■169 疫嬢蜘蛛①
疫病蜘蛛なんて、妖怪の名前っぽいよね。
暗闇の向こう側。そこに何かいる。
音は然程もしない。ただひたすらに感じるのは見えない敵への恐怖心と、凍てつくような鋭い気配が肌を痛感するだけだった。
「どこから来るんだろ」
「わからない。だが油断はするなよ」
今までにないタイプのモンスターだ。
慎重にならざるおえない状況下で、私達の神経はすり減っていた。着実ににじり寄る感覚が音もなく伝わって、自然と仲間との間隔が詰まる。
「どうする私の炎で焼き払う?」
「馬鹿か。そんなことをすれば狭い洞窟内で酸素が限られてる状況で、自分達の身を苦しめるだけだぞ」
「酸欠ってことね。はぁー」
確かにここは洞窟内。私達が使える酸素量にも限度がある。そんな長時間の戦いは流石に身が保たないのも納得がいく。
じゃあ如何するのか。完全にフィールドアドバンテージは向こうにある。何の策もない状況でこのまま団子状態で固まっても切りがない。
「皆さん、少し間を空けてください」
「なにするの?」
「こうします」
Katanaは〈夜桜蒼月〉を高速抜刀。
衝撃波を叩き込んだ。しかし波状攻撃ではなく、単に金属によって金切り声を上げさせただけに留まった。
だけどそれでいい。私達はKatanaのナイス行動に賞賛する。
「向こうだけ音が違ったよ!」
「そこに敵がいる証拠だ。しかも移動している」
「よっしゃー!じゃあさっさと……ってうわぁ!」
飛び出したタイガーだったが動きが止まった。
暗闇でよく見えないが、腕に何か絡みついている。細い線のような光が微かに見える。
「糸だ」
「えっ、糸!?」
「ああ。疫嬢蜘蛛の糸は強力な粘着性を誇る。一度絡みつけば動きは制限されるぞ!」
「そんなこと分かってるつーの!ったく、こんにゃろ、取れろ!」
タイガーは悪戦苦闘していた。ちなっちやタイガーのようなスピードを活かした撹乱や超パワーによる一点突破はこの相手にはかなり厳しい。おまけに洞窟内は崩れやすく脆い。そのせいもあってまともな動きが取れないでいた。
「はっ!」
スパッ!Katanaが絡まった糸を無理やり断ち切る。
「サンキュー」
「いえ。それよりもどうしますか。これでは切りがありませんよ」
Katanaはスノーに戦況の打開を煽る。
そうだよ。このまま戦っててもジリ貧。こっちの方が先にやられちゃうのは私だってわかるもん。
私もそっとスノーに視線を落とすとその手の中にはちっちゃな赤い石が握られていた。
「コイツを使う」
「それって火炎石?なにに使うの」
「こうするんだよ!」
スノーは思いっきり壁に火炎石を叩きつけた。その衝撃で火炎石はバチッ!と音を立て、直後ごうごうと燃え広がる。
「なにやってるのスノー。そんなことしたら酸素が一気になくなって……ん?」
あれ変だな。さっきから壁の一部しか燃えてないぞ。
それに炎の勢いはまるで落ちることはなく、炎は鮮やかに揺らめいた。
「えっどうして!」
「火炎石の炎が燃え広がるよりも早く、洞窟内の水分がそれを蒸発させているんだ。これで持続的に火を灯すことができる。さぁ、行くぞ!」
そう言ってスノーは弓を構える。洞窟の中だと言うのに構わない。不意に引いた弦を放し、放った矢は火炎石によって生み出された篝火を利用して真っ直ぐ飛び去る。
するとグサリと何かに突き刺さる音がした。如何やら命中したらしい。
「逃すか!」
さらにスノーは追い討ちのように矢を射る。しかしそれらは全部外れ、洞窟の奥に消えていく。しかしその矢の先には糸が張られ、疫嬢蜘蛛を奥の方に逃さないようにしていた。
「流石スノーだね!」
「そんなことを言う暇があったら集中しろ。まだ敵の姿を捕捉していないんだぞ」
そう言えばそうだ。私達は未だに疫嬢蜘蛛の姿を見ていない。暗闇の中、感覚を研ぎ澄ませ、五感だけを頼りに敵の居所を察知しているのとおんなじだ。
つまりこのまま長引けばこっちの神経がすり減って確実に油断が生まれる。敵が本能的にそこをついてこないわけがない。
「じゃあどうするの?このままやっても」
「こうするんだよ!」
タイガーは火炎石をぶん投げた。
疫嬢蜘蛛に当たったようには思えない。しかし弾けた火炎石によって放出された炎が足りない視覚を補ってくれた。
「ナイスタイガー!」
「へっへっ。って、おいおい見えたぞ!アレが疫嬢蜘蛛かよ!」
確かに炎に揺らめいて陽炎のように映る何かがそこにあった。
巨大な黒い蜘蛛。いや、アレは蜘蛛なのか?顔が女の人みたいに見えるが、その身体は間違いなく蜘蛛のそれでしかない。正直に言おう。気持ち悪い。
「女郎蜘蛛タイプか。なるほど、予想はしていたが」
「かなりの巨体ですね。おまけに足腰も丈夫そうです」
「なに冷静に解説してるの!」
スノーとKatanaが全く目の色を変えずに解説行為に入ろうとしたので、即座に止めに入る。だがその直後疫嬢蜘蛛の口から何かが吐かれた。
「うおっ!」
緑色の液体が飛び散る。するとその部分の地面がドロドロに溶けてしまった。ちなっちは間一髪のところで回避したが、流石に冷や汗が滲み出る。
「嘘だろ」
「大丈夫ちなっち!」
私はちなっちの元にすぐさま駆け寄る。
ちなっちは平気そうだったが、これは相当ヤバいタイプで間違いない。
「一回体勢を立て直すぞ」
「う、うん。ちなっち掴まって!」
「あんがと」
私は【雷歩】で一気に後退すると、一度全員で疫嬢蜘蛛から距離を取るのだった。




