72 一日目終了
模擬店で珍しい物を食べたり飲んだり、イントロクイズや実行委員の企画を見たり遊んだり、大学には無数のサークルがあることを改めて知った一日だった。
一日目のメインイベント、アーティストの演奏を観終えた僕と月紫さんは学校を後にする。
「楽しかったですねっ」
「うん。たこせんとベビーカステラが美味しかった。意外とビールに合うかもしれない」
「私は研究室体験ツアーが面白かったです。意味は全く分からなかったですけどっ」
「理系なのに……?」
「あ、お父さんから返信が来ました。『学園祭楽しそうだな! お父さんもビールが飲みたくなってきた! なーんてな、冗談だよブハハ! 頼むから飲ませておくれ。お母さんに伝えて。頼むから』ですって」
「後半の必死さが聞くに堪えない……」
空は暗く、大学を出てしばらく経つのに辺りは未だに学生の騒がしい声。この熱気は翌日のフィナーレまで冷めないのだろう。
「皆さんウェイウェイ言っていますね。FPSだと自分の位置を晒しているようなものです。ヘッドショットしたいです」
「たまにFPS目線で語るけど月紫さんってゲーマー?」
「ゲームはそれなりにしますよ。あと私は永湖です。そろそろ名前呼びを定着させてくださいーっ」
「ぜ、善処します」
「なんだかゲームがしたくなりましたっ。今から水瀬君のお部屋に行ってもいいですか?」
「いいよ。ゲームしながら飲もう」
「やったー」
喜ぶ月紫さんを見ると僕も笑ってしまう。
最初は嫌々だった学園祭を楽しめたのは月紫さんのおかげ。まさか僕が人並みに学園祭を歩き回るとはね。
「では行きまし……あっ」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。今日はお母さんが来る日でした」
そう言って月紫さんはしょんぼりと肩を落とした。とてもガッカリした様子。
「それは仕方ないね」
「……放置」
「ほ、放置? だ、駄目だよ。実母を放置はよろしくないよ?」
お母さんを優先してあげてよ。なんで僕の部屋に行くことを第一に考えているのさ。
「僕に気を遣わなくていいよ」
「むむ~……あうぅ、非常に残念極まりないの塊です」
極まりないの塊。聞いたことのない強調表現だ。
「ゲームはまた今度。あ、帽子返すよ。ありがとう」
「被せてください」
「は、はい、これでいい?」
「あううー、うぐー」
「すごい表情だね」
「……バイバイ」
ニット帽を被せてあげると、どんよりしていた月紫さんがニッコリ笑う。けどすぐに元のどんよりな表情に。い、色々な感情が混ざり合っていますね。
月紫さんはアパートの前まで来てくれて、踵を返して帰っていく。その後ろ姿もどんよーりとしていた。
月紫さん、もしかして……。
「そんなにゲーム&ビールがしたかったのかな?」
ゲームとビールの組み合わせを楽しみにしていたのか。うんうん分かるよ、ゲームしながらのビールは最高だよね! 今度来た時は最高のゲームビールを提供してあげよう!
「さて、今日は歩き疲れた」
分厚い雲が月を覆い隠す。夜空を見上げていた目線は前へと向ける。
楽しかったとはいえ、僕のキャパを超えた一日だった。帰ったら一杯ひっかけてすぐに寝ようっと。
「ウェイウェイウェイ」
「ウェイウェーイ」
疲れた僕とは違って大学生共はまだ元気だ。これから一日目終了の打ち上げをして、二日目は二日酔いで迎えるのだろう。そして二日目も暴れ楽しむ。すごいバイタリティーだ。
僕は遠慮しておくよ。今日は早めに寝て、明日こそ一人酒。浮かれ気分でアパートの階段を上がる。
「……ん?」
階段を上がり、共用廊下を見ると、僕の部屋の前に誰かが座り込んでいた。
暗くてよく見えず、近寄っていくと……キラキラの綺麗な髪が……あ。
「金束さん?」
「ぁ……水瀬……?」
名前を呼び合い、腕の中に沈めていた顔を勢いよく上げた金束さんと目が合う。
「水瀬だ……っ」
金束さんの顔に嬉しそうな微笑みが浮かんだのは気のせいだろうか?
たぶん気のせいだ。もう一度よく見れば、とてつもなく鋭い瞳がこちらを睨みつけていた。
「遅い! どこに行っていたのよ!?」
「ひえぇ!?」
「馬鹿馬鹿! いつまで待たせるのよもう終わったじゃない!」
金束さんが怒る。鋭い瞳、膨らんだ両頬、ふんわりウェーブの毛先が今は逆立っていた。
立ち上がった金束さんが僕の胸をポカポカと叩いてくる。痛くないけど、目は超怖かった。
「電話に出なさいよ!」
「電話って……ぎゃあ!?」
思わず悲鳴をあげてしまう。スマホの画面には金束さんからの通知が何件も入っていた。ボッチの携帯電話にあるまじき通知の量。
「ご、ごめん、気づかなかった」
「馬鹿! アホ! ま、まさか、アンタ学園祭に行ってたんじゃ……」
睨みを効かせたまま、口をへの字にする金束さん。
僕は恐る恐ると頷く。への字はさらに歪み、両頬がぷっくりと膨らんだ。
「むがーっ!」
そして一気に吐き出す。息と共に怒号含んだ一声が僕を吹き飛ばさんばかりの勢いで放たれた。
「え、え?」
「勝手に行かないでよ! 私はずっとここで待っていたのに……!」
「待つって、どういうこと?」
「決まってるじゃない! アンタと一緒に学園祭に行……うぅう、言わせないでよ!」
またしても頬を膨らませる金束さん。その頬は赤みがかっており、僕を叩く手は慌てふためいていた。
「馬鹿! 水瀬の馬鹿ぁ!」
「お、落ち着いてよ」
「うるさいうるさい! 学園祭終わっちゃったじゃない……!」
金束さんのポカポカが止まらない。何十回と僕の胸を叩き、次第に声は小さくなっていく。
「が、学園祭に行きたかったの?」
「……」
アパートの頼りない電灯では彼女の表情は見えない。
うずくまり、叩き続けていた両手は開いて僕の服を掴んだ。
「金束さんは僕と同じで大学生のやる学園祭には興味ないと思っていた」
「うるさい……」
「……」
ごめん、そんなことなかったね。聞き返せば君はそうやって強がる。大学生のノリが嫌いと言う。
だけど実は楽しみにしていた。毛嫌っていても、本当は学園祭を見て回りたかった。
「馬鹿……」
「電話に気づかなかったのは本当にごめん」
「……」
「痛くないけど爪を食い込ませるのはやめてください。ふ、服が裂ける」
「うるさい。馬鹿。水瀬の馬鹿。アル中」
「最後の罵倒は今関係ないっす……」
「……」
「あー……良かったら明日行こうか」
「……学園祭に?」
「うん。一緒に回ろうよ」
行こうと提案し、学園祭と聞かれて肯定すると、金束さんは顔を上げた。濁った白の電灯が彼女の顔を照らす。唇を尖らせながらも、その表情は花開く。
「う、うんっ。行くわ」
「分かった。楽しみにしているよ」
「うん! ……あ……ふ、ふん!」
薄暗いアパートの廊下。ハッキリと見えたわけじゃない。
それでも綺麗だった。可愛かった。嬉しそうに無邪気に、素敵な笑顔で「うん!」と言った金束さんがいた。
直後には「ふん!」と言ったけどね。そんな強がりの仕方も金束さんの持つ一面だ。
「あはは……えっと、髪切った?」
「切っていないわ。髪型を変えただけよ」
「ごめん、そういうのに疎くて」
「……明日、ちゃんと見てよね」
「うん」
「ふん」
「今日はもう帰る?」
「入れなさい」
「はいはい」
鍵を開けて、僕に続いて金束さんも玄関に入る。部屋の電灯を点けた時にはいつもの不機嫌な表情になっていた。
「お茶」
「今用意するよ。今日は待たせて本当にごめんね」
「別に。待っていないわよ」
「履歴を見るに午後からずっと待っていたみたいだけど」
「うう、うるさい! 水瀬の馬鹿!」
「まだ言うか」
「お茶!」
「はいはいぃ……」
足音立てて僕の横を通り過ぎていった金束さんが座布団の上に座る。
僕はグラスにお茶を注ぎ、自分の分の飲み物を用意する。
「ビールは……今日はやめておくか」
缶ビールを冷蔵庫にしまい、僕もお茶にする。
明日飲めばいい。明日も学園祭だ。
「水瀬!」
「い、今持っていくってば」




