9 初めてのちゃんとした会話
「その手を離せ」
ドラマのように勇ましく。僕は似合いもしない台詞を叫び、男と対峙する。
男は一瞬だけ驚きを見せたが、あの……ホント一瞬でした。すぐに怖い顔に戻って詰め寄ると、僕の胸ぐらを掴んできた。
「誰だよお前。邪魔すんな」
首を激しく揺さぶられる。視界がブレて、心臓と意識はシェイクされて破裂。涙が待ってましたと言わんばかりに溢れ出す。
勇ましく言い放った「その手を離せ」の次に僕の口から出てきたのは、
「すみましぇぇん!」
情けない声でした。謝ってしまった。だって怖いもんん!
あ、ぁ、ああ、本当に何をやっているんだ僕は。主人公みたいにカッコつけてさ、クールに強気に助けに入って、そのくせしてキャパオーバーで号泣だ。
カッコ悪い。情けない。これなら出てこなければ良かっ……金束さん……?
「っ……」
後ろで僕の手を握る金束さん。
その手は、震えていた。
「泣いてんじゃねぇよ。そこどけや」
男は怒りをぶちまけ、さらに脅してくる。
ボッチの僕が歯向かっていい相手ではない。勝てる相手でもない。今すぐにも逃げたい、土下座したい、地面に財布を置いて両手を八の字に添えたい!
でも、でもさ……。
「水瀬……っ」
この手に伝わる震えを置いてはいけない。この人の手を離したくない。
出会って数日。決して仲良くはない人。寧ろ苦手な人。
でも、それでも……!
「おいコラ何か言いやが」
「うるしぇ! 金束さんに手を出すにゃや!」
カッコつけて助けに入ったんだ。今更逃げてたまるか。
怖いよ。噛むよ。今にも漏らしそうだ。それがどうした。
僕が金束さんを守るんだ!
「彼女には指一本触れさせやしない。僕が相手だ!」
「あぁ? なめてんのか」
あっ、やっぱ怖いですううぅ!?
決意とは裏腹に涙は止まらない。どうした僕の涙腺、あの花を観た時より号泣じゃないかっ。あれは泣ける。いやいやそうじゃなくて!
男がキレている。今にも殴りかかってきそうだ。どうやってこの場を……だ、誰か助けて。
「一発殴らないと分からないようだな。覚悟しやがれ」
「テメェこそ覚悟は出来てんのか。俺のダチに何してんだ」
低い声が真横から轟いた。
僕も男も声の方に目を向けて、そこに立つ大男の剣幕に飲まれた。
あ……っ。
「だ、誰だよお前」
「そいつのダチだ。今言っただろうが。あ?」
そいつの顔は、強面。恐ろしい顔をしていた。
二メートル近い長身から見下ろす鷲のような眼力、首を傾けて発する「あ?」の一文字。睨む先全てを拉ぐ人相と迫力は、僕の胸ぐらを掴む男に絶大な恐怖を与えた。掴む力が一気に弱まる。
「な、なんだよ」
「あ?」
「ぁ、いや……」
「その手を離せ」
僕と同じ台詞なのに天地の差があった。
怒鳴り散らしていた男が今は真逆の態度を取る。青ざめた顔で歯をガタガタと音鳴らし震え、体が縮む縮む。
と、長身の大男が僕に話しかけた。
「流世は帰っていいぞ」
「し、不知火は……?」
「俺のことは気にするな。流世が誰かの為に行動したことは分かった。それで十分。あとは俺に任せろ」
長身の大男、不知火は白い歯を出して無邪気なスマイルを浮かべる。
強面が笑ったところで厳つい強面のままだけど、でもカッコ良くて……すごく頼もしかった。
「助かったよ」
「おう。またな」
不知火に任せて、僕はその場を去る。金束さんを連れて。
……手は離さないまま、そして金束さんも手を離そうとはしなかった。
「水……瀬、あ、ありが……ぅ」
家に帰ってきた。
店飲みの酔いは完全に醒めて、我が城の領内に入った今も心臓がバクバクだ。
人間、慣れないことをするものじゃない。全くもってその通りだよ。
「えっと……さっきのは僕の知り合いで、不知火って奴なんだ。顔は怖いけど良い奴だよ」
部屋に入った僕と金束さん。
恐る恐る説明をしてみるも、金束さんは先程からクッションに顔をうずめて黙っている。話しかけても返事は返ってこない。ど、どうしたものか……。
「た、大変だったねー」
「……」
「ナンパってやつ? 焦るよね。てか僕泣いちゃった。あはは」
「……」
「あとは、えっと……その……」
「なんで私を助けたの」
ようやく返ってきたのは張りのない、くぐもって沈んだ声だった。
金束さんは少しだけクッションを下げて目を出す。その目からは涙が滴となって流れ落ちていた。
「なんでと言われても……」
「私の問題じゃない。アンタが口を挟むことない」
「だ、だって」
「私の為になんでアンタが無視して……」
「……」
「馬鹿じゃないの」
声がスッと通った。そう思ったのも束の間、金束さんがクッションを投げつけてきた。
僕は避けることが出来ず、クッションが顔面にヒット。ぶへぇ。
「ち、ちょ」
「アンタには関係ないでしょ! ビビリのくせに、アンタだって怖いはずなのに、それなのに私を守ろうとして……!」
「……」
「ふざけないでよ。嬉しいって思うじゃない!」
「え、えぇ?」
ぽすん、と今度は胸に何かが当たる。今度はクッションではなく、金束さんの頭だった。
頭を僕の胸に預け、手を僕の肩に置き、ぎゅうぅ、と指を食い込ませる。
「嬉しかったんだから。アンタが来てくれてホッとしたんだからね……!」
「じ、じゃあなんで怒ってるのさ」
「うるさい馬鹿!」
ひ、酷い。何この人ツンデレ気質?
……なんで助けた、か。
「僕にもよく分からないよ。怖かったけど、金束さんはもっと怖い思いをしていると思ったら体が動いたんだ」
「……何よそれ。私のこと知らないくせに」
「う、うん。知らないことの方が多いよ」
「ならアンタが私を助ける理由はないじゃない。どうしてよ、どうして私を……っ」
「そうだね。でもさ、金束さんも僕のこと知らないでしょ。実は僕もなんだよ?」
手を伸ばす。今も震える金束さんの肩をそっと抱く。
こっちを向いて、と促すと、金束さんは顔を上げた。大きな瞳に涙を溜めて、僕と目を合わせてくれた。
僕は笑い、そして目を見開いて口を大きく開ける。思いきり、叫ぶ。
「僕も大学生が嫌いだ」
「……は、はぁ?」
「無意味に騒いで暴れて鬱陶しい。なぜ大学の敷地内で踊っているんだ、ドヤ顔で通り道を塞ぐな。講義中にペラペラ喋るなよ、そのくせ過去問丸暗記で僕より良い点を取りやがる。ムカつく、すっげぇウザイよ」
どこに行っても奴らは集団で行動しており、どこに行っても奴らのウェイウェイな声が聞こえる。鬱陶しいことこの上ない。
真夜中に騒ぐな、アパートの前で嘔吐するな、食堂で大量の席を占領して食べ終わったのに駄弁るな、あぁもう考え出したらキリがないね!
「金束さんが大学生が嫌いと言った時、心の中では共感していたんだ」
「そんなことで私を助けたの」
「かもね」
「ホント馬鹿じゃないの……っ」
「それにさ、金束さんのこと知らないと言っても少しだけなら知っているよ」
「……言ってみなさいよ」
「金束さんは大学生の飲み方が嫌い。大学生のノリが嫌い。そう言うくせに自分の見た目は派手で、そのくせして意外とピュア。そんで態度が大きい。あと全体的に怖い。てか目が怖い。すぐに暴力を振るうし」
「……」
「あ、頭で胸を叩かないで」
けほ、と小さく咳き込み、僕は苦笑する。金束さんは僕を睨んでくる。
少しは腫れた赤い目元、潤んだ瞳。
僕は目を背けない。今は怖くないよ。目を合わせて君を見る。
明るい髪色だったりオシャレな服装だったりと、本当に綺麗な人でまさに美少女。けど実はチャラい奴が嫌い。派手な外見のくせに内面は真逆の残念な人。
暴力を振るい、足蹴りもしてくる。けど実は力が弱い。男に迫られたら抵抗出来ないで泣きそうになる。か弱くて、普通の女の子なんだ。
僕はそんな金束さんを守ってあげたいと思った。
「何より金束さんは、ビールを美味しく飲みたいと思っている。ビールの美味しさを知りたいと願っている。僕にとって初めて同じ価値観を持つ友達だ」
「……」
「友達はまだ早かったかな? あ、あははー」
ボッチだから人間関係の距離感が分からないですごめんなさい!
「知っていることは少ないよ。だからさ、もっと金束さんのことを教えてほしい」
「私のことを……?」
「うん。もっとお互いを知って、もっと話そう。だって僕は金束さんの協力者だから。まだ友達じゃないとしても、ビールが美味しいシチュエーションを教えると約束した相手だ。助けるのに理由はいらないよ」
「……」
「てことで納得してもらえますか? だ、駄目なら他に理由を作るよ?」
「いい。もういい」
「あ、ありがと」
「……私の方こそ、ありがとう」
へ?
「アンタが助けに来てくれて本当に嬉しかった」
「泣いてカッコ悪くて情けなかったけどね」
「そんなことないわ。助けに来てくれた水瀬はカッコ良……な、なんでもないわよ馬鹿!」
「ヘッドバットで連撃しにゃいでください!」
「噛むな!」
「善処します!」
「……飲む」
へ?
「酔いが醒めた。飲み直すわよ」
「あ、う、うん分かった」
僕から離れた金束さんは、な、なんか怒ってた。ふんっ、と言っている。ぷんぷん、と唸っている。
泣いたと思ったら、嬉しいと叫んでキレて、馬鹿と言って暴れる。感情の変化が激しすぎるよ。よく分からない人だよぉ。
これから知っていこう。お互いのことを。
まだ知り合ったばかりの僕ら。共有した時間は少ない。これからだ。僕はそう思った。
「ビールでいい?」
「ふん」
「はいはい」
僕らはテーブルを挟んで互いの缶をぶつける。
ぶつけながら言う言葉は一つ。
「「乾杯」」
あんなことがあった直後だし、美味しいシチュエーションとは言い難い。僕も今回はビールの苦味に負けるかも。
「んぐ、んぐ、美味い」
苦味に負けませんでした。ビール最高です。ビール大好きです。自分のビール好きっぷりに引いちゃうっ。
「……少しだけ」
「ん?」
と、金束さんも一口、二口とビールを飲んだ。
金束さんはテーブルに缶を置く。息を吸い、吐いて、俯いた後、僕を見る。
「苦いし不味い。けど、少しだけ……美味しいわ」
「ほ、本当っ?」
「少しだけよ」
「そっかー……」
「まだまだね。これからよ」
目はまだ腫れているし涙の跡も残っているけど、その表情はどこか晴れやかだった。
「そうだね。これが第一歩だ」
金束さんがビールの美味しさを知る第一歩目であり、僕達がお互いをちゃんと知り始めた第一歩目。
「アンタとちゃんと喋ったのこれが初めてね」
「初めてだね」
「……私もアンタのこともっと知りたい。美味しいビールも知りたい。だから……ふ、ふんっ」
「なんで僕の手を握ってきたの?」
「握手よ! 改めてよろしく、って言っているの! 察しなさいよ馬鹿っ」
「ご、ごめん!?」
次回に向けて良シチュエーションを考えおこう。
僕は思いを馳せて缶ビールを口に運んだ。