87 私だって
「あら流星群やんか。ゴミ出しといて」
「今日はバイトじゃないですよ」
「ちっ」
「会話開始数秒で舌打ちて……」
「どうせあれやろ。自分がアルバイトしている店に客として来ることによって得られる充実感を楽しみたいんやんなー」
「僕を大学生あるあるに当てはめないでくださいよ」
「うるしぇー帰れ帰れ」
元・常連、現・アルバイトに向けて帰れコールを放つおばちゃん。そんな露骨に煙たがらなくても……。
「こんにちは、こもろさんっ」
「あらあらあらあららら永湖ちゃんいらっしゃいっ。はい、これメロンね。一緒に食べようやんなー」
「わーい、ありがとうございますっ」
おばちゃんはニコニコ笑顔で月紫さんとお喋りする。メロンを出した。メロンだ。メロンだよ。
月紫さんの姿を確認した途端にこれだ。僕への対応とは天と地の差がある。酷すぎません?
「永湖ちゃんは今日も可愛いなんな~! 私の若い頃にそっくり」
「今日も修羅場学Ⅱの講義を受けに来ましたっ」
「いいよぉ。あれは二十年前、おばちゃんが東洋のマリリンと呼ばれていた頃にね……」
メロンを食べながら始まるおばちゃん五十割増しのモテ自慢話。月紫さんはメロンを食べながら「ふむふむ」と話に聞き入っている。
僕は一人、女性二人のキャピキャピとしたトークを眺めて立ち竦む。いつものパターンだ。こうなるとは思っていましたよ。はぁ……。
「卒業式に男共が一斉に告白してきてなー。やから私は『殴り合いをして生き残った一人と付き合う』って言ったんよ」
「わぁ、バトルロワイヤルの開幕ですねっ」
「そうそう! 桜吹雪に混ざって血飛沫が舞う卒業式になったんよ。まあ生き残った奴を私の彼氏がトドメを刺したんやけどなー」
「既に本命がいたのにバトルロワイヤルをさせたんですねっ。こもろさんは性悪ですっ、でも憧れますっ」
「まあその彼氏も西地区代表ってだけで、翌日は県大会を開催してより凄惨な争奪戦が起きたんよなー」
「その次は全国編ですね。終わったら世界編に入りますっ」
「その次は宇宙決戦よ。私を巡って銀河のイケメン達が……」
おばちゃんの口から炸裂する大袈裟な武勇伝。ラノベどころの騒ぎじゃない。フィクションでもありえない展開だ。
僕は盛大にため息をつく。途中から聞く気が失せた。元からまともに聞くつもりはなかったし。
「どうしたん流星群、私の話を聞きんさい」
「嫌です」
「宇宙編が一番盛り上がる場面やんか。史上最強の敵となる宇宙を相手に十一人の精鋭が熾烈なバトルを」
「宇宙を巻き込んで十一人が戦う? どこかのアニメで見たことあるんですけど」
「ピンチに陥るも、仲間との絆をパワーにしてイナズマイレブンが」
「イナズマイレブンって言った今。イナズマイレブンって言いましたよね? 言っちゃ駄目ですよ!?」
「流星群うるさいなー。永湖ちゃんを見習いんさい、こんなにも真剣に私の馬鹿話を聞いてくれているんよ」
「こもろさんもっともっと! 怒涛のファンタスティックな超次元展開に私はワクワクが止まりませんっ」
月紫さんは両手をグーにして興奮冷めやらぬ表情。正気ですか?
「さすが永湖ちゃん。話していて楽しいなんなー。あ、今日は貸切やから入ってくんな。家に帰って娘に嫌われてろ」
常連のおっさんが入店してきたが、おばちゃんはすぐに帰れと言う。おっさんは一言も発せずに即退場させられる。酷い。このお店、酷すぎる。
「永湖さん贔屓はその辺にして通常営業に戻ってくださいよ。僕らは帰るんで」
入店して三時間が経った。三時間もおばちゃんの自慢話を聞いていたのか。ぐへー。
そろそろ帰ろう。僕は財布を取り出す。
「水瀬君、私が支払います」
「ん? いやいいよ。僕が」
「私が払いますっ」
僕が出すよりも先に月紫さんが会計を済ませる。
せめて割り勘、と言う暇もなかった。いいの? じゃあ、はい、お願いします。
「お会計六千四百円ね」
「分かりました。一万円をドーン、ですっ」
「お釣り四千円ドーン! 永湖ちゃん可愛いから端数はなしにしてあげる!」
「ありがとうございますっ」
「ドーン!」
「ドドーン!」
なんだこれ。
「あ、端数の四百円は流世群のバイト代から引くから安心してなー」
「それのどこに安心しろと?」
「また来てな~」
「二度と来るか」
そう言いながらも僕はまた今後もここを訪れるだろう。客として、バイトとして。
「そういえば入店時にも言っていましたが、水瀬君はここで働き始めたんですよね?」
「そうだね。まだ一ヶ月も経っていないけど」
「ほうほう。では今度遊びに行きますねっ」
「是非どうぞ」
「わぁーい。ドーンっ」
喜びの表現なのか、月紫さんがタックルしてきた。両腕を放り出して胸部でぶつかってくる。
あ、あの、それドキドキするからやめてください。すごくドキドキするから。
「よ、酔ってる?」
「そこそこ酔っています。扇風機で言うと『中』くらい酔っていますっ」
「例えがよく分からないけど、まあ『強』になる前に帰ろうか」
「もう一軒」
「え?」
「はしごしましょう。そうしましょう。さあレッツ&ゴーですっ」
放り出していた両手で僕の腕を掴み、月紫さんは裏道を抜けた先の飲み屋街を突き進んでいく。
「こもろさんのお話が面白くて大事なことを忘れるところでしたっ。……今日は話したいことがあるんです」
「話したいこと?」
「むへへー」
僕が聞き返すと、月紫さんは口を閉ざして「むへへー」と言った。相変わらずきゃわいい擬音を生み出すのがお上手ですね。
ただし言葉に含まれた意図は分からない。僕はおとなしく月紫さんに続いて二軒目の居酒屋に入る。
「何を飲みますか?」
「生ビールで」
「水瀬君は一杯目は必ずビールですよね。さすがです」
「さすが、なのかな?」
「私もビールにしたいところですが、お話をしたいのでワインにしておきますっ」
この居酒屋は紙に注文を書いて店員に渡すシステムらしく、月紫さんはスラスラと文字を綴っていく。字が綺麗だ。あなたの方がさすがですよ。女子力が高い。
「乾杯ですっ」
「乾杯」
「白ワインが美味しいです。芳醇な香りがぐおーっ、ですっ。おかわりしますっ」
「お、おぉ、今日はよく飲むね」
「はいっ」
月紫さんはグビグビと飲んですぐに二杯目を注文する。白ワイン、と可愛い文字で書いている。可愛い。
ワインは飲めるのにビールは噴き出すんだよなぁ。変てこな体質だ。まあそれが月紫さんらしいと言えるんだけどね。
僕は少し頬を崩して笑い、二軒目一杯目のビールを口に流し込む。
「水瀬君、何かありましたよね」
おっとりも擬音も一切ない。力強くて一文字一文字を彫りつけるかのような口調だった。
口に含んだビールを噴き出しそうになる。しゃっくりのように体が揺れて、僕はジョッキを置く。
「……僕が?」
「昨日の夜、不知火さんから連絡が来ました。水瀬君を助ける為に来てくれ、と」
「あー……」
昨日の夜、僕は学科飲みでまた最低最悪の思いをしそうになった。そこへ助けに来てくれた不知火と金束さん。
金束さんは不知火を呼んで、もしかして不知火は月紫さんも呼ぼうとしていた……? でも月紫さんは来ていなかった。
「ですが、電話でお父さんの禁酒生活の愚痴を聞いていて不知火さんのメッセージを確認するのが遅れました。私が慌てて電話をかけ直した時、もう既に終わっていました……」
「そ、そうだったんだ」
「何があったのかは不知火さんが説明してくれました。最後に、不知火さんは『月紫のおかげでもある。本当にありがとう。これからも流世のことをよろしく頼む』と言いました」
そう言って月紫さんは二杯目のワインを一気に飲み干す。
ほんのりと赤く、でも真面目な表情。切実な声で僕に話しかけてくる。
「一年前に起きた出来事や水瀬君に関することを私は知っていたのに、昨日は何も出来ませんでした。水瀬君がとてもとーっても大変だったのに……」
「い、いいってば、気にしなくて」
「気にします! 私も水瀬君を助けたかった……」
声がさらに沈む。月紫さんの顔も沈んで暗くなって、全身から『ズーン』という重たいオーラを感じる。
「そ、そんな暗くならなくても」
「ですが……」
「永湖さんには以前、助けてもらった。それで十分だよ」
夏休みのある日。さっきいたチャラ男に責められて、自分に素直になれなくて、そんな僕を月紫さんは励ましてくれた。月紫さんのおかげで立ち直れた。
「ですが……むへへ~……むうむう……」
「擬音が盛り沢山だね」
「私がいない間に水瀬君は……。それに昨日、水瀬君を助けたのは不知火さんと、もう一人……コスズって人なんですね」
「小鈴……うん、そうだよ」
「……」
「え、永湖さん?」
「三杯目を飲みます」
月紫さんが三杯目を飲む。白ワインを立て続けに三杯……の、飲みすぎだよ。僕はまだ一杯目なのに。
「んぐ、ぷはぁ、です。……どこの誰か知りませんが、私は負けません」
「負け……はい? 永湖さん、一体どういう」
「負けません~! ぶおーっ、ぐおーっ」
月紫さんがまたワインを飲み干す。月紫さんがまた擬音盛り沢山になって叫ぶ。
酔いのレベルが『中』から『強』に変わった気が……。
「私だけ仲間外れです。私だって水瀬君を助けたかったです。ぐおー!」
「永湖さん落ち着い、あぁ四杯目を書き綴っている……!」
「でも水瀬君が救われたのはすごく嬉しいです。とてもとっても、アルティメット嬉しいです!」
「永湖さん待っ、それワインじゃなくて僕のビー」
「ぶへぇええ」
「この感じなんだか久しぶり!」
微かに白ワインの芳醇な香りと共にビールの飛沫が僕の顔面を強襲。顔面ビール、お久しぶりでふ……。
「……絶対に負けません」