94 またしても
今日もバイト。今日もこき使われる。
十二月に入り、忘年会シーズンが到来。飲食店にとっては地獄の時期だろう。僕個人としては下旬に最悪の地獄が待っているんだけど。
「今年はバイトを増やしたから楽になりそうやんなー」
「あれを戦力としてカウントするんすか?」
呑気に笑うおばちゃんに対し、僕は小鉢を並べながら顎でカウンター席を指す。
「おじさんの娘さんは何歳なの?」
「今年で十五歳だよ」
「めちゃ年頃だね。アタシもその頃は父親がうんと嫌いだったなー」
「茉森ちゃんもそうだったんだ。ああ、いつになったら話してくれるのやら……」
「無理じゃない? あははっ」
家に居場所がないおっさん共の話し相手になっているのは木葉さん。
彼女も今日もバイト。彼女は今日もお客さんとトーク。仕事内容はトークのみ。
「僕の仕事量は減るどころか増えています」
並べた小鉢にお通しの料理を盛りつけながら不満爆発。
するとおばちゃんはケラケラ笑う。聞く気あんのか上司おい。
「必死に働く流星群~。お喋りしてるだけの茉森ちゃん~。二人の時給は同じ~」
「おい本気で怒るぞ」
「らん、らんらんらららんらんらん、らん、らんらららん」
「そんな逃げ方ある?」
ナウシカのレクイエムを口ずさみ、悠々と去っていくおばちゃん。僕を煽るだけ煽って逃げやがった。
む、ムカつく。怒れる王蟲の大群の如く進撃してやりたい。つくしんぼを滅ぼしてやろうか。まあ僕は友達が少ないので大群を呼べませんけど。元ボッチだもの。あはは。言わせんなよ恥ずかしい。
「流世君、プッシーキャットちょーだい」
「バイトがバイトに作らせるなよ……」
「らん、らんらんらららんらんらん、らん、らんらららん」
「そんな迫り方ある?」
口ずさみながら僕に詰め寄ってくる木葉さん。まさに爛々とした、目尻を垂らした笑顔で甘えた声を出す。
「流世君お願い」
はぁ……はいはい作ればいいんでしょ。
本日も常連のおっさんは上機嫌に千鳥足で帰っていく。
「また来るよ茉森ちゃん」
「待ってるね」
「こもろ姉さんより話しやすいや」
「今言った奴出禁な。それが嫌なら土下座しろ」
木葉さんは手を振って見送り、おばちゃんは牙を剥いて見送る。おっさんは土下座をして四つん這いの体勢でお店から出ていった。なんだこの店。
「さて、しばらく暇そうだし二人共ゆっくりしときー」
おばちゃんは厨房に入っていき、ホールに残された僕はテーブルの後片付け。木葉さんはノンアルのカクテルを飲む。
「暇になったね。お喋りしよー」
「僕は忙しい」
「ららららんらんらん♪」
「はぁ……」
「冗談じょーだん。アタシは裏で在庫の確認をしておくね」
厨房に入っていく後ろ姿にため息をぶつける。本人は気づかない。別にいいけど。
忘年会のシーズンが本格的に始まったらまともなホールの作業もやってもらいたい。そう思いながら僕はひたすらバッシング。
「水瀬? いる?」
時刻は二十二時。店内に客はいない。
扉が開く音。暖簾から顔を出し、一人の女性が僕の姿を見つけると、顔を緩めた。
「あ……水瀬っ」
「金束さん? いらっしゃいませ」
「ふん」
緩めたのはほんの一瞬、すぐに「ふん」を一発。金束さんは不機嫌そうに顔をしかめて店内に入ってきた。
「一人?」
「見たら分かるでしょ」
「空イテイル席ヘドウゾー」
「ふん」
仲良い友達の会話とは思えないけれど、これが僕らなりのコミュニケーションです。
金束さんがカウンターに座り、僕を手招きしてきた。
「私の前に立ちなさいよ」
「仕事が残っているので」
「はあ?」
「えぇー……」
め、メニュー表を見ながら待っていてよ。そのうちおばちゃんや木葉さんが来て金束さんの相手をしてくれ…………待てよ?
金束さんに木葉さんの存在はタブーだ。……マズイ……。
「お客さん来たの? 茉森、ホールに入りまーす」
「……はあ!?」
「お、スズちゃんだ。最近よく会うね」
木葉さんが入ってきた。
不安は的中した。金束さんは驚いた表情と共に大きな声を出す。
「アンタがどうして……は、はあ!? まさか、ここで働いて……」
「そーそー、アタシここで働き始めたの」
「……!」
「睨まないでよ~」
金束さんが世にも恐ろしい顔で睨みつけて、対する木葉さんはあっけからんとした笑みを浮かべる。
うあー……金束さんが鬼の形相で僕を手招きしている……。
「水瀬!」
「は、はい」
まだ仕事が残っているが、この呼びかけを無視したらヤバイと判断して金束さんの元へ向かう。行きたくないけど。すごく行きたくないけど。
僕は金束さんの隣に立つ。ひいぃ、これは『むがーっ』レベルに怒っている。
「こいつが働いているのはいつから?」
「えっと、僕が働き始めてから一ヶ月後ぐらい」
「アンタ、水瀬の後を追ってきたのね! 水瀬につきまとわないでよ!」
僕が答え、金束さんは再び木葉さんを睨む。
「アタシは別に流世君が働いているからここで働こうと思ったんじゃないよ? たまたま流世君が先に働いていただけ」
「何よそれ……!」
「うんめーってやつ?」
木葉さんはヘラヘラしながら言った。うんめー、と。運命、と。
……それ言っちゃ駄目な気が。だって、ほら、金束さんがすごい顔で僕を睨、ひいいぃっぃ!?
「水瀬の馬鹿!」
「ぼ、僕に言われても」
「そーだそーだ、流世君は何も悪くないじゃん。これに関してはアタシも悪くないし」
木葉さんは「そんなことより」と付け加えて金束さんに頭を下げる。
頭を下げ、上げて、ニッコリ笑顔。
「この前はいっぱい触ってごめんね。反省してるよ」
「……」
「あれれ、まだ怒ってる?」
「水瀬こっち来て!」
こっち、と言われましても。もう十分に接近しているんですが。
しかし拒否や躊躇いは金束さんの機嫌を損ねる。僕は金束さんの隣の席に座る。
「木葉さんも反省しているし、紅葉の時の件は許してあげて」
「それより、アンタ大丈夫なの?」
「僕?」
「……こいつと一緒で……大丈夫なの……?」
揺らぐ瞳と掠れた声。揉まれまくった件よりも、僕の仕事環境について心配をしてくれているのが分かった。
僕は心配させまいと声を張る。
「平気だよ」
「……そう。それならいい、いや、良くないわ! むがー!」
「えぇー……?」
金束さんの「むがー」が出た。激怒だ。
と、木葉さんがビールを注いだジョッキを金束さんの前に差し出してきた。
「はいビール」
「アンタが注いだビールなんて不味いに決まっているでしょ。水瀬に注いでもらうからいらない!」
「スズちゃんがなまら可愛い。あはは、不安なんだね。だいじょーぶだって、アタシは流世君に何もしないよ」
「……本当なのでしょうね」
「本当ホント。あ、流世君、今日も家まで送ってね」
「はあ!?」
憤激する金束さん。これでもかと言わんばかりに頬を膨らませて僕と木葉さんを交互に睨みつけてくる。
「水瀬の馬鹿!」
た、助けて。誰か……。
つーか、おばちゃんはどこだ。こういう時は年長者がなんとかするんじゃないのか。
「修羅場っぽい。流世群が気まずそう」
厨房へと通じている出入り口。その暖簾の隙間から覗くニヤニヤ顔。おばちゃんがとてつもなく良い笑顔で僕らの様子を眺めていた。
「ぷぷっ、ぷっぷ~。何これ最高に楽しいなんな~」
……助けろよ! 何しれっと絶好の位置で傍観を決め込んでいるんだよ!?




