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83 今度は私が助ける番

 手首を掴まれた。あと少しで唇に触れそうだったジョッキが止まる。


「え…………?」


 視界の端、左右から二人が現れた。


「おい流世、こんな奴らの酒を飲む必要はねぇぞ」


 左から現れた長身の大男。茶髪の男子を蹴飛ばし、テーブルに片足を乗っける。


「不知火……!?」

「悪いが今回は我慢しねぇ」


 不知火は茶髪の男子とは比にならない剣幕と低い声で唸り、全体をひと睨みする。凶悪で厳つい顔でその場の全てを蹂躙する。


「まずはテメェからだ」

「け、蹴りやがった……喧嘩売っ」

「あ? 黙れよ雑魚」

「何を、う、うぐっ」


 蹴り飛ばされて床に倒れる茶髪男子。不知火はそいつの胸ぐらを片手で掴むと、いとも容易く空中に持ち上げた。


「俺の、親友に、何しやがる! あぁ!?」


 一年前に見たブチギレ顔。前回と違うのは、不知火が声だけではなく手を出している。

 辺りから悲鳴が起こり、男子達は狼狽える。茶髪の男子は青ざめた顔して苦しそうに手足を暴れさせる。


「や、やめ、誰か通報……ぐぇえ……!?」

「通報? するならしろ。停学? 退学? 知るかよ。流世の為なら俺がどうなろうと構わねぇ」


 不知火が止まらない。手を捻り、男子の首元を締め上げていく。

 ち、ちょ、やりすぎだって。



「水瀬、こっち来なさい」

「っ! 金束さ……」

「私を見なさい」


 突然の乱入者。騒然となる空間。僕の視線は釘づけになる。

 視界の右から現れたのは、僕の手を掴んでいたのは、金束さん。この場にいる誰よりも華やかな姿。絢爛なる眩しい長髪。鋭くも、優しく澄んだ瞳。

 金束さんが僕を見つめる。僕の体を引き寄せて、目を合わせてくれた。


「ど、どうしてここに」

「一つ聞くわ。これが、こんな飲み会が、ビールが美味しいシチュエーションなの?」

「それは……」

「答えなさい」


 散々飲んできた。

 馬鹿みたいに飲んだ。吐くまで飲んだ。一人で寂しく飲んできた。


 僕は今もこれからも飲んでいく。

 誰かと共に。不知火や月紫さんと。つくしんぼのおばちゃんと。そして、金束さんと一緒に。


 自分の中で答えが出る。決まっていた。決まっている。

 あの頃に夢見た大学生活よりも遥かに楽しい日々を過ごす。美味しいビールを知っている。

 僕にはかけがえのない友達がいるんだ。


「ううん、違う」

「美味しくないのね」

「美味しくない。苦くて、苦しくて、最悪のシチュエーションだ」

「水瀬はビールを美味しく飲みたいんでしょ。だったら私と一緒に飲みなさい。私に、ビールが美味しいシチュエーションを教えなさい!」

「……うん。…………うん……!」

「分かればいいのよ」


 その瞬間、そこには笑顔があった。他の誰よりも、誰かと比べるまでもないくらいに、金束さんはとびきりに美しい笑顔を浮かべた。

 嬉しくて、僕も笑顔になる。こんな状況なのに笑ってしまう。


 金束さん……。


「さっきから私の後ろで何しているのよ変態!」


 って、は、はい? 後ろ? 変態?


「げへへ、可愛いね君。おまけにめちゃくちゃエロ……ぐへっ!?」


 見れば、金束さんの背後で赤い顔した男子がニヤついていた。

 その男子は中腰になって金束さんのスカートもとい臀部をジロジロと眺めていて、そこに不知火が飛び込んできた。


「よぉ金束、一応聞いてやるけど大丈夫か?」

「ふんっ」


 鼻の下を伸ばしていた男子は不知火の足蹴りを食らって伸びた。ピクリとも動かない。

 金束さんは「ふんっ」と鼻息を荒げて僕にしがみつく。な、何が何だか分からない。


「流世、帰るぞ」

「え? い、いや、それよりどうして二人はここに」

「話は後だ。通報される前に逃げる」

「逃げるんだ!?」

「啖呵を切ったが本音言えばそりゃ停学も退学も嫌だからな」

「行くわよ水瀬」

「ち、ちょ、引っ張らな……えぇ!?」


 突然現れた不知火と金束さんに連れられて、貸切部屋の出入り口へと直進する。

 視線を床に走らせると、そこには男子数人がぶっ倒れていた。不知火が倒し……な、なんてことを……。


「待って、今逃げられても後に捕まる……」


 二人が助けに来てくれたことは理解した。それはすごく、とてつもなく、嬉しい。

 けどさ、こんなことをしたら二人は……!


「痛ぇ、は、鼻が……っ、ふざけん、な。お前ら水瀬の知り合いか。誰か店員を呼んでこい! 警察にも通報しろ!」


 起き上がった茶髪の男子は鼻血を垂らしながら吠える。

 狼狽えていた数人の男子、パニックになる他の人達、全体が次第に落ち着きを取り戻して携帯を取り出そうとしている。


 助けに来てくれたのは嬉しい。でもこんな乱入の仕方をして何もなくここを出るのは不可能だ。

 最悪の展開になっている。僕だけではなく不知火と金束さんにまで迷惑が……。






「誰も呼ばなくていーよ。悪いのはアタシ達でしょ」






 木葉さん……!?


「茉森? 早く店員を呼んでこい!」

「やー、店員さん呼んでもどーせに相手にしてもらえないよ。だってアタシらいつも騒いでめちゃばり迷惑かけてるじゃん」


 木葉さんが出入り口の横に立っていた。僕らが通過すると、彼女は両腕を広げて部屋全体を見渡す。僕らを守るように、みんなを制するように。


「流世君、行きなよ」


 横切る間際、目が合う。

 木葉さんは微笑んでいた。


「後のことはアタシに任せて」

「木葉さん……」

「水瀬早く!」


 部屋を出て、非常階段を下りる。その間も室内からは男子の怒り狂った声が聞こえていた。


「何してるんだ茉森!? 店員が駄目なら警察に」

「やめときなって。アタシらが悪いんだから。今日も、あの日も」

「ばっ……ふざけんなよ! あんな奴を庇うつもりかよ!」

「ふざけていたのはアタシらだってば。……流世君を苦しめていたのは、アタシだった」


 階段を駆け下りて一階に着く。飲み屋の出口はすぐそこ。

 扉を開ける。出ていく間際、振り返った先、階段の上。木葉さんとまた目が合う。

 木葉さん笑顔で僕を見ていた。あの頃とは違う、今までと違う、くしゃくちゃに枯れた笑顔だった。











 どれくらい走っただろうか。気づけば僕らは大通り入口近くの公園で立っていた。

 いや、立っていられない。荒れた呼吸を整えるので精いっぱいだ。


「はぁ、はぁ……! キツイ……」

「水瀬、おんぶしなさい」

「ちょ待っ、こ、金束さ、全力疾走で疲れたのは僕も同、ぐぇ……!?」


 金束さんが僕の背中にもたれかかる。体重という意味ではすごく軽い。ただ、金束さんイチオシのアレの重量感とむにゅむにゅ感が合わさった至高の感触が背中に、今はそれどころじゃないだろ僕!?


「なんだお前ら、少し走っただけだろうが」

「不知火は不知火で息一つ乱れていないっておかしいでしょ……」

「俺は事前に特製・ネギ秘薬を服用してきたからな。あと数時間は走れる」

「ツッコミを入れる気も起きないね」


 全力疾走によって胃の中でシェイクされたアルコールが全身に炸裂して広がっていく。疲労と酔いで吐き気は最大級に達する。息は絶え絶えで、吐きたいものが多すぎる。


「金束さん、降りて」

「ふん」


 何よりも先に吐きたい言葉がある。言いたいことがある。


「……どうして二人は来たの」


 呼吸を整えずに顔を上げる。

 見上げた先には不知火と金束さんの両名。二人は僕を見る。


「アンタが集団と一緒にお店に入っていくのを偶然見たのよ」

「何かあると思ったんだろうな。金束が俺を呼んだ。俺が合流して店内に入ると流世がヤバそうだった。以上だ」


 不知火は上機嫌な語り口調で両腕を組む。その隣で金束さんはそっぽ向いて指に長い横髪を巻きつける。


「ふん。別に私一人でも良かったけどね」

「よく言うぜ。お前一人じゃ野郎共にセクハラされるのがオチだろ」

「な、何よ」

「とりあえず俺は何人かぶっ飛ばせたから満足だ。一年越しにスッキリしたぜ」


 鼻息を荒げる金束さん。組んだ両腕を崩し、爽快な表情で腕を回す不知火。


二人が助けに来てくれたのはすごく嬉しい。それは間違いない。

だけど冷静になって考えると胸が苦しくなる。


「あ? どうした流世」

「あんな無茶な真似をして……二人共おかしいだろ!」


 中高生が教室で喧嘩するのとは訳が違う。暴力を振るった不知火は逮捕されていたかもしれない。金束さんは男にいやらしい目で見られて、下手したら嫌な思いをしていたかもしれないんだ。


「やるにしてももっと上手いやり方があったはずだ。何しているんだよ! 危なかった、いや、今も危ない状態かもしれない。通報されたら終わりだ。僕のせいで……!」


 僕なんかのせいで二人が……。


「まぁ落ち着け。飲み屋でよくあるいざこざっつーことで大きな問題にはならねぇ。深く考えるな」

「楽観視しすぎだ。不知火は馬鹿か」

「そう睨むなよ。俺も暴れたのはマズイと思っている。でも仕方ねぇだろ。我慢出来なかったんだ」

「我慢してよ。子供かよ。僕なんかの為に……」

「あ? 僕なんかの為? ちげぇだろ」




「親友の為に、だろ」


 言いたいことが山ほどある。文句を言いたい。申し訳なさで胸が苦しい。

 たった一言で全て消えた。残ったのは、助けてくれたことに対する喜びだけになる。


「上手いやり方とか知るかよ。とりあえず流世を助けられて良かった。俺はそう思う」

「……」

「せっかく厳つい顔しているんだから有効に使わないとな。どうだ、俺のキレっぷりと暴れっぷりは天下一品だったろ?」

「……馬鹿かよ」

「馬鹿で結構。まだ言い足りないなら、そうだな、金束が答えてやれよ」


 不知火は金束さんの方を見る。金束さんはビクッと肩を震わせて不知火から距離を置く。


「私が?」

「俺が言うよりお前の方が適任だよ。俺はコンビニで飲み物でも買ってくる」


 不知火は両腕を伸ばして盛大に骨を鳴らすと、大股歩きで裏通りを出ていった。


「……」

「……」


 僕と金束さん、二人きりになる。

 金束さんは黙っている。何分か経ち、金束さんが動いた。僕の背後へと回り込んできた。


「あ、あの、今はおんぶを強要しないでくれます?」

「……」

「え、ちょ、頑なに背中に乗ろうとしないで!?」

「ふん」


 店の前。薄暗い裏通りの細道。

 金束さんは躍起になって僕の背中に乗ろうとしてくる。それを制し、僕は金束さんと向かい合う。


「疲れたのよ。それにアンタの学部、厭らしい目つきの奴ばかりでキモかった」

「金束さんが綺麗だから仕方ないよ」

「綺麗……っ、う、ううるさい馬鹿! そんなこと言われても嬉しくないんだからね!」

「あ、頭を振り回さないでぇ」


 金束さんが頭を振り回すことによって煌びやかなベージュ色の長髪が束となって僕の両頬を往復ビンタ。めちゃくちゃ良い匂いがする。心地良いとさえ思える。

 いや、だから、僕の馬鹿。今はそれどころじゃないだろ!


 ……どうして僕を助けに来たんだ。


「何よ。私達が来て助かったでしょ」

「それはそうだけど。でもあんな無茶を」

「無茶したのはアンタもでしょ。私を助けてくれたじゃない」

「僕が……?」

「はあ!? 忘れたの!?」


 金束さんが怒る。僕の足を蹴ってきた。不知火の強烈な一撃に比べて遥かに弱い足蹴り。


「私はナンパされて困っている時、水瀬が助けてくれたでしょ!」

「あ、ああ、そうだったね」

「ふんっ! それと同じよ。だからとやかく言われる筋合いはないし、言うまでもないでしょ」




「今度は私が助ける番。ただそれだけのことよ」


 足蹴りは止まり、金束さんは再び僕の背後に回る。


「私は助けてもらえて嬉しかった。アンタは違うの?」

「嬉しいよ。……けど、だけど」

「うるさい。嬉しいならそれでいいじゃない。他に言うことある?」


 両腕が伸びる。僕の体を掴む。金束さんが背中に乗る。


「疲れた。おんぶしなさい」

「現在進行形でしているけど」

「ふん」

「金束さん」

「何も言わなくていい……水瀬は苦しい思いをしなくていいから……」


 不知火と同様、金束さんも深い意味はない。友達だから助けた。それだけのこと。

 もう何も言わなくていい。素直に喜ぼう。


「そもそも学科の飲み会に行くことになった時点で私に言いなさいよ」

「ぼ、僕もいっぱいいっぱいで」

「馬鹿!」

「ひいぃ!?」

「私がいるって言ったでしょ!」


 いつも通りの不機嫌な声。僕の髪を引っ張ったり体を揺すったりと、金束さんが僕の背中で暴れる。だ、だから、胸の感触が……うぐぐぐ……!?


「こ、金束さんやめて、暴れるなら降ろすよ?」

「……」

「あ、落ち着いた……」

「ジロジロ見られた。スカートの中を覗かれそうになった」

「ご、ごめんね、嫌な思いをさせて」

「謝らないで。……あんな奴にだけ見られそうになったのは嫌ね。だ、だから、水瀬が見なさい」

「……はい?」

「い、いい? 一瞬よ? ほんの一瞬だけめくるからちゃんと見なさい」

「いやなんで見せる前提で話が……み、見せなくていいよ」

「なんでよ! 変な奴に見られるくらいなら先にアンタに見せた方がマシでしょ。だから見なさい」

「いや意味が分からないよ!?」

「見なさいよ!」

「え、えぇー……? じ、じゃあ、見るよ」

「み、見るな馬鹿!」

「えぇー……!?」

「お前ら何してんの? イチャイチャする前に流世救出成功の乾杯をしようぜ」


 戻ってきた不知火は呆れ顔。金束さんは暴れて不機嫌になる。

 僕は苦笑混じりに二人を相手して、笑いが止まらなかった。


 僕にはかけがえのない友達がいる。そのことが、すごく、本当に嬉しかった。

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