2:ニューロン
紙束と瓦礫が散乱する事務所の中央。青年は長身を屈めて、紙束を拾い集めている。
天井に開いた大穴を指さして笑っていた白衣の少女は、ドアを開けて隣の部屋を確認したりしている。冷蔵庫が天井を突き破るほどの衝撃だったにも関わらず、部屋の隅に剥き出しのチタン鉄骨は、歪んですらいなかった。自動で照明が付いたダイニングキッチンは、全く平穏で無事だった。
少女は、そのままキッチンへ入り込み、汚れた顔を洗ってから、再び事務所へ戻ってきた。
事務所の時計は衝撃で傾いていたが、赤色の秒針は無事に動いている。
彼女が確認した現在時刻は、2時57分。
その様子を見て、彼は何かを言いかけたが、彼女の言葉が先を制す。
「現場検証? 必要ない、必要ない。原因は明らかに、コイツだろう?」
ウサちゃん柄のハンカチで包まれた、何かを取り出してみせる白衣の少女。
「あっ! ソレ、返してくださいよ、どう考えても危険ですし」
青年が、片付け作業の手を止める。
「だめだね。私には、こんな面白そうなモノを、みすみす手放すほどの、甲斐性も分別も無いっ!」
彼女は、年相応の無邪気さを発揮して、彼の周りを遠巻きにうろつく。
澄まし顔からなびく、腰くらいまでのロングヘアーが間接照明に照らされている。
天井のメイン照明は、壊れているため機能せず、室内は少し薄暗い。
「……威張って言うコトじゃありませんよ、それ」
余り気にした風でも無く、紙束を拾い集める作業に戻る。
「危険物の扱いなら、科学者である、私の方が馴れていると思うよ。安心したまえ。それに、私には、君と君の事務所の監督責任というモノも……そう言えば有ったっけ」
頬に手を当てて、何かを思い出している。
「有ったっけって、そんな、さも今、思い出したみたいな……」
「実にお誂え向きな、監督責任を行使するぞ私は!」
してやったりという顔。彼は自分に向けられた、見事なドヤ顔をチラ見した。
「本当に、今、話してるウチに思い出したんですね……」
抱えていた紙束を作業机の上に、仕分けして重ねていく。
「まあ、イイですけど、ソレ、ポケットにしまって、落とさないでくださいよ」
少女を振り向き、背後の机へ寄りかかる。
彼の所作には一切の無駄が無く、映画のワンシーンのように腕組みをした。
青年から”佳音”と呼ばれていた少女は、ひときわ素直に、白衣のポケットに、ウサちゃん柄を大事そうに仕舞い込んだ。
行動は突拍子もないし、やや横柄なところがあるが、今のところ、少女のすべての言動には、理屈が通っている、様に見える。
「で、冷蔵庫以外の被害状況は?」
彼女は、事務所を見渡し、小さな瓦礫をスニーカーで蹴飛ばした。
「此処の天井と、冷蔵庫とサイドチェスト。それと、来客用のグラスとコップくらいですね」
彼の手際の良さで、この短時間にもかかわらず、散乱しているのは、粉砕された天井から落ちた瓦礫だけになっていた。
「あと、屋上の家庭菜園が、結構被害受けてそうですね」
窓の外、駐車場に、ひっくり返った冷蔵庫が突き刺さっている。その隣に停車している小型の電気自動車には、奇跡的に傷一つ付いていなかった。
「ふむ、じゃあ、事務所の、”換え”は私が手配しておこう」
仁王立ちで勝ち誇っていた少女は、青年から2歩距離を取り、スマホを起動させた。
ポポ、ポン♪
手配とやらの為の操作は、数回のタッチで済んだようだ。即座に電源オフされ、仕舞われた。
「助かります……あと、もう一つ、無くなっている物が、有りました」
礼を言った青年は、最大限度まで引き出された、作業机の引き出しを見渡した。そして、少女の白衣のポケットを指さす。
「その”ボタン”が転がり出てきたフォルダが、どうしても見あたらないですね」
「カーキ色で紙製のフォルダ、と言っていたな?」
「はい、別段変わった内容でも無い、たしか、1980年代の航宙研に関する報告書でした」
「航宙研? なら考えるまでもない。ヤツは、下に居るんだろう?」
「これだけの、大騒ぎに、文句一つ言ってこないのも、不自然ですし……アイツめ」
そう言って、彼は散乱している瓦礫を押しのけて、部屋の中央を片づけた。
彼は咳払いをしてから、コツコツと、フローリングの床を手の甲で叩く。
「ニューロン、出てきてください。お話があります」
しばらく待つ。少女はイライラを表すように、スニーカーで床をパタパタと踏みつけている。
「寝てるかな?」と再び彼が、床をコツコツと叩いた時、パッシュウウウゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーッ!
フローリングの板の切れ目に沿って、ギザギザした形に床が持ち上がっていく。
ウンウンウンウンッ―――ガッコン。
床から1メートルくらい、迫り上がった床板。
ソコには、地下シェルターらしき構造への、アクセスドアが出現していた。
だが、明らかに小さい。とても小さくて、人間一人も入れないような大きさ。資材用や料理用の、搬入昇降機のような、小さな構造。
プシューーッ!
開かれた小さなドアへ、向き直る2人。
「ニャーロン!」
頭から飛びつく、佳音。少女から、髪留め代わりの洗濯ばさみが、落ちた。
少女のほっぺたに、足の裏を押し当て、抱きつくことを拒否している、灰色の生き物。
ソレは、短毛に覆われた小さな獣だった。
ピクピクと動く耳、宝石のような虹彩と縦長の瞳孔。
右前足が白くなっている以外は全てグレー。毛並みによく映えるスカイブルーの首輪。
ネームプレートから下げられた、小さな星形の勲章が、チリンと鈴音を立てる。
ネジ止めされた、ネームプレートには『NEURON』と彫金されていた。
もう一度、少女を足蹴にしてから、青年の側まで歩み寄った二足歩行。
後ろ足だけで器用に直立し、前足には抱えるほどの大きさの、紙束。
「やはり、アナタが持って行ったんですね? 返していただけますか?」
腰を折り礼儀正しく接する、実に男らしい”砥述”青年。
「ニャ?」
猫は、当然のように、白い方の手を、彼につきだした。
「なんですか、その前足は?」
真っ白い前足は、上を向いている。
「ニャニャ?」
白毛に覆われた、短い指をニギニギと動かし、口角を上げ、小さな牙を剥き出しにする。
その獣のような、見方によっては、愛くるしい表情に、
「君っ! ニャーロン氏はなんと言っているのかね?」
猫好きは、頬を赤らめ、なんかもう、必死である。
「おそらく、”返してほしかったら、対価を寄越せ”と言っているのだと思いますよ」
「何? ネコ缶か、ネコ缶でよいのか!?」
再び、何かを(恐らくはネコ缶を)手配するために、スマホを取り出した少女。
青年は、慌てて、ソレを止めさせようとして、彼女の手にしたハイテク電子機器に触れた。
ブッツ!
何かが切断されるような音を立てて、表示画面がブラックアウトした。
「「あ!?」」「ニャッ!?」
顔を見合わせる2人と一匹。
「砥述! やってくれたな!」
「あーーー! 申し訳ありませんでした! ニューロンを甘やかそうとするから、つい反射的にっ!」
「まったくもう、秘匿回線再接続までの約30分間、使えなくなってしまったではないか!」
「そう言われましても、僕には、どうしても、秘匿回線の仕組みを、正確に理解することは難しいのですよ」
「フニャーーーッ!」
紙束を抱えたまま、ジト眼で少女へ吼える怪猫直立不動。
「こら、ニューロン! 仮にも主席研究員相手に、そんなコトを言うもんじゃありませんよ」
「……何と言ったのかね?」
「えっと、た、たぶん、ザマあ見ろ的な」
「ふっふっふ、私はその程度ではヘコタレぬぞ? 別の連絡手段を使えばすむ話だ!」
彼女は、不敵な笑みを浮かべたまま、壁に歩み寄ろうとする。
「絶対に、私が手ずから、ネコ缶をご馳走してくれよう、ふっふっふっふ」
「だ、だめですよ!」
青年は、少女の前に立ちふさがった。背後には、壁に作り付けられている、やたらとアンティークな電話。
彼女が彼を押しのけて、手を伸ばすと同時。
リリリリ、リリリリリン♪
鳴り出すアンティーク。
青年は少女と顔を見合わせてから、受話器を取った。
「はい? 砥述です……はい、は? 換えの住居の手配が完了した?」
「ほう、ロールアウト後、直接来るように指示を出したから、……流石に早いな」
ゴッゴン。
巨大な質量が地に落ちる、凄まじい震幅。
P波を受けて、ピョンと跳ねる2人と1匹。
駐車場に面した窓辺へ、駆け寄る2人と1匹。
ゴゴゴッゴン。
再び、凄まじい揺れ。
ピョンと跳ねた2人と1匹の眼の前。
高空から飛び込む強い光。ついさっき冷蔵庫が発した光ほどではなかったが、駐車場だけで無く事務所の半分くらいまでもが、白昼並に照らされている。
カカカカッ―――!
4つ足の巨大質量源は、大きな箱のような胴体から、サーチライトを照らしてくる。
ゴゴゴゴッゴオオウンン!
駐車場を挟んだ平地にソレは停止した。
再び、ピョンと跳ねた2人と1匹は、バランスを崩した。
青年はバレエダンサーのごとき跳躍を見せて、P波を飛び越えた。
「おのれ、運動神経の固まりめ」
「ニャッ」
同じポーズで尻餅を付いている、少女と灰色猫。
ゴゴゴゴッ!
再び足下が脈動するが、巨大質量源は動いていない。
「事務所が動いてる!?」
瞬間的に床に押しつけられる。
このGにあらがうことは青年にも適わなかったようで、2人と1匹は床に這いつくばった。
ビーッビーッビーッ!
事務所は、巨大ロボットの箱部分と同じ高さまで上昇し、レーザー測量による自動連結を果たした。
ゴウウンン!
ガチャガチャパシャン。
窓のオートロックシステムが作動し、独りでに全開になっていく。
蛇腹構造の窓は折り畳まれ、壁の戸袋へ格納されたため、目の前の―――巨大ロボの箱部分との境目が平らになった。
巨大ロボの間取りは、青年の仕事部屋そっくりで、調度品も同じ物が既に設置されている。
「おや? 冷蔵庫まで、同じ物を用意していただけたのですか?」
青年は、連結部分の隙間を跨いで、立ち止まる。わずかな隙間から真下の駐車場で、ひしゃげている冷蔵庫が見える。
「この部屋の調度品は、全部ここで調達した物だろう? あと三年は、どれだけ壊してもストックが尽きることは無いよ。まあ、中身までは、入っていないがな」
少女は、巨大ロボもとい、新事務所まで歩いて行き、中を開けてみせる。
「壊れるのは、もう勘弁して欲しいですねー。中身に関しては、大した物は入ってませんでしたから、大丈夫ですよ。佳音さんとニューロンの為に作り置きしておいた、オヤツくらい……」
彼はガシガシと頭を掻いた。
「それは聞き捨てならん……」
左肩に掴みかかる少女。
「ニャニュニャッ……」
右膝に掴みかかるネコ。
詰め寄られた青年は、たまらず提案した。
「じゃあ、この書類の山を移し換えて、後片づけが終わったら、オヤツを作りますよ」
「材料はあるのかね?」「ニャーン?」
「材料は、ダイニングキッチンに、買い置きがあるので、まあ何とか」
「君は今すぐに、オヤツとやらの制作に取りかかりたまえよ」
「ニャニャーーーッニャゴ」
白衣の袖をまくり、巨大ロボットの方に置いてあるサイドチェストへ、掴みかかる少女。
そして、猫のように俊敏な四つ足歩行で、サイドチェストへ飛び乗ったニューロン氏。
チェストの下にはコロコロが付いていて、非力な彼女にもスムーズに動かせた。
仕事机前へ移動させてきたチェストの上に、紙束を並べ始める。
一致団結し、的確に片づけ作業を進めていく、猫と少女。
猫の手も、チェストの上で、きっちりと書類束の仕訳作業に役立っている。
「じゃあ、僕は、キッチンの方に行ってますので、何か有れば呼んでください」
彼は邪魔にならないように腕を伸ばし、机の上から、ミストパイプを取り上げた。
白衣と灰色は脇目も振らずに、片づけ作業に集中している。
「ははは、今日はとても仲がよろしいですねー」
青年は笑顔で、瓦礫をよけながら、キッチンへ通じるはずのドアを開けようとした。
だが、ソコにドアは無く、その向こうにも部屋はない。ただ、ドアのサイズの穴が開いているだけだった。
ダイニングキッチンの天井へ飛び降りた彼は、背後を振り返る。
視線の先には、ジャッキの様な無骨で巨大な足にリフトアップされている、事務所が有る。
足つきの事務所と、全く同じ物が、駐車場に立っていて、箱の様な部屋同士をドッキングさせている。
巨大ロボは、自律歩行物件だったのだ。
青年が、スコーンと猫形ケーキを焼き上げ、紅茶の用意を済ませた頃、再び、縦揺れが襲って来た。
彼がエプロン姿のまま、事務所へ通じるドアを開けようとしたが、開かない。
ドアノブを見ると、ロックされている。連結中に出入りされては危険だからだろう。そう判断したのか、彼は、食器の用意を済ませてから、もう一度ドアノブを回した。
カチカチン、パッ。
自動的に、薄暗い事務所の天井に、明かりが点いた。
部屋中央の昇降機が、床面へ戻っていく。
ウンウンウンウン、ガシン、ピピピッ♪
地下シェルターの機構も、無事に連結できたようだ。
「お、終わったー!」
「ニャーー!」
応接セット兼用の、ソファーに身を投げ出している、少女。
と、その腹の上に同じポーズで、身を投げ出している猫。
「ごくろうさまでした。大変助かりましたよ。しかし……何回見ても、自走住居の換装風景は、燃える物がありますねえ」
この事務所兼住居の換装も、ひょっとしたら1度や2度では無いのかもしれない。
窓辺へ歩み寄り、今まで事務所だった、巨大ロボットへ手を伸ばした。
青年は、突き出されたアームから、自分の身長ほどの、白木の箱を受け取る。
そして、作業机の下、口を開けている四角いハッチへ、ソレを差し込んだ。
小さなハッチが閉じられると同時に、作業机の天板横から、カード状の物が飛び出した。彼はソレを引き抜いて、カード裏に光る文字を確認する。
光る文字は、たちまち輝きを失い、カードは長財布へ仕舞われた。
ゴゴゴッゴンッゴゴゴッゴンゴゴゴッゴン!
今までの事務所部分は、新しいのが来た時の足取りより、ずっと高速で返って行った。
地形の状態が解っているからか、もしくは、壊れてしまっている以上、それほど気を遣わなくて良いというのも、有るのかも知れない。
「さて、お疲れ様でした」
両手をパンと鳴らし、振り返る彼の表情がくもる。
脱力する余りに、頭からずり落ちてしまった少女は上下逆になっている。
脚がソファーの背もたれに、辛うじて引っかかっている状態。
ネコも、少女の顔にへばり付いている有り様だった。
「おや、お行儀の悪い人たちが、……居ますねえ」
青年は、語尾を、教え子の品定めをする教官のような、声色にかえた。
少女は慌てて体を起こし、汚れた白衣をパタパタと、はらっている。
猫も飛び上がって、お行儀よく両前足を揃えた。
「それじゃ、今スグ、お茶にしましょうか」
青年は、普段の柔らかな声になり、ダイニングキッチンへ戻っていった。