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56 野球観戦ビール

 普段何気なくテレビで観るものとは全く異なる。その場所を訪れた時、自分の目で見て自分の肌で感じて圧倒される。

 その場所とは、球場である。


「アンタが着ているのはどれ?」

「僕はホーム用のレプリカユニフォーム」

「ふーん。私もそれ買う」

「え? わざわざ揃えなくても」

「うるさい!」

「ひえぇ」


 今日は金束さんと野球観戦に来た。

 球場の外にある物販コーナー。僕は謎にキレられてしょんぼり、金束さんはキレながらユニフォームを買う。

 野球観戦だからといって必ずしもユニフォームを着用する必要はない。個人的には着た方が気分が出てビールが美味しくなるけども、それにしたって僕ら二人でお揃いのユニフォームにしなくても……。


「行くわよ」


 とか思っていたけど金束さんのユニフォーム姿を見たらどうでも良くなりました。

 この人は何を着ても似合う。普通に超可愛い。普通に超ってなんだよ。強調表現がおかしい。


「返事しなさいよ!」

「は、はひ」


 再びキレられた僕は金束さんに引っ張られて球場の中へと入っていく。ゲートを通り、視界いっぱいに広がる光景は……おお、すごい。

 広いグラウンド、土と芝のコントラスト、落ちたら即死だなと考えてしまう程に高い天井そして無数の照明。またしても圧倒される巨大な球場内は試合開始前からすごい歓声と熱気で覆い尽くされていた。


「ふーん、人が多いわね」

「感想それだけ?」

「アンタこそ私のユニフォーム姿を見て何か感想ないの」


 あ、いや、心の中ではもれなく普通に超絶賛しているからね。陰キャだから言葉にして発することに臆しているだけです。友達と言えるようになっても言えないことはまだまだ多い。


「ふんっ」


 窮する僕に向けて金束さんはひと睨みして席に座った。

 僕のせい? 僕が「金束さんはユニフォーム姿も素敵だね、キラッ」と言わなかったせい? 無茶難題ですねぇ……。


「アンタも座りなさいよ」

「はいぃ」


 到着してから「ひえぇ」や「はいぃ」といった情けない声しか出せていない僕は慌てて金束さんの隣に座る。シートはフカフカのクッションで座り心地が良く、前方にはバックネット。

 僕らが座るのはバックネット裏の席。相当に良い位置だ。チケット代は高価格だろう。ましてや今日の試合はCS出場を決めるシーズン終盤の大一番。チケットは値段云々の以前に入手すること自体が難しい。


「日凪君に感謝だね」

「ふん!」


 今回のチケットはチャラ男こと日凪昭馬君に貰った。まさかである。

 遡ること数日前、僕は日凪君と遭遇した。




『ウェイ根暗っち☆』

『……』

『そんな怖い顔しないでちょ。丁度良いや、根暗っちに渡したい物があるのさー』

『……野球のチケット?』

『本当なら俺っちが小鈴を誘うつもりだったけど負けたからしゃーなし。せっかく会えたことだし根暗君にプレゼントしちゃうぜ☆』




 と、相変わらずウザったらしくも気さくなノリの日凪君は僕にチケットを渡してきたのだ。




『やー、にしても根暗っち酒強すぎっしょ。俺っち負けるとは思わなかった☆ ところであの後、朝起きたら路地裏でパンイチだったんだけど何か知らない? 俺っちの財布知らない?』

『ごめん知らない』

『マジかぁ……学生証と免許証の再発行って来るわぁ。根暗っちは小鈴と野球観戦を楽しんできてちょ。戦友との約束ってことでしくよろ☆』




「思ったより良い人だね」

「別に」


 日凪君の名前を出した途端に金束さんの機嫌は悪化、まさに嫌悪感と呼ばれる感情を表情に浮かべる。

 や、確かに彼とは一悶着あったけど、こうして和解に近い形で僕らに観戦チケットを譲ってくれたのだから許してあげても……。


「あいつ嫌いよ。つーかアンタ以外の男なんて好きじゃない」

「そ、そうですか」

「……ぁ、っ~、か、勘違いしないでよ。アンタのことが好きってことじゃないからね!?」

「わ、分かってるよ。僕らは友達だ」


 友達。スッと言えた。言えるようになった。嬉しいなぁ。


「僕らは友達。恋愛感情なんてあるわけない。ちゃんと分かっているから安心していいよ」

「……分からないでよ馬鹿」

「な、なぜ殴る」


 ポカポカと肩を殴られた。金束さんの言い分に逆らうことなく肯定したのにどうして? えぇー……!?

 あとやっぱり殴られても痛くない。弱パンチは今日も健在だ。

 と、とにかく今日は日凪君のおかげで野球観戦を楽しめるんだ。せめて僕だけでも彼に感謝しておこう。サンキュー日凪君ウェイ。

 気を取り直し、座り直す。外野席よりもシートの質が良く、ピッチャーが投げる姿を正面から見ることが出来る。素晴らしいの一言に尽きますねっ。


「ふーん」


 金束さんは「ふーん」の一言に尽きるらしい。この人って「ふーん」と「ふんっ」の二つばかりだ。感動することってあるのかな?


「金束さんは野球観戦に来たことある?」

「ないわ。今日が初めてよ」


 それはそれは。ならば今日は是非とも感動してもらいたい。生で観る野球を楽しんで、何よりビールの美味しさに感激してもらおう。球場で飲むビールの美味しさをね!


「僕は今から飲むけど金束さんも飲む?」

「試合が始まる前に飲むの?」

「その通り!」


 打撃練習をする選手がボールを軽々と外野の奥にまで飛ばす様を眺めつつ、視線を観客席へと走らせる。

 見渡せば、売り子さんが至るところにいる。キャップを被り、ビールサーバーを背負い、歩き回っては声を出している。その姿はとても健気で健康的だ。

 球場でビールを飲むとなれば、やはり売り子さんから買ってあげたくなる。彼女らの売り上げに貢献してあげようと思ってしまうのだ。


「さて、と」


 僕は瞬時に売り子さん数人の顔をチェックしていく。これぞ野球観戦ビールにおける興じ方の第一歩目である。


「20、26……22番もアリだね」

「? 何よその数字」

「売り子さんの番号だよ」


 僕は問いかけに返すようにして売り子さん達の帽子に目を向ける。帽子には大きなバッジが着けられており、それぞれに番号が記されている。


「客がお気に入りの売り子さんを見つけやすいよう番号が着けられているんだ。やっぱり可愛い売り子さんから買ってあげたくなるよねっ」

「……」

「個人的には26が一番可愛いかな。今のうちに買っておけば次来た時にお話が出来るかも。よし買おう!」


 僕は手を挙げる。すると、26番の売り子さんが笑顔でこちらへとやって来た。


「一つもらえますか」

「はいっ」


 元気な声と素敵なスマイル。間近で見るとさらに可愛い!

 売り子さんは僕の傍に屈むと、慣れた手つきでコップにビールを注いでいく。


「今日は人多いですねー」


 売り子さんから話しかけてきた。会話のチャンスだ。


「ゲーム差0.5の直接対決ですからね。その分お姉さんは大変そうですね」

「頑張りますっ。いつも観に来られるんですか?」

「いえ普段はあまり来ません。なので楽しみです」

「どんどん飲んでくださいねっ。はい、どうぞ!」

「ありがとうございます。またお姉さんから買いますよ」

「わぁ、嬉しい」


 営業スマイルであっても可愛い人の満面の笑みはドキッとしてしまうのが男の宿命。それが楽しい。これが球場飲みの嗜み方だ!

 今の売り子さんがここのエリアに戻ってくるのは三十分後だろう。それまでゆっくりと一杯目を飲もうではないか~っ。


「いただきまーす」


 僕は高揚した気持ちで一杯目を口に……って、ぐぬひぇ!?


「ふーん……」

「な、何するの」


 耳たぶを掴まれた。

 見れば、金束さんが不機嫌そうな顔で僕を睨んでいた。


「何デレデレしてるのよ」


 デレデレ? や、そんなことは……。

 というか……金束さんが不機嫌になっていた。不機嫌すぎる。日凪君の名前を出した時以上にイライラしている……!?


「ふーん。野球観戦と言いながら本当は可愛い子を見に来たのね。可愛い子からビールを買いたいだけなのね。ふーん。ふーーん」

「別にそれだけってことでは……」

「デレデレして鼻の下伸ばしてキモイ」

「鼻の下は伸ばしてない! ……と思う。いやいや、可愛い子から買いたいと思うのは自然なことでして」

「ふんっ!」

「ひいぃ!?」


 超至近距離で睨まれる。その凄みっぷりは不知火本気の顔よりも迫力があった。

 僕の全身は震え上がり、コップから金色の液体が足元に溢れていく。あばばば。

 なぜだ。金束さんが超至近距離で超不機嫌だ。なぜだ!?


「馬鹿。最低。キモイ」

「た、淡々と単語で悪口言わないでよ」

「……アンタはもう女の子からビール買っちゃ駄目」

「えぇ!? それはあんまりだよ」

「うるさい! 買っちゃ駄目なんだから!」


 可愛い子から買うのが醍醐味なんですよ!? 陰キャな僕が可愛い子と話せる貴重なイベント。数秒のたわいもない会話の為に一杯七百円のビールを買うのが球場飲みの楽しみ方なんだよ!?

 しかし言い返すことは叶わない。金束さんが睨んでくる。いつもの睨みとはどこか違う、恨めしげな色を含んでいた。そうなると僕は奇声を出すことしか出来ないわけでして……。


「ふんっ!」

「ひぃいぃ!?」


 視界開始前。僕の野球観戦ビールは既にしょっぱくなりつつあった……うぅ……。



「他の人にデレデレしないでよ水瀬の馬鹿……」

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