嵐に備えて(1/2)
飛行訓練も重要だけど、私は自分のお仕事ももちろん忘れていなかった。
他の守り人の後ろについて見回りをする。本島はとても広いから、一家は東西南北の区画ごとに担当を割り振って、それを毎日ローテーションしているらしい。
二週間も経つ頃には、「オフィリアさんはしっかりしてるから」と言われ、単独で見回りをするようになった。時には、その最中に住民から相談事を持ちかけられることもある。
「変な音がするんだよなあ」
話しかけてきたのは、トッドという名前の犬の獣人だった。年齢はテオと同じくらいだけど背が低くて、私のことを見上げるように話している。
「どういうこと?」
「俺、耳がいいんだよ。だからさ、他の奴には分かんない音も聞こえるんだ。で、この前清風島に遊びに行くために空中橋を通ったんだけど……。その時、橋からいつもと違う音がしたんだよ」
「違うってどんな風に?」
「うーん……説明すんのは難しいな」
トッドは頭をボリボリ掻いた。それならばと、私たちは実際に橋を見に行ってみることにする。
「そうね……。特に変わったところはないような気がするけど……」
清風島へ続く空中橋まで来て、端から端まで歩いてみたけど、おかしなところは見当たらない。
私は競飛の練習のため、毎日この橋を通ってアリーナへ通っているんだ。違和感があればとっくに気付いているだろう。
「やっぱり人間じゃ聞こえねえのかな……」
トッドはこうなると分かっていたらしく、失望した様子もない。
「でも、何かおかしいんだよなあ」
「分かったわ。一度、職人さんに見てもらいましょう」
空中庭園の設備は、専門家たちが定期的にメンテナンスしている。でも、万が一ってこともあるかもしれないし、何より住民の不安を取り除くのは守り人の役目だもの。
私は工房が集まっている区画へ行った。事務所にいた整備係の職人さんに事情を説明する。
「そうですね……。では、時間が空いている時にでも見ておきましょう」
職人さんは予定が書かれた黒板とにらめっこして、十日以上先の日付のところに「清風島の空中橋点検」と書き入れた。
「随分先ですね……?」
「スケジュールが詰まってますからねえ。まあ、一ヶ月前にメンテナンスした時は異常がなかったし、大丈夫でしょう。その後で誰かが橋を乱暴に扱っていなければの話ですが」
専門家がそう言うのなら、ここは一旦納得するべきだろう。私は職人さんに礼を言って、事務室を後にした。
次の依頼人が登場したのは、もう一度見回りを始めてすぐのことだった。植え込みの中から、「オフィリアさん……」と声がする。
「何、アイザックさん?」
姿は見えなかったけど、声で誰なのかすぐに分かったから、私は相手の名前を呼ぶ。でも、彼は自分の正体を認めたがらなかった。
「ワタクシはアイザックではありません……。植え込みの精です……」
彼がおかしなことを言うのもやるのももう慣れっこになっていたので、スルーして「何か用?」と聞いた。
「後三ヶ月も経たない内に、秋祭りが始まります……。秋祭りでは、普段からお世話になっている人に、感謝の贈り物を渡す習慣があります……。植え込みの精は、オフィリアさんが何をもらえば喜ぶのか知りたいです……」
なるほど。他人に化けて、こっそりプレゼントして欲しいものを聞き出す作戦だったのね。全然上手くいってないけど。
「別にリクエストはないわよ」
「それでは困ります……。植え込みの精は、オフィリアさんが欲しくて欲しくてたまらないものをあげたいです……。それで、『これを私に!? アイザックさん、大好き!』とか言って欲しいのです……」
欲望がダダ漏れよ、アイザックさん。彼の素直さに免じて、ちょっと真剣に考えてあげることにした。
「そうね……。欲しいものって言っても、もう色々もらってるわ。ここでの生活は、私の欲しかったものそのものだから。でも、これじゃああなたは満足しないわね」
困っていると、アイザックさん……もとい、植え込みの精が助け船を出してくれた。
「新しい服はどうですか……?」
「服……。そこまで欲しくはないかしら。もうたくさん持っているもの」
「では、靴は……?」
「それもあるわ」
「アクセサリーはどうでしょう……?」
「アクセサリー? それなら、夏祭りの時にアイザックさんからもらったのが……あっ」
不意に、私は欲しいものを閃いた。
だけど、こんなものを手に入れるのはすごく難しいだろう。欲しいなんて言ったら、アイザックさんに迷惑がかかってしまう。
「何です……? 教えるのです……」
「ええと……」
私が何かを思い付いたと察したアイザックさんの声に力が入る。今さら誤魔化せないかと諦め、仕方なく答えた。
「指輪」
「それは求婚して欲しいということですか……?」
「違う違う」
アイザックさんが変な勘違いをしたので、私は頬を熱くしつつも慌てて訂正を入れた。
「大事な指輪があるの。おばあ様の形見よ。でも、お金がなくて売ってしまったの」
「地上のお店に、ですか……?」
「ええ。王都にある店舗よ」
アイザックさんは困ってしまっただろう。だって、彼は地上が嫌いなんだもの。
「どんな見た目ですか……?」
「えっと、綺麗な琥珀色の石がついていて……。え? もしかして探しに行く気?」
「オフィリアさんがどうしても欲しいと言うならば……」
「いいわよ、そんなの」
やっぱり言わない方がよかったかも、と今さらのように思ってしまう。
「指輪を手放したのは私の意思よ。それを今さら後悔してもしょうがないわ。アイザッ……植え込みの精さん、私、あなたからの贈り物なら何だって嬉しいわよ。何をもらっても『大好き』って言ってあげるわ。だから無理しないで」
私は足早にそこを去り、中断していた見回りを再開する。
それにしても、秋祭りの贈り物か……。
私も何か考えておかないと。とりあえずは、誰にプレゼントするかよね。
お世話になった人なら、いっぱいいる。守り人一家とか、ジルさんとか、おーちゃんとか。もっと言うなら、この空中庭園自体が恩人だ。一人ぼっちだった私を受け入れて、温かな出会いをいくつももたらしてくれたんだから。
そんな気持ちを表現する方法、何かないかしら?
色々考えてみるけれど、中々いい案は出ない。
そんな折のこと。おばさまがある知らせを持ってきた。
「明後日は嵐になるそうよ。風水師たちが言っていたの」
「明日は忙しい日になりそうだな」
おじさまの言ったとおり、翌日の守り人たちは大わらわだった。雨戸を閉めるように住民に触れ回ったり、木が折れてしまわないように支えをつけたり。
私も朝からあちこち駆け回る。泣き声が聞こえてきたのは、花壇に布を被せている時のことだった。
「お兄ちゃん! お人形さん返してよぉ!」
「へへへっ! 悔しかったらここまでおいで~!」
犬耳の幼い女の子に追いかけられているのは、人形を掲げるように持った獣人のトッドだった。
「どうした? 早く取り返してみ……うわっ!」
女の子の方に気を取られて足元への注意が疎かになっていたトッドは、私が地面に置いていた布につまずいて転んだ。
その拍子に、人形がトッドの手から飛んでいく。そして、近くを流れていた小川にぽちゃんと落ちた。
「ああ! お人形が!」
女の子がまっ青になった。
「お兄ちゃんのバカ! パパとママに言いつけてやるんだから!」
少女はまだ倒れたままのトッドに馬乗りになって、その体を小さな拳でポカポカと叩いた。私は「ちょっと落ち着いて!」と女の子をなだめる。
「リィィン……!」
岸から小さな生き物が上がってきた。多分、川の精霊だろう。彼らは鈴の鳴るような独特の声で私たちに向けて何か言った後、沈みかけていた人形を引き上げてくれた。
「わあ! ありがとう、精霊さん!」
少女はずぶ濡れになってしまった人形を抱きしめた。精霊たちは「リィィン」と言って、また水の中へ戻っていく。
「二人とも、一体何があったのよ」
やれやれと思いながら事情を聞こうとしたけど、トラブルはまだ終わっていなかった。少女が「きゃあ!」と高い声を上げたのだ。
「破れてる!」
よく見ると、人形の腕の辺りから綿が出ている。女の子はトッドをきつく睨んだ。
「お兄ちゃんの仕業でしょ! 意地悪! このトロール頭!」
「何だと!? そっちこそゴブリンみたいな顔して……」
「やめなさい!」
私はぴしゃりと言った。
きょうだいってこんなにすぐケンカになるものなの? 私は一人っ子だからよく分からないけど、アイザックさんとテオは良好な関係を築いているように見えるのに……。
「ほら、貸してちょうだい。直してあげるから」
私は少女から人形を受け取り、ポシェットに入っていたソーイングセットを取り出す。目立たない色の糸を選んで、素早く破れていたところを修復した。一分も経たない内に処置は完了する。
「わあ~! すごい! ありがとう、オフィリアちゃん!」
すっかり機嫌が治った女の子は、人形を大事そうに抱きかかえた。そこに怒声が飛ぶ。
「こら、二人とも! オフィリアさんの邪魔をしちゃダメだろう!」
「あっ、パパだ!」
やって来た獣人の男性のところへ、少女は駆け寄っていく。そして、早速告げ口を開始した。
「お兄ちゃんがね、私のお人形を取ったの! それだけじゃなくて、腕のところを破いちゃったんだよ!」
「またトッドがイタズラをしたのか……。人形は家に帰って直そうな」
「ううん、平気! オフィリアちゃんがもうやってくれた!」
少女は父親に人形を自慢げに見せる。彼は「ほう」と感心したような顔になった。
「これはすごい。破れていたなんて全然分からないな」
男性は私に向き直り、頭を下げた。
「ありがとうございます、オフィリアさん。噂には聞いていましたが、あなたは本当に裁縫がお上手なんですね。この前、商店街の工房のヘルプに入ってくれた時は大助かりだったと妻が言っていましたよ。家内はあそこのスタッフなんです」
「そんな……大したものではありませんよ。地上にいた頃はお針子の仕事をしていたというだけです」
「ご謙遜を! あなたが臨時で働いていると知った人たちが、『オフィリアさんの作った服が欲しい!』と工房に殺到し、注文量が山ほど増えたそうではありませんか。……トッド!」
トッドは父親が世間話をしている隙に逃げ出そうとしたようだった。でも上手くいかず、首根っこをつかまれる。
「まったくお前という奴は……。迷惑をかけたこと、きちんとオフィリアさんに謝りなさい」
「何で俺だけ!? こいつだってオフィリアの周りをうろちょろしてたじゃん!」
トッドは妹を指差す。男性は腰に手を当てた。
「パパが謝りなさいと言ったのは、今回のことだけじゃないぞ。お前、オフィリアさんにくだらないことを言って、余計な仕事を増やしただろう?」
「そんなことしてねえ! 俺は本当のことを言っただけだ!」
二人が何の話をしているのか、私にはさっぱりだった。その戸惑いを察したように、男性が事情を説明する。
「先日、息子が『橋から変な音がする』とオフィリアさんに報告したはずです。ですが、この子以外にそのような音を耳にした者は誰もいないのですよ。つまり息子はでたらめを……」
「嘘なんか言ってない! 俺は他の奴より耳がいいんだよ!」
「まったく……」
男性はため息を吐いた。
「いいか、きちんとオフィリアさんに謝って許してもらうまで家には帰ってくるな」
男性は娘を連れて去っていく。後に残されたトッドの背中は、いつもより小さく見えた。
「……俺は謝らねえからな」
トッドは震える声で言った。
「本当に聞いたんだ。絶対に本当だ。俺は嘘なんか……」
「清風島の空中橋の点検は明日よ」
私は風避けの布を荷車に乗せる。
「でも、嵐が来るんじゃ予定通りにはいかないでしょうね。延期されると思うわ。だから、異音の正体が分かるのはもう少し先になるわね」
「……お前、俺を疑ってねえの?」
「疑って欲しいの?」
私は軽く笑った。
「人と違うものの見方をする人には馴れてるの。例えば、すごく貧しいのに自分は高貴な出自だと思っている老婦人とかね。私、そういう人に会ったら相手の考え方を尊重しようって決めてるのよ」
私はかつてテオにも同じことを言ったことがある。今の私なら、あの時の……地上にいた頃のテオの気持ちが分かるような気がした。
彼はきっと孤独だったんだ。妖精もペガサスも、今まで自分が当たり前に信じていたものを頭から否定する人たちしかいないから。理解されずに苦しんでいたに違いない。
そしてそれは、状況こそ違えどトッドも同じだ。自分にとっての「当たり前」を他の人は分かってくれない。それじゃあ、ひねくれた性格になってもおかしくはないだろう。
その証拠に、トッドは自分を否定しなかった私にこう申し出てくれたのだ。
「何て言うかさ……。オフィリアって、思ったとおりいい奴だな。……仕事、特別に手伝ってやろうか?」
「『思ったとおりいい奴』なのはあなたの方じゃないの?」
私たちは顔を見合わせて笑う。やっぱり彼は聖域の住民だ。根は優しくて、善意に溢れているんだから。