゛か゛っ゛た゛ぁ゛~! て゛っ゛き゛り゛し゛こ゛に゛て゛も゛あ゛っ゛た゛の゛か゛と゛~!」
「お兄ちゃん、涙拭きなよ。オフィリアさんが無事で嬉しいのは僕も同じだけどさ」
「お腹、空いているでしょう? 今夕食を温め直してきますからな」
ちょっと疲れ気味だったけど、彼らの顔を見ている内に、不思議と癒やされていくのを感じた。
ただ帰宅しただけなのに、こんなにも喜んでくれる人がいる。私の顔を見て安心してくれる人がいる。
まるで、私が彼らの家族の一員であるかのように。
私の本当の家族は皆いなくなってしまった。でも……「新しい家族」を作るのは悪いことじゃないわよね?
「ただいま」
遅めの夕食の席に着く。
ここは我が家。そして彼らは家族。
胸がいっぱいになって、体がぽかぽかしてくる。
まだ秋祭りになっていないのに、一足早く最高の贈り物をもらった気分だった。