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6 逃走

「ビールの箱って重たいですね」

「そうですか……」


 スーパーで会計を終えた後、近くにある公園に来た。というか連れてこられた。

 ベンチに座る僕の隣には眼鏡をかけた女の子。ビールの箱を置いて一息ついていた。

 ちょこんと座った女の子はこちらを向く。微笑んで、丁寧に頭を下げる。


「自己紹介がまだでしたね。私は月紫永湖(つくしえいこ)と言います。理学部の二年生です」


 日を浴びてたっぷりと艶やかなショートボブの黒髪、油脂を全く感じさせない透明感ある白い肌、無邪気そうな目と長いまつ毛。それらに覆い被さるような大きく丸い眼鏡が印象的だった。


「あ、あぁ、ご丁寧にどうも。僕は水瀬流世。経済の二年です」

「同級生でしたか。では水瀬君とお呼びしますねっ」


 月紫と名乗った女の子は顔の前で両手を合わせ、目を輝かせる。

 瞳はキラキラで、体全身からはぽわぽわぁとしたオーラが漂っていた。え、オーラが見える。この人すごい人なのかな?

 ……まぁ、初対面でいきなりビールの飲み方を教えてほしいと言う人だから、ある意味すごいよね。


「え、えーと、月紫さん?」

「はいっ」

「僕にビールの飲み方を聞いてきたよね? それはどうして?」

「まずは飲みましょうっ」


 あ、いや、その、聞いてます? 無遠慮というか、貞操観念が緩いというか、知らない人にお願いするのはどうかなと思うし、見知らぬ男女が二人きりになるのは良くないと思


「ビールですっ」


 うーん、このフリーダムさ。

 月紫さんは缶ビールを両手に持つと、自らの声で「じゃじゃーんっ」と効果音をつけた。


「先にいただきますね」

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 微笑みとお辞儀をし、月紫さんは缶を口元へ運ぶ。

 理由や動機、なぜ僕にお願いしてきたのか等、問いたいことは山積みなのに言わせてもらうタイミングが見つからない。

 見た目的に地味な子と思いきや、意外とノリが良くて独特の雰囲気を持っていて……どうやら僕は月紫さんの世界に迷い込んでしまったようだ。

 おっとりしているなぁ……っ、っ?


「ビールに挑戦ですっ」


 この時、僕は思わず見惚れてしまった。不思議ちゃん、ってわけでもなさそうだなと思った。

 一回一回きちんと頭を下げる姿には真面目さが表れていて、両手で缶を持つ様子は女の子らしくて可愛らしくて、マイペースで落ち着きがある。

 確かに僕は巻き込まれた立場なのだけれど、先までの会話は別段嫌だとは思わなかったし、寧ろ心地良くて、僕なりにちゃんと話せていた。それはこの人の、のほほんとした雰囲気のおかげな気がして……。

 なんだろう……女の子って感じがすごくしたんだ。


「ごほっ!?」


 月紫さんが盛大にビールを噴き出した。


 ……え゛?


 黄金色の液体と白い泡が飛沫が細かな粒子のように拡散し、僕の顔面にクリーンヒットした。

 突然の、あまりに予想外な出来事に体も思考も停止する。


「ご、ごめんなさい」


 ……えっと、僕の方こそごめんなさい。あの、さっきの感想なかったことにしていいですか。前言撤回させてもらってもいいですか?


「想像以上のキツさに咽せちゃって……」

「そ、そっか。いいよいいよ、拭けば大丈」

「ごほっごほ!」

「……そ、そっかー」


 ハンカチで拭き終えた途端に、第二撃目が放たれた。僕の顔は再びビールまみれ。

 嘘でしょ? 女子からビールを噴きかけられた。しかも二発も。


「うぅ、上手く飲めません」

「その割に見事に僕の顔面へ的確なショットを放つよね」

「? 狙っていませんよ?」

「狙っているなら悪意の塊だよ!?」


 完全に訂正します。この人は完全に不思議ちゃんだ。天然モノの、ある意味天才のとんでもない人だ。

 そして驚きだ。ボッチの僕が女性からビールを浴びせられることになろうとは。

 貴重な体験、一種のご褒美、と言い聞かせて納得するのにはちょっと抵抗がありますね……。


「ビールが飲めないと言っていたけど、まさか一口も飲み込むことが出来ないってこと?」

「そうですねっ」

「いや元気に肯定することでもないよ?」


 月紫さんの笑顔とは裏腹に、僕の胃はキリキリと痛みだした。恐らくだが、精神が限界に到達しようとしているのだろう。

 三日間の金束さんによる怒涛の罵倒と睨み。休めると思った今日は知らない女子から顔にビールを噴きかけられる。ボッチのメンタルには過負荷だ。

 僕の精神はあと一撃で完全にノックダウンしそう。が、頑張れ。まだ我慢だ。耐えるんだ。


「諦めませんっ。もう一回チャレンジです」


 三口目を飲もうとする月紫さん。

 その顔は、僕の方を向いていた。これはヤバイ。


「待って。反省しよう改善しよう。チャレンジ精神は良きかなとして、せめて別方向を向いてくれますか。でないと僕に」

「けほっ!」

「ほらこうなるうぅ!」


 ビールの泡飛沫が全視界を埋め尽くす三撃目が放たれた。

 ブツン、と思考がシャットダウンした。精神ポイントはゼロ。反射で体が立ち上がる。


「に……」

「けほ、けほ、ごめんなさい。……水瀬君?」

「逃げりゅうううぅ!」


 選択肢とか、帰るタイミングがないとか、そんなのもう知らない! 女の子と話せて嬉しいとか、月紫さんの淑やかな雰囲気が心地良いとか、関係ない!

 とにかく今は、逃げたい!


「もぉ嫌だああああぁ」


 体が動いてくれた。息も吐かず吸わず、全力疾走で公園を飛び出す。

 風が顔に吹きつけ、ビール噴きかけられた顔を風が冷やす。なんて虚しさ、なんて虚無感だろうか。


「だから、どうして僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだぁ……!?」


 これは悪夢だ。僕の一人酒ライフを潰そうとする悪夢なんだ。僕はマゾじゃない。ノーマルの、どこにでもいる平凡で無個性の大学生。この仕打ちは耐えられない。

 あ、あ、あぁああうぅう、僕の寂しくも充実したボッチライフを返してください……!

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