51 サシ飲み勝負
「二時間飲み放題/料理は何を注文してもオッケー/相手がグラスを空けたら自分もすぐに飲み干す/飲む酒はお互いに揃える/先に倒れた方が負け/で、しくよろ☆」
「ああ、いいよ」
チェーン店の個室。掘り炬燵のテーブルを挟んで僕は日凪君と対峙する。
日凪君は片膝を立てると、その上に腕を乗せてほくそ笑む。こちらを見下す態度は勝負開始前から勝ち誇って優越感に浸っている。
先日までの僕なら、ただの陰険ボッチの僕だったなら、彼の雰囲気に飲まれて肩を竦めることしか出来なかった。
でも今は違う。立ち向かうんだ。
僕は金束さんに本気でビールの美味しさを教えてあげたい。こんなチャラ男に奪われたくない。奪われてたまるか。
「ちょいと最終確認。根暗君が負けたら小鈴には金輪際近づかないことでオッケーね」
「金束さんとは二度と話さない。けど僕が勝ったら」
「はいはいオッケーオッケー、俺っちは小鈴から手を引く。俺っちが負けたらの話ね」
ヘラヘラとほくそ笑んで両手を挙げる姿は、はい降参しました、と言っているように見えた。言葉とは裏腹に僕を馬鹿にした態度と強気な細目、依然として顔色には自信と傲慢が色濃く表れている。
「……僕なんかに負けるわけがないと?」
「っべー、目がこぇー。威勢アリアリじゃん。そーゆーのは飲んでからにしましょ☆」
隠しもしない嘲笑で軽侮し、日凪君は呼びボタンを押す。開戦の合図となる機械音が鳴った。
「んじゃ一杯目は根暗君が選んでいいよ。しくよろ~」
「……生中を二つお願いします」
注文を取りに来た店員さんにオーダーを伝え、開いた扉は閉まる。
……こいつには負けたくない。こんな奴に、金束さんのことを真剣に考えていない奴に僕は負けない。
一時のノリや気分、欲求のみで軽々しく付き合う。一夜でどうにかする。それが大学生のセオリーで常套手段なのだろう。それこそワンチャンと呼ばれる関係だ。
分かるよ。僕の方が異端で意味不明だ。一般的に見れば僕がおかしい。
「お、キタキタ☆」
知るか。誰かの目なんて関係ない。僕はそんなことをしたくない。金束さんにさせたくない。
金束さんは軽々しくビールを飲みたいのではない。あの人は本気でビールを飲みたがっている。本気で僕に頼っているんだ。
その僕が、こんな軽々しい奴に負けてたまるかよ……!
「まずは一杯目。乾杯ェーイ」
「……」
ジョッキは互いに宙へ掲げるだけ。ジョッキはぶつけず、代わりに目線をぶつけ合って僕と日凪君は一杯目のビールを飲み始める。戦いの始まりだ。
「ビール美味いわ~。マジ永遠に飲めるわ~」
日凪君はジョッキを少し傾けて飲んでは休み、また飲みだす。こちらを見下した目は変わらない。三分の一程減ったところでジョッキをテーブルに置く。
「ふいー、今日は調子良い感じっしょ~」
「はい飲んだ」
対する僕は空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。
「……は?」
「相手が空にしたら自分も飲み干すルールだよね」
「へ、へぇ……」
日凪君のことは調べた。ロイヤルカクテル、通称ロイカクという飲みサーに所属する君は数えきれない飲み会に参加してきたのだろう。さらにダンスサークルのよさこいはコールをするのが定番の激しい飲み方で有名だ。
経験による自信、加えて相手は根暗君と蔑称する気弱なボッチ。自分が負けることはないと確信するのは極めて当然だ。
「早く飲んでよ」
「初っ端から飛ばすと後半死んじゃうぜー?」
煽る暇があるならビールを呷れ。
君の自信と確信は慢心だ。見くびりすぎだよ。
相手が悪かったね。すぐに気づくだろう。そこら辺の飲みサー大学生に、僕はお酒で負けやしない。
「っぱぁ……え、何? 短期決戦なら勝ち目あるとか思ってる感じ?」
「二杯目の注文をしてよ」
「っべぇ☆ 根暗君ノッてるぅ☆」
余裕があるように振る舞っているが、その細い目が揺らいだのを僕は見逃さなかった。
「お待たせしました。カシスオレンジです」
「注文いいですか? 生中二つ」
「え? あ、はい」
僕は店員さんが運んできたカシオレを秒で飲み干し、息もつかずに三杯目を注文。
動揺するのは店員さんだけでなく、目の前のチャラ男も同じ反応をした。
「ルール」
「は、はは、はいはいりょすー」
日凪君も一気にカシオレを飲む。
それくらい楽勝だよね。君らがよく言っている「カシオレはジュースっしょ!」だもんね。
『カクテルでコール? ビールも飲めないくせにコールして気持ちが悪い!』
うん。そうだよね金束さん。僕らはそんな飲み方をしたくないんだよね。
『馬鹿みたいに騒ぐ飲み会じゃない、軽いアルコールに酔う飲み会でもない。私は、本当に美味しいと思える瞬間を知りたいの』
うん。だから僕は負けないよ。
この薄っぺらい飲み方しかやってきていない奴をカクテルに逃がしたりはしない。休憩なんて与えるか。
「はい三杯目飲み終えた」
「っべーわ」
「四杯目は梅ソーダね。はい飲んだ」
「……」
「生中二つください」
「……っべーわ」
三、四、五杯。僕らは休むことなく飲む。
相手が飲み干せば自分もすぐに空にしなければならないルール。つまり僕がイッキ飲みすれば日凪君も同様にイッキせざるを得ない。
「次は日凪君が注文する番だよ」
「……」
「早く」
「この根暗野郎が……」
開始から二十分。飲んだ杯数は十を超える。
日凪君に変化が見えてきた。余裕げな態度は消え失せている。立てた膝に悠然と乗せていた腕を現在はテーブルに放り投げて突っ伏し、顔色は赤くなったり青くなったり、最後は真っ白になる。
「っ……マジかよ……」
飲みサークルと言ってもこの程度か。
僕は頼んだ浅漬けを頬張り、空になったジョッキを呷る。底に残った一滴すらも口に放り込む。
「どうしたの? ギブアップする?」
「……トイレ行くわ」
のそりと立ち、覚束ない足取りで日凪君は今にも倒れそうになりながら個室から出ていく。居酒屋でよく見る光景、酔い潰れる寸前の大学生そのものだ。
……勝ったな。こちとら一年間ほぼ毎日一人で飲んできた人間だ。体内のアルコール許容量にはまだ達していない。
根暗をなめるな。軽い酒しか飲んだことしかない大学生とは格が違う。
「さて、会計の準備をしようか」
僕は確信した。この勝負は僕の勝ちだと。
その確信は、勢いよく開かれた扉と元気な声によって吹き飛ばされた。
「ェーイ! んじゃま飲み直しっしょ」
「……え」
「俺っちが選ぶ番ね。日本酒の冷でしくよろ」
戻ってきた日凪君は顔色も元に戻っていた。勝負開始前に見せたヘラヘラと余裕ある表情。
どういうことだ……?
「やっぱし飲みは吐いてからっしょ」
日凪君はそう言って口元をおしぼりで拭った。
「リフレッシュ! テンアゲっしょ!」
「……そういうことか」
こいつ、トイレで吐いてきたんだ。飲んだ酒を吐き出して体内をリセットした。
「はいはい乾杯ーっ」
軽快に日本酒を飲む日凪君は、序盤の僕のようにあっという間にグラスを空にした。
次に僕が頼んだビールも飲み干す。その次にグラスワインを飲み終えると、再び席を立つ。
「トイレってくるわ」
今にも吐きそうで辛そうな顔は帰ってくると元通り。ガブガブと飲む。
吐いてリセット。よくあるパターンだ。まさに大学生ならではの飲みスタイル。……昔の自分を見ているようで気分が悪い。
「根暗君どったの? ペース落ちてなーい?」
「平気だけど?」
しかし想定内である。やっと戦いになってきたとさえ思える。
日凪君が吐いてその小さい許容量をリセットしようが、それも所詮はただの延命に過ぎない。僕自体には無関係だ。この程度では屈しないよ。
「生中二つ」
「……へぇー」
日凪君は幾度となくリバースし、僕は一度も席を立つことなく開始から一時間が経過。
さて、と。そろそろ限界が来る頃合いだ。
「んだこいつ……べぇ」
吐いてリセットにも限界がある。飲んだアルコールをゼロにするのは不可能だ。全てを吐き出すことは出来ない。いずれ胃酸すらも吐けなくなる。最後には結局、酔い潰れてしまうんだ。
僕の予想通り、日凪君はテーブルに突っ伏して動かなくなった。ジョッキにはビールがまだ半分も残っている。
「トイレ」
「つい数分前に行ったばかりだけど? もう吐けなくなっているでしょ」
「……」
「言っておくけど僕はまだ全然平気だ。やっと酔ってきたくらいだ」
と言いつつ、視界がぼやけてきた。強気に喋ることで意識を保とうとする自分がいた。
正直なところ僕も限界が近づいてきている。さすがにノンストップで飲みすぎた。こんなハイペースは久しぶりだ。
しかし僕より日凪君の方が危ないのは見て明らか。吐きすぎた影響で喉は焼けるように痛く、アルコールの匂いと胃酸の酸っぱさで口内はぐちゃぐちゃだのはず。
「僕の勝ちだ」
「ひ、ひひっ。あーそうっすか、根暗君はまだ余裕なんだね」
「そうだね」
「そうかそうか。だったら、こうしようべ……」
……日凪君の瞳に、嫌な光が宿った。何か、策略を思いついた目だ。
「ルール変更」
「は?」
「ゲームして負けた方が二人分飲む」
「何を言って……」
「根暗君はまだ余裕なんっしょ? つーかいつまでもひたすら飲むとかマジつまんねーわ。遊びを入れなくっちゃ」
「そんなのは受け入れられない。ルールを変えるのは反則だろ」
「えー何も聞こえねーっすはー☆」
こいつセコイな……。
「それとも何? コールされると負けるからビビってんの? マジ雑魚いわ、ちょっとの変更も認めないとか男じゃねぇっすはー」
「……分かった。それでいいよ」
ここで拒否したら、こいつは諦めない。軽い言葉に乗せて言い訳してつけ込み、約束を破って金束さんに絡んでくるに違いない。
僕はこいつの要求を飲むしかない。完膚なきまでに負かすにはルール変更を承諾するしかないのだ。こいつの言い分を聞き、その上で徹底的に潰してやる。
「ゲームで負けた方が二人分だね」
「さっすが根暗君、意見ホイホイ聞いてくれて助かるわー。マジイケメンー」
「……」
どうなろうと負けない。ゲームに勝てば済むだけのこと。多少負けても一回勝つだけでいい。こいつに二人分を飲ませて終了だ。
「さー俺っちの本気を見せよっかなっと。覚悟して、ってことでしくよろ」
まさか日凪君がゲームに勝ち続けることにはならない。
この時の僕は、反撃されるとは思ってもいなかった。




