第一章 ”幼”
僕は本多亜紀。ごく一般的な20歳のフリーター。
夢に向かって一歩踏み出した矢先、些細なことでつまずき、そして挫折をして、そのままのらりくらり1年が過ぎた。
特にしたいこともなく、遊びまわるわけでもなく、ダラダラと毎日を過ごしていた。
親からの仕送りと、居酒屋のバイトで生活は何とかやっていけている。バイトは大変だけど、他人と話をするのはバイト先ぐらいだから、実は結構楽しい。
そんなことを思いながら、今もバイト終わりの掃除をしている。
「お疲れ様でしたー。」
と19歳の女の子。名前はあずさちゃん。可愛いし、とても明るくいつも笑顔の女の子だ。
正直言って僕は密かに彼女に好意をいだいている。
「お疲れっしたー。」
なんの愛想もなく、目も見ずにそう答えてしまう。いつものことだった。
恥ずかしくて僕はあずさちゃんとうまく話せなかった。
(はぁ~、まぁ仕方ない。)
そう思いながら僕も帰る準備を始めた。
タイムカードをうち、そしてバイト先を出た。
今日はなぜか空がやけに赤く見えた。いつもと違う夜空を見て、胸騒ぎがした。
「なんか今日怖いな。やな雰囲気だし。」
怖さを紛らわす為に1人で呟いた。
「そうね。空赤いからね。」
急に耳元で囁かれた。
「ひっ!?だ、誰?」
思わず我ながら情けない声をあげてしまったが、恥ずかしさよりも恐怖のほうが先にきていた。
「亜紀君、私だよ!」
そこには僕より30分早く帰ったはずのあずさちゃんがいた。
僕の驚いた声にも動じず、彼女はにこっと笑い、
「意外とビビりなんだね亜紀君って。アハハ、思い出したらおっかしー!」
と驚かしたことになんの罪悪感も感じないのか、大笑いしている。
「そりゃあ驚くよ!誰もいないと思ってたもん!それよりなんでここにいるの?」
今は驚きよりあずさちゃんと会話している嬉しさのほうが大きかった。
まさか僕のことを待っててくれたんじゃないのか?と少し期待しながら僕はあずさちゃんに尋ねた。
彼女は赤い空を見上げながら答えた。
「亜紀君を待ってたんだよ?1人で帰るの怖かったからね。」
僕は嬉しいのと動揺とで、一瞬言葉に詰まる。
「え?ぼ、僕を?」
彼女は笑顔のままゆっくりと近づいてきて、何かをボソッと囁いた。
「君は―・・・だよ。」
何と言われたのかわからなかったが、急に体が冷たくなり目の前が白くかすみだしていた。
地面に倒れこみ、僕はもがいていた。息ができない。あずさちゃんは何かを言っているけど、聞き取れない。もうなんでもいいから早く誰か助けてくれよ。
僕はそのまま意識が遠くなっていくのを感じた。
最後に見たあずさちゃんの顔は、、、可愛い笑顔だった。
「・・・。」
気がつくと僕は自分のベッドの上にいた。何日寝ていたんだ?
スマホを見てみると日付からして、『あの出来事』は、昨日らしい。
あれは夢だったのか?それとも現実?なぜ家に戻れているのか?疑問が頭の中でグルグルまわる。
とりあえず、あずさちゃんに聞いてみよう!
と思い立ったのはいいものの、あずさちゃんの連絡先も知らなかった。
「めんどくせーな。」
僕は1人で呟いた。
「あのー、お目覚めのところ大変申し訳ないのですが、こちらとしましても早く『契約』の先に進みたい
のですが、、、、?」
僕の顔を覗き込むようにして、いきなりきれいな女性が現れた。
「おおお、お前、だっ誰だ?!」
僕は慌てて飛び起きる。心臓が飛び出るほど驚き、そしてパニックになった。
「驚かせてしまい申し訳ありません。さあ、『契約』の続きを行いましょう。」
きれいな女性は急いでいるのか、そわそわしている。
「待ってください、『契約』ってなんの話ですか?そもそもなぜうちに勝手に上がってるんですか?」
僕は思わず声を荒げてしまった。不安と全く状況が読めないことで、僕は怒りさえもこみあげてきていた。
きれいな女性は、ため息をつくと哀れなものを見る目で僕を見て、こう言った。
「まず、『契約』を交わしたいと言ってきたのはあなたでしょう?何が『何の話ですか?』よ!
自分で『契約』してくれと頼んできといて失礼にもほどがあるわ。それと、だれが好き好んでこんな 狭くて汚いお部屋に入るのよ!くさいし、あたしだって早くここから出ていきたいわよ!」
さっきまでの優しそうな女性がいっきに怖い女性になった。僕の怒りは恐怖に変わり、沈黙してしまった。気まずい空気をかえるために僕はとりあえず自己紹介をしてみた。
「わ、分かりました。まず、自己紹介を。僕は本多亜紀っていいます。君の名前は?」
僕は精一杯の笑顔で聞いたのにもかかわらず、彼女はふてぶてしい顔で、
「私は名前なんてない。みんな悪魔とか堕天使とかってよんでくるわ。」
悪魔?堕天使?この人は少し痛い人なのかもしれない。いや、さっき怒らせてしまったせいで僕に名前も教えたくないのか?ここは乗ってあげた方が穏便に話が済みそうだ。
「悪魔か堕天使なら、悪魔さんでいいかな?」
僕は話を合わしてとりあえず悪魔さんと呼ぶことにした。
「名前なんてなんでもいいわ。あなた達が勝手に呼んでるだけだから。それより早く『契約』の話を進 めたいのだけれど?」
僕は慌ててどうにか契約破棄の方向に話を進めた。
「その『契約』って僕から頼んだんだよね?やっぱり『契約するのはやめる』と言ったら、どうなる
の?」
悪魔さんは少し考えて、
「いいですけど、『あの時』に戻りますよ?あたしは一向にかまいませんが。」
と微笑みながら言った。『あの時』とはいったい、いつだ?僕は考えても見当がつかないので悪魔さんに聞いてみた。
「あのー、悪魔さん。『あの時』とはどの時ですか?しかも戻るっていう意味が分からないのですが?」
悪魔さんは説明するのが面倒くさいといった感じで説明を淡々と始めた。
「まず、あなたは天使に目をつけられていて、昨日殺されそうでした。理由はわかりませんが。そこに たまたまあたしが通りかかり、あなたはあたしに『誰でもいいから助けて』と言ってきました。なので
あたしはあなたを助けた。だから『あの時』っていうのは、あなたが死ぬ瞬間。戻るってことはあな たは死ぬってこと。以上。」
僕が死ぬ?確かにうっすら覚えてる。あずさちゃんと話してて...そうだ!息ができなくなってきて、確かに助けを求めた。あの時僕は死にかけてたのか?1人で考えていると悪魔さんが、
「はい。では『契約』は無かったことにしときますね!」
「・・・?!ちょ、ちょっと待って!ぼぼ、僕はまだ死にたくない。」
「・・・はぁ~。」
ため息をつくと、悪魔さんは鬱陶しそうな顔をしながら頷いた後、親指の先を少し噛み、血の出た指を僕に向けて何かぶつぶつと呪文のようなものを唱え始めた。
「何、してるんですか?」
「うるさい!黙ってて!」
僕は質問もできないまま、じっとその光景を眺めていた。不思議と悪魔さんの声は落ち着く。
癒されてる気分になっていると、悪魔さんが僕を見つめてきて、
「これからあなたと悪魔の『契約』を結びます。よろしいですね?」
「・・・はい・・・あのっっ!!」
僕が言いかけた時、胸のあたりが光りだして苦しくなった。
「手を出してください。」
僕は胸の痛みに耐えながら、右手を悪魔さんに伸ばした。
悪魔さんは僕の手のひらをスッと撫でると、血が滲んで出てきた。
そして、僕の手のひらに自分の血の出た指を押し付けて、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
僕の血が呪文に乗って渦を巻き、悪魔さんの指の中に吸い込まれていった。
「これで、血の契約は結ばれました。お疲れさまでした。」
何事もなかったような顔で、僕にそう言うと悪魔さんはちょこんと座った。
(この女、なにくつろいでんだ!?)
僕は契約が終われば帰ると思っていたのだが、悪魔さんはそんなそぶりは見せずにとてもリラックス
していた。
「・・・・・・。」
「・・・・・。」
沈黙が流れる。耐え切れずに僕は悪魔さんに質問した。
「あのー、悪魔さんまだ何かあるんですか?」
「え?別に特に何もないけど?急に、何?」
(じゃあもう帰れよおオォォ!!!)
なんでこいつまだ家にいるんだ?帰ってほしいときに女性になんて言えばいいのかもわからない僕は、
少し挙動不審になってしまった。すると悪魔さんが見かねたのか、
「あなたのそのオドオドした感じ、すごく不快なのだけど。やめてくれない?」
と困ったような顔で言ってきたので僕は思わず言った。
「そりゃオドオドもするよ!わけもわからず変な契約させられて、変な儀式が終わったと思ったら、リラ
ックスして座ってるんだもん!!」
悪魔さんは意味が分からないというような顔で、
「あなたと契約したんだから当たり前でしょう!!」
と言ってきた。
「だから契約したら何が変わるんだよ!」
「これからあなたと私は悪魔の契約で運命を共にするの。あなたの魂は私の力になった。あなたは私に魂
を売ったのよ。だからあなたは私の奴隷みたいなものよ。分かった?」
僕は奴隷と言う言葉にドキッとした。そして変な妄想をしていると、悪魔さんが
「あほずらするのはいいけれど、この家は客にお茶も出ないのかしら?」
と言ってきた。図々しい。だがここは素直に受け入れた方がいい気がした。
「すぐお持ちします。紅茶でよろしいですか?」
「ええ。ミルクと砂糖もつけて頂戴。」
僕はコンビニに行くことを伝えて、玄関を出たらそこにあずさちゃんがいた。
「あずさちゃん!」
僕は思わず声に出して近づいた。その時だった。
「君は悪魔に魂を売ってしまったのね・・・残念です。」
あずさちゃんはそう言うと僕に手をかざしてきた。その手はとても熱くて痛かった。
僕はあずさちゃんから離れようとしたが、体が動かなくなっていた。
(な、なんだこれ?!体が言う事をきかない!!)
声も出ず、意識も飛びそうになった時、部屋の奥から悪魔さんが飛んできた。
背中には黒い羽根をもち、腕はとても邪悪な雰囲気をまとい、瞳は怪しく赤く光り、僕は恐怖を感じていた。
しかし、不思議なことに僕の体は悪魔さんが来たとたん、軽くなり動けるようになっていた。
「死にぞこないの悪魔...。あんた彼を蘇らせてどうする気?」
天使のような姿のあずさちゃんが悪魔さんに対して怒っている。僕はただみているだけしかできなかった。
「そんな事あなたみたいな下級天使は知らなくていい事よ。今は見逃してあげるからおとなしく帰りな さい。」
「私があんたを見逃せないのよ!!!」
あずさちゃんがその言葉を放った瞬間、強い光と風があずさちゃんと悪魔さんを包んでいた。
「ギャアアア!!」
...あずさちゃんの声が響き渡った。
「...ぐうぅ、クソ...腕がっ!」
あずさちゃんは、両腕を失っていた。さっきの一瞬で何があったのか僕にはわからなかった。
「あなたが私に勝てるはずがないでしょう。さっさと帰って大天使様にでも報告なさい。」
悪魔さんはそう言うとあずさちゃんを突き飛ばした。僕はとっさに悪魔さんに向かって行った。
「やめろー!!ケガしてるんだぞ、手当をすぐしなきゃ!」
あずさちゃんに近寄り、介抱しようとした時あずさちゃんは僕を見て、涙を流しながら
「悪魔の世話にはならない!必ずあんたたちを倒す!」
そう言い残し飛んで行ってしまった。僕は涙が止まらなくなってその場で泣き崩れてしまった。
悪魔さんは、僕が泣いている意味が分からないといった表情で、不思議そうに僕のことを見た。
「なぜ...なぜ悪魔さんとあずさちゃんが...戦っているんですか?」
「お互い自分の国の為よ...もしかして彼女が心配?」
「当り前じゃないですか!あの子と知り合いなんです!」
僕は好きな子ということは言わなかった。
「あなた何か勘違いしてない?言っておくけどあなたはこっち側なのよ?向こうは天使。私たちは悪魔 なの。解りあえないの、光と闇なの!わかった?」
「わけわかりませんって!悪魔だの天使だの、空飛んだり、腕が吹き飛んでたり!!」
「あの程度のケガなんか大したことないわ。天使だし。」
「あずさちゃんは僕に『悪魔に魂を売った』と言ってきたんです。僕は悪魔になったつもりはない!」
「あなた本当にいちいち面倒くさいわね。いい?誰がどう見たって今のあなたは悪魔そのものなのよ?
これからどんどんわかってくると思うけど」
「な、なら僕は悪魔さんたちみたいに空を飛べるんだろ?羽根は生えてないみたいだけど?」
「あなたみたいな下っ端がそんな力あるわけないじゃない。せいぜい威嚇できるくらいよ。」
悪魔になったところで僕は僕のまま。何の力もないってことか。
「それなら契約破棄して僕は死を選ぶよ。悪魔になったところで意味がない。」
「それは無理ね。まずあなたと私は血の契約を交わしているの。主は私よ。」
「何の力もない僕を仲間にしたところで意味がないんだって。無駄だ。」
僕はなぜか虚しくなり、床に落ちている自分の涙を見つめた。
悪魔さんはスッと近づいてきて、僕を抱き寄せた。
「無駄じゃない、意味ない事ない。私があなたを求めている。あなたは気づいていないだけ。
自分の可能性と力に。この先きっと役に立つ。」
(急にそんなに優しくされたら、涙がまた出てしまう。離れなきゃ。騙されたらだめだ。
この人は悪魔なんだ。きれいで優しくても...本物の悪魔だ...)
「...あたしはあなたに光をもたらす存在なの。大丈夫だから安心して。」
「...はい...」
僕はもうこの人しかいないと思った。いや、この人に付いていくしかないんだ。
しかし、何をすればいいのかが未だにわからない。
そもそも主の名前さえ僕はまだ教えてもらってないんだ。
「ルーシー。」
「...えっ?」
「だから名前はルーシー。」
「あ、あぁ、ルーシーさん。」
(なぜ僕の思ったことが分かったんだろう?)
「ルーシーでいいわ。後、あたしとあなたは繋がってるの。考えはまるわかりだから。」
「えー!じゃあ変なこと考えたら全部まるわかりって事?」
「そうゆうこと。だから『アキ』は変なこと考えないようにね?」
ルーシーが僕のことアキって呼んだ。やばい、ドキドキして顔が赤くなりそうだ。
「名前呼んだだけでもじもじしないでくれない?まだまだ虫けらね。いや、まだウジ虫かしらね?」
「そんなひどい事言わないでよ。それより天使たちはまた来るのかな?」
僕は恥ずかしさを隠すため話を変えた。
「えぇ、じきに来ると思うわ。まぁ大天使が来なければ問題はないわ。一応私、強いから!」
笑顔でそう言うルーシーは美しくて、そして恐ろしかった...。
こうして僕とルーシーの生活は始まった。
『僕ももっと強くなろう!』そう誓って...