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86 おっとりぽわぽわ、むうむうと唸る

 昨日、金曜日。酷く最低な学科飲み。そこへ不知火と金束さんが乱入。その後も一悶着あって、木葉さんが笑ったり金束さんが怒ったりと、とにかく波乱万丈な一夜だった。

 おかげで翌日になっても疲労は取れていない。さらに週明けの講義で同級生達と顔合わせるのが気まずくて精神的にも参っている。左右の敵を倒さないとダメージを与えられないタイプのボスぐらい参っている。物語の中盤に登場して意外と強いから厄介だよね。

 というわけで今日は自宅で療養する、つもりだった僕は今日も公園に足を踏み入れる。


「待ち合わせの時間は十八時。現在時刻は……」


 ベンチに腰かけてスマホの画面を眺める。


『17:38』

『金束小鈴:アンタ家にいないの? ドア開けなさいよ』

『不知火葱丸:家庭菜園のネギが良い感じに育ってきた。やったぜ』


 二十分前か。早く着いてしまった。そして二通のメッセージ。

 金束さんには謝罪文を送るとして、不知火は無視でいいかな。君の家庭菜園事情は正直どうでもいい。


「こんちわっ。君可愛うぃね~ぇ」


 さて、少し待つか。あの子なら待ち合わせの十分前には来るだろう。


「お一人? お一人様な感じ? 良かったら俺っちと飲みに行かね?」


 それにしても、急に電話で『今日の夜会えませんか?』と言われたのはビックリした。やけに声が沈んでいたような気がしたし、何かあったのかな? 


「君ホント可愛うぃ~ウェーイ。そんなことないって? 謙遜ノンノン~、俺っちの目は見抜いているぜ☆ 地味に見えて実は秘めたるダイヤモンドの輝きを感じるっしょ。その光は月の明かりのように控えめながらも太陽より眩しい。ヤッベ、ついクセで歌詞を作っちった♪」


 ……さっきから口説き文句が聞こえている。

 僕が座るベンチの後ろから聞こえる羽毛の如く軽い男性の声。

 僕はたぶんこの声の主を知っている。思い当たる人物がいる。


「ほら俺っちバンドやってるから。PEACEってサークルね。学園祭で大活躍したの知らない? 他にも色々やってっからマジ博識なんだべ~」


 気になったので立ち上がり、声のする方へと向かう。

 そこにいたのはチャラチャラとした身なりの金髪大学生。


「法学二年/PEACE/ロイカク/よさこい16代目and moreでお馴染み、日凪昭馬をしくよろ♪」


 日凪君だった。うん……だと思ったよ。

 鼻は高々、口はペラペラ。ちょっと感心しちゃうぐらい饒舌に語っていたのはチャラ男こと日凪君。

 目の前の女子を口説こうとしてい……って、あ、あれ?


「はい、十分に分かりましたのでー。私のことは放っておいてくださいー。人と待ち合わせをしているのでー」


 日凪君に対して、女の子が愛想笑いをしているのが見ただけで分かった。

 普段見せる、あの快活として無邪気でおっとりと感情豊かな表情はどこにもない。語尾を伸ばしてテキトーにあしらおうとする口調、素っ気ない冷めた態度。


「そんなこと言わないでさ~。俺っち飲むのマジで上手いから。楽しませてあげるっしょ」

「へー、すごいですね。でも間に合ってますー。どうぞお構いなくー」


 折れずにナンパを試みる日凪君。そんな彼が話しかけていたのは、徹底して話を聞こうとしないのは、僕が待ち合わせをしている月紫さんだった。

 ……月紫さんが日凪君にナンパされて、ってええええぇ!?


「ほれほれ行きましょーべ。俺っち良い店知ってっから♪」

「行きませんー。私は大切な人と待ち合わせしているのでー」


 大量の大学生が集結する飲み屋街前の公園にて、僕の数少ない知人がナンパをして、ナンパをされていた。あ、あらぁ……。


「つれないねぇ。俺っちが君の一番大切な存在になってあげるぜ☆」


 あ゛ー……止めに入るか。


「日凪君やめなよ」

「やめないぜ☆ 俺っちは新たな出会いを……って根暗っち!?」


 僕が肩に手を乗せて話しかけると、日凪君は金魚見たく目をぎょっと見開いて大きく退いた。

が、数秒経たないうちに通常運転のチャラチャラとした横柄な態度に戻って僕に爽やかな笑みを向ける。


「や、やあ☆ 俺っち忙しいから今は構ってあげられないぜ」

「やあ☆じゃなくて。あのね、その人は」

「ここは根暗っちみたいな冴えない男子が来る場所じゃないっしょー? 誰かと飲みに行くわけじゃあるまいしアルマイト鉱石♪」

「いやアルマイト鉱石じゃなくてさ。話を聞いて。君がナンパしている人と僕は」

「水瀬君っ」


 月紫さんが僕に気づいた。途端に、表情が『無』から『喜』に一変する。

 僕がいつも見ている、満面に喜色を湛えた月紫さんらしい笑顔を浮かべたのだ。


「今日は来てくれてありがとうございますっ」

「こちらこそ。なんか久しぶりだね」

「ですねっ。会いたかったです。あとヤバイ人に絡まれて大変だったですっ」

「そうだね。えぇっと……どしてなぜに僕の腕に抱きついているの?」

「怖かったですっ」


 そう言う割には随分と元気な声を出されていますが……? 怖いというより面倒くさそうにしていたよね? ま、まぁいいや。

 月紫さんが僕の腕に抱きつく。僕が鼓動を二倍速にさせていく一方で月紫さんは日凪君の方は一切向かず、それでいて聞かせるように大きな声を発する。


「だから言ったじゃないですかー。待ち合わせしていたんですー」

「……へ? ね、根暗っちと……?」


 状況を把握出来ていない素っ頓狂な声。日凪君は僕と月紫さん交互に見て、僕ら二人の密着した腕も見る。

 あ……日凪君の間抜けな顔が次第に驚きの表情へと歪んでいく。


「ぬえぇ!? 根暗っち、その子と知り合いだったの!?」

「うん」

「ちょ、ま、待ち、タイムしくよろ。……俺っちが地味ながらも良い素材を持っていると思ってナンパしていたのは根暗君の知り合いで、根暗っちはその人と待ち合わせをしていた、と?」

「そうだね」

「そうですっ」


 僕と月紫さんが声を揃えて首を縦に振る。あの、月紫さん? そろそろ離れて。

 抱きつかれて困惑する僕。月紫さんは気にした様子なく腕にしがみついたまま。一方、日凪君は先程までペラペラ動かしていた口をパクパクさせて最後に「あっ」と声を出した。


「君が言っていた、大切な人ってのは……」

「っ、私、そんなこと言いましたかー?」

「い、言った。言ったっしょ!?」

「言ってないですー。水瀬君とはお友達です。ね、水瀬君」


 ……? 月紫さんの顔がほんのり赤くなっている?

 どうやら困っているらしい。日凪君しつこいからね。分かるよ。

 よし、月紫さんを肯定しておこう。


「そうだね。僕と月紫さんは友達。それだけだよ」


 ふふん、僕も成長したものだ。堂々と友達だと言えるようになった。


「……ですね」


 ……あれ? 月紫さんの表情が曇った。なぜか落ち込んでいる。


「むう、むうー」

「月紫さん?」

「永湖ですっ」

「え、永湖さん」

「はーいっ。……まだまだ足りないです。むうむう」


 僕も日凪君ばりに理解が追いつかなくなってきたよ。

 え、友達と肯定するのは駄目だった? 月紫さんが困っていたみたいだからちゃんと肯定してあげたのに、なぜか当の本人は不満げな様子。

 あと「むうむう」って何? 可愛い擬音を作るのがお上手ですね!?


「わ、分かってるよ? 大切な人って言ったのは日凪君のナンパを退ける為だからよね」

「っ、うぅ、き、聞いていたんですか!?」

「うん」

「……っ、そ、そうなんです。こちらのチャラチャラした不愉快な人を追い払う為に言った方便なだけですっ」

「う、うん。分かっているよ」

「……でも少し訂正します、ちょっと頑張りますっ。水瀬君はただのお友達じゃなく、大切なお友達です!」


 は、はい。そ、そうなのですね。

 月紫さんが何をちょっと頑張ったのかは定かではないが、妙にハキハキとして強気だったことは察した。でもやっぱ微妙に拗ねてる? いつもの月紫さんらしくないよ!?


「……俺っち放置?」


 と、日凪君が恐る恐ると声を出した。

 振り向けば、左右の敵を倒さないとダメージを与えられないボスに苦戦しているかのような狼狽した顔が僕らを交互に見ていた。


「なんとなーく君らの関係性は分かった。故に……根暗っちぃ!」


 あ、はい、なんですか? 日凪君はどうして涙を浮かべて怒っているの?


「その人は根暗っちにとって大切な人なのか! 下の名前で呼んじゃってさぁ~! あ、永湖って言うんだね。しくよろ☆」

「通報します」

「う、うぐ。とにかく! 下の名前で呼ぶくらい仲が良いから俺っちが入る隙間はないってことでしくよろ? せっかく発見したダイヤの原石は既に根暗っちが見つけていたってことでしくよろ!?」


 日凪君はまくし立てる。月紫さんに相手にしてもらえなくても躍起になってチャラ口調がいつもより早口だ。

 というか顔がヤバイ。飲み勝負した時よりも顔が引きつって絶望の色が濃い。


「あああああぁありえねぇっしょ! なんだよこれ!? 俺っちよりチャラくねー!? 根暗っちには小鈴がいるくせに! クソおおぉ!」

「お、落ち着いてよ。僕と永湖さんはビールを飲む仲間なだけで」

「覚えていやがれー! ってことでしくよろ! うおぉんん……!」


 僕の話を聞かず、日凪君は涙を流して走り去っていった。同時に「チャラ男キャラ全然モテないんですけどー! 俺っちも根暗キャラになろっかなー!?」という叫び声が公園全体に反響する。

 チャラ男は消え去り、徐々に静けさが戻ってきた。僕は口を開く。


「えーと、さっきの男はあまり気にしなくてもいいかな」

「はい、全く気にしません」


 月紫さんは興味なさげに返事をして未だに僕の腕を掴む。

 一部始終を聞いていたけど、月紫さんは日凪君の薄っぺらい口説き文句を完全にシャットアウトしていた。動じていなかった。

 安心したよ。不知火の言った通り、月紫さんはガードが固いらしい。

 ……だとしたら、なぜ僕に対してはガードが緩いの?


「じゃあ行こうか」

「水瀬君」

「ん?」


 月紫さんが僕の顔を覗き込んできた。眼鏡のレンズが街灯で淡く光る。


「コスズ、って誰ですか?」


 詰め寄るような、責めるような、でもどこか不安げ。なんとも言えない表情で僕を見つめてくる。


「友達だよ」

「……女性ですか?」

「うん」

「そうですか。……」

「な、何か?」

「むうむう」

「えぇ……?」

「なんでもないっ、ですっ。さあ行きましょう、ビールを飲みましょうっ」


 明るい表情にパッと切り替わる。月紫さんは笑顔で僕の腕を引き、飲み屋街へと歩いていく。

 ……? 一瞬、拗ねたような顔をしていたような。


「こもろさんの居酒屋に行きませんか?」

「うん、いいね」

「久しぶりですっ。こもろさんの修羅場話を聞きたいですっ」

「あのおばちゃんの武勇伝は話半分に聞いた方がいいよ」

「いえいえ、大学の講義より面白いですよ。修羅場学Ⅱ好きです」

「修羅場学って何!?」

「必修科目ですよ」

「マジですか……」


 普段の元気で不思議なおっとりオーラが溢れてきた。これぞ月紫さん。

 僕は月紫さんと二人、メインストリートを進む。


 すると、


「……でも少しだけ主張します、もうちょっと頑張ります!」

「永湖さん?」

「ていっ」

「っ!? どしてなぜにさらに僕の腕に抱きつくの?」


 月紫さんは抱きつく。自身の腕を絡ませるだけでなく体も密着させてきた。

 ぽわぽわオーラが肌に染みて僕の体内に入り込んでくるかのようだ。女子特有の謎の良い香りもするし……や、柔らかい感触がふにょりと……っ。


「ち、ちょ、やめて」

「やめません。まだ見ぬ敵に対抗する為です」

「まだ見ぬ敵?」

「私の直感です。……負けません!」

「どういうことですか……」

「むうむう!」

「今日それ好きですね……」


 むうむう、と唸る月紫さんを連れて僕は飲み屋街のゲートをくぐった。

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