7 今日も来た
公園を出てから休むことなく全速力で走る。アパートの前に到着した頃には、顔のビールは渇いていた。
「うぅ……おぉぉん……!」
嘆きの慟哭が止まらない。悲しい、僕は悲しすぎる。どこの世界に女子から三発もビールを噴きかけられるボッチがいるだろうか。
「吐きそう……っ、駄目だ、吐いてはいけない」
全力逃走の反動が今になって襲いかかり、嗚咽と共に過度な精神負担による吐き気も込み上げてきた。
僕は必死に抑え込む。絶対に吐くな。自らが決めた戒めと覚悟なのだから。
「……帰ろう。我が家は目の前だ」
力なく階段を上がる。
散々な買い物だったけど、帰ったら至福の一人酒タイムだ。傷ついた心をビールで潤わそう。
玄関の前に到着した頃にはテンションは回復してきた。一人酒の至福を思うと足取りが軽くなりましたとさっ。
「遅い。何してたのよ!」
はい足取りが重くなったとさ。テンションは再び最悪。
家の中には、今日は来ないと踏んでいた人物が普通にいた。金束さんがリビングで普通に座っていたのだ。
「き、今日も来たんだね」
「当然よ。あとドアが開いていたわ。不用心ね」
「今後は必ず施錠することを心がけます」
「それだと私がズカズカと入れないじゃない!」
「ズカズカはやめてください」
なんだこいつは、と何回思ったか。
金束さんはツン、と口を尖らせて、ふんっ、と鼻息を荒げる。機嫌はイマイチみたい。てかいつも良くはない。
僕は鉄球をつけられたかのように重たい足を引きずり、力抜けて買い物袋が床に落ちる。
「いらっしゃいませ。今日も美味しいシチュエーションを所望でしょうか」
「アンタ、少しはまともに話せるようになってきたわね」
精神の疲れでヤケクソになっている部分もあるが、四日も連続で会えば臆することはなくなりましたよ。慣れとは恐ろしい。
「今日は飲まないわ。だってこの後……ちっ!」
「ひぃ!?」
早々に前言撤回。恐ろしいのはやはり金束さんです。
「今日は夜にサークルの飲み会があるのよ」
「は、はあ」
「テスト前飲みなの」
なるほど、大学生らしいですね。大学生は何かある度に、いや、何もなくても飲み会を開催する生き物だ。僕には理解出来ませんがね。
それは金束さんも同じらしく、不満を爆裂させている。
「テスト前飲みって何よ。テスト前なら飲んだら駄目じゃない!」
「お、おっしゃる通りで」
「どうせまたカクテルばっかの飲み会だわ。最悪よ」
「だったら行かなかったらいいのに」
「それは逃げたみたいで嫌なの!」
金束さんはプンプンと、あ、いや、ブォンブォン!と暴風雨の如く荒々しく地団駄を踏む。僕の床が……。
怒りが収まらないのか、舌打ち混じりに毛先を指に絡める。
「憂鬱だわ」
「は、はあ」
「アンタはサークルの飲み会とかないの?」
「僕は何も入っていないので」
サークルや部活には所属しておりません。飲み会を開く気心知れた友も一人しかいません。大抵が一人酒。悲しき男子大学生です。
「悲しい男子大学生ね」
僕もそう思っていたところだけど他人に言われるとなんか腹立つね!?
「気楽でいいわね。私は……ふんっ!」
胃が痛い。穴が開きそう。あ゛ぁ゛、僕はなぜこの人の不機嫌さに付き合わされているのだろうか。
四日連続で女子を部屋にお招きして最多記録~、なんてものは最早嬉しくもなんともない。というかなぜ今日も僕の部屋に来たの?
「飲み会を控えているなら僕の部屋に来なくてもいいのに……」
「何か言った?」
僕らの関係はビールが起因している。ビールを飲まないなら、僕らが会う必要性は皆無だ。
何より僕は休みたい。謎の不思議おっとり女子にビールを噴きかけられて死にそうなんです。お酒が好きでも時として休肝日が必要なのと同様に、今の僕には休心日が必要なんですよ。
金束さんの愚痴に付き合う気も気力も残っていない。はぁ、嫌だ嫌だ。勘弁してください。
……無地のニットトップスとミモレ状の藍色スカートの組み合わせ。大人っぽくもコンパクトなシルエットのコーディネートで、毛先を波打たせた明るい色の髪に映えている。
とても似合っていて、すごく綺麗で、本当に可愛い。そう思って、まだビールを飲んでいないのに心が潤った。勘弁してくださいと思いつつ、普通に喜んでいる自分がいた。
うっ……だってしょうがないよ。オシャレな美人と話せるのは普通に嬉しいもん。可愛いは正義、とよく耳にするけど……うん、分かる気がする。
「何か言った、って聞いてるんだけど」
「イエナニモ!」
「何か言いなさいよ!」
「え……えへっ?」
見惚れていた僕が慌てて苦し紛れに絞り出したのは、自分でも気持ちの悪い笑顔。さすがボッチ、愛想笑いが下手くそ。
当然、金束さんの顔色が良くなるわけがない。寧ろ悪化した。
「気持ち悪い。キモイ」
「ひいいぃ」
「ふんっ」
この人いつも「ふんっ」って言っている気がする。嬉しいこととか笑うことはあるのだろうか? 大学生活楽しい? ボッチの僕の方がエンジョイしているのでは?
「アンタに顔を見られるの不快だわ。こっち見ないで」
「す、すみません」
「私お茶」
「へ?」
「お茶」
「冷蔵庫に入っていますよ」
「お茶!」
「仰せのままに!」
僕はもしかしたら協力者というより下僕なのかもしれないね。
お茶を注いだコップをテーブルに置き、自分は部屋の隅でちびちびとビールを啜る。ほろ苦いっす。
……やっぱり思う。この人は大学生活が楽しいのだろうか……?
「金束さんはどうしてサークルに入ったの?」
「別に。過去問の為よ。そんなものでしょ」
「そんなものなのかぁ」
「後悔してるけどね。寄ってくる男子がウザイわ。ほら、私ってモテるから」
「知らないよ……」
と言いつつ、僕はもう一度金束さんを見る。
ベージュとピンクアッシュの派手な髪色はギャルっぽくて、今時の大学生って感じ。男子受けはすごく良いだろう。オシャレだし顔は綺麗だし……胸は大きい。綺麗で巨乳って、それでもう大半の男子は目を奪われる。こんな子がいたらチャラい奴は話しかけて当然だ。
そして、こういった外見の女子は男子にチヤホヤされるのが好きで、グループを動かす中心的存在になる素質を持っている。
「軽い男が軽いお酒を飲んで軽々しく声をかけてるのよ。この後暇ー?って。図々しいわ」
「あなたも図々しいですけど」
「は?」
「イエナニモ」
「ふんっ。ビールも美味しさを薄っぺらく語って半分以上も残すんじゃないわよ。本当ムカつく!」
むっちゃキレてる。他の人は望んでも手に入れられない容姿を持って、誰もが憧れるポジションにいるはずなのに毛嫌いしている。あぁ、大学生が嫌いなんだよね。
外見はリア充な見た目のくせに、内面はリア充を嫌っている。本来なら金束さんのような人は軽いお酒と軽い男が好きなはずなのに。
「ビッチみたいな外見のくせに変な人だなぁ」
「はぁ!?」
しまった、声に出してしまった。
僕は即座に土下座の体勢に入る。あと悲鳴の準備もしよう。せーので「ひぃぃ!」と叫びますね!
「ビッチって言わないで! 私はまだしょ……」
「しょ?」
「な、なんでもないわよ馬鹿!」
「痛い! いや痛くないけど!」
金束さんが激怒して手をグーにして僕の鼻柱に拳を放った。
痛くはない。この人は力が弱いから。だが精神ダメージは大。僕の精神は死……あ、既に致死量を超えた後でしたね。はい、てことでオーバーキルでした。休心日をください……。
「ふ、ふんっ。大学でしか髪を染められないからやってるだけよ。ビッチって言うな!」
「……誰とも付き合ったことないの?」
「うるさい馬鹿!」
「すみましぇん!」
「甘噛みするな!」
「甘噛みは許して!?」
成り行きとはいえ、僕はどうしてこんな人に協力しているのだろうか……。
はぁ、一人酒が恋しい。
「お茶お代わり」
「だから冷蔵庫に入っていますから」
「お代わり!」
「はい直ちにぃ!」