61 動物園デート
あーん。月紫さんが『あーん』をしてきた。
「でぇ、えっ、ほ、ちょ……!?」
「水瀬君、動揺しすぎです。店員さんにバレちゃいますよっ」
そう言うと月紫さんは「さあ早く」と急かすようにスプーンを近づけてくる。
カップル限定のパフェ。故にカップルのように振る舞わなくてはいけない。
分かってはいる。いるけどこれは……ぐっ、ぐぐぐぐ、うぬぬぅ!?
「あ、あ……ぁーん……」
「はいっ。あーんですっ」
高速で葛藤する思考は途中で線路を外れて吹き飛んでいく。迫るスプーンを前に、奇声を出してばかりの僕の口は震えながらもゆっくりと開いた。
気づけば口の中にはパフェの甘い味が広がっており、自分が今まさに『あーん』をされたことを理解した。
あ……あーんされた。ええぇえ!?
「ぐにゅぐぐうう……」
「水瀬君の奇声が止まりませんっ。……そんなに嫌でしたか?」
「い、いえ、嫌ということではなくて……」
あーんされることが好きか嫌いかの話ではない。ただただ驚愕している。
相手に食べさせる通称『あーん』はリア充にのみ許された行為だ。恋人同士が行う一種の愛情表現。
それを僕は今、体験した。なんということでしょうの世界。あーんを受け入れた自分にもビックリだ。
未だに意識は脱線したまま暴走している。トゲのついたローラーが脳を駆け巡るかのような衝撃が収まらない。なんということでしょう!?
「美味しいですか?」
「う、うん、美味しいです」
味なんて分かるはずない。甘いとしか感じない。パフェの味も、あーんも、全てが全身を甘々で満たしていく。
「それは何よりですっ」
恐らく今の僕の顔は真っ赤になっているだろう。顔が熱い。汗が止まらない。典型的な非リア充の反応だ。その一方で口内はひんやりと涼しい。
パフェを飲み込み、息を吐く。今の一瞬で気絶しかけた。ビールをイッキ飲みするよりも体に負担がきたよ!?
「では次は水瀬君の番ですね」
心臓が張り裂けそうな僕とは打って変わって月紫さんは緩やかに口角を上げる。
すると、僕にスプーンを渡してきた。僕はスプーンを受け取って、って、ててて?
「あーんしてください」
「……」
「水瀬君?」
「うぬぐっぐにゅうぅぅう!?」
今度は僕が月紫さんにあーんをする番なの!?
「このパフェはお互いにあーんして食べないといけない決まりがあるんです」
「え、えぇ……!?」
「あーんしながら且つフラミンゴパフェが倒れないように食べないと失格となって料金が倍になります」
「そんなのある!?」
食べさせ合うのはカップル限定というだけあって理解は出来る。けどパフェを倒さないようにするのは別のゲーム性が絡んでいませんか?
テーブルの上にはフラミンゴパフェ。二本のポッキーで絶妙に立っているフラミンゴを倒さないように掬って食べる。意外と高難易度じゃないですかね!?
「ではお願いします。あーん、くらさいっ」
何より、パフェを上手く掬うよりも高難易度なのがやはり『あーん』だ。
月紫さんは既に口を開いてスタンバイしてある。僕が差し出すのを待っていた。控えめに口を開いた状態で喋る月紫さんはめちゃくちゃ可愛かった。いやこの現状で可愛いとか思っている余裕はないだろ!?
「う、うぐ」
「あーん」
これはあくまでフリだ。カップルのフリ。パフェを食べる為に必要な行為。月紫さんも言っていただろ。僕は考えすぎなんだ。これだから陰キャは困る!
考えすぎているのが余計に気持ち悪い。そう思うことにして意を決し、僕は月紫さんの口にパフェを運ぶ。
「あ、あーん」
「んっ。んー、おいひいですっ。フラミンゴの味わいがしますっ」
普段なら「フラミンゴの味わいって何?」とツッコミを入れるだろう。しかし今の僕にその気力と余裕はない。
月紫さんが嬉しそうに僕の持つスプーンからパフェを頬張った。まるで雛鳥のような、小さな子供が大好物をパクッと食べるような、そんな姿にドキドキする。
「美味しいですっ。人生で一番ですっ」
「は、はあ」
「えへへぇ」
ふわっとゆるっと、とろけた頬。目をつむり微笑み、欣喜雀躍した表情で月紫さんは僕に手を差し出す。
「では交代しましょうか。スプーンを貸してくださいっ」
「ま、また!?」
「完食するまでやらなくちゃいけないんですよ?」
ま、マジデスカ。このパフェ丸々を交互に食べさせ合いながら完食しなくちゃいけないのかよ。
「う、うぅ、カップルってすごいな。…………ん?」
……待って。今になって気づいたことがある。衝撃の連続で気づくのが遅れた。
まず最初に僕があーんされて、次に月紫さんがあーんした。スプーンを渡し合って。つまりこれって……か、かか、か、間接キスというやつなのでは? なのでは!?
え!? ちょ、待っ、というか今の時点で月紫さんは僕が食べた後のスプーンで食べているから月紫さんは間接キス済み!? で、次は僕が間接キシュをする番になるんじゃ……!?
「ち、ちょ、待って」
「待てと言われて待つ人はいませんよ。待たぬーっ、ですっ」
「で、でも、あの」
「カップルのフリをしなくちゃいけないので仕方ないんです。そうなのですっ、仕方ないのですーっ」
月紫さんは今まで見た中で一番眩しい嬉々とした笑顔でスプーンを持つ。
や、ヤバイよ。あーんされた時点で僕は沸騰しそうなくらい茹であがっているのに、さらにあーん。しかも今度は間接キシュ……意識が蒸発するんじゃなかろうか。あ、あぁ……。
……いい、のかな? こんなチャンスは一生ないと考えれば、今この瞬間を堪能してもいいと思っていいのかな……!?
そ、そうだ。これはあくまでカップルのフリ。仕方ないんだ。そうだっ、仕方ないのですーっ!
「ではもう一口……あっ……!」
「へ?」
べちょ、と聞こえた。
大口を開けてあーんする僕の手元、テーブルの上には崩れさったフラミンゴパフェ。フラミンゴが倒れていた。
……あれ?
「あうぅ、パフェが崩れちゃいました……」
「ど、ドンマイ」
月紫さんが三口目を掬おうとした時、二本の極細ポッキーで支えていられていたフラミンゴパフェは倒れてしまった。
ま、まあ、あれはどうしようもないよ。バランスが悪すぎるもの。あれを倒さず完食出来る人はいないと思うよ。
「もっと食べたかったです……」
倒してしまった僕らは失格。倍の料金を支払うハメに。倍の料金を払うことには納得出来ないが、あーんから解放されてホッとした。
……ホッとしているけど、心のどこかで残念に思う自分がいる。そ、そりゃ、ねぇ? どうせなら間接キスしたかったかも。
なんてね。実際にやっている時は動揺しまくっていたくせに、後からなってこういうことを思う僕のビビリ君っぷりには呆れるよ。
「うぅ、あううーっ……」
レストランから出た後、月紫さんは悔しそうにため息をつく。どうして倒してしまったんだ、と自責するようにしょんぼりしている。
「げ、元気出してよ」
「ですが……う~、もっと食べたかったです」
「そんなにパフェが美味しかったのね」
僕は緊張のあまり味は分からなかったが、月紫さんはちゃんとフラミンゴパフェのフラミンゴな味わいを堪能していたらしい。絶品だったのだろう。悔しがっている彼女の表情からそれが伝わってくる。
「……パフェの味どうこうではなく水瀬君と食べたかったんですー」
「ん? どういうこと?」
「なんでもありません。……落ち込んでいる場合じゃないです、次の作戦に移行しますっ」
「お、おぉう?」
俯いていてボソボソと小言で呟いていた月紫さんが突如「行きましょう!」と言って跳ね上がった。その顔は晴れやか。
「この先に観覧車があります。乗りましょうっ」
「う、うん」
鳥が鳴くエリアを通過し、「ヒマワリ麺ジャー弓技・ア麺Bow!」とメンクイジャーが叫ぶゾウさんエリアを避けて向かった先には観覧車。遊園地と比べても大差ない立派な観覧車があった。
「一周に何分かかるか予想しましょうか」
「十五分くらいじゃないかな」
「普通の予想ですね」
「え、なんかすみません?」
「そんなことよりっ、さあさあ乗りましょう!」
「うおぉめっちゃ元気」
月紫さんのおっとりぽわぽわが復活した。マイペースながらも快活で、僕を引っ張ってくる。
「観覧車でグッと近づく作戦ですっ。えへへ、ですっ」
「近づくって何が?」
「な、なんでもないでーすっ。さあさあ乗りま……ふえ?」
グイグイと引っ張ってグングンと進んでいた月紫さんが立ち止まった。
頭上には観覧車。ゆっくりゆったり動くはずのそれは全く動いておらず、僕らの視線は前方へ。
そこには『メンテナンスの為、本日はお休みです』と書かれた看板があった。
「えーと、今日は観覧車やっていないっぽいね」
「……」
「永湖さん?」
「ぶえーっ!」
「うお!?」
月紫さんが叫んだ。僕以上の奇声を出している。
「ど、どうして今日に限って休止なんですかっ」
「と言われても……メンテナンスなら仕方ないよ」
「あうぅ、あぅあうう……作戦が……」
さっきから作戦って言っているけど何か特別なミッションでも課されているの?
月紫さんはその場で座り込んだ。晴れやかな顔は消え去り、恨めしげな瞳で観覧車を見上げている。
「上手くいかないです……」
「ど、ドンマイ。僕も動物園ビールが美味くなかったから気持ちは分かるよ」
「おハゲ増しありがとうございます」
「励ましね。僕ハゲ増してないよ」
「でも……うぅ」
座り込んだ月紫さんが眼鏡を外して目を拭う。
「な、泣いているの?」
「ちょっぴり涙が出てきました……」
「あ、あわわ、な、泣かないで」
最近とある女子が泣きじゃくって大変な目に遭ったから女の子の涙には敏感なんです。ね、ね?
「他にもアトラクションはあるよ。それ乗ろうよ」
「観覧車が良かったんですぅ……」
「そんなに観覧車が好きなの?」
問いかけると、眼鏡を外した超美少女がこちらを見上げてくる。少し涙ぐんだ瞳がキラキラしていて抜群に可愛い。ぐっ、可愛い。ぐっかわ!
「……だってデートに観覧車は定番だから」
僕を見たまま、月紫さんは両腕を組んでそこに顔をうずめる。
な、何か言っているけど声がくぐもって聞こえないよ。デートって聞こえたような気がするようなしないような……。
「水瀬君っ」
「は、はいっ」
「また今度です」
「また今度?」
「動物園、一緒に行きましょう!」
「う、うーん……動物園ビールはイマイチだったからなぁ」
「……ぐす」
「ごめんごめん! 行こう、是非行こう! 是が非でも行こう!」
眼鏡なしの状態で上目遣い、さらには涙ぐんだ瞳。断れるか? いんや無理! 僕には無理! 可愛すぎるもん!
「ありがとうございます。絶対ぜーったいウルトラ絶対に約束ですからねっ」
月紫さんは笑い、立ち上がった。僕は彼女を見て苦笑混じりに頷く。
喜んだり落ち込んだり、感情のままに表情を変える月紫さんに振り回されて大変だったかもしれない。動物園ビールは微妙だったし、覆面戦隊のしょぼさに辟易したり、フラミンゴパフェをあーんしてすごく疲れたかもしれない。
そしてこう思った。やっぱり眼鏡なしの月紫さんの可愛さはとんでもない、と。
ドキドキしまくりで心臓はエライことになったけど、最終的には楽しかったと思える。うん、楽しい。
「次は一緒に観覧車に乗りましょうっ」
「そうだね」
「……では他のアトラクションに行きましょうか」
「う、ん……あの? 腕を掴まなくても……」
「行きましょーっ」
月紫さんは笑い、僕も笑い、月紫さんが僕の腕を引っ張る。
「あ、あああ、あのぉ……!?」
「今日は私も水瀬君も奇声オンパレードですねっ」
「ひ、引っ張らないで……うぅ!?」
月紫さんは意外と大きいから、って馬鹿野郎!
う、腕をぎゅっと掴まないで。下手したら僕の腕に当たってしまうかもしれない。当たってほしいな、って馬鹿野郎!
「レッツ&ゴー&ぐおーっ、です」
「ぐおおおぉ……!?」
動物の鳴き声にも負けない僕らの奇声。
元気に歩く月紫さん。僕はその隣で、今にも腕に当たるんじゃないかとドキドキしてドキドキした。