64 ビアガーデン
日没と入れ替わりで建物に明かりが灯る。街路に面している大小のビル群の一つ、百貨店。その一階で僕は信号を渡りこちらへ歩いてくる女性に向けて手を振る。
「こっちだよ、金束さん」
「待たせたわね」
「待っていないよ」
「ふん」
「えぇー……」
「行くわよ」
袖にリボンがついた白のシャツにピンコッタのスカート。上品に着こなす金束さんは手で髪を流して無愛想な態度を取る。
どこかお高いブランドの服なのだろうか。はたまた典型的な女子大生コーデなのだろうか。どちらにせよとても似合っていた。何を着ても似合っているし綺麗だなぁ、って、げほげほん。僕は金束さんに見惚れすぎだっての。
「久しぶりね」
「何が?」
「アンタと会うの」
「そうかな? 数日ぶりじゃない?」
「数日も経ってるじゃない!」
「え、えぇ~……?」
理不尽なお怒りを受けた。理不尽なのは毎回だったね。あっはっは。
怒られたのに笑ってしまう僕の感覚は麻痺しているのだろう。あっはははー……。
「初めて行くわ」
「あ、そうなんだね。楽しいと思うよ」
「楽しくなくていいわよ。ビールが美味しいならなんでもいいわ」
「そ、ソウデスカ」
僕らが向かっているのは、ビアガーデンだ。
「ビアガーデンってどういうところなの?」
「屋外にある飲み屋って感じ」
「ふーん」
僕がザッと説明した通りだ。ビアガーデンはデパート等の屋上で夏のシーズンに催されている。
夜空を見て夜風に吹かれ、室内の居酒屋とは違った雰囲気で飲むキンキンに冷えたビールがたまらない! サラリーマンに人気のスポットである。
「本当に美味しいシチュエーションなのよね?」
「うーん、どうだろう」
「はぁ?」
「あひ!? や、その、ビールを好きになるなら一度はビアガーデンを体験した方が良いかなと思いまして」
ビアガーデンに行こうと提案したものの、正直に話すと自信がありません。実は僕もビアガーデンは初めてだ。ビアガーデンにおける流儀や飲み方を知らない。
「満足してもらえるか保障出来ないけど、ま、まぁ今回は良シチュを見つける為の勉強会ってことで納得してください」
「ふん」
「な、納得してくださぁい……」
エレベーターに乗って狭い空間に二人だけ。ピリついた空気が流れる。
あぁ、金束さんは早くもご不満なご様子だ。この感じは恐らく「ちゃんとした良シチュを紹介しなさいよ!」と言われてしまいそうだ。
「……いいわよ」
「金束しゃん?」
「噛むな」
「常に意識はしています!」
「……別に。今日はいいわ。必要な勉強ってことで納得してあげる」
「な、何よりでふ」
おぉう、助かった。怒られるとヒヤヒヤしたよ。冷えているのはビールだけでいいのにねっ。どやっ。
……全然上手くないね。上手いのはビールだけでいい、しつこいねごめんなさい!
「それに……」
それに?
「水瀬とどこかに行くのはそれだけで嬉……なんでもないわよ馬鹿!」
「な、なんか最近その切り方多くない? 最後まで言ってくれないと分からないよ」
「分からなくていい! ほら着いたわよ!」
エレベーターが開いて真っ先に金束さんが降りる。激しく音を立てて歩いている。
「ツンデレだなぁ」
「何か言った!?」
「あなたこそ何か言いかけていましたけど?」
「むがーっ!」
「わ、悪かったよぉ」
金束さんは「ふーん」「ふん」「ふんっ」「ふん!」の順に機嫌の悪さを示す。僕が発見した。それだけ怒られてきたって証拠ですね。あっははぁー……。
その中でも「むがーっ」は最上級。むがーっ、と唸った金束さんには何を言っても通じないのだ。
僕もなんだかんだ慣れてきたよ。それでも未だに噛むのはご愛嬌ってことで。元ボッチの弱メンタルなめたらいかん。
「水瀬!」
「は、はいはい」
僕は急いで金束さんの元に駆け寄る。
「ふーん、おじさんばかりね」
「サラリーマン憩いの場だもの」
受付を済ませて案内されたのはパラソルのついた丸テーブル。浜辺にありそうなプラスチック製の椅子に腰かけて早速ビールを注文。
辺りはスーツ姿の男性客で盛り上がっていた。赤い顔だらけ。ネクタイを頭に巻いた人もいる。漫画みたいだな。実在するのか。
「結構良い空間でしょ?」
「そうね。大学生の軽い声よりは耳障りは良いわ」
「な、何その基準は」
「料理は?」
「ビュッフェ形式だよ」
「サラダ」
「はいはぁい取ってきますー……」
僕は一人、席を立ってバイキングコーナーへ向かう。
友達になれたと思いきや依然として金束さんに従順なのは変わらない。嫌じゃないから別に構わないよ。……やっぱ麻痺してらぁ。
もしかして僕はマゾなのか。不安が胸中をよぎるも手はパパッと動く。お皿とトングを持って、盛っていく。
「サラダ、と。他にもウインナーやポテト等の軽食系も取っておこ」
お酒に合う肴を選ぶのは一人酒で培った。僕のバイキングセンスは中々です。
「お待たせ。……金束さん?」
「……」
テーブルに戻ると、金束さんはスマホを手に持っていた。
昨今の若者ならば少しの待ち時間でもスマホを眺めるのが常だ。隙あらばSNSとソシャゲ。金束さんもそうなのだろう。
……と思いきや、彼女はスマホを持ったまま動かない。指を使って上や下へスクロールさせることもせず、ずっと画面を見ているだけだ。
「えへ……」
動画でも観ているのかな。……笑っている。大きな瞳を細めて、頬を緩ませて、だらしのない笑顔を浮かべていたのだ。
この人でもとろける笑みをするんだ! 金束さんも人の子なのね。はえー。
にしても、なんだろう……随分と幸せそうな笑顔だ。嬉しくて仕方がない、って感情が表れている。
っ、可愛いな……。
「何を見てるの?」
「っ、っ~!? にゃんでもないわよ!」
話しかけたら金束さんは目にも留まらぬ速さでスマホを引っ込めた。フリーになった両手をバタバタと暴れさせ、顔は周りの泥酔リーマンよりも真っ赤、その顔のまま僕を睨んできた。
「うぉ? な、何?」
「なんでもないって言ってるでしょ」
「今、噛んだよね?」
「噛んでない!」
「何を見てたの? RT一万超えの面白動画?」
「動画じゃないわよ。待受画、っ、うう、うるさぃ!」
ちょ、あわわっ。しつこく聞いたのは謝るよ。だからテーブルを激しく叩かないで。リーマン達から注目されてるって! ネクタイを頭に巻いたおっさんが「おっ、ワシの出番かの?」とか言っているから! おっさん出番じゃないよ!
「ご、ごめんって。執拗だった」
「執拗よ! 何も見ていないんだから!」
「は、はひぃ」
「サラダ!」
「こ、こちらに」
「ふんっ!」
その後、ビールで乾杯してからも金束さんは怒っていた。ビールにはほとんど手をつけず、暴食気味にサラダを食べる。
「おかわり!」
「はいぃ」
怒っているというより、誤魔化しているように感じた。口調が激しいのも、暴食気味なのも、何か隠してる……?
「と、取ってきましたー……あ、また見てる」
そして僕が席を外している間はスマホを取り出してじっと画面を見ている。たまに指で拡大して、そんでやっぱりニヤニヤと嬉しそうに笑っていた。
「っ、見てないわよ! 別に普段からも見ていたり写真を現像したりしていないんだからね!」
「僕何も言っていないっす」
「ふんっ」
「えぇと、やっぱビアガーデンはつまらない?」
「別に。どうしてよ」
「ずっとスマホ見ているから」
「見てない!」
「……見」
「てない! サラダおかわり!」
「どんだけサラダ食べるのさ……」
ビールもビアガーデンの雰囲気も味わずサラダだけ食べるならファミレスのサラダバーで事足りるのでは? 僕は往復ばかりでビールを飲めていないし……。
「早く」
「い、行ってきまふ」
言ったところで「むがーっ」と返されそうなので僕はおとなしく席を立つ。頭にネクタイを巻いたおっさんが「兄ちゃんビール追加な!」と声かけてきた。すんません、ひたすら料理を運んでいるけど僕は店員ではないです。うぅ……。
「……水瀬とどこかに行くのはそれだけで嬉しくて楽しいわよ」
「ちょ、おじさん僕に空のグラスを押しつけないで。ごめん金束さん、何か言った?」
「な、なんでもないわよ馬鹿!」
「でも何か言ったよね? 聞こえなかったからもう一回言っ」
「むがーっ!」
「ひぃぃ誠に申し訳ございません!?」




