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69 後期開始

 休み明けの大学はしんどい。

 高校時代と同様、座学というものは何かと眠気を誘う。この大学のこの教授の講義を受けたかった等と勤勉な学生は例外として、大半の学生は難しい専門用語を聞かされても響かない。単位の為とはいえ、第一回目のガイダンス混じりの講義は身に入らない。


 だから休み明けの大学はしんどい。ほとんどの人がそうである中、僕だけは別の意味でも嫌な気持ちになっている。


「今更来たのかよ。初回からサボりとかレベル高ぇな」

「起きれんかったわー」

「ういー、インスタ見たけど海外行ってきたの?」

「停電ばかりでマジ焦った」

「お前練習来いって~。学園祭まで時間ねぇじゃん」

「ごめんて。今日は久しぶりにどのバイトも休みだからスタジオ予約しといて」

「十八切符ヤベェ。ケツが痛すぎる」

「俺よりマシだろ。原付で本州縦断してやった」


 講義が終わって教授が出ていった後も、誰も教室から出ることなく会話に夢中。夏休みをどう楽しんだかの報告もとい自慢話、ひいては武勇伝。

 その中で僕は一人、そそくさと荷物をまとめて席を立つ。


「つーか今日は学科飲みだったっけ?」

「マジかよ。練習してぇのに」


 大学生なら盛り上がって当然の話題だ。何も悪くない。

 悪いのは僕だけ。居心地悪いのは僕だけだ。

 同じ学部、同じ学科、同級生の威勢の良い声が嫌でも耳に入る。僕は一切口を開くことなく誰よりも先に教室を出る。それが次の長期休みまで続く。それだけのこと。

 ここに僕の居場所はない。ただそれだけのこと。




「まーまー、練習はいつでもばりばり出来るからいいじゃん。久しぶりなんだしみんなでめちゃ飲もーよっ!」


 ……すぐに教室を出て正解だった。


「また茉森が幹事か」

「アタシしかやる人いないもん。めちゃ飲んでごっつ盛り上がっていこー!」

「今日も死ぬほど飲まされそうでヤベー」

「そーそー、バンバン飲まなきゃ楽しくないもん」


 閉じた扉の向こう、教室からは同級生の弾ける声。一体感ある雰囲気が廊下にも伝わってきた。

 相変わらず楽しそうな声で仕切っている。快活で淀みなく悪意もなく、眩しいあの人の声。


「動揺しすぎだろ……」


 僕は走っていた。階段を駆け下りて、景色が変わる。全身の表面が痛いくらいに熱く、息を吸い込んで肺が凍えるように冷たい。

 いつまでみっともなく動揺しているんだ。いくら後悔しようが過去を羞恥しようが無意味だ。

 忘れてしまえ。そう決めてもう一年が経った。未だに僕は……。


「……帰ってビールを飲むか。それとバイトも探さないと」


 クヨクヨして引きずることはやめだ。彼らのような輝かしい華やかな大学生活は叶わなくとも、僕は僕なりに楽しめばいい。

 部屋にこもって一人酒。そして、誰かと一緒にいる時間を。




「あっ、水瀬君っ」

「おー、流世」


 学部棟を出て正門へと向かう僕に横から声をかけてきた人が二人。一人は眼鏡をかけたおとなしそうなおっとり女子で、もう一人は長身強面のネギ男。

 そうさ。後悔しても過去は変わらない。だけど、変わったものがある。


「永湖さん、不知火。こんにちは」


 僕にも友達ができたんだ。


「永湖? あぁ下の名前か。……ははーん、なるほど」

「し、不知火さんっ。茶化そうとするのはやめてくださいっ」

「そう言う割には顔がニヤつい、むぐっ」

「お口シャットアウトですーっ」


 意地悪い笑みを浮かべる不知火と、その不知火の口を塞ごうと手を伸ばす月紫さん。二人して楽しそうですね。


「なんだ流世、会話に混ぜてほしいのか」

「まあできれば」

「不安になるなって。俺と月紫は同じ講義を受けているからたまたま行動を共にしていただけだ」

「不安ではないよ」

「前にも言ったが俺と月紫は仲良くはねーからな」


 そんなこと言わないでよ。


「そうですね」


 つ、月紫さんまで。


「ましてや流世が選ばなかった方を慰めてゲットしてやるみたいなご都合主義満載のクソな発想もねぇから安心しろ。俺は祝福するのみだ」

「水瀬君が選ばなかった方? 不知火さん、どういうことですか」

「今は気にすんな」

「それ前にも言いました。……むー…………」


 あ、あの月紫さん? いきなり僕の腕をこすりだしてどうしたの。


「おーおー月紫が犬みてーだ」

「マーキングですーっ」

「あ、あはは? 二人は次の講義があるんじゃないの?」


 僕が構内の柱時計を指差す。すると不知火は、


「そうだったな」


 と言った。すると月紫さんは、


「う、うー……」


 と呻いて手を離す。渋々といった表情をされているような……?


「じゃあな流世、またウチに来いよ」

「水瀬君バイバイです、また遊びに行きますっ」


 二人はそう言うと、理学部棟の方へ向かっていった。


「不知火さん、水瀬君のこと教えてください」

「テメェこそそれ言うの何回目だよ」


 向かっている道中もお喋りする月紫さんと不知火。あれで仲が良くないの? じゃあ何について話しているんだろう。


「またね」


 僕は手を振って二人を見送り、その場を足早に立ち去る。急いでその場を離れたかった。

 ここで雑談していると、教室から出てきた同級生に会ってしまう。それを避けたくて二人を急かした。

 過去を引きずらないこととは別の問題だ。もし同級生が、僕が誰かと話しているのを見たらどう思うのか。月紫さんが悪く言われるかもしれない。


 それを避けたかった。それは嫌だった。

 僕のせいで嫌な思いをさせたくない。


「うし、今度こそ帰ろう」

「水瀬」

「……こんにちは」

「ふん」


 理学部棟へと入っていく不知火と月紫さん。その方向とは反対側から声をかけられた。

 煌びやかな髪、鋭くキツイ目つき、金束さんが僕の前に立つ。


「後期が始まったね。金束さんは授業終わり?」

「当たり前じゃない。考えたら分かるでしょ」

「は、ははぁ」

「アンタも授業終わりなの?」


 考えたら分かるでしょ、と言ったら駄目なんだろうなぁ。確実に「うるさい」もしくは「ふん!」で返されてしまう。


「今終わったところだよ」

「次の授業は? 経済史があったはずでしょ」

「それは来週から始まる」

「ふーん。じゃあ今日はもう授業ないわね」

「僕の時間割なのによく覚えているね」

「か、勘違いしないで。私の記憶力がすごいだけで別に水瀬の時間割を完璧に把握しているとかじゃないんだから!」

「ご、ごめんって、僕は悪くないけど僕が悪かったから大きな声を出さないで」


 辺りには人が歩いている。ジロジロ見られるのは元ボッチには抵抗があるんです。静かに暮らしたいんです。

 とりあえずは移動しましょう。じゃないと…………っ!


「ま、まあいいわ。私も今日の授業は終わったから、その、一緒に」

「金束さんこっち来て!」

「ひぅ?」






「バイトの先輩がマジ使えねぇの。俺の方が働けるって感じ」

「先輩ウゼーよな。つか俺の代が優秀すぎね?」

「言えてるわー」


 経済学部棟から出てくる同級生のグループ。彼らとはち合わせになったら僕と一緒にいる金束さんに迷惑が……。

 手を握り、金束さんを連れて走る。走って、逃げて、建物の裏に隠れる。


「ここでしばらく身を隠そう」

「っ……」

「急に連れ出してごめんね金束さ、あででっ!?」


 建物の裏。狭い壁際に身を潜める僕に、数多のパンチが飛んできた。全てが僕の顔面に被弾。ただし痛みはゼロ。ビックリしたけど。


「いきなり手を握らないでよ馬鹿!」

「でも緊急事態でして……あと声のボリューム落として」

「な、何よ、こ、ここで何するつもり……」

「ごめん、静かにして」

「ひゃう!?」


 あいつらがこっちに来た。僕は金束さんを引き寄せて奥へと隠れる。


「こっちに気づかないでくれ」

「っ、っ~……!」

「ふう……行ったか」


 こんな暗い場所には目も向けず、陽気な彼らは日光照りつける道の中央を歩いていく。

 姿が見えなくなり、僕は息を吐く。ぷはぁ、良かった……。


「っ、み、水瀬」

「……えーと、本当にごめんなさい」


 安堵して胸を撫で下ろしたい。そんな僕の胸元には金束さんがいる。僕が金束さんを引き寄せ、僕は金束さんの背中に両腕を回している。

 うん、絶対怒られる。激昂ルートだ。むがーっ、を覚悟しよう。


「……」

「黙るとそれはそれですごく怖いんですけど……!?」


 慌てて離れた僕を、金束さんはじっと見つめてくる。

 その顔は薄暗い建物の裏でも真っ赤に染まっており、さあ今から大声で叫び散ら……さ、叫ばないの? 僕は悲鳴を叫ぶ準備を整えつつありますよ?


「べ、別に」

「は、はあ」

「アンタもっと食べなさいよ。痩せすぎ」

「それ以前も言われましたね」

「……でも、今のままでもいい」

「……」

「な、何か言いなさいよ」

「怖い」

「何が!?」

「ひぃぃ!」


 怒らないのが逆に怖い。あると思いましゅうううぅ!?


「ふん! ところで水瀬…………アンタの腕……別の人の匂いがしたんだけど……」

「匂い? ああ、そういえば月」

「おっ? あの後ろ姿は、根暗っちー!」


 背後から僕の名前を呼ぶ声。まあ名前ではなくあだ名か。


「あ、あいつ……! 隠れるわよ!」

「いやたぶん僕は手遅れ。金束さんだけでも隠れて」

「でも……」

「安心して。なんとかする」

「う、うん」


 金束さんには壁際に隠れてもらい、僕は後ろを振り向く。

 遠くから走ってくるツンツン頭の金髪の男。こちらへ近づくにつれてチェーンや金属のチャラチャラとした音が聞こえてきた。


「ウェイ☆ お疲れっす☆」

「元気そうだね、日凪君」


 僕は両手を前に出して日凪君に止まるよう指示する。近づかないでね。


「ウェウェイ、距離を置こうとしないでよ根暗っち~」

「もしもし不知火?」

「半径三メートル以内には近づかないので勘弁してください」


 僕の電話をかけるモーションに異常な畏怖を示した日凪君が両腕を上げて降伏のポーズ。顔は青ざめているかと思いきや、存外いつもの浮ついたスマイルのままだった。微かに目尻が痙攣しているが。

 ……元気そうだね、本当。


「この前はマジサーセン。今後は何もしないから安心してっしょ!」

「すごいね。不知火に相当絞られたのに」

「いやあの本当勘弁してください。思い出したくねえっす……」

「……その割には今まで通りチャラついているね」

「それはモチモチ☆ チャラ男はモテるっしょ? あれぐらいじゃ俺っちへこたれないぜ」

「もしもし不知火?」

「いやあの本当にお願いしますからネギっちには電話しないでください。即刻帰りますから」


 不知火召喚が余程怖いらしく、ツンツン金髪頭を深々と下げた日凪君は目にも止まらぬ速さで踵を返して走り出す。

 ビクビクしていた顔はこちらを振り返った時には元のチャラ笑顔に戻っていた。


「ウェーイ☆ これからはマブダチとしてしくよろー☆」


 その姿はあっという間に点になった。

 相変わらずのチャラついた態度と口調だったが、不知火の名を出すと途端に真顔になる。キャラの崩れが目立っていた。


「精神がタフなのか脆いのか、よく分からない人だな」

「……」

「あ、金束さんもう出てきていいよ」

「あいつウザイわ。大嫌い」

「は、はは。これからも大変そうだね」

「どうしてよ」

「同じサークルだから」

「私はサークル辞めたわ」

「辞めたの?」

「過去問とかどうでもいいわ。少しでも水瀬と一緒にい……か、帰るわよ馬鹿っ!」

「えぇー……?」


 不機嫌になってしまった金束さんを宥めつつ、僕は帰る。家に着くまでに美味しいシチュエーションを考えながら。

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