不思議な出会い(1/1)
ゴーン……と弔問の鐘が鳴る。
私は教会の外に出た。
ひゅう、と吹いた風が、私の粗末な木綿のワンピースの裾を揺らす。
視界の端ではためく継ぎ跡のついたグレーの布地。喪服を買うお金も用意できればよかったのに、と思わずにはいられなかった。
「はあ……」
知らず知らずの内にため息が出て、大通りの方に足を向ける。
帰りたくない。
そんな後ろ向きな思いが、私を家のある方角から遠ざけていたのだ。
けれど、人通りの多いところへ行くと、余計に気分が落ち込んだ。友人と連れ立って商店に入っていく子どもたち、近所の住民と噂話に花を咲かせる夫人、散歩中の老夫婦……。
皆誰かと一緒だ。対する私はひとりぼっち。大勢の人の中に埋もれている孤独な存在。
自然と顔をうつむけてしまう。
……ああ、ダメだわ。
そう、私は一人。だからこそ、しっかりしないといけないのに。こんな私を見たら、おばあ様はこう言うに決まってる。「淑女はどんな時でも堂々としていなければなりませんよ、レディ」って……。
「あの、すみません」
私の物思いは、不意に聞こえてきた声に断ち切られる。顔を上げると、十歳くらいの男の子が通行人に声をかけているのが見えた。
「誰か力を貸してくれませんか。ボクを助けてください」
日向の匂いがしそうな愛らしい雰囲気の美少年だった。
ふわふわとして豊かな、雲のような銀髪。ぱっちりとした瞳はライトグリーンで、はっとするほどに透徹している。丸い頬や小さな手は、いかにも幼い子どもという感じだ。
「誰でもいいんです。お願いですから……」
少年は、町行く人に声をかけては無視されていた。その度に可愛らしい眉がしゅんと下がる。気の毒に思わずにはいられない光景だった。
――高貴な者は弱い立場の方に優しくするものですよ、レディ。
だからおばあ様の教えがなかったとしても、私は少年を助けようとしたことだろう。「ねえ」と彼に歩み寄った。
「私にできること、何かない?」
「ありがとうございます!」
少年の顔が華やいだ。可愛い。元から愛嬌たっぷりだけど、笑顔になると、さらに愛くるしくなるタイプの子みたいだ。
「道を教えて欲しいんです。この辺りで、一番いい風が吹く場所を知りませんか?」
迷子なのかしら? それにしては変わったところへ行きたがっているけれど……。私は一生懸命頭をひねった。
「そうね……。街の外に見晴らしのいい丘があるわ。風車も建っているし、そこならいい風が吹いてると思うわよ」
「風車のある丘ですね! ここからだと、どう行けばいいですか?」
「えっとね……」
道を教えてあげようとしたけど、ふと思い直す。「案内してあげましょうか?」と申し出た。
「いいんですか? ボクはすごく助かりますけど……」
「じゃあ決まりね。大丈夫よ。どうせ暇だったの」
家に帰っても誰もいないし、仕事は今朝辞めてきたばかりだから、と心の中で付け足す。それにこの子と一緒にいる間は、少なくとも一人きりにならずに済むもの。
私は少年と連れ立って、風車の丘を目指すことにした。
「自己紹介がまだでしたね。ボクはテオっていいます」
「私はオフィリアよ。そんなに気を使わなくていいからね。手、繋ぐ?」
少年からは、知らない相手と接している人に特有の緊張が伝わってきたから、何とかそれを解してあげようと思っての提案だった。
狙い通りに彼は「うん」と年相応の顔で頷いた。
「オフィリアさんは優しいんだね。皆ボクを無視したのに、こんな風に道案内までしてくれるなんて」
「ごめんなさいね。王都の人は忙しいのよ。悪く思わないであげて」
テオはこの辺りの子じゃないのかもしれない。この街の住民は誰も彼もがせかせかしているけど、彼はどこか浮世離れしたような、ゆったりとした空気をまとっているから。
どこに住んでいるんだろうとか、両親はどうしたのかとか、色々と疑問は湧いてくるけれど、出会ったばかりで根掘り葉掘り聞くのもはしたなく思えて、私は好奇心に蓋をした。
そのせいなのか、余計に少年のことが気になってくる。本当に不思議な魅力のある子だ。
それに、とても手が温かい。夏の盛りにぽかぽかしたものに触れたって普通は感慨なんか覚えないだろうけど、心が荒み始めていた私は彼の体温に癒やされずにはいられなかった。
「テオは風車の丘で何をするつもりなの?」
「お迎えを呼ぶんだよ」
「お迎え?」
「そう。故郷に帰るためのね」
やっぱり近所の子ではなかったらしい。それにしても謎めいた回答だ。
その後、丘に着くまで私たちは色々な会話を重ねたけれど、テオは「地上には本当にたくさんの人間がいるんだね」とか「これを見たら妖精たちは驚くだろうな」とか、意味の分からないセリフを時たま無邪気に吐いていた。
「ボクのこと、おかしいって思ってるでしょ」
私が彼の言葉の意味を考え込んでいると、テオはどこか諦めのこもったような口調でそう聞いてきた。
「『妄想癖』って言われたことがあるよ。オフィリアさんもそう思ってる?」
「いいえ」
私は緩く首を振った。といっても、別にテオに遠慮したわけじゃない。
「何が真実なのかは人によって違うわ。他人には理解できなくても、テオが見ている世界の中では、少なくともそれは本当のことなんでしょう」
私の言葉にテオは驚いたようだ。明るい薄緑の目をまん丸に開いて「へえ……」と言った。
「そういうこと言う人には初めて会ったよ。オフィリアさんは面白い考え方をする人だね」
テオの口調は、また邪気のないものに戻っている。それだけではなく、どこか声に尊敬も混じるようになっていた。私、そんなに変わったことを言ったかしら? ただ経験からそう思うようになった、っていうだけのことなんだけど。
私たちは王都を出て、郊外の坂道を行く。ここまでですでに一時間は歩いているけれど、テオはまったく疲れた様子を見せていなかった。中々体力のある子らしい。それに、汗をかいている姿は元気な彼によく似合っていた。
そこからさらにもう少しだけ歩いて、私たちはようやく目的地の丘に到着する。夕闇が迫る前の夏空をバックに、風車は楽しげに回っていた。テオが「わあー!」と歓声を上げる。
「本当だ! オフィリアさんの言ったとおり、とってもいい風が吹いてるよ!」
ふんわりした銀髪を揺らしながら、テオははしゃいだ声を出す。ポシェットの中から何かを取り出した。
縦笛かしら? 手作り感溢れる見た目だ。片手に乗るくらいの大きさで、素材は多分石。といってもそこら辺に落ちている石ではなくて、青っぽい色をした珍しそうな鉱石だった。
それにしても、こんなものをどうやってポシェットの中に入れていたんだろう。見たところ、カバンに入りそうな大きさじゃない気もするけど……。
ピィイイ……ピィイイ……
テオが笛を吹くと、か細くて甲高い音が出た。それが風に乗って、遠くまで運ばれていく。テオはご満悦の表情になっていた。
「これでよし」
「……何だったの、今の」
私は額の汗を拭いつつも、呆気にとられる。
「お迎えを呼ぶんじゃなかったの?」
「今のがそうだよ。でも、すぐには来られないけどね。どれくらいかかるかなあ……。半日? 二日?」
またテオがよく分からないことを言い出した。どうして丘で笛を吹くのが、お迎えを呼ぶことになるのやら。
でも、彼の表情からするに冗談を言っているわけではなさそうだ。私は深くツッコむのをやめ、「お迎えを待つ間、ずっとここで待ってるの?」と聞いた。
「ううん。来たらちゃんと分かるようになってるからね。街で宿でも取るよ」
「宿……」
テオとのお別れの時間が迫っているのを感じた。せっかく温まっていた心が、またしても冷え込んでいくのが分かる。
私の口調に明らかな寂しさが表れていたからなのか、テオが黙り込んだ。その沈黙に、私は少し焦ってしまう。
「じゃあ、帰りましょうか。案内するって言ったからには、最後まで見届けるわよ」
「うん、ありがとう……」
テオはどことなく元気がない。来た時とは打って変わって帰り道の私たちは口数も少なく、王都に帰り着くまで片手で数えるほどしか口を利かなかった。
「宿屋さんなら、あの赤い屋根のお店がおすすめよ」
私は通りの向こうを指差した。
「お値段も手頃で、サービスも悪くないから。あっ、あそこの黄色の看板の旅館はやめておく方がいいわ。最近料理人を変えたせいで、ひどい食事が出てくるようになったのよ。そのはす向かいの方はもっとダメ。何人ものお客さんが、寝ている時に盗難の被害に遭ってるの……」
「……ねえ、オフィリアさん」
テオがペラペラとまくし立てる私を遮った。その硬い表情に、私ははっとなる。もう観念するしかないようだ。
「ごめんね、疲れてるのに。さよならするのが嫌で、ついお別れの時を先送りにしようとしてたみたい。……じゃあね」
繋いでいたテオの手を離し、踵を返そうとした。でも、彼は「待って!」と私を引き留める。
「もし……もしもだけどね。オフィリアさんが迷惑じゃなかったら……」
「うちに来る?」
まるで魔法にでもかかったみたいに、私はテオの言いたいことを察した。彼の顔に光が差す。
「いいの?」
「もちろんよ」
寂しいと思っていたのは彼も同じだったんだ、と私は気付いた。二人して笑い声を上げる。
そしてもう一度手を取り合い、今度は宿屋ではなく私の家を目指した。
「えへへ。ありがとう、オフィリアさん」
「お礼を言うのはこっちの方よ」
数時間前まで帰りたくないと思っていたのが嘘みたいだった。
この偶然の出会いに、私は感謝しなければならないだろう。きっと、テオもそう思っているに違いなかった。