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96 木の葉を守り、水飛沫を食らう

 朝になった。体を起こし、夏用の薄いタオルケットがずれ落ちる。


「さ、さみぃ」


 体がやけに寒いし、喉は痛い。この時期に床で寝るのはさすがに無茶だったか。

 しかし凍死の危険よりも重視すべきことがあった。故に僕は昨夜、自宅なのに床で寝ることを選んだのだ。


「すー……すー……」


 目をやる先はベッド。そこには、寝息を立てて眠る天使こと金束さん。

 昨日のバイトは木葉さんを中心に盛大に荒れた。不機嫌な金束さんを説得、怒る月紫さんを接客、ヘラヘラ笑うおばちゃんにこき使われて閉店後の作業。つまり体も心もクタクタ。

 豪雨の中やっとこさ帰宅すると、待っていたのは眠り姫こと金束さん。起こすわけにもいかず、来客用の布団なんて持っていない僕は押入れからタオルケットを引っ張り出して床で就寝した。


「せめて夏なら耐えられたけど冬の寒さはキツイ……」


 え? 同じベッドで寝ればいいっしょ? 一般大学生の見解だね。僕には無理です。


「金束さん、起きて」

「んん……水瀬……?」


 金束さんが目を覚ました。眠気まなこをこすり、上体をのそっと起こして髪の毛がサラリと流れる。


「おはよう」

「うん」

「今日は何限から授業? 僕は一限からあるんでそろそろ準備しなくちゃ」

「私は二限」

「それは素晴らしいね」


 冬の一限は辛い。布団から出たくないよねー。


「いつ帰ってきたの?」

「一時くらい」

「ふーん」


 まだ半覚醒状態なのか、語気がいつもより緩い。

 キャンプや枝豆狩りや日凪君との飲みバトル翌日、幾度か金束さんが眠る姿を見たことがある。その度に、通常時の刺々しい態度とのギャップで可愛く感じる。つまりめっちゃ可愛いでファイナルアンサー。


「水瀬、朝ご飯食べないの?」

「朝は食べないよ」

「そんなんだから痩せているのよ」

「おっしゃる通りで」


 金束さんは昨夜のうちに近くのコンビニで歯ブラシを買ってきたらしい。現在、僕らは洗面台の前で肩を並べて歯磨き。


「シャワー浴びたい」

「自分の家で浴びてください」

「シャワー貸して」

「僕も浴びたいんですけど。あ、一緒に入、ぶべぇ」


 鏡に映る僕の顔が変形した。

 じ、冗談ですよ。ちなみに変形する程のパンチだったのに痛みは全くなかった。異能ですね。


「雨が降ってるわ。傘貸しなさい」

「どうぞ」

「ありがと」

「返すのはいつでもいいよ。あ、鍵は今すぐ返して」

「……」

「なぜ不満げなんすか?」

「ふんっ」


 金束さんは鞄から鍵を取り出すと、僕に投げつけてきた。金属類を投げるのは大変危険なのでおやめください。


「アンタ、合鍵は持っていないの?」

「親が持っているよ」

「……つ、作っておきなさいよね」

「なんで?」

「うるさい! ふんっ!」

「えぇー……?」


 最後にはいつもの金束さんらしい「うるさい」と「ふんっ」を放ち、彼女は帰っていった。


「さて、シャワーを浴びる前にもう少しだけ寝ようかな」


 床で寝たせいか、疲れが取れていない。

 シャワーは高速で浴びるとして、色々と時間を切り詰めれば二十分くらいは寝られそうだ。


「どうも体調が優れないし……げほっ」


 せめて横になっておこう。僕はベッドにダイブする。


 ……。


 …………。


「……金束さんの匂いがする」


 良い匂いがする。金束さんの匂いが僕の全身を包み込んでいる。


 ……ね、眠れねぇ……!











「レポート鬼畜すぎるだろ。冬休み前に余計なことしやがって教授マジ死ねよ」

「ういーっす。代返しといてくれた?」

「馬鹿だな、今日は小テストがあったぞ」

「ふざけんなよ……」


 今日も今日とて授業。やや寝不足、やや風邪気味。なんとか耐えきった。

 小テストは好きだ。代返と自主休講を交互に繰り返してサボったり、期末の過去問しか持っていない連中にはウザったらしいだろうが、僕は毎回真面目に講義を聞いているおかげでノー勉でも多少なりと解けた。

 少しだけ優越感。ざまーみやがれ、だ。僕はそそくさと筆記用具を鞄に押し込んで席を立つ。


「ちっ……」


 教室を出る間際、舌打ちが聞こえる。茶髪の男子が苦々しい表情で僕を見ていた。

 しかし目が合うと、茶髪の男子は慌てて目を逸らしてタバコの箱を握り潰す。


 ……あの凄惨な学科飲みも、もう先月のことか。


 不知火に蹴り飛ばされ、僕に飲み勝負で負けて、男子達の心中は穏やかではないだろう。

 しかし手を出してはこない。彼らは報復してこなかったのだ。僕は今日も今日とてボッチ。平穏に過ごせている。

 僕なんかを相手にするのも馬鹿らしくなったのかな。そうそう、ボッチ相手にムキになっても虚しいだけだよ。

 ……もしくは誰かが止めているから、か。


「……」

「……」


 教室を出てすぐに異変に気づく。背後に誰かいる。僕の後をついて来ているのだ。


「……」

「……はい学校出た! お疲れ様、流世君」


 たまたま行く方向が同じなのだろうと思い、遠回りになる裏門から出たのにその人は後を追ってきた。

 大学の敷地内から一歩出た途端、その人は話しかけてきた。


「ついて来ないでよ、木葉さん」


 ため息混じりに振り返ると、とびきりの笑顔が飛び込んできた。


「見て見て、今日は森ガールファッションを意識してみたんだ。アタシらしい服装でしょ?」


 僕の問いかけには答えず、聞いてもいないことを勝手に喋って尚も笑顔。

 ナチュラルガーリーなワンピースとゆるふわなカーディガンの見事な着こなしを見せつけた後、木葉さんは僕の隣に並ぶ。ニコニコと微笑んで肩を揺らし、緩やかにカールさせた毛先も揺れる。


「……」

「あ、無視しないでよ」

「木葉さんこそ僕の話を聞いてよ」

「流世君が言ったじゃん。学校では話しかけるなって。だから大学を出るまでむちゃ黙っていたんだよ?」

「確かに言ったけど……」

「ねーねー暇? どこか遊び行こーよ」

「絶対に行かない」


 断固拒否して歩を速めるも、木葉さんは隣をキープしたままついて来る。


「昨日はごめんね。スズちゃんもエーコちゃんも気分を害したよね」

「全くだよ」

「ばりごめん。アタシ謝ってばかりだね!」

「溌剌だね……」


 昨夜あんなことがあったにもかかわらず、木葉さんは元気溌剌オロナミンしーだ。

 その笑顔は僕なんかに向けずに学科の人へ振りまいておけばいい。君は今でも人気者なのだから。


「教室を出る時に睨まれていたよね。大丈夫?」

「問題ないよ。おかげさまでね」

「あ、分かった?」


 先月の学科飲みで木葉さんは非難された。今までの不満をぶつけられた。

 それでも木葉さんは元気溌剌に天真爛漫さを貫いたのだ。自分が悪かった部分を反省し、より洗練されたスーパーガールとなって今まで以上にみんなをまとめている。

 輪の中心に君臨する彼女が言えば誰も文句をつけない。僕が無事にボッチで過ごせているのはこの人が手を回しているからだ。


「また今度学科飲みするんだよ」

「はは、懲りないね」

「あははっ、もー無理に飲ませたりしないよ。流世君も来る?」

「何度も言わせないで。ぜってぇに行か、けほけほ」

「風邪? お大事に」


 木葉さんが僕の背中をさすってきた。……やっぱ懲りていないぞこいつ。またそうやって無意識に人の心を弄び、男が勘違いする行為を平然としてくる。


「あーっ、流世君がしかめ面してる。だいじょーぶだって、めちゃめちゃ分かっているよ。こういった行動がいけないんだよね。流世君以外にはしていないから安心して」

「なんで僕にはするんだよ……」

「にぶにぶー」

「またそれか……」

「あ、オムライス食べに行こーよ。面白い店員がいるんだよ。法学部なんだって」

「だから行かないって」

「じゃあ強制的に連れていく!」


 木葉さんが僕の手を握り、僕の行き先を強引に変えようとする。

 勘弁してください。今日は体調が優れないから早く帰りたいんです。まあ仮に体調が優れていても早く帰りたいし、気分が絶好調だとしてもあなたとどこかに行くつもりは毛頭ない。


「離してぇ」

「エーコちゃんも呼ぼっか。それならいい?」

「それでも駄目だか、ら……木葉さ……!」


 正門と違って裏門は人通りが少ない。その分、車がよく通る。

 木葉さんの背後、トラックがこちらへ向かってきていた。


「流世君、っ?」


 パッと見た限り、スピードはそれほど出てはいないし、運転はしっかりとしている。ドライバーは僕らを避けていくはずだ。こちらが注意すれば漫画やアニメみたいに事故が起きることはない。

 ただ、木葉さんは背後のトラックに気づいていない。僕を連れていこうと激しく動く。


 体が車道に出てしまう恐れがある。そうなったら……っ。

 僕は掴まれた手を強く握り返し、彼女の体を引き寄せる。水飛沫が舞った。


「ど、どうしたの? あ……トラック……」

「少し危なかったから」


 僕らの横をトラックが危なげなく通過していく。

 そりゃ運転のプロだもん。免許取れたての大学生に比べたら圧倒的に安全だ。事故なんて滅多に起きない。トラックに轢かれて異世界転生だなんてそれ以上に起こりえない。


「流世君、今、アタシを守ろうとしてくれたの……?」

「……勘違いしないで。トラックの運転手に迷惑をかけたくなかっただけだ」


 自分の口調が金束さんっぽいなと思いつつ、僕は木葉さんの手を離して距離も空ける。


「……めちゃありがとっ」


 何が起きたのか理解した木葉さんが笑顔になる。

 普段とは違ってとろけた表情。垂れた目を細めて、爛々としためちゃ素敵な笑顔。


「別に……」

「……あ、流世君」

「詰め寄ってこないで」


 こちらへと近づく木葉さん。僕はさらに距離を取ろうと一歩退いて、そこで異変に気づく。


「……ねえ木葉さん。どうして僕は濡れているんだろう?」


 体が冷たい。服がぐちゃあぁ、と濡れている。


「……えーと、昨日から今日の朝まで雨がえれー降ってて、水たまりがあって、トラックが通ったからかな?」

「僕もそー思う」


 トラック通過時に水が飛んできた。で、ピンポイントで僕に襲いかかった。そういうことですね。トラックがもたらしたのは異世界への転移ではなく水飛沫だったと。現実的ですね。はいはい。

 ……え、えぇー……?


「やー……ドンマイ流世君」

「さ、さみぃ……!」


 体がやけに異様に寒い。喉は痛いし、朝から体調が優れない。

 僕は確信した。これ風邪をひいた、と……。

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