80 過去、そして今
友達になれたと思っていた。みんなと同じ華やかな大学生になれたと信じていた。
間違っていた。
無茶をして、はしゃいで、それは根暗男が調子に乗っていただけのこと。他の人からすればただのウザイ奴。不愉快なだけ。
僕がどれだけ必死になって飲み騒ごうとも彼らのようにはなれない。
「ちぇ、出禁食らっちまった」
「飲み放題安くて重宝していたのに」
「まあ俺らいつも暴れていたからいつか言われると思、おっと違う、水瀬のせいだな」
「そうそう水瀬のせい。こいつが暴れたせいだよ」
その証拠に、みんなは僕を置いて去っていく。
彼らはあくまで『仲良くしてやっていた』に過ぎない。自分達と僕との間に境界線を設けていて、心の中では見下していた。
本当の友達として思われていない。僕は、誰からも、友達として見てもらえていなかった。
「二度と学科飲みに来るなよ」
「そんな奴ほっとけ。それよか二次会はカラオケに行こうぜ」
陰キャの僕が必死になって騒いだところで彼らのようにはなれない。彼らは遠い存在だったんだ。
そして、あの人も。
「カラオケで飲み直しだねー!」
店の前で倒れる僕を、茉森さんは一瞥もせず歩いていく。彼女の快活な声が次第に遠くなっていく。
いや、最初から遠かった。どれだけ手を伸ばそうとしても掴めない。木の葉は気まぐれに近寄って舞い踊っていただけ。呆気もなく風に運ばれていく。
掴めない。手に入らない。華やかな大学生活、彼らのような輝き、大好きなあの人。
僕は一人取り残されて、一人ぼっちで……。
「……流世? おい、なんで倒れ……大丈夫か!?」
「不知火……?」
「ボロボロじゃねぇか。何があった?」
もしあいつが現れてくれなければ僕はどうなっていただろう。
「待てよテメェら! 俺の親友に何しやがった!」
「うわ怖っ、なんだあいつ」
「ヤンキーじゃん。ヤベー逃げようぜ」
「きゃー怖いー」
「あぁ!? お前ら流世の友達じゃねぇのか!」
友達だと思っていた人達に見捨てられ、大好きだったあの人に見てもらえなくなり、一人ぼっち。
そんな僕を助けてくれたのは不知火。
「水瀬と友達? ウケる。そんな奴どうでもいいから」
「俺らとそいつはもう関係ねーよ。その辺に捨てといて」
「っ、ふざけ、んな、待ちやがれ!」
不知火が本気で怒る姿を見るのは初めてだった。不知火が僕の為に本気で怒っている。
十分だ。お前がいてくれるだけでも。
だから、もういいんだ。
「許さねぇ。よくも流世を……!」
「待っ、て、不知火、いいんだ」
「あ!? 良くないだろうが! あんなこと言われて、流世を馬鹿にされて……全員ぶっ倒してやる」
「頼む、何もしないで。お願いだから……」
「っ、流世……」
彼らは悪くない。彼らの輪に入れば自分も輝かしい生活を送れると思い込んでいた僕が悪いんだ。
「不知火に迷惑をかけたくない。いいんだ。もう、どうでもいい……僕なんて……」
「だけど」
「不知火、頼む……」
「っ……ああ、クソ! ……流世がそう言うなら」
これでいい。十分だ。
もう、あの人に見てもらえなくても……。
「流世君……」
「さっきの奴ヤベェよな。あれ水瀬の知り合いかよ。陰キャのくせに、って茉森どうした? さっきの店に忘れ物でもしたか?」
「あ……ううん、なんでもない。さーさー、二軒目に行こー!」
世界が変わった。あの人が変えてくれた。
自惚れていた。勘違いしていた。全部、最初から何もかも違っていたんだ。
自分の存在価値も計れず夢見た哀れなボッチ。華やかで陽気、笑顔が似合う天真爛漫な女子大生。
大好きだったあの笑顔もその姿も、僕の目にはもう映らない。僕の傍にはいない。
僕とあの人とでは住む世界が違うんだ。
翌日から僕の居場所はなくなった。話しかける人はおらず、誰も近づかなくなった。
「昨日飲み会でさー」
「マジで?」
「ほらあいつ見てみろよ」
「おーおー陰キャらしい惨めな姿だな」
僕が頑張ってきたものは、僕がやってきたことは陰キャの独りよがり。自分の存在価値と程度を弁えず一人勝手に勘違いしていた。
居場所を失った。
口を開かない。音を出さない。出来る限り気配を消して講義を受け、終わればすぐに帰る。延々と続く地獄。
手を伸ばしても僕には届かない彼らの輝き。現実を叩きつけられて死にたくなった。
辛かった。
苦しかった。
僕が手を伸ばしたのは、ビールだった。
「……」
苦くて不味い。大嫌いだ。こんなものを飲んだせいで僕は生活も何もかもがぐちゃぐちゃになった。
でも、これがあったから見てもらえた。あの人と繋がっていられた。
「ちくしょう、どうしてだよ。なんで今になって……っ、なんで……」
蓋を開ける。一気に呷る。一人、自分の部屋で、誰とも乾杯せず飲む。
不味いとしか感じなかったビール。
それが美味しかった。美味しいと感じるようになっていた。どうして今になって美味しいんだ。一人で飲んでも意味がない。あの人に見てもらえないと……!
終わりだ。何もかも。
僕には一人ぼっちがお似合い。誰かと一緒に飲んでいい存在ではない。
「一人でいい。……一人がいい」
ビールを呷る。あっという間に空になって、次の一本を手に取る。
あんなに不味かったビールが美味しくて、飲んでいる間は忘れられた。
一人でいい。一人がいい。そう思うと、楽になれた気がした。
これでいいんだ。逃げてしまえ。
ビールを飲めば忘れられるのなら、いくらでも飲み続けよう。ただし自分のペースで。一人で楽しめるシチュエーションを考えて飲めばいい。……僕にはそれしか残されていないのだから。
「ボッチに逆戻りだ。それでいい。逃げてもいい。だから、もう泣くのはやめろよ……っ!」
誓いを立てるんだ。もう気にしない。二度と吐かない。
一人だけの世界。乾杯の合図と共に別れを告げよう。あの人との思い出。あの笑顔。
そして、浮かれていた哀れな自分に。
「そうして、いつの間にか飲めるようになっていたビールに縋って自堕落に生きてきた」
なんてことない。ボッチが浮かれて調子に乗ったその末路が今の僕だ。
「自分の存在価値も分からずに彼らに迷惑をかけてしまい、散々落ち込んでビールに逃げた。とことん惨めな陰険野郎さ」
「……」
僕は話し終えて、隣の金束さんは何も言わない。きっと軽蔑しているだろう。
「以前言ったよね。僕も大学生が嫌いだ。あいつらのノリが大嫌い。それは、自分自身のことだから。僕はあの頃の自分が大嫌いだ」
暴れる。飲んですぐに吐く。自分達が一番だといった態度で騒ぎまくる。
当時の自分のことを見ているかのようだ。でも違う。僕は彼らのようにはなれなかった。
余計にキツかった。自分のしょぼさを痛感させられて、そんな僕だから木葉さんに振り向いてもらえなかったのだと思い知らされる。
だから逃げた。一人だけの世界に逃げて、それでいいと言い聞かせて、ビールを飲み続けてきた。
「失望するよね。僕は金束さんが嫌いな大学生だったんだよ」
「そうね。私の嫌いなノリをやっていたのね」
真っ黒の夜空の下。ずっと話を聞いてくれた金束さんが口を開く。
……金束さんにも悪いことをした。僕は自分の過去を黙っていた。金束さんが嫌う大学生のノリをしていたことを今まで話さなかった。
「でも僕なんて所詮この程度の人間だ。今までごめん。僕なんかに頼ろうとしていたのが恥ずかしくなるよね」
「馬鹿じゃないの」
頬を叩く彼女の手。
「悪いのは自分? 何よ全然違うじゃない。アンタはいつも自分のことを酷く言いすぎなのよ」
痛くなくて、温かくて、意味が分からなかった。
「私が嫌う大学生の過ごし方をしてきた。それが何よ。昔のことでしょ」
金束さんが泣きながら僕を睨む。鋭い瞳が僕の目を捉えて離さない。僕も離せない。
「今は違うわ。私は今のアンタを知っている」
「今は私がいる。水瀬の隣には私がいる」




