誰かを好きになるには、自分から好きになる努力をしなければいけないらしい
まずはぼくのスペックを説明する。
身長は平均より高く、体型は痩せ型。
本の読みすぎで視力低下してしまい、中学から眼鏡を使用していた。
勉強は好きではなかったけど、一応平均くらいだった。睡眠時間を削ってでも読書に時間を割くあまり、授業中寝てしまうことが多かったと話したところ、職場の主婦層には大変不評だった。
読書傾向は雑食。ブームが来たらひたすら同じ系統ばかりを読み漁る。ノンフィクションとか、犯罪の歴史とかいったものばかり読んでいて家族にドン引きされたこともあった。
顔は自分ではよく解らないが、ハンサム顔だと言われる。
生物学上女だが、綺麗とか美人ではなくハンサムという評価は正直微妙だ。せめて現代に沿った言われ方のイケメンという分類になりたい。
一人称は相手によってころころ変わる。
昔は女の癖に僕や俺とか言うなといちいち訂正されたものだが、勝手に口をついて出るので仕方ないと思うことにした。
努力が足りない方だと自覚はしている。
とりあえず、ネット上ではぼくと多用しているので、ここでもぼくと言うことにする。
表題の件。
この言葉はある男性の同僚から述べられた私見ではあったが、それを耳にした当初なるほどなと感心させられた。
ぼくの職場は女性率が高かったせいか、恋愛絡みの話題になること(お母さん世代からの老婆心というやつかどうか、良い人はいないの?という質問が成されることがよくありました。)がなかなか珍しくはなかった。
ぼくは誰も好きになったことはなかったので、特に好きな相手はいないと正直に答えるわけだが先輩達は「もったいない」「早く良い人見つかるといいね」と、他人事なりに心配の様相を表してくれた。
それでつい、言ってしまった。
「どうやったら人を好きになれるんですかね?」
純粋に疑問だった。
ぼくが恋愛をしようと思ったら、相手から見初められるというパターンは全く思い浮かばなかった。おそらくこちらから好意を示さなければならないのだろう。
自分が可愛いげのない性格で、しかも身長高めのハンサム顔(笑)らしいということは自覚できていたので、好かれる要素はほぼないと言っても過言ではなかった。
では果たして、ぼくが誰かに好意を示したくなるようなことがあるのだろうか?
その時には「恋愛=負け戦」という認識が頭の中で出来上がっていたぼくは、人を好きになれる自信がなかった。
どうやったらそういう相手が見つかるというのか。
「なに言ってんの、まだ若いのに」
「いるでしょ、結構いいなー、タイプだなって思う人くらい」
「そう言ってる子が、案外早く結婚するのよねー」
「そんなに難しく考えないで。自然とそういう気持ちになるだろうから」
お姉さま方からのご意見は賑やかでありながら、何の解決策も提示してはくれなかった。
タイプというが、そもそもそこでぼくは躓いていた。
好きなタイプというものが存在しなかった。
当然、いいなーと思う相手すらもいなかった。
自然とそういう気持ちになる方法が解らないので、今日まで恋を知らずに生きてきたわけだが、今までの生活を続けていて本当にそういう気持ちが勝手に芽生えるタイミングがあるのだろうか?
ぼくはますます首を捻った。
すると休憩室の端の方いた男性の同僚が、ボソリと助言をくれた。
「人を好きになるには、まず好きになる努力をしないといけないと思います」
「それはどういう意味ですか?」
多分あまり聞かせる気はなかったのだろう、同僚は食いついてきたぼくに吃驚しながら目を白黒させて後ずさった。
「よく解りませんが、そうだと思います」
「では、××さんもそうだったのですね?」
「いやぁ、わたしのことはいいじゃないですか。ともかく、気持ちの持ち方をそういう方向に向けなければならないと思います」
「なるほど、ありがとうございます!」
同僚(40代男性)は人前でそういった話をするのが苦手だったのか、まだ休憩が終わるには早い時間だったが早々に休憩室から出ていってしまった。
悪いことをした。
ともかく、ぼくはそれで初めて、他人からの恋愛に関するアドバイスになるほどと思ったのだった。
自分の意識の持ち方を変えなければならない。
意識は自分が変えようと思わない限りは変わらないのだ。
逆に言えば、ぼくが変わろうとすればなんとかなる部分であり、分類としては自分がとりかかれる範囲の努力というやつなのだ。
ぼくの根底に既に根づいていた恋愛に対する忌避感(多分そうなのだと思います。)をなんとか恋愛向きにしなければ、人を好きになることも出来ない。
ぼくはその日から、ともかく人を好きになれるようにしてみようと考えるようになった。
負け戦とは思うが、そもそも自分だけが好きな状態であると自覚した上でのスタートは気楽だとさえ思えた。
あとは目標達成の為に敗因や勝利条件を分析して、追いかけるのみで済むのだから。
(今までは誰もぼくを好きにならないだろうと思い、そこで思考を終了させていたわけですが、誰も好きになってくれないだろうから自分からいってみようと思えた第一歩でした。)