8 僕は金束さんに「大丈夫。僕に任せて」と言ったんだ
金束さんの愚痴は夕方まで続き、夕方になると金束さんは帰った。飲み会に行ったのだ。
僕は部屋に一人。そう、一人だ。
……訪れた。ついにこの瞬間が訪れた……!
「ザ・一人の時間!」
キング・オブ・ザ・一人の時間だ! ここは我が城、王様は僕っ。侵略者・コヅカはいない!
テンションが跳ね上がり、柄にもなくジャンプ! 下の部屋の人ごめんなさファーイ!
さあさあ何しましょうっ。もちろん決まってる、一人酒さ!
「今日は朝まで飲むぞー……って、あれ?」
両手をすりすりして僕は冷蔵庫の前に立つ。冷蔵庫を開くと同時に、ワクワクな気持ちとすりすりな手は固まった。
冷蔵庫の中にビールが入っていなかったのだ。
「しまった。冷やしてなかったか」
床に視線を落とせば、そこには買い物袋。ビールを買ってきたのに、金束さんの愚痴とお茶汲みが忙しくて冷蔵庫の中に入れるのを忘れていた。
おのれ金束さん、ここでも僕の邪魔をするのかっ。あの大学生嫌いの大学生め。ふざけるなよビッチ処じ……き、聞かれてないよね? まだ部屋の外にいましたってオチはないよね?
いやいや、金束さんのことは考えるな。やっと手に入れた一人の時間がもったいない。
「う~む」
すりすりとしていた両手を腰にあてて天井を見上げる。シンキングタイム、今日のプランを変更しなくては。
スーパーで冷えたやつを買ってくるか? しかし今日買ったばかりのビール達が残っている。彼らを後回しにして新たに買うのは気が引けた。申し訳ないよ。僕の謎の心配り。
となると、あれだね。
「久しぶりに外で飲もう」
一人酒に長けた僕には些細な問題だったよ。外出し、居酒屋で飲めばいい。
財布を持ち、さあ行こうではないか。お店で生ビールが僕を待っている!
「お会計四千万円だよーん」
「はいはい四千円ですね」
「ありがとさん。また来なさいなー」
居酒屋で飲むこと二時間。酔いが心地良い。
「ええ、また来ます」
「いい加減彼女の一人や二人連れて来いってのー」
「ほっとけ」
店員のおばちゃんと挨拶を交わし、お店を出る。
ここは良い飲み屋だ。お気に入りです。おばちゃんが余計なことを言ってくるのが玉に瑕かな。
外は暗く、六月の湿っぽさと初夏の温さが充満していた。寒くも涼しくもない曖昧な夜風が火照った体を撫でる。
久方の一人酒in居酒屋は最高だった。壊れかけた精神は完全に回復し、溜まっていたストレスを吐き出せた。まぁ物理的には吐きませんけどー! 飲んだ酒を吐くなんてもったいない。全て我輩が吸収してくれるわーブハハ!
うん。良い配分、良い気分で飲めた。やはり一人酒は素晴らしい。
「さて、どこかラーメン屋に寄りましょうかね」
居酒屋で飲み、シメにラーメン。完璧なプランだ。飲んだ後のラーメンは異様に美味しい。すごいよねっ。
気分上々、ランランルン♪ 千鳥足にスキップを混ぜて飲み屋街を歩く。
「そういや金束さんはどうなったのかな」
……何を呟いているんだ。どうでもいいでしょ。
自らで水を差してしまった。勝手に出た呟きを消すように息をつき、少し歩を早める。酔いが醒めないうちにさっさとラーメン食べて家に帰ろう。
「ねーねー、金束さんまだ飲み足りないっしょ。俺と飲み直そうぜ」
「嫌よ」
「そんなこと言わないでさ~」
よくある大学生の浮かれた会話なら無視した。しかし、会話の中に聞き覚えのある声が聞こえた。
社会人や大学生で賑わう飲み屋街の大通り。僕の進む方向、数メートル先の前方、飲み屋の出入り口に、二人の男女が立っていた。
「みんなカラオケ行ったじゃん。だから俺らは二人でさ」
「嫌よ」
「俺ん家来る? 酒いっぱいあるよ」
「行かないわ!」
男子は軽快に誘い続け、女子は頑なに拒否する。鋭い目で睨みを効かせる女子は、金束さんだった。
「俺ん家でもっと飲もうぜ」
「飲まない。美味しくないわ」
「えぇー金束さんビール飲めない系? 俺が教えてあげるよ、色々とね」
「しつこい!」
肩に乗せようとした男の手を、金束さんは勢いよく弾いた。怒りを露わにし、その場を去ろうとする。
「待てよ」
それよりも早く、男は回り込んで金束さんの体を壁に押し込んで、さらに迫った。
軽い口調ではなかった。恫喝のような太くて怖い声で言い寄られて、金束さんの声が弱まる。
「は、離しなさいよ!」
「いいから来いって。言うこと聞け」
「い、嫌って言ってるでしょ」
詰め寄り攻め続ける男と、狼狽える金束さん。
僕はその光景をずっと眺めていた。なんとなくだが、何が起きているのかを把握した。
サークルの飲み会終わり、男子が金束さんを誘っている。金束さんが断ろうとしても男子は執拗に迫り、それどころか力で無理やり従わせようとしている。
「ガード固すぎ。酔ったら平気だって」
「や、やめて……」
僕は驚いた。男性が女性を誘う光景は飲み屋街で幾度となく見てきたので、それに関しては驚かない。
ビックリしたのは、気が強くて怖い金束さんが弱り果てていることについて。最初は怒号に近い声で拒否していたのに、今は成す術なく攻め負けている。金束さんがあんな風になるなんて……。
どうやら男はかなりのやり手だ。やり手とは、つまり、その、女遊びが慣れているってことで、大学生言葉で言うところのワンチャンで、今から金束さんはお持ち帰りされるってことで……。
「はいじゃあ行こうねー」
「嫌よ、や、やめて……っ」
ああなっては金束さんも抵抗出来ないらしい。このまま男の部屋に連れ込まれて、その先は……。
はっ、いい気味だ。僕に無茶を言い続けてきたんだ、あなたも無理やりってのを味わうがいい。
さて、僕は予定通りにラーメンを食べて帰宅しよっと。
「わ、私は……嫌っ、っ、助……っ!」
……僕は何をやっているんだ。
気づいた。金束さんが酔っていることに。
ビールを飲んだにしろ、カクテルを飲んだにしろ、先の飲み会で酔ったのだろう。普段の彼女とは違う仄かに赤い顔を見て気づいた。
そして気づいた。金束さんが怖がっていることに。
僕に散々向けてきたあの強烈な鋭い眼光はどこにもなく、代わりに瞳に写るのは弱々しい微かな光と潤み。誰か助けを求める今にも泣きそうな目、辛そうな息づかい。
だからといって僕が助けに行く道理はない。僕らは知り合って四日程度の間柄で、ただの変てこな協力関係。
しかも金束さんは酷い人だ。殴るし、睨みつけるし、命令してくるし、とにかく酷い。この四日間で僕の精神がどれだけダメージを受けたことか。
そんな人を助けてあげる必要はない。ないはずだ。
「その手を離せ」
ないはずなのに……僕は何をやっているんだ。
知り合って四日程度の変てこな協力関係。仲良いとは言えないし、友達とも思えないし、僕は散々こき使われた。助ける道理はない。
なのに、手に力がこもる。助けなきゃと思った。体が動いた。心が動けと叫んだ。
二人の間に割って入り、男の腕を掴む。金束さんを男から隠すように、守るように、立ち塞がる。
そして後ろを振り返り、
「み、水瀬……?」
「大丈夫。僕に任せて」
僕は金束さんに笑顔でそう言った。