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88 氷点下ビール

 ベッドに寝転がってスマホを見る。ビールを飲むことの次に至福のひと時だ。

 おいおい就寝前にスマホを見ると目に悪いだろ、良質な睡眠が取れないぞ、といったマジレス健康厨の言い分なんぞ知るか。体に良いことだけをしても健全とは言わない。時には毒を食わねばの勇次郎精神を僕も支持します。


「まあ、寝る前にもビールのことを考えているのはどうかと思うけど」


 どうやら僕は着々とアル中の道を進んでいるらしい。このままでは月紫さんのお父さんのようになってしまう恐れがある。病室で拘束具をつけられるのは嫌だなぁ。


「それにしても、メニューが載っていないお店が多い。せめて写真があれば」


 周辺の居酒屋を検索中。お気に入りの『飲み処-つくしんぼ-』以外にも心安らげる場所を新規開拓しようと何気なく探しているのだが、うーん、グッと来るお店はこれといってなし。


「やはり自らの足で行かないとお気に入りは見つけられないか……ん?」


 検索ページのトップに『イチオシのお店』が表示されていた。気になったのでタップする。

 おお、メニューどころかコース料理の詳細も記載されており、お店の内観の写真とレビューの数が多い。おまけに個室もある。個室は嬉しい。


「ここは良さげ。ただ、大学生がこぞって飲み会をやっていそうだ」


 良さげなお店=人気がある=ウェイウェイ、こうなるんだよね。大学生が来そうにない隠れ家チックなのがベストなのだが……ここも駄目だな。


「ちなみにドリンクメニューは…………っ? な、なんだと!?」


 行くしかない。僕はすぐにお店に電話をかけた。











「お待たせ、金束さん」

「ふんっ」

「ほぉ、開幕『ふんっ』ですか。やりますね」

「何よ!」

「イエベツニー」

「ふん!」

「アハハー行キマショウカー」


 待ち合わせの数分前。集合場所に到着した僕を迎えてくれたのは不機嫌な顔した金束さん。

 毎度どうも。慣れました。


「今日は外で飲むのね。こもろちゃんのお店?」

「違うお店だよ。僕も行くのは初めて」

「どうしてそこに行くのよ」

「よくぞ聞いてくれました!」

「な、何よ」


 普通に飲むなら土筆さんのお店で良い。

 違うお店、しかも人気の居酒屋。個室があるとはいえ大学生が集まるような場所にわざわざ行く理由があるんです!


「ここにはなんと……エクストラコールドがあるんだ!」

「何よそれ?」

「金束さん知らないの? まだまだだね」

「はあ!?」

「ワー怖イー」


 少し煽っただけでこのキレっぷり。慣れたけど怖いものは怖い。毎度のことですね。毎度どうも。


「予約している水瀬です」

「こちらへどうぞ」


 案内された個室はソファーの席だった。四人用の個室なのか、二人掛けサイズのソファーがテーブルを挟んで二つある。


「早速飲もうか。エクストラコールドが何なのかは実物が来たら説明するよ」

「……」

「金束さん座らないの?」

「す、座るわよ」


 謎の間があった。金束さんは座った僕を見下ろしていたが、しばらくして向かい側のソファーに腰かけた。

 ……? まあいいや、注文するね。


「豪傑焼き鳥だって。美味しそうなネームセンスだね。おっ、やみつきゴマ塩キュウリは頼もう。キュウリは二日酔いに効くらしいよ。体内でアルコールを……って、聞いてる?」

「き、聞いているわよ」

「そっすか。あ、来たよ」


 店員が入ってきた。お盆に乗せているのは……お、おおおぉおおぉ!?


「待ってましたっ。その名も、エクストラコールドぉ!」

「今日はいつもよりテンションが高いわね」

「だってエクストラコールドだもの。エクストラコールドだよ? エクストラコールド。声に出して言いたいエクストラコールド!」

「うるさい!」

「はいごめんなさい!」


 ともあれ説明を始めよう。


「エクストラコールドとは、マイナス二度まで冷やしたビール。特別な原料を使用したり製造方法を変えているわけではないけれど、最先端の温度管理によって極限にまで冷やされた極上の一杯。冴えわたるキレとシャープな喉越し! 専用サーバーがある限られた店舗でしか飲むことが出来ないんだ!」


 公式HPの説明文をそのまま言い、僕は実物を掴む。く、くぅ~、グラスが冷たい! カイジ風に言うなら「キンキンに冷えてやがるっ・・・・・・・・!」だ。

 エクストラコールド。その存在は以前から知っていたものの、僕が足運ぶ居酒屋には置いていなかったのだ。おばちゃんめ、さっさと導入しやがれ。


「今となっては珍しくないかもしれないけど、遂に僕も出会えた……!」


 ビール飲みガチ勢を自称している身としては一度飲んでみたいと思っていた。


「嗚呼エクストラコールド、いや、エクストラコールド様。かしこみかしこみ申す。って、タタリ神かよー!」

「うるさい」

「はいごめんねー!」

「水瀬のテンションが高い……」

「説明はこの辺にしておこう。早くしないと温くなっちゃう。さあ金束さんも持って! はい乾杯っ」

「ふ、ふん」


 手に持っている間に体温でビールの温度が上がってしまう。ササッと乾杯を終えて直ちに口へと運ぶ。

 待ちに待ったエクストラコールド。そのお味は……


「いただきまーす! んぐ……」


 んぐ、んぐ………………んん、んんん……!?


 口に含んだ瞬間は普段と変わらない。

 喉を通過した時、驚愕した。

 全身が震えて、全身の毛穴が広がるかのように、全身の細胞が歓喜した。


「うめぇ……。最高だ……!」


 痛烈で爽快、キンキンに冷えたビール。エクストラコールド、超美味い!

 なんだこの強烈な美味さは。冷えているってだけなのに、こうも違うのか。

 理屈じゃない。なんとなくでもいい。ただ冷えているだけ。それが、とてつもなく抜群に美味しかった。


 なるほど。道理で騒ぎになるわけだ。エクストラコールド、最高に最強です!


「うへぇえぇ……すんばらしい……っ」


 気づけばグラスは空っぽ。僕はすぐに二杯目を注文する。あと三杯はエクストラだ。エクストラだーっ!


「金束さんはどう? 美味しいよね!」


 想像を絶する美味しさ。これなら金束さんも満足するはずだ。


「そうね、普通ね」


 金束さんは答えた。普通、と。僕はニッコリ笑顔で頷く。


「うんうんそうだね、ふ」


 つう。

 ……ふ、つう……。え……普通?




「はいいいぃぃ!?」

「な、何よ」


 ニッコリ笑顔は即キャンセルだ。しかめ面に変化させて声を荒げてやる!

 これを飲んで、普通だと? エクストラコールドを飲んで普通だとぉ!?


「いやいやいや! それはおかしい! だってエクストラコールドだよ? エクストラコールドなんだよ!?」

「アンタそれ言いたいだけじゃない」

「そのとぉーりだよ。だって名前がカッコイイもん。エクストラコールドって聞くだけで美味しく感じるよ。響きが良いし、氷点下のビールってすごくそそるでしょ!」


 理屈じゃないんだって。このエクストラコールドという存在自体が美味しく感じる要素なんだよ。

 おかしい。テストのみで単位の評価を決める講義ぐらいおかしい。出席数も重視しろよ。そうじゃないと真面目だけが取り柄の陰キャは高評価を取れないだろうがぁあ。


「もしかして金束さん強がってな~い?」

「はあ? 味は本当に普通よ。仮に美味しかったとしても、それはこのエクストラコールド自体が美味しいってだけでしょ。私が求めているのは美味しいシチュエーションよ」


 金束さんも声を荒げて反論、そして正論を言い放つ。

 確かにエクストラコールドのポテンシャルがすごいだけで、何か特殊なシチュエーションというわけではない。

 うん、そうだね。……あれ?


「あぐぐ……」


 あ、あれ? 言い返せないぞ? おっしゃる通りだ。……マジか。

 僕は二杯目を飲み干す。空いたグラスを置いて、ガックリ項垂れる。美味しいと言わせるつもりが、僕が何も言えなくなっている。


「も、盲点だった……」

「馬鹿じゃないの」

「あぐぐ……すいません、エクストラコールド一つ」

「まだ飲むのね」


 とりあえず三杯目だ。エクストラコールドが美味しいことは揺るがない。

 嗚呼エクストラコールド。君は悪くないよエクストラコールド。僕は何回エクストラコールドって言うんだよ。ゲシュタルト崩壊待ったなし。


「はあ……こんなに美味しいのに」

「関係ないわね」

「うへぇ……」

「そもそも味とかどうでもいいわよ。アンタと飲めるだけで私は……はあ!? なんでもないんだからね!?」


 なんか金束さんが叫んでいる。

 また一人でバグっているんすか? いつものことですね。どうも毎度。


「水瀬と一緒に飲めるだけで十分だなんて思っていないんだから! 勘違いしないでよ!」

「エクストラコールド抜群に美味し~」

「……」

「すみません、テーブルの下で足蹴りするのはおやめください」

「アンタが私を無視するからでしょ!」


 おっしゃいますが、あなたが放つ「なんでもないんだからね!」に対して僕が何か言っても余計に怒るだけでしょーに。


「ふんっ。……ところで、こっちの席は座りにくいわ」

「へ? 同じソファーだからそんなことないと思うけど」

「違うのっ。こっちのソファーは座り心地が悪いの!」

「は、はあ。じゃあ僕の位置と代わる?」

「……水瀬はそこにいていいわよ」


 金束さんが立ち上がる。こちらへと移動してきて、僕の隣に座った。

 二人掛けのソファー。僕と金束さんが肩を並べて座って……はい~?


「え、なんで僕ら並んで座っているの?」

「べ、別にいいでしょ! 文句ある!?」

「アリマセン」

「ふん! ……ふん」

「あの? 体をグイグイと寄せてこないで。やっぱり狭いじゃん」

「狭くない!」

「じゃあなんで体をグイグイと」

「ふんっ!」

「いやいやドロー4多すぎでしょ……」


 僕が何か言おうとしても、僕が何か言いかけた段階で金束さんはキレて声を荒げて「ふん!」でフィニッシュ。まさにドロー4。僕は負ける他ない。

 ……良い匂いがする。なぜ金束さんはいつも良い匂いがするんだ。この女子特有の表現し難い良い香りはなんだろうね。


「焼き鳥とキュウリが来たわ。他にも頼むわよ」

「狭い……」

「狭くない!」

「ぐへぇー……」

「ふんっ。……うん、美味しい」


 同じソファーに座り、隣で金束さんがメニュー表を眺めながらエクストラコールドを飲む。

 とろけた頬と口。微かに微笑み、彼女は「美味しい」と言った。


「やっぱり金束さんもエクストラコールドが美味しいんだね」

「あ……か、勘違いしないで! あくまでエクストラコールドが美味しいだけよ! 美味しいと思ったのはアンタと一緒だからとか、そんなこと思っていないんだからね!」

「あ、ああ、はい、僕もそう言ったつもりだったんですが……」

「ふんっ!」

「毎度どうも……」


 その後も、金束さんの機嫌はエクストラコールド並みに冷えたままだった。

 帰ったら美味しい良シチュを考えないと……はあ~……。

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