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71 学園祭

 後期が始まり、日が経つにつれて学内は活況を呈するようになる。授業を抜けて買い出しに行く者、広場でダンスの練習をする者、冷蔵庫や調理器具を運ぶ人がいれば正門に看板を立てかける人もいた。

 大学における最大で最高のイベント。まさに大学全体を巻き込んで盛大に行われるそれは文字通りのお祭り騒ぎ。


「学園祭、か……」


 今日と明日は学園祭。キャンパス内にはサークルや部活が催す様々な模擬店。野外ステージでカラオケ大会やお笑い芸人の漫才。教室では文科系サークルの展示や映画サークルの上映会やバンドの演奏。等々、さすが大学の学園祭である。


「うめぇ~」


 盛り上がっている最中であろう土曜のお昼過ぎ。僕は部屋でビールを飲んでいる。枝豆ビールが最高でございます。

 学園祭? 陽キャ向けのイベントだ。僕は行きません。


「露骨に利益を求めた値段設定のビールを飲む気にはならないね」


 価格以前に学園祭で飲むビールは美味しくない。僕はそういったタイプの人間さ。なので今日は一歩たりとも外には出ないつもりだ。根暗で結構。今日と明日は部屋に引きこもる。


「何して飲もうかなーと」


 事前に買い込んだ食材とビールをテーブルに広げてホクホク笑顔。僕は嬉々として開幕を告げる。


「レッツエンジョイ学園祭in自宅の始まりだ!」

「むめもま水瀬君ーっ」


 だから、なぜ、僕が一人酒ワッショーイと決めた途端に人が来るんだ。

 はいはい……諦めますよーだ。


「こんにちは、永湖さん」

「一緒に学園祭に行きませんかっ?」


 やって来たのは月紫さん。デニムのロングスカートとグレーのトップスはシンプルにまとまっており、ネイビー色のニット帽を被った姿はこれ見よがしに主張することなく控えめに甘さと女の子らしさを感じさせる。抜け感あるゆったりとした着こなしはお世辞抜きで可愛らしかった。

 月紫さんのファッションは非常にグッドだが、僕のテンションはノットグッド。


「僕は行かないよ」

「え~」

「え~、じゃないです。学園祭は選ばれし人間しか参加出来ないんです」

「水瀬君は落選したってことですか?」

「出願してもいないよ」


 最初から行くつもりがない。たとえビール飲み放題のイベントがあっても、好きなアーティストや芸人がゲスト出演することになっても、そこには陽気な大学生がいる。……会いたくない人もいる。


「せっかく誘いに来てくれたのにごめんね。僕なんかじゃなく、学科の人と行って来なよ」

「水瀬君と行きたいんですっ」


 う、嬉しいこと言ってくれるじゃありませんか。グッときたぞ。


「気持ちはありがたいけど遠慮しておく」


 今回ばかりは僕も意志が強いぞ。月紫さんが何を言おうと、この部屋から出るつもりはない。早々に諦めてください。

 自分なりにツンと素っ気ない態度で月紫さんを突き放す。


「僕のことは気にせず永湖さんは学園祭を楽しんでき……ぁ」

「駄目ですか……?」


 ……月紫さんが眼鏡を外していた。超絶美少女が僕を見つめてくる。


「あ、いや、その……」


 眼鏡を外して上目遣い。その破壊力は抜群で、僕の固いはずの意志は瞬く間に半壊した。

 なんという威力。これが上目遣い……!? うっ……た、耐えるんだ。


「お願いします。一緒に行こ……?」


 上目遣い。そして袖くい。月紫さんが僕の袖口をくいくいと引っ張ってきたのだ。


「……」

「水瀬君ー……」

「はぃぃ」


 僕は自分の顔が上から下へ動くのを止められなかった。











「わぁ、たくさんお店がありますね」

「そうですね……」


 負けた。勝てるわけがないよ。眼鏡を外した月紫さんの上目遣いと袖くいを受けたら首は縦以外には動かない。可愛すぎるもん。

 現在、眼鏡をかけ直した月紫さんに連れられて僕は学園祭へと来てしまった。

 着ぐるみやコスプレや奇天烈な髪色髪型の集団が堂々と歩き、多種多様な模擬店が並ぶ大学構内に陽気な声が響き渡る。


「ところで水瀬君はなぜサングラスをかけているのでしょうか」

「気にしなくていいよ」

「では気にしません。水瀬君、水瀬君っ、ビールが売ってあります。買いましょうっ」


 月紫さんも楽しそうだ。割高なビールを買って僕にも渡してきた。これはどうも。

 ……月紫さんはどうして僕を誘ったのだろうか。


「う、うぅ、うぐぅ~……飲めましたっ」


 ほんのちょっとだけビールを口に含んだ月紫さんが苦い顔して必死に口を閉じる。ぷるぷる微振動して飲み込むと、僕を見て満面の笑みを浮かべた。


「よ、良かったね」

「はいっ。水瀬君のおかげで少しだけ飲めるようになりました」


 ほんの少しね。それこそ舐める程度の量を飲めるようになっただけ。

 月紫さんにとっては大きな進歩。訓練に付き合ってきた僕としても喜ばしい成果だ。


「あ、向こうでレッドピアミッドシングのコスプレをした人がいます。写真を撮ってお父さんに『私も現実世界で見かけたよ』と報告します」

「ちなみにお父さんは元気にしている?」

「元気ですよ。最近は拘束具をつけられているそうです」

「症状が悪化しているのは分かったよ……。もう一つ聞いてもいい?」

「なんでしょうかっ」

「どうして僕を誘ったの? 友達と行けば良かったのに」

「? 私と水瀬君はお友達ですよ?」


 月紫さんはきょとんとした顔で首を傾げる。友達と呼んでもらえて嬉しいのは置いといて。


「そうじゃなくてね、女の子なら女の子の友達と一緒に行くでしょ。男の人と二人で来るのは、その……」

「私達まるで付き合っているみたいですねっ」

「そ、そういう風に見られてしまうかもしれないんだよ?」

「えへへ~ぇ」


 とろとろに緩んだ声だった。

 動揺しまくっているのは僕だけ? 付き合っているみたいと言われてドキドキが止まらないのですが?


 ……いやいや、落ち着こう。月紫さんは言った。友達だと。

 付き合っているみたい、そうは言っても僕を誘ったのはあくまで友達として。ここで僕が「ひょっとして月紫さんは僕に気がある?」と浮かれるのは大恥をかくことになる。


 何度も言わせんな。一年生の時に思い知っただろ。


 そうだ……あの人は……っ。


「水瀬君? 辺りをキョロキョロされてどうしたのですか?」

「なんでもないよ」


 探してみたが、あまりの人の多さに諦めた。これだけ人がいるのだからバッタリ遭遇することはないだろう。

 それでも……不安になる。サングラスをかけ直して下を向く。


「誰か会いたくない人がいるのですか?」

「へっ? あ、いや、その……うん」

「だから学園祭に行きたくなかったのですね」

「そうだね……ごめん、気分を害して」

「わわっ、水瀬君が謝ることないです! 私だって元サークルの人とは気まずいから会いたくないですよ」


 僕が下を向き、月紫さんは下から僕を覗き込む。艶やかなショートボブの前髪を手で流し、ニコッと笑いかけてくれた。大きく丸い眼鏡の奥で、優しい瞳が僕を見つめていた。


「私の方こそ無理やり連れてきてごめんなさい。嫌になったらすぐ帰りましょう!」

「……ありがとう。永湖さんは優しいね」

「水瀬君には遠く及びませんっ。私の優しさが50ccなら水瀬君の優しさは200ccのスター状態ですっ」

「例えがよく分からない!」

「んーと、こっそりコソコソさんとして忍びたいのならサングラスだけでは心許ないですね。びみょいです」

「びみょい……」

「なのでこちらをお被りください。えいっ」


 月紫さんはニット帽を外すと、僕の頭に被せてきた。


「へ?」

「似合っていますっ。ラッパーさんみたいですっ」


 頭が温もりで包まれる。月紫さんが被っていた帽子が今、僕の頭に……?


「ぐ、ぐおおおぉ……!?」

「水瀬君が悶えていますっ。苦悶の表情っ、不穏が少々っ、どうした美青年、帽子は未経験?」

「永湖さんの方がラッパーじゃないか……!」


 帽子は未経験じゃないが、女子が被っていた帽子を被るのは初めてだ。ドキドキするよ心臓は、時々くるよ緊張が!


「これなら水瀬君と気づかれませんよ。行きましょうかっ」

「い、行きましょう」

「レッツ&ゴー&ぐおー、ですっ」


 笑いに変えて僕を気遣う月紫さん。彼女のその勢いと優しさ、ニット帽の温もりに困惑する。今の僕はどんな表情をしているだろう。


「あ、永湖さん、髪の毛に糸くずがついているよ」

「取ってくださいっ」

「ひゃ、ひゃい取ったよ」

「え、えへへぇ~」


 月紫さんが嬉しそうに笑顔を浮かべ、僕は自分の顔が綻んでいくのが分かった。

 楽しめるわけがないと思っていた学園祭を、僕は楽しく過ごせるような気がしてきた。

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