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95 一足先に

 木葉さんは良くも悪くもフレンドリーに接して、対する金束さんは木葉さんを毛嫌いしている。


「むがー!」

「あはは、スズちゃん面白い」


 二人が噛み合うことはなく、僕はどうすることも出来ない。

 紅葉の時は逃げさえすれば良かったが、ここはバイト先。逃げられない。


「若いって良いなんな~。ぷぷっ」


 唯一この場を丸く収められそうなおばちゃんは傍観を決め込んでいる。

 どうすることも出来ない僕がどうにかしなくてはならない。どうすれば……。


「金束さん、今日はもう帰った方がいいよ」


 今ここにいても楽しめるとは到底思えない。考えた結果、金束さんだけでも逃げてもらうことにしよう。


「……水瀬と一緒に帰る」


 金束さんは首を横に振る。僕が差し出したジュースを飲みながら不満げに見つめてきた。

 不満げ……または、寂しそうな表情。


「僕は閉店後にも仕事があるから一緒には帰れない」

「……」

「に、睨まないでよ。仕事だからしょうがないです」

「終わるまでここにいる」

「遅くなるから駄目だ」

「……」


 納得してくださいな。木葉さんがシフト入っていない時に来ればいい。


「ね? 金束さん、立って」

「むがー……水瀬の馬鹿……」


 説得は長引きそうだと思ったが、金束さんは立ち上がってくれた。


「……帰る」

「う、うん。はい、これ」

「なんでお金?」

「タクシー代」

「いらない。歩いて帰る」

「強引なナンパ男に絡まれたらどうするのさ」

「う……」

「タクシーで帰ってね」

「嫌。やっぱり水瀬と一緒に」

「僕は仕事って言ってるでしょうが!」

「っ……み、水瀬……」


 金束さんの目に涙が……っ、あぁ、な、泣かないで。少し声を荒げただけじゃないすか!? 急に打たれ弱くなるから声量の加減が大変だ。

 このままだと金束さんの顔が涙でぐっちゃり状態になってしまう。それは嫌すぎる。


「はぁ……じゃあ、これも」

「……鍵?」

「僕の家の鍵。先に帰って待ってて」

「っ! わ、分かった、待ってる」


 泣きそうになったが、僕が鍵を渡すと涙は引っ込んだ。

 金束さんは鍵を両手で握って胸元に沈め、ぎゅ~、と握っている。


「テキトーに寛いでいていいよ」

「うんっ。……あ……か、勘違いしないで! 今日帰るのはそこの女がムカつくからよ! 水瀬! 仕事が終わったらすぐに帰ってきなさいよね!」

「う、うっす」


 再び不機嫌な表情へと戻った。

 まだ怒っている。だって顔が真っ赤だもの。


「ふんっ! 水瀬を傷つける奴は大嫌い! 同じバイトだからって調子に乗らないでよね!」

「スズちゃん鍵をもらえてめっちゃ嬉しそうだね」

「う、うるさい! 馬鹿! 帰る!」


 金束さんは木葉さんに悪態を吐きながらお店を出ていく。しつこく最後まで睨みつけていた。どんだけ嫌いなのさ。

 何はともあれ……はあぁ~……なんとか窮地を脱した。

 金束さんには悪いことをしたなぁ。帰りにケーキを買っていこう。


「流世君は愛されているね」


 木葉さんが僕を小突いてきた。ニヤニヤ、とした笑顔だ。

 僕がものごっつ頑張っていたのに君はなんだね。君が原因だぞ。


「金束さんは僕が嫌な思いをしないか心配してくれているだけだよ。愛されているってなんだよ、そういうことには絶対に結びつかないよ」

「うーわー、にぶにぶだねー」

「はい? にぶにぶ?」

「流世群はにぶにぶなんなー」


 おいババア。今になって来るんじゃねぇよ。


「こもろお姉ちゃんはスズちゃんのこと知っているの?」

「もちろん。小鈴ちゃんは私の可愛い娘よ」


 いつの間に親子の契りを交わしたんだよ。今になって来るんじゃねぇよ!


「そうだったんだ」

「自慢の子なんよな~。それと、もう一人おるんよ。その子も可愛くておっとりしていて自慢の娘なんなー」


 可愛くておっとり?

 おばちゃんが誰のことを指しているのか思い当たる節がある。それって、




「こんばんは水瀬君、飲みに来ましたっ」


 金束さんが帰って数分後のことだった。

 扉が開く。暖簾がめくれる。新たな来客者。


 今度は月紫さんが来た。傘を閉じて、笑顔が花開く。


「いらっしゃい永湖さん」

「水瀬君が店員さんをやっていますっ。制服とても似合っていますっ」


 月紫さんが制服姿を褒めてくれた。お世辞でも嬉しい。誰一人として注目してくれなかったから。


「雨降っていたの?」

「はい。急にざーざー降ってきたので傘を買ってぐおーぐおーしてきましたっ」

「擬音が謎……ぐへっ」

「あらあら永湖ちゃんやんか~」


 おばちゃんが僕を押し退けて月紫さんに話しかける。このババア。


「あっ、こもろさんこんばんはっ。それと……」

「アタシ?」


 月紫さんは僕を見ておっとりぽわぽわと頬を崩し、おばちゃんを見ておっとりぽわぽわとお辞儀する。

 視線の先は木葉さんへ。月紫さんは木葉さんを見て首を傾げるも、笑顔に戻っておっとりぽわぽわとされる。


「初めましてっ」

「めちゃ初めましてー!」


 月紫さんと木葉さん。どちらも笑顔で、どちらもコミュ力が高い。

 凄惨な雰囲気にはなりそうにもない。うんうん素晴らしいね。


「見たことない店員さんですっ。水瀬君の同僚さんですねっ」

「そだよ~。アタシは木葉茉森ってゆーの。流世君と同じ学部だよ」

「…………流世君? 同じ、学部?」


 ピタッ、と固まる。月紫さんの笑顔が強張って、おっとりぽわぽわオーラが消えていく。


「永湖ってゆーの? じゃあエーコちゃんだ! よろしくねエーコちゃん。アタシも流世君と仲良いんだよ~」


 固まっている月紫さんに、木葉さんは尚も爛漫な笑顔を振りまく。

 誰に対しても明るく接するコミュ力お化けなところ失礼するが、その発言には異議を申し立てたい。


「僕と木葉さんは仲良くないだろ」

「えー? 一緒によく遊び行ったじゃん」

「一年前の話だよ」

「じゃあ今度一緒にどこか行こーね」

「……ぜってぇ嫌だ」


 君に振り回されるのは懲り懲りだ。二度とあんな思いをしてたまるか。


「流世君が冷たい。エーコちゃんもそー思わない?」


 木葉さん自身にとってはごく普通の、僕にとっては最大級に響く笑顔を呆気なく僕から逸らして月紫さんに同意を求めだした。


「同じ学部、一年前。……っ! 水瀬君が好きだった……水瀬君が苦しんでいた原因……」


 ところで、月紫さんはどうして先程から固まっているのだろうか。

 月紫さんは木葉さんを見つめる。口を半開きにして、ブツブツと呟いて、眼鏡の奥の瞳から光が消えた。

 瞳が真っ黒……へ? つ、月紫さん?


「エーコちゃん?」




「水瀬君に近づかないでください」


 穏やかとは真逆の険しい表情。月紫さんらしくない表情。

 月紫さんは僕の腕を掴むと、引っ張って壁際へと移動する。まるで、木葉さんから距離を空けるかのように。


 え、月紫さんの様子が……。


「あ、あれれ? エーコちゃん、急にどうしたの?」


 ビックリしているのは僕だけではなく木葉さんも。やや焦り気味に首を傾げて月紫さんに呼びかけている。

 しかし月紫さんは無表情。微かに聞こえる、唸り声。


「うー」

「え、永湖さん?」

「水瀬君、あの木葉茉森って人が例の人ですね。水瀬君が一年前に好きだった、水瀬君が一年前に苦しんだ元凶ですね?」

「う、うん」


 その確認作業は僕に効くからやめておくれ。小学生の頃に「お前あいつのことが好きなんだろー!」と言われるぐらい恥ずかしい。小学生なら「ち、ちげぇし馬鹿っ」と徹底的に否定するだろう。

 が、僕は大学生なので子供じみた真似は出来ない。うぅ、本人の前で肯定するのはかなりの羞恥……!


「やはりそうですか。……水瀬君に嫌な思いをさせた人。うーっ、です!」


 かなりの羞恥。そんなもの今は後回し。今はそんな感情で思考の容量を使うべきではない。

 緊急事態だ。月紫さんが唸っている。

 初めて見るかもしれない。月紫さんが、激怒している!?


「あなたは最低です。水瀬君を苦しめないでください」


 急に怒りだした月紫さん。木葉さんを責め立てる。まるで先程の金束さんのように、木葉さんを毛嫌いしていた。


「こっちに近づかないでください。水瀬君は私の大切な友達なんです!」

「え、永湖さん、僕は平気」

「任せてくださいっ。今度こそ私が水瀬君を守ります! 防御率0で抑えてみせます! 一塁も踏ませません!」

「例えが分かりやすいようなそうでないような……」


 不思議っ子のノリが少し戻ったものの、月紫さんは力緩めることなく僕の腕をガッチリとホールド。木葉さんが少しでも動こうものなら途端に唸って拒絶オーラを放つ。

 怒る月紫さんを見て、今度は木葉さんが表情を固くする。


「あー……エーコちゃんもアタシが何をしたか知っているんだね」


 何か察したように、頬をかいて視線を落とす。


「水瀬君、バイト辞めましょう」

「え?」

「もしくは私もここで働きます! 水瀬君を守ります!」


 月紫さんは金束さんと同様、僕のことを心配してくれている。それは嬉しい。何度でも言う、すごく嬉しい。けど落ち着いて。


「永湖さん、心配しなくていいよ」


 過去にはケリをつけた。木葉さんとも一応は和解した。僕は本当に大丈夫だから。


「ですが……」

「流世君もこー言ってくれているし、仲良くしてくれたら嬉しーな」

「嫌です」

「あはは、また嫌われちゃったなぁ。アタシのせいだけど……」

「うーっ!」


 またしても不穏な雰囲気。空気が痛い。

 つ、つーかおばちゃんどこ行った? さっきまでホールにいただろ。


「ぷっぷーのぷ~。第二ラウンドなんなー。もっと私を楽しませろー」


 厨房の暖簾から覗き見していた。またそこに陣取っているの!? いて欲しい時にいなくて、どうでもいい時には僕を押し退けてまで登場しやがって! なんだあのババア!


「流世君は意外と友達が多いんだね。いや、意外は失礼だよね。アタシが知らなかっただけか。流世君は本当に愛されているね。……アタシの入る隙は既になかったんだ」


 一方で木葉さんも様子がおかしい。寂しそうに俯いてしまった。

 な、なんだ今日は。というかここ最近どうなってやがる。僕を中心に騒々しい事件が起きまくりだ!


「しゃーない、そろそろ助けに入るか。流世群、今日はもう上がりんさいなー」


 ようやくおばちゃんが姿を現して声を発した。遅い! 講義が始まる寸前に休講を知らせる教授ぐらい遅い! 休講と分かっていたら前の講義が終わった時点ですぐに帰っていたわ!


「あ、う、うん。じゃあ、お先に。流世君、エーコちゃん、バイバイ」

「うー!」

「あはは、エーコちゃんも面白い」


 木葉さんは笑いながらも、肩を落としてホールから出ていく。

 遅すぎた点は後で非難するとして、おばちゃんナイスプレーだ。

 金束さんの時と同様、月紫さんにも木葉さんを近づけてはならないことが分かった。


「永湖ちゃんリラックスしてなー。はいメロン」

「わぁ、メロンですっ」


 木葉さんが去って、月紫さんの表情と全身におっとりぽわぽわが復活する。嬉しそうにメロンを食べる。

 片手は未だに僕の腕を掴んでいるけど。


「今日は応用修羅場学の講義をしてあげるよーん」

「楽しみですっ」


 あの、月紫さん?


「ですが今日は水瀬君の仕事ぶりを見学に来たので応用修羅場学はまたの機会にお願いしてもいいでしょうか?」

「永湖ちゃん可愛いなんなー。いいよ、思う存分に流世群の雑用っぷりを見ていきんさい」

「はいっ」


 いつまで僕を掴んでいるの。


「永湖さん、手を離してくれます?」

「水瀬君っ、私を接客してくださいっ」

「僕は雑用なので、話し相手ならおばちゃんに」

「らんらんらんらんららららん♪」


 おばちゃんが逃げていく。何それ流行っているの? その歌を口ずさめば何やっても許されるの!?


「水瀬君、ワインをくださいっ」

「は、はあ」

「いただきますっ。美味しいですっ。お代わりですっ」

「げ、元気だね」

「はいっ」


 ワインを飲んで上機嫌。眼鏡の奥で瞳がキラキラと輝き、先程の無表情が嘘かのようだ。

 元に戻って良かった。僕もやっとリラックス出来る。……この後、家に帰って金束さんの機嫌取りが待っているけど。


「水瀬君、いつでも私を頼ってくださいね」

「あ、ありがとう」

「バイト終わるのは何時ですか? 一緒に帰りたいです」

「夜遅くなるから無理かなぁ」

「そうですか。仕事ですから素直に諦めます!」

「助かります」


 そうなると月紫さんにもタクシー代を渡しておこうかな。地味な眼鏡モードであっても、日凪君みたいな奴に絡まれる恐れがあるから一人で帰らせるのは危ない。

 あ、木葉さんにも渡して……いやいや、僕は馬鹿なの? タクシー代の為にバイトやっているのかよ。


「……さっきの人にも、そしてコスズって人にも負けません……!」

「はい、これタクシー代、って、どうかした?」

「いえいえ、なんでもありませんよ」


 月紫さんは眼鏡をかけ直して微笑む。

 穏やかな表情。けれど、眼鏡の奥で瞳がごうごうと燃え上がっていた。な、なぜに?

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