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81 今は私がいる

 僕の過去を聞いて軽蔑したはず。こんな奴に頼ろうとしたこと、僕がいかに惨めで情けない奴なのか、それを知って金束さんは失望したのだと思った。


「水瀬の馬鹿。本当に馬鹿!」


 頬を叩いてきたのは怒りをぶつける為。馬鹿だと言って睨みつける。

 けれど感じるのは、怒りではなかった。僕のことを軽蔑していない。厳しい声やキツイ態度では伝わらない、なんとなく感じる程度。

 でも確かに感じ取った。金束さんが僕を気遣う優しさを。


「悪いのは自分? 全然違うわね。悪いのは学部の奴らよ!」

「そ、そんなことない」

「ウザイ! 水瀬はウジウジしてて気持ち悪い!」

「え、えぇ……」


 キツイ言い方だった。

 だけど同級生達に言われた罵倒とは全く違う。僕を責めているわけではない。金束さんの言葉の内に秘められた優しさを感じ取れたんだ。


「騒いでいたのは他の奴らも一緒でしょ。なんでアンタだけ悪者扱いされているのよ。水瀬は何一つ悪くない!」

「……僕に引いていないの?」

「私がアンタに? 何度も言わせないでよ。アンタ本当に馬鹿ね!」

「ひ、ひいぃ?」

「……」

「金束さん?」

「アンタが友達と言ってくれなかった理由が分かった。友達になれたと思っていたのに相手はそう思っていなかったことが、裏切られて突き放されるのが、水瀬は怖かったのね……」

「……うん。でも、裏切られたのではなくて僕が勝手に勘違いを」

「こっち向きなさい」


 僕が俯くと金束さんがすぐにそう言った。

 言われた通り、顔を上げると……叩かれた。


「ぶへっ。な、何?」


 痛烈な勢いで放たれるビンタ。そのスピードと剣幕には不釣り合いなダメージ量。金束さんのビンタは痛くない。ただただ、僕を見つめてくれている。


「水瀬は悪くない。悪くないんだから! 馬鹿馬鹿、馬鹿!」

「お、落ち着い」

「自分を卑下しないで!」


 何度も頬を叩く。頬以外にも頭や体をポカポカと殴ってくる。

 最後には止まって、僕の胸元に沈み込む。金束さんが僕に体重を預けてきて、ゼロの距離で声をかける。


「水瀬は頑張っただけ。必死になっていただけ。私は知っている。水瀬の優しさを知っているわ……!」


 軽蔑しないどころか僕を心配してくれる気持ちが伝わってきた。

 今の言葉とさっきの言葉が重なり、彼女の温もりと共に全身を包み込む。心に染み渡ってくる。

 今は私がいる、そう言ってくれた。こんな僕なのに傍にいてくれる。僕のことを肯定してくれた。


「水瀬は優しいわ。私の無茶なお願いに協力してくれて、私を助けてくれた。それがどれだけすごいことか。それを知りもしないくせに、水瀬のことを何も分かっていないくせに裏切った奴らが悪い。ううん、そんな奴のことなんてどうでもいい。今は私がいる。私は水瀬の味方よ」

「金束さん……」

「それなのに自分のことを卑下するからアンタは馬鹿だって言っているの。水瀬の馬鹿!」

「ひぃぃ……!?」


 あ、でもやっぱり怖いかも。何回も馬鹿と罵ってくる。


「……アンタ、私と出会った頃も一人ぼっちだったのね。ずっと苦しんでいたのね」

「……うん」

「苦しかったのね。辛かったわよね。一人で耐えていた……」

「あ、あはは、まあ、ね。だけどボッチと言いつつ不知火がいてくれたから大丈夫だったよ」

「今は私もいる。そうでしょ」

「うん。そうだね」

「昔のことを忘れなさいとは言わないわ。今でも学校で居場所がないのは大変かもしれない。でも大丈夫だから。私を頼りなさい」


 夜更けて肌寒さが増す。胸元に広がる温もりは僕から離れない。


「前に言ったでしょ。アンタは私にビールが美味しいシチュエーションを教えてくれる。私達は協力関係よ。だから私も協力する。水瀬が困っている時は私が助ける。私達は協力関係で、私達は友達よ」

「うん……」

「不安にならないよう何度でも言ってあげるわよ。私は水瀬の友達。私はずっと傍にいる。ビールが美味しいシチュエーションを教えてもらった後も水瀬と一緒にいるから!」


 経済学部棟の裏。誰も来ない。金束さんはいる。見上げた先の電灯はぐにゃりと歪んで視界に光の輪がいくつも浮かぶ。

 金束さんの言葉の全てが染み渡る。温かくて心地良かった。


「ありがとう金束さん。本当に、ありがとう」


 もう気にしない。木葉さんのことは忘れる。

 そう決めて、結局出来なかった。あの笑顔を忘れられなかった。きっとこれからも思い出しては苦しくなって自分の過去に縛られていくだろう。



 その度に思い出そう。この温もりを。金束さんの言葉を。



「あ……か、か、勘違いしないでよね。ずっと一緒というのはそういう意味じゃなくて友達として付き添うって意味よ! 変な勘違いしないで!」


 と、急に金束さんが顔を上げて頭突きしてきた。い、痛いってば。いやまあ痛くないけど……って、


「どうして金束さんも泣いているのさ」

「う、うるさい! アンタがどれだけ辛い思いをしてきたか考えたら涙が止まらないのよ馬鹿!」

「逆ギレ!?」

「馬鹿っ……ぐすっ」

「あ、あはは、学園祭の時も僕ら泣いていたような」

「うるさい。黙りなさい」

「酷い……」

「……ごめんなさい」

「へ?」

「私はアンタなら一人で楽しめるビールの飲み方を知っていると思って声をかけたわ。でも違った。アンタは一人の楽しみ方を知っていて、一人だけの苦しみを誰よりも味わっていたのね……」

「き、気にしなくていいよ。事実だし。どうせ僕なんて」

「だから自虐しないで。次それ言ったらぶん殴るわよ」

「現時点で既に何発も殴られているんですけど?」

「水瀬の馬鹿。馬鹿馬鹿、馬鹿っ」

「僕は何回馬鹿って言われるんだろ……」


 友達になれたと思った。あの人に笑ってもらえると思った。嬉しかった。

 僕の勘違いだった。彼らのようにはなれなかった。辛かった。

 ビールに縋りついた。一人でいい。一人がいい。自分だけの世界に逃げた。


 どれもこれも過去のこと。嫌というほど思い返しては苦しくなって、自分は何も変わっていないと嘆いたけれど。


「辛いことだったのに話してくれてありがと……」

「こちらこそだよ」


 ああ、そうか。

 何を言っていたんだ。変わっているだろ。今は、もう。


「ところでアンタ、あの女のことが好きだったのね」

「へ? 木葉さん? え、ええと、まあ、その、はい……好きでした……」

「……今も好きなの?」

「いや今はさすがに好きではないよ」

「ふ、ふーん。ま、まぁどうでもいいけど。……ああいう子が好みなの?」

「好みというか、話しかけてもらえたのが嬉しくて……」

「……私も初めて出会った時は私から話しかけたわ」

「あと笑顔が好きだった。一緒にいてすごく楽しかった」

「……」

「あの、金束さん、僕を睨まないでくれますか?」

「あの女のことばかり話さないでよ馬鹿!」

「え、金束さんが聞いてきたのに……!?」

「うるさいうるさい! あの女は嫌いよ! ……水瀬のこと傷つける奴は問答無用で大嫌い」

「あ、あはは、不知火みたいなことを言うね」

「そうだ。あの大男の連絡先を教えて」

「なんで?」

「いいから。あいつにも色々聞かないといけないの。教えなさい」

「わ、分かった」


 気づけば夜の九時過ぎ。随分と長い間ここにいて、随分と泣いてしまった。


「ああいう子が好きだったのね。ふーん。笑顔の人がいいんだ。ふーん」

「え、急に何?」

「別に。帰るわよ」

「う、うん。家まで送るよ」

「ありが……いや、今から飲むわよ」

「え?」

「ビールを飲むの。だからアンタの家に行くわ」

「もう夜遅いよ」

「何か言った!?」

「イエナニモ」


 僕はベンチから立ち上がる。地面に落ちた缶ビールを拾って、すると、僕に続いて立ち上がった金束さんがくっついてきた。へ?


「……」

「あのー、どうしてくっつくの?」

「さっきもくっついていたじゃない。寒いのよ。だから仕方ないの」

「仕方ない、のかな?」

「い、いいから行くわよ! 手も貸しなさい! 寒いの!」

「は、はあ、分かりました」

「ふんっ。……水瀬、私はいるから」

「うん、分かっているよ」


 金束さんと二人、歩く。寄り添って、くっついて。


 ああ、そうか。そうだったんだ。

 一人でいい。一人がいい。誰からに嫌われる地獄よりは遥かに楽。ずっとそう思って耐えてきた。一人で飲むビールが美味しいと思っていた。


「歩くのが速いわよ馬鹿」

「金束さんが遅いんだよ。と、というかまた泣いているの?」

「水瀬が悲しい話をするからじゃない! ぐすっ、アンタは悪くないのに……馬鹿ぁ……」

「な、泣かないでぇ」


 今は違う。罵倒されたり無茶な要求をされたりはするけども、僕の隣には金束さんがいる。

 一人で飲むよりも誰かと飲むビールの方が美味しいんだ。今の僕は知っている。


「ぐす、っ、えぐ……」

「えーと、本格的に涙が止まらない?」

「うん……水瀬……」

「泣かないで。大丈夫。僕はここにいるから」


 ビールよりも素敵なものに出会えた。金束さんが僕をまた変えてくれた。

 そして僕は金束さんを変えた。きっとそのはず。だって僕らは今、お互いのことを思い合えているのだから。

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