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84 因果応報だとしても

 不知火が公園のベンチに缶ビールを並べる。


「乾杯しようぜ。今日は俺も飲む」

「アンタすぐに酔い潰れるでしょ。鬱陶しいからやめて」

「あ?」

「み、水瀬」


 不知火が睨みを効かせ、金束さんは僕の背中に隠れる。そしてついでと言わんばかりにおんぶを求めてきた。あ、あははー。

 金束さんにされるがままの僕は缶ビールを掴む。


 手に取って、止まる。


「どうした流世」

「直立しないでよ水瀬。乗りにくいでしょ!」

「二人とも、ここで待ってて」


 僕は金束さんを降ろし、不知火に缶ビールを渡す。


 これで終わっていいとは思えない。


「何よ……まさか、お店に戻るつもり? やめなさいよ」

「金束の言う通りだな。せっかく逃げてきたんだぞ」

「様子を見てくるだけだよ。……どうしても気になるんだ」


 僕らが逃げられたのは木葉さんのおかげだ。僕を庇ってくれた。その理由が気になる。


「まだ飲み会が続いているならそれでいいし、僕のことを怒っているだけなら問題ない。でも、もしかしたら僕のせいで木葉さんが酷い思いをしているかもしれない」


 お店を出る間際、あの人が見せた苦しそうな笑顔が頭から離れないんだ。


「はあ? 水瀬を苦しめた奴でしょ。そんな奴のこと気にしなくていいわよ」

「俺も金束の意見に大賛成だ。だが、流世がそう言うなら止めねぇ」


 不知火は缶ビールを受け取ると、「行ってこい」と付け加えてベンチに腰かけた。


「何かあったら連絡しろ。すぐに向かう」

「分かった。行ってくるね」


 二人には待ってもらい、僕は公園を出る。

 嫌な予感がする。急いで向かわないと。






「ま、待ちなさいよ水瀬! なんでアンタはすんなりと了承しているのよ!」

「流世の底なしの優しさは今に始まったことじゃねぇだろ。好きにやらせとけ」

「何よそれ。アンタそれでも親友なの!?」

「あ゛?」

「み、水瀬ぇ……」

「少し睨んだだけだろうが……」











 先程までいたお店に着く。お店の正面入口や店内、どこもおかしい様子はなく、従業員は普通に働いている。

 飲み屋には騒動やトラブルがつきもの。そうは言っても、あれだけのことがあったのだから多少なりと騒ぎになっているはず。何も起きていないのは木葉さんがみんなを抑えてくれたおかげだ。

 じゃあ今、学科飲みはどうなっているんだ?


「ほらほら、飲み直して楽しもーよ!」


 三階へと続く階段を上がって、学科飲みが行われている貸切部屋の前に立つ。廊下に着いた時点で室内からは木葉さんの快活な声が聞こえる。

 僕は少しだけ戸を開け、中の様子を伺う。


「……茉森、黙れよ」

「鼻血止まった? いきなり蹴られて大変だったね」

「なんだよお前、あいつらを庇いやがって!」


 赭土のように腫れた頬、鼻にティッシュを詰めて見るも無残な顔をした茶髪の男子が酔いとは別種のどす赤い顔で木葉さんを怒鳴りつけていた。取り囲む数人の男子も同様の表情で木葉さんを睨む。

 他の人は喋らず、盛り上がっていた飲み会の空気は完全に崩壊していた。

 その中で唯一、木葉さんだけは笑顔だった。瓶ビールを持ってみんなのグラスに注いでいる。


「だからあれはでーじ仕方ないって。アタシらが流世君に酷いことをしようとしたせいだもん」

「飲み会で飲ませて何が悪いんだよ。茉森だって飲ませようとしていただろ」

「うん、そうだね。……それが流世君を苦しめていたんだ」


 木葉さんは笑う。微笑みを崩さず、怒る男子達を宥めようと必死になっているのが分かる。

分かる。だって、違う。


「いーから飲もーよ。飲んで忘れよーよ!」


 今は苦しそうだ。笑顔だけど、でもそれは笑顔じゃない。木葉さんの笑顔はもっと素敵な表情だった。

 彼女らしくない罪悪感に満ちたくしゃくしゃの顔をしている。


「はいビール! どんどん飲んでいこー!」

「……だったら茉森が飲めよ」

「アタシ?」


 注がれたビール。茶髪の男子がそのグラスを木葉さんに突き返した。

 同時に男子数人が彼女を囲む。


「そうだそうだ。たまには茉森が飲め」

「いつも俺らに飲ませてばかりだろ」

「アタシはウーロン茶でいーよ。代わりにみんなが飲んで」


 木葉さんは苦笑交じりにウーロン茶を手に取る。男子の一人が木葉さんの腕を掴み、ウーロン茶が入ったコップが床に落ちる。

 嫌な空気が流れる。嫌な予感がする。その理由が、僕は次第に分かってきた。


「えっと、ど、どうしたのみんな?」

「あんだけ飲め飲めと言ってきて自分は飲まないっておかしいだろ」

「我慢の限界だ」


 木葉さんは一年生の頃からずっと学科一の人気者だ。頻繁に飲み会を企画して、みんなを盛り上げて輪の中心に立っていた。

 それを成し得る器量と人望があった。誰もがほのかに恋するような、そして彼女自身は誰に対しても優しく平等に好意を振りまく。

 そんな木葉さんは飲み会でも天真爛漫で、何より飲ませ上手だ。率先してコールをして周りに飲ませていた。僕もその内の一人だったから知っている。


「飲ませてばかりだよな。自分は飲まず、安全圏にいてさ」

「いい加減ウザイんだよ」

「そんなに盛り上げたいならお前が飲んで盛り上げろ。なぁみんな?」


 彼女は他人にコールをして自分は飲まない。そういえば、木葉さんがお酒を飲む姿は一度も見たことがなかった。

 一度も見たことがない。そのことに気づき、現状を俯瞰して見る僕はもう一つのことにも気づいた。


 完全に崩壊した飲み会の空気。原因は僕や乱入した不知火だ。

 それとは別に、嫌な空気が流れている。一年前の飲み会とはどこか歪な変化、木葉さんの困った表情。

嫌な予感が確信に変わる。


「みんな、待っ……え……?」

「散々飲ませてきといて自分は飲まない。そんなの通じるわけないよな」

「そらイッキ、はいイッキ~」


 木葉さんは人気者だ。みんなをまとめて中心に立つ。

 けど僕が参加していない間に数多の学科飲みを経て、男子の中で薄々と沸々と不満が溜まっていたんだ。他人にだけ飲ませまくって自分は安全圏にいる木葉さんが気に食わない、と。

 トイレで男子達が愚痴を言っていたのを思い出す。それが今、直接本人に矛を向けている。


「あ、アタシは飲まないよ? み、みんな、どうしたの……?」


 最終的に決定打になったのは先の事件。僕を庇ったことが引き金になり、不満を爆発させた男子達は八つ当たり混じりに木葉さんに飲ませるつもりだ。




 僕のせいだ。



 とは言えなかった。

 さすがにこれは木葉さんのせいだろう。


 たとえ悪気はなかったとはいえ、木葉さん自身が招いたこと。

 ……因果応報だ。散々飲ませてきて、自分だけは飲まなかった木葉さんが悪い。


「早く飲めよ~。これ、毎回お前が言っているセリフだぜ?」

「茉森のいいとこ見てみたーい」

「茉森っ、一杯目っ、無理は、全然ないよ全くないよ!」

「パーリラ、パリラパーリラ!」


 爆発した不満は止められない。コールは止まらない。

 木葉さんの表情が弱々しくなっていく。


「アタシは……え、え~? だってアタシ、お酒飲めないもん。だからみんなに飲んでもらおーといつも……」

「聞こえないなぁ。言いたいことは飲んでから!」

「うんうん、ご馳走様も聞こえない。二杯目も用意しなくちゃな。おい誰か注文してこい」

「オッケー」


 常に笑顔で誰からも愛されて、常に誰かと一緒にいる木葉さんが困っている。……一人ぼっちだ。可哀想だ。

 そう思う一方で、彼らの怒りは尤もだと思う。木葉さんはおとなしく仕返しを受けるしかない。


「やっとあの清楚ビッチをどうにか出来そうだ」

「イケそうと思って一年が経ったな。ベタベタしてくるくせして誰とも付き合わないんだよなあいつ」

「こりゃ水瀬に感謝しねーと」

「いいだろ。遅かれ早かれこうなっていた。つーかこうなる時を待ってた」


 男子の一人が出入り口の方へやって来る。注文をしに行くのだろう。何を企んでいるのか簡単に分かる。酷く下卑た表情をしている。

 その奥で木葉さんの姿が目に映った。騒ぎの渦中、コールの嵐に飲み込まれ、彼女は動けないでいる。




 これで終わっていいはずがない。

 僕は口を開き、店員さんに声をかける。


「そこで待っていてもらえますか? ありがとうございます。……ふー。すぅ……はぁ……」


 確かに一年前、僕は木葉さんに見捨てられた。見てもらえなくなった。

 でもこれで終わっていいはずがないんだ。ここで見捨てたら、それは一年前の自分を見捨てるようなものだ。


「お、ナイスタイミング店員さん。注文を……って、お、お前は」


 あの頃の僕は助けてほしかっただろ。誰かに見てほしかっただろ。

 あの頃に飲んだあのビールの苦さ。誰にも見てもらえない、誰にも助けてもらえない。一人ぼっちの苦しさ。

 同じ思いをさせたくない。だから僕は絶対に見捨てやしない。


「そこをどけ」


 戸を開く。驚き退く男子を突き飛ばし、僕は直進する。


 最後には何も残らなかった。見捨てられた。

 そうだとしても。あの日、あの人が、一人ぼっちだった僕に話しかけてくれたことは事実。たとえ気まぐれでも、それでも救われた。短い日々だったとしても楽しかった。


 木葉さんは僕に手を差し伸べてくれた。

 今度は僕が手を差し伸べる番だ。


「いつまで固まっているんだよ茉森。さっさと飲」

「飲み残し~は左隣!」


 グラスを奪い取る。一気に呷る。中身を空にする。

 テーブルに叩きつけ、その場に座り、彼女に背を向ける。


「え…………っ、流世君……?」


 因果応報だよ。自業自得だ。木葉さんも馬鹿な大学生の一人だ。

 だけど君に僕のような思いをさせたくない。

 君の眩しい笑顔はもう見たくない。それ以上に、君が苦しむ表情はもっと見たくない。

 僕が何もかも飲み込んでやる。代わりに受け止めてやる。


「み、なせ……テメェ! よくもさっきは……!」


 僕が戻ってくるのは予想外だったのだろう。唖然とする空間。

 一人だけ違った。茶髪の男子は怒り狂う。拳を振り上げ、僕を殴る。


「ぐっ……!」


 いってぇ……!

 ……不知火が蹴った分を受けると考えて一発は食らってやる。


「ノコノコと戻ってきやがって覚悟は出来ているんだろうな!」

「文句はあるだろうね。でも、言いたいことは飲んでから。だろ?」


 痛い。殴られた頬の内側、血の味がする。頭の奥まで激痛が走る。


 全くもって問題がない。

 この痛みも、血の味も、あの頃の痛みとビールに比べたら全然大したことがないね。


「流世君!? な、殴られて……」

「大丈夫。木葉さんは何もしなくていい」


 木葉さんを制し、僕は茶髪の男子を睨み返す。

 他の男子達も集まり、僕を囲む。


「言いたいことは飲んでからだと? なんだ水瀬、もしかして茉森の代わりに飲むつもりか?」

「相変わらず馬鹿だなお前」

「飲む必要はねーよ。今から全員でお前をボコボコに」

「……っ! おい待てよ、店員が……」


 よく気がついたな。

 男子の一人が指差す方向、出入り口に立ってこちらを見ているのは従業員。僕が事前に呼んでおいた。


「手を出したら出禁どころか警察沙汰になるよ」

「なっ……汚ねぇ真似を……! つーかそれはお前も同じだろ。さっきヤンキーが俺を蹴り飛ばしただろ!」

「そうだね。じゃあ暴力はやめて今すぐ店員に泣きつく? たかが大学生、迷惑な酔っぱらいの言葉を聞いてもらえるとでも?」


 先程ここで何があったかを発言しても大した問題にはならない。木葉さんが君らを止めた時点で、君らがすぐに通報しなかった時点で事は流れたんだよ。

 だが今は違う。店員が直に見ている。この状況下で問題を起こそうものなら言い逃れは出来ない。


 ……まあ、こいつが僕を一発殴った時点でゲームセットのはずだったんだけどね。なんで店員さん止めに来ないの? 僕の完璧な計画が台無しなんですけど。次に何かあったらって感じ? ソウデスカ……。


「飲み会だろ。おとなしく飲んで、それで解決しよう」


 とりあえず暴行沙汰にはならない状況には出来た。

 いくらでも持ってこいよ。焼酎? ビールか? なんでもいいよ。全て飲み干してやる。


「いいぜ……お前を潰せるならそれに越したことはない。おいお前ら、焼酎を持ってこい」


 煽ればその通りに従うってのもどうかと思うよ。頭の出来って意味でも君らは馬鹿な大学生なのかな……。

 男子達がグラスを持つ。空いたジョッキに注がれる、透明でアルコール臭のキツイ焼酎。


「俺らと飲み勝負しろ。負けたら土下座な。あと大学を辞めろ」

「いいよ。僕が勝ったら木葉さんに手を出すな」


 僕が応じたら男子達がゲラゲラと笑いだした。どこぞのチャラ男のように勝ち誇った顔している。


「だ、駄目だよ流世君! 一人で数人と飲み勝負だなんて……」

「心配する暇があるなら帰って。僕が酔い潰れたら木葉さんも飲むハメになるんだから」

「そうだぞ茉森。ちゃちゃっと水瀬を潰し終えてその次はお前だ。今夜はとことん飲もうぜ」


 相手は一人、しかも陰キャの僕。勝てると思っているのだろう。

 僕は気づいているよ。見ていて分かった。この一年間で、君らがいかに薄っぺらい飲み会をしてきたかを。


「じゃあ飲み対決スタートだ。じっくりいたぶってや」

「はい飲んだ」

「……は?」

「そっちは? 誰もグラス空けないの?」


 君らは数多の飲み会を経てきたくせして未だに焼酎をちびちびと舐めるようにしか飲めていなかった。木葉さんに飲ませられてきたと愚痴るくせにロクな量を飲めないんだ。

 僕は空のジョッキを見せつける。対する男子数人は誰もグラスの中身を減らせておらず、互いの顔を見合う。


「誰か飲み干せよ」

「はあ? 焼酎だぞ。イッキした瞬間に死ぬだろ」

「いいから飲めって!」

「じゃあお前が飲めよ」

「いや俺は……お、おい誰か」

「お、俺飲んだ!」


 一人が空のグラスを掲げる。僕はすぐにそのグラスを奪い取る。


「これ水でしょ。僕が見ていないとでも? 移し替えていたよね」

「あ、いや、その……」

「木葉さん」


 僕は空いたジョッキとグラスを木葉さんに渡す。


「帰らないなら審判してよ。そしていつもみたいにみんなを飲ませて」

「……うん! アタシにめちゃ任せて!」


 木葉さんは笑う。あの笑顔で。快活、天真爛漫、素敵で無敵な笑みを浮かべる。


「アタシが合図したら一斉にイッキね! 飲めなかった人は失格!」


 焼酎の入ったピッチャーを巧みに動かす。空いたジョッキとグラスに注ぎ、男子達がほんの少しだけ飲んだコップにも追加で並々と注ぎ直す。


「ま、待っ」

「それじゃあ、よーい、スタート!」


 木葉さんの合図と共に僕は二杯目を飲み干す。他の誰も僕に、いや、僕らについて来られなかった。

 僕と木葉さんは目を合わせ、笑い合った。

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