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緋色の靴

「ただいまー」


 学校から帰ってきた僕は、綺麗好きな母によって毎日掃除が成され、整理整頓されているはずの玄関で引っかかりを覚えた。その違和感の正体は、亜麻色あまいろの靴箱の脇に無造作に置かれた黒い袋だった。


 見栄えを気にする母にしては珍しく、掃除を中断してどこかに行ったのだろう。口が結ばれていると、何が入っているのか気になってしまう。抑えきれなくなった好奇心で、結ばれていたそれをほどき、中をのぞいてみる。


 入っていたのは、古い靴やサンダルだった。かかとの外側が妙に削れている父の黒い革靴。同じく踵がり減っている、母の濃いベージュのパンプス。そして、成長と共に履けなくなった僕と美樹のシューズたち。綺麗好きな割に、思い出にひたりたくて物を捨てきれない母が、ようやく断捨離したもののようだ。


「あれ、懐かしい……」


 僕の興味を引いたのは、暖色系の濃い色の中で一際ひときわ異彩を放って目立っている、緋色ひいろの小さな靴。拾い上げてじっと見つめていると、あの頃の思い出が夕陽と共に蘇ってくる。


「あ~した天気にな~あれ!」


 勢い良く空に向かって振り上げられた右足から、拘束を解かれた赤い靴が綺麗な放物線を描いて、ロケットのように飛んでいく。


「あっ、あしたは晴れだ! やったー!」


 空に向かって両手を広げ、無邪気に喜ぶ少女。ぴょんぴょん跳ねるたびにめくれ上がる赤いスカート。時折恥ずかしそうに、白い布が顔をのぞかせている。


 少女は、飛んだ靴を拾いに脱兎だっとごとく駆け出し、早馬はやうまの如く戻ってくると、玄関脇のポストに乗せたノートを手にした。


 ノートの表紙には、「みきの天気予想」と書かれている。小学三年生の頃から書き始め、一年以上続けている彼女の研究ノートだった。靴を飛ばして、表なら晴れ、裏なら雨、横ならくもり。その結果を毎日表に書き留め、次の日の天気と確認していたのである。


 当たる確率は何パーセントなのか知らないが、けっこう飽きずに続けていて、その熱心さに感心したものだった。彼女の好奇心は探求心へと繋がり、その研究テーマはマニアックなものへと変貌へんぼうしていく。


「ほらほら~、美味しいお菓子ですよ~」


 庭の小さな机には、小皿にビスケットが一つ置いてある。それは彼女が置いたものだ。お菓子を置いてから、どのくらいの時間でアリが集まるかを調べるためである。飴、チョコレート、煎餅など、種類を変えて調べる事も忘れない。


 また、小さなアリが運びやすいように細かく砕いておいたりする。一匹でも運べるように細かくしている気遣いが優しい。せっかくだから巣穴に持ち帰ってもらい、仲間たちにも食べてもらいたいのだろう。


「がんばれ~! がんばれ~! アリさ~ん!」


 地面に顔を近づけて黄色い声援を送っている。その格好がまたたまらなく可愛い。僕はまだ結婚もしていないが、もし娘が生まれたら間違いなく溺愛できあいするだろう。


 小さな女の子は可愛い。間違いなく可愛い。どこに行くにも、必ず僕の手を握ってきた。「お兄ちゃん大好き」と言って抱きついてくる美樹。


「大きくなったら、お兄ちゃんと結婚するんだからね」


 街を真っ赤に染める夕陽をバックに、汚れのない瞳をキラキラさせて言ったあの言葉を、彼女はもう忘れてしまったのだろうか。僕はその小さな赤い靴を両手に乗せたまま目を閉じ、遠い昔にタイムスリップしていたのだった。


 その時、突然背後からカシャっという音が聞こえた。それは普段から聞き慣れている音で、誰もが持つスマートフォンに付属しているあれの音だった。


「お兄ちゃんって、匂いフェチだったんだね」


 その声に反応して振り返ると、そこには学校帰りの美樹が立っていた。手に構えたスマートフォンのカメラは、静止画から動画に切り替わっている。


「いや、あの、こ、これは、そういう意味じゃなくて……」


 慌てて、持っていた彼女の靴を戻すと、さっきよりも固く袋の口を結んだ。「ははは」と力なく笑う僕を、あわれむかのような彼女の表情が冷たい。


「大丈夫、心配しないで。この事は誰にも言わないから」

「ほ、本当?」

「うん。その代わり、私のお願い聞いてほしいんだけどな~」

「お願いって?」

「りゅうくんのアルバムがもうすぐ出るんだよね~」


 そう言って、アマゾンのサイトを僕に見せる彼女。人懐ひとなつこそうな瞳で微笑みかける彼女に、僕は黙ってうなずいた。前回のアルバムも、同じような理由で僕が買った気がする。デジャヴなのだろうか。

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