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まず目に飛び込んだのは金色だった。

良くある髪色ではあるが、こんなに美しい金は終ぞ見た事が無い。秋の豊穣を思わせる濃く深い色合いの黄金が陽光を受けて艶々と光る。くるんと丸まる毛先さえも愛嬌めいて、軽やかに踊る様に目を奪われる。

これはこの少女だけが持つ色だと思った。

特別な、たった一つだけの、唯一の色に視界の全てを覆われたのだ。

まず触れたのは肩だった。

どうしてか、勝手に、いつの間にか、触れていた。

瞬時に間近に来られた事に驚かれるも、逃げる素振りは当然なかった。

貞淑な事に従順な事に、因習通りの古めかしい衣装をきちりと幾重にも着込んでいるのに、この手は驚き、心の臓はどくりと跳ねた。

分厚く豪奢な衣裳を着込んでいる。

なのにその肩はあまりにも頼りなかった。華奢だった。

手が指がまず思い知ったのだ。

ああ、この者は女なのだ、と。

見れば当たり前の事実だと言うのに、どうしてか天啓の様に雷鳴の様に思い至り、脳髄に染み渡る。

己とは違う性別の生き物なのだと。

そうしてゆるゆると、何故か勝手に俯いていた視線が上を向いて―――そうして、射抜かれた。

あるいは、吸い込まれた。

温かみのある、夕焼けを思わせる様な、綺麗な綺麗な茜の瞳に。

人界にて忌まれる目の色。邪と魔性に属する異形に多くある筈の色。

しかし彼女の瞳は深く静かに清らに澄んでいた。

瞳は魂と心の在りようを映す鏡。

優しく淡い少女の朱色はただひたすらに穢れが無かった。誇り高く純粋で、眩いばかり。

そして悲壮なまでの決意に満ちていた。

命を賭して、世界を救うと決めた目を、していた。


ただただ無色で透き通った美しい瞳。

何物にも染まっていない、何も知らないが故の、痛々しいまでの真っ直ぐさ。

その背には男たちが立っていた。助けを求める様な情けない顔をして、少女の隠れきれぬ程の小さな陰に、隠し切れぬ程のでかい図体を縮め込める様にして隠れていた。

視線ばかりふり返って少女は微笑む。彼女自身を盾にしている武装姿の、いつでも立ち去れる体勢の筋骨隆々たる男達を安心させるかのように。

折れそうな白い肢体の震えを押さえつけながら、花のような微笑みを贈る。

この、邪龍を前にして。



何と穢れの無い魂。

献身に満ちた慈悲深い心根。

美しい、ただ真っ新に美しい、清らかなる心身の少女。

しかし華奢な四肢に怨念めいて纏わりついて絡み付く言の葉が見える。

彼女ならばと、無責任な救いを要求する数多の声に縛られし救国の巫女姫。

強大が過ぎる破邪の力は、いつも通りに滅ぼされるべき邪悪を祓おう。

この龍の目が見透かす、枯渇の進んだ痣だらけのヒビだらけの肢体が朽ちようとも。

龍のねぐらにまで轟く、巫女の奇蹟もあと一たびの行使で、肉が持たずにほころぶだろう事は誰の目にも明白。人の肉には過ぎたる力を持って生まれ、器の許容を越えて行使してしまった者の定め。

後一回しか活用できぬならば、尊き巫女の犠牲によって世界は救われるという物語として幕を引けと、そういう期待が澱として、白い肌を薄気味悪く這いずっているのがよく見える。

しかし少女は凛と真っ直ぐに背筋を伸ばして龍に対峙していた。

全てを許容し、かつ、全ての期待に応えようと決めた瞳をしていた。

彼女の在りようは余りにも純白だった。



薄桃色の唇が震えながらも決然と告げる。


「初めまして、水域と夜を統べる龍の王。私は貴方の悪事を止める者。貴公の人類侵食は今日で終わりです。私が、止めます。止めて、みせます。ぜったいに……!」


清水の様な心地の良い麗しい声、きらきらとした飛沫の様に刹那に輝く言の葉。

細い肩を対峙後即座に捕らえられてなお、揺らがぬ決意に満ちた眼差し。

こちらに対する憎悪は感じられない。

本人はただ、己の教え込まれた正義のままに邪龍を討とうとしているだけなのだ。

か細き命の炎を燃え尽かせてしまおうとも。

哀しい程に美しき献身。

たとえその最後の一撃を的中させようとも、龍の命脈を断つには遠く及ばぬというのに。

あるいは些事に浪費させられる前の彼女だったら共に死ぬる道もあったかもしれぬ。

しかし現実はこの美しい命が龍が腕から消えるだけ。


だからこそ穢さねば。

べっとりと、魂の奥深くまで染み付くくらいに。

取り返しのつかなくなるまで徹底的に。ヒトには戻れぬ位に。

枯渇の進んで壊れかかったヒトとしての器を龍によってひたひたに満たし、脆弱な肉にあまやかな改良を加えて、種の枠を超え邪龍が卵をも孕める妻につくり変えてしまわなければ。

何よりその過ぎる程に献身的な思考を蕩かし、どろどろと甘く深い、我欲を教え込んでしまわねば。思考そのものを歪めきってしまう気は無い。ただ、進んで命をなげうつという発想を見ない仔になって欲しい。この子は欲が無さすぎるから。欲を、覚えさせて、しまいたい。

やっと、やっと見つけたのだ。

どうしてこの命この魂を天に還してしまえよう。

己さえも要らぬ命を貰いうけて何が悪い。

娶らねば。

なんとしても、娶らねば。

龍の恋は一つきり。

百歳を経てようやく見つけた唯一の伴侶を喪えようか。千歳の生を妻無き地獄とする愚は犯さぬ。勝機は一瞬あればよい。

白くたおやかな手の平から、美しき命そのものを振り絞る様なおぞましい程に清浄な霊力が満ちる。鮮烈なる破邪の御業。邪とされる力に満ちた龍の肌にヒトでありながら傷を付け得る力。


「私が、わたしが、討たないと……。わたし、私はっ! 王女、なのだから……!」


成る程、姫とは愛称などでは無く、文字通りに国を背負っている娘なのか。

それが貴女の核なのか。

ならば巣は城にて作ろう。



命奪う光を宿す震える小さな手を包み、手の焦げる音を聞きながら、対の手にて強ばる白い頬を覆う。

ああ、この手に包まれる為に在るかのような塩梅の、柔くまろい頬が愛おしい。

くちびるとくちびるが近付く毎に茜の瞳に哀れな程に虚勢に満ちた、しかし本能的な恐怖が灯っていくのが悲しい。

だいじょうぶ。怯えなくて良い。

恐ろしいのは知らないからだ。

知ってしまえば、ヒトだった事が愚かしく思える様になっていくようなれるから。

唇が触れ合った途端に、腕の中の身体がビクンと震える。

愚かしくも本能的なヒトとしての最後の拒否感が彼女を抵抗させるのだろう。

愛らしくも必死の抵抗もこの腕が逃す事は無く、慄く瞳もとろりと甘い光に濁っていく。

龍は洗脳など出来ない。そもそもその技を編み出そうとする労力を割く意義を見い出せぬ。我らは伴侶を人形とする種族ではないのだから。

ただ、必死に愛して、選んでもらうだけである。

まあ、少々選択肢を奪わさせてもらってはいるが。

くたん、と骨の抜けたが如く甘えてくる身体をしっかと受け止める。

潤んで光る薔薇色の唇に荒い息で意思の蕩けた瞳でぽうっとしている姿に、もう一つ口付けを贈り、そうして動けぬままそこに居た武装しているだけの有象無象を不意に見やる。

よくよく見れば良家令息らしき者も居るか。この同行は恐らく、死したる彼女が得た手柄を盗み取る為であろう。

ふむ。巣を作るに重要はまず足場か。

こやつ等程度の意志力ならば、その自我や認識の改良など飴細工よりも容易い。


「邪龍は姫様によって討たれた。戦いは姫の勝利である」


言霊は波紋となって男たちにとっての真実となる。仰々しき勲章を見せびらかしている男、金糸の下品な衣装の男、筋骨を無駄に誇張している様子の男、他諸々。

彼らは良き証言者となろう。

そして我らが巣作りの良き理解者、良き手足となろう。

龍の眷属たるトカゲの種子は既に視線を介し植え付けられた。人は変わらず余人は気付かず、しかし無意識すらも龍の益となる様動こう。そういうモノになる事が出来た栄誉を彼らは跪いて感謝して見せた。


龍が妻へと堕ちゆく肢体を横抱きにして、トカゲたちに王城へと案内を命ずる。

姫の国は龍の棲み家よりほど近く、その王城は中々に豪奢な造りであるようだ。城壁は市街を護る盾として強固な姫の破邪を帯び、その聖の蓄積は中々に龍やトカゲの侵入を拒む。

しかし入ってしまえば、しかも歓迎を受けて城門を開かれ、歓声を持って向かい入れられれば何の効力ももたらさぬ。

龍の王が侵入を、邪龍討伐隊によって行われる皮肉を笑う。

龍に抱かれながら、龍殺しの巫女姫は城に凱旋をする。

凡百のヒトは龍に不審を抱けない。抱けぬ霧をまとっている。

ヒトビトは龍を各々が想像する、姫を抱くに足る人物として勝手に映しながら、邪龍打倒の感謝の声を上げている。邪龍とその妃に向かって。





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