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「おはようございます」

「流星群やんか。いらっしゃい」

「今日はバイトとして来ました」

「ああそっか。ゴミ出しといて」

「やっておきましたよ」


 つくしんぼで働き始めて一ヶ月が経った。

 初めはしんどかった仕事もとい雑用に慣れてきて、今では指示を出される前に済ませることが出来るようになった。


「流星群は優秀なんな~」

「これくらい当然ですよ」

「そう? 大学生ってちょっと仕事を覚えただけで『この作業はこうした方が効率が良い』とか『無能の社員は分かっていないけどコストを削れる方法がある』とか偉そうに言うイメージがある。数ヶ月しか働いていないただの大学生のくせして経営者目線で語るんよなー」

「偏見が酷いですね」

「その点、流星群は黙ってこき使われてくれるから都合が良い。この調子で私の手足となって働き続けてなー」

「シンプルに酷い」


 言い繕うこともやめちゃったよこの人。


「ええやんか。就活に失敗してウチに就職する時が来るんやし」

「僕が就活に失敗する前提で未来を語らないでください」

「流星群は就活に失敗する」

「断言しないでください」

「ごめんて。言い直す。就活に失敗したらええのになー」

「断言より願望の方がある意味タチ悪いんですが」


 つーか性格が悪い。ロクでもない店だ。

 僕も願ってやるよ。このお店潰れたらええのにー。僕が見事に内定を取って大学を卒業すると同時に潰れたらええのになー。


「ところでいつまで雑談するつもりね。さっさと働きんさい!」

「急に上司感出してきますね」

「発注しといたおしぼりを持ってきんさい」

「どこにありますか?」

「そんなことも忘れたんか! 今日は更衣室に置いてある!」


 そんなことは教えてもらっていない。しかも今日は、って言いやがった。その日の気分で置き場所を変えているんでしょ。分かるかよ。


「はいはい」


 しかし僕は馬鹿じゃない。ここで刃向おうものなら「これだから仕事覚えたての大学生は生意気なんなー」と小言を言われるに違いない。

 僕は黙ってこき使われるのがお似合いですよーだ。さっさと仕事しますよ。


「取ってきます」


 給料の為なら雑用もやってやる。こちとら紅葉遠征で惜しい思いをしたから早く初給料でヤケ酒したいんじゃ。

 更衣室へと向かい、ドアノブに手をかける。


「あ、そういえば」

「何か言いま…………え?」




「流世君?」


 ドアノブに手をかける。更衣室の扉を開く。

 そこにいたのは女性。今まさに服を脱いでいる最中で……。


 ……。



 …………。



 はいぃぃ!?


「この、は、さん……!?」

「こんにちは流世君」


 真正面で向き合った状態、脱ぎかけの状態で、目の前の女性は笑窪と共に笑顔を浮かべた。

 めくれた服。くびれた腰。目の前に、白い肌とお腹が……。


「ごごごっごごごごごっごめん!」


 僕は扉を閉める。激しい音を立てて閉めて、重心は後ろへと下がる。足がもつれて後頭部から地面に倒れた。


「今日から新しいバイトの子が入るよん」


 そう言ったのはおばちゃん。後頭部を抱え込んでぶっ倒れた僕を見下ろし、舌を出して「てへぺろ☆」と付け加える。


「今、着替えている最中だから開けちゃ駄目なんよ。言うの忘れとった」

「……はぁ!? それ先に言えよ!」

「わーお、流星群の口調が変わった」

「これこそ、そんなことも忘れたんかですよ! 上司感を出す前に言うことやることあるでしょうが!?」

「まーまー、落ち着いてよ流世君」


 扉が開く。自由闊達な明るい声、感情豊かな表情。

 内巻きと外巻きをミックスさせた髪が肩の上でふわりふわりと垂れ下がり、着ている豹柄のTシャツよりも目を奪われる天真爛漫な笑顔。

 見間違いではない。間違いなく、木葉さんだ。


「あら顔見知り? 一応紹介するね。この子が今日から新しく入る茉森ちゃん」

「よろしくね! 流世先輩!」

「え、えぇー……!?」






 またしても偶然会ってしまった。この世界はマサラタウン並みに狭いと思う。僕としてはさよならバイバイしたいトラウマがバイト先にも現れた。

 つくしんぼに新たなアルバイト。それがまさか木葉さんだなんて……。


「お待たせでーす」

「お、新人?」

「そうでーす。アタシは茉森、こちらは串盛りっ。右から砂ずり、つくね、で、えーと、あとは忘れました」

「駄目じゃん」


 常連のおじさん達は笑い、木葉さんも笑う。

 僕が同じミスをしたらおじさん達は「これだから最近の若いモンは!」と怒鳴っていただろう。

 しかし木葉さんの笑顔と明るさを前におじさんはニコニコ笑顔。


「こもろ姉さんは良いバイトを入れたね。おじさんとお喋りしよう」

「よっろこんで~。ちなみにその時給式呼吸器は何?」

「これかい? 娘が『パパと同じ空気を吸いたくない』と言うから買ったんだ」

「娘さん思いじゃん。やる~」


 木葉さんはカウンター越しでお客さんとお喋り。店内は和やかな雰囲気になる。


「アタシも飲みたいな」

「おう飲め飲め。おじさんの奢りだ」

「ありがとー!」


 トークするのはまだしも、木葉さんはノンアルコールとはいえモスコミュールを飲み始めた。何してんねん。

 厨房から様子を伺っていた僕は注意しようと向かう。が、おばちゃんにコブラツイストされて動けなくなった。


「待ちんさい流星群」

「いやあのなんでコブラツイスト?」

「茉森ちゃんはあれでええの。あれが仕事よ」

「お客さんとお喋りしてお酒を飲むのが仕事? なんで? あとなんでコブラツイスト?」

「ウチはこじんまりとした居酒屋なんやし、これくらい緩い方が賑わうんよなー。茉森ちゃんは盛り上げ担当として雇ったんよ」

「そうですか。ところでコブラツ」

「分かったら流星群は流世群の仕事しんさい」

「いや分からないことはありますよ? なぜ僕にコブラツイストかけているんですか?」

「はよ働きー」

「どうしてコブラツイストに関する質問には頑なに答えてくれないんすか!? 地味に痛いんでやめてください!」


 歳が倍以上のおばちゃんに絞め技をかけられるのは良い気分じゃない。二日酔いもしくは日凪君のウインク並みに気分が悪い!


「あ、もしかして胸が当たって照れてるん? きゃー流星群のエッチ~」

「何一つとして嬉しくねぇから! ラッキースケベだとは微塵も感じてねぇですからね!?」


 うげえええ、おばちゃん特有の加齢臭と香水の臭いがあぁあ。日凪君の香水よりもキツイ。それって最悪だよ。日凪君以下だもん。


「オーダー入りました。富乃宝山と、アタシはシャーリー・テンプルで!」


 コブラツイストを脱して地べたに倒れ込む僕の頭上で、満面の笑みが眩しく輝いていた。

 ……これから木葉さんとバイト仲間として接することになる。僕の世界にまた彼女が現れた。


「床に這いつくばってどうしたの流世先輩? バッシングって床もするの?」

「……しなくていいよ」


 僕は立ち上がって手を洗い、焼酎とカクテルの準備を始める。






 時刻は夜の十二時前。

 常連のおっさんが上機嫌で帰っていき、僕は残されたグラスと皿を片付けていく。


「流世先輩、お疲れ様でーす」

「敬語を使わなくていいよ」

「そう? じゃあいつも通り話すね。流世君っ」


 目立つ汚れをザッと洗い、騒々しい音を立てる食洗機に突っ込む。

 皿洗いの作業をこなす僕の隣に木葉さんが立つ。食洗機の音にも負けない快活な声で僕に話しかける。


「手が空いたから次の作業の指示をして」

「僕に聞かず土筆さんに聞いて」

「こもろお姉ちゃんは流世君に聞けって」


 おばちゃんめ。僕に新人の指導を押しつけたのか。


「ゴミ出しをして」

「ゴミ出しは流世君専用のお仕事だからしなくていーよってこもろお姉ちゃんに言われた」

「……」

「だたら暇だし流世君の傍にいるね」


 木葉さんは僕の横でニコニコ笑顔。僕は洗い終わるまで動けない。


「この前はごめんね。スズちゃん怒ってた?」

「かなり」

「あちゃー。アタシがごめんって言っているって伝えて」

「それは難しい」


 あなたの名を出そうものなら金束さんはキレる。金束さんの前で木葉さんとチャラ男の名前を出すのはタブーだ。


「そっか。あっ、でもスズちゃんは本当にすごかったよ! 手の平に収まりきらなかった!」

「言わなくていいから」

「そんなこと言って~。興味津々のくせに~」

「別に」


 はい強がりました。めちゃくちゃ興味津々です。


「アタシは小さいからスズちゃんが羨ましいな」

「……」

「あっ、小さいと言ってもばり小さくはないよ。べらぼうには小さくないから」

「方言だらけでよく分かりません」

「流世君、確認してみる?」

「……」

「冗談だよ♪ ビックリした?」


 ……落ち着け。この人はこうやって人を弄ぶんだ。無意識だろうと悪意がなかろうと、人の心を揺さぶってくる。

 動揺してはいけない。無心になってお皿を洗え。


「流世君が仕事熱心だ」

「別に」

「このお店むっちゃ良いね。まかないも出るんでしょ? アタシ、ウニ丼が食べたいな」

「無理だよ」


 飲食店のまかないに期待する気持ちは分かるが現実は甘くない。余った食材をテキトーに炒めた残り物だよ。


「はい茉森ちゃん、ウニ丼」


 出てきたよ。要望通りのまかないが出てきたぞ。おばちゃんがニッコリと差し出してきたぞおい。

 なんだこのお店、木葉さんにめちゃ甘くないか? 僕にはめちゃ厳しいのに。僕にはめちゃぐちゃな残飯しかくれなかったくせに!


「やにこー美味しーね流世君」

「……そうですか」


 仕事を終えて、まかないの時間になる。

 同じ時間帯に勤務した以上、バイトの僕と木葉さんが同じテーブルでまかないを食べるのは避けられず、また木葉さんが僕の横にいる。


「うーん、でもこの制服はちょっと恥ずかしいかな」


 そう言って木葉さんは自身のTシャツの裾を持つ。

 豹柄のTシャツはおばちゃんの私服ではなく、れっきとした制服だったのか。センスを疑う。


「制服と言えば、流世君さっきアタシの着替えを覗いたよね」

「の、覗いてはいない。あれは事故で……」

「きゃー流世君のエッチ~」


 先程おばちゃんに言われたセリフと同じなのに、木葉さんに言われるとこうも違うのか。

 冷静におばちゃんと比較している場合か。僕は深々と頭を下げる。


「本当に事故なんだ。ごめん。許してほしい」

「うわー、本気で頭を下げないでよ。冗談だって。流世君は難しーな」

「……ごめん」

「じゃあ、お詫びとして家まで送ってね」


 同じ時間帯で働いた以上、帰る時間も同じ。

 僕に送れ、と。それは……。


「嫌です」

「コブラツイスト」

「痛い痛い痛い痛い!」


 おばちゃんがコブラツイストを放つ。痛い臭いの二重苦!


「夜遅いんよ? 女の子一人で帰らせるなんて流星群はサイテーなんな」

「きゃー流世君サイテ~」

「わ、分かりましたよ……」


 木葉さん加入により、僕はこれまで以上に酷い扱いを受けることになるのだろう。

 はぁ~……このお店潰れたらええのにー……。

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